第5話【学院長とオカマバー】
新学期の準備に奔走中である。
「ええと、あとはどこの授業だったかな」
グローリアは紙束をペラペラと捲りながら廊下を歩いていた。
新学期の準備の為、グローリアは朝から校舎内を駆け回っていた。各授業科目の内容を確認したり、必要な授業道具や予算を確認したり、また馬鹿みたいに高い予算を出してきた魔法工学の先生と口論をしたりと忙しく仕事をこなしていた。
そんなこんなで朝から学院長室を留守にしていたので、ようやく部屋に戻ることが出来たのである。あとは紅茶で一息入れて、授業の予算書と睨めっこしながら書類仕事に専念するぐらいだ。
疲れを体現するかの如くため息を吐き、学院長室の扉を開けた。
「あらいらっしゃぁい」
「お帰りご主人タマ!!」
「いらっしゃいませ」
「お疲れやねぇ」
扉を閉めた。
何だろう、見間違いだろうか。
今、学院長室が学院長室ではないような改装をされていた気がする。
「気のせいかな、うん」
グローリアは勝手にそんなことで納得して、改めて学院長室の扉を開けた。
「何よぉ、学院長。入るか入らないかさっさと決めちゃいなよねぇ」
「学院長、ビビってんの!?」
「怖がらないでもよろしいですわ〜」
「怖がられてまうと、あても悲しくなってしまうわぁ」
扉を閉じたくなったが、意地でも我慢した。
見慣れたはずの学院長室が勝手に改装されていた。執務机や来客対応用の応接セットなどは脇に片付けられ、代わりに部屋の半分以上を埋め尽くしているのは大きめのバーカウンターである。カウンターの背後には色とりどりの酒瓶を並べた棚が屹立しており、すぐにお酒を提供できるように作られていた。
照明は薄暗く切り替えられており、どこかムーディーで色気のある空気感が演出されている。客席らしいスツールも、机や椅子などのセットも高級感があり、どこで用意したのか気になるぐらいであった。
そしてバーカウンターでは、何かやたら厚化粧で筋骨隆々の男が、鎧みたいな筋肉を見せつけるかのように煌びやかな黒いドレスを身につけている。この世の間違いかと思った。
「……何してんの、エドワード君」
「アタシだけじゃないわよぉ」
バーの店主の雰囲気を醸し出すエドワードの影から、同じようにコッテコテの厚化粧をしたハルアが「アタイもいるよ!!」と元気な声で言う。
さらにバーカウンターの下から、ひょっこりと顔を出したのは問題児筆頭を愛してやまないメイド少年のショウである。どうやら飲み物の準備でもしていたのか、酒瓶らしき色鮮やかな青色の瓶を手にしていた。
極め付けには、
「……キクガ君?」
「何やろか」
「何、その言葉?」
「気にせんとって。むしろ気にせんでくれた方が嬉しいわぁ」
謎の言葉で話すキクガが、どこか嫌そうな表情で告げた。おそらく自分の口調に関して指摘されるのが嫌なだけで、彼自身の格好については何も嫌ではないのだろう。普段から女装しているし。
現在のキクガは装飾品のない神父服ではなく、桜色の綺麗な着物を身にまとっていた。エドワードやハルアと違い、キクガやショウの場合は薄化粧を施すのみとなっている。素材の良さを活かす化粧と言えるだろうが、今はそれどころではない。
グローリアは頭を抱え、
「学院長室をバーに改装するなんて何を考えてるんだ、ユフィーリア!!」
「ユーリなら隅っこの方で蹲ってるわよぉ」
「うわ本当だ!?」
厚化粧のバーのママ、エドワードに促されるまま学院長室の隅に視線を投げると、真っ白いものが落ちていた。よく見るとそれは問題児筆頭であるユフィーリアのつむじであり、饅頭よろしく背筋を丸めて蹲っていた。
不安を覚えて近寄ると、彼女はガクガクと小刻みに震えていた。耳を澄ますと「ふッ、ふひッ」と笑いを堪えるような声が漏れている。どうやら笑っている様子だった。
グローリアは冷ややかな視線を投げると、
「……ユフィーリア、この状況の釈明は?」
「あいつらが、勝手にやりました」
ユフィーリアは笑いによって震える指先を、バーカウンター内で動き回るエドワードたちに向ける。
「購買部で魔法薬の材料を買って適当に調合したら、口調だけ女みたいに変わるトンデモ魔法薬が爆誕してな」
「で、ああなっちゃったと」
「ノリと勢いのある問題児だからこうなっちゃうよな」
「だからと言って学院長室でバーを始めるのはどうかと思うんだけど」
「知らん知らん、もう腹筋痛くて起き上がれないからどうにか付き合ってやってくれぐへほふへ」
「美人にあるまじき汚え笑い声を漏らすんじゃないよ」
グローリアは深々とため息を吐いた。仕事を終えて学院長室に戻ってきたと思えばこんな事態に陥っているとは、何と言うことだろうか。
とりあえず、女装にノリノリな問題児男子組と彼らと同じぐらいにノリのいい冥王第一補佐官様にはお帰りいただいた方がいいかもしれない。そうでなければ仕事が出来ない。
そう思っていたのだが、
「学院長、飲み物用意したわよぉ」
「こちらにいらっしゃって? 悪いようにはしませんわ」
エドワードとショウに呼びかけられ、グローリアは半信半疑の表情で振り返る。
カウンターには背の高い硝子杯が用意されており、濃いめの茶色い液体が並々と注がれていた。ぷつぷつと表面に見える気泡から判断して炭酸系のお酒か何かだろうか。バーということでお酒を提供するのが目的なのだろう。
残念ながらグローリアは勤務中である。酒を飲んでいる暇はないのだ。というより、酒を飲むと記憶が飛んでしまう恐れがあるので飲みたくないのが本音である。
「君たちと違って仕事中だからお酒は飲めないよ」
「さっさと来ないとおっぱいで圧殺するわよぉ」
「エドワード君の場合は出来そうなんだよなぁ!!」
絶妙に実行されそうな脅しを受け、仕方なしにグローリアはキクガの隣のスツールに腰掛ける。
目の前に出された飲み物は、ふわりと柑橘類の香りが漂ってきた。どうやら硝子杯の底に薄切りにされたオレンジが沈んでいるようで、表面に飾られたミントの緑が目に優しい色合いを添える。
ショウが硝子杯を指先でグローリアの前まで押しやり、
「オレンジティーソーダですわ。学院長様が酔っ払ってしまったら大変ですもの」
「後ろの酒瓶は一体何?」
「空っぽの酒瓶にジュースとお水を入れておりますわ」
そんなことをショウは上品な笑顔で言う。確かに、酒を用意するとなると高すぎて手が出せなかったのだろう。色々と制約もありそうだ。
グローリアは硝子杯から突き出たストローを咥え、中身を啜る。口の中に飛び込んできたしゅわしゅわとした炭酸の感覚と風味豊かな紅茶、そして合間に混ざるオレンジの風味が絶妙な均衡を築いている。目が覚めるような美味しさだ。
問題児が勝手に学院長室を改装したことも忘れて、グローリアは提供されたティーソーダなる飲み物に夢中だった。書類はバーカウンターに置き、爽やかなオレンジの味が特徴的な紅茶を楽しむ。寒い冬に冷たい紅茶はどうかと思うが、室温が温かく管理されているので問題ないだろう。
すると、
「なるほど、授業予算やろか」
「あらやだぁ、もうそんな時期ぃ? 早いわねぇ」
「あ」
エドワードとキクガが、グローリアの書類をべらべらと勝手に捲っていた。授業の予算が記載された予算書を確認するなり、彼らは妙な口調で言う。
「魔法工学はこの前変な魔法兵器を開発していたわよねぇ、あれの費用も予算の中に組み込まれてるんじゃないのぉ?」
「ちゃんと収支を出させるのが1番やね。魔導書解読学は法律関係が新年になって改定されたばかりやろから、これから魔導書の新書が必要になってくるかもしれんわぁ。出版時期からおそらく来月になったら増えるやろうから、それまではもう少し削ってもええやろ」
「魔法動物関連はセツコちゃんが来たからねぇ。あの子の餌ってうちの上司が用意できるでしょうから、他の教科に回したらぁ?」
「この死者蘇生魔法の分野は何でこないな予算を立てておりますのん? これちょっと収支を見なあかんわぁ。申し訳あらへんけど、死者蘇生魔法の先生を呼んでもろてもええやろか?」
どれもこれも的確な指摘を、容赦のない口振りで突っ込んでいく。
格好や口調はともかくとして、エドワードはユフィーリアに仕込まれた知見の深さと観察眼を持ち合わせており、キクガは独力で冥府の2番手にのし上がった有能な冥王第一補佐官である。身体能力が優れている他、当然ながら知識もあるのだ。
ちなみに、先程からの指摘は全てグローリアが割と気にしていた箇所である。「大丈夫かな?」と思っていたところが、やはり大丈夫ではなかった模様だ。
ずるずるとティーソーダを啜るグローリアは、ポツリと漏らす。
「このバー、定期的に開店してくれないかな」
「学院長がまさかの陥落ですわ〜」
「驚きだね!!」
未成年組がはしゃぎ、部屋の片隅に転がる問題児筆頭が「ひーッ!!」と甲高い声で笑う姿も無視して、グローリアは平然とバーの雰囲気に浸るのだった。
《登場人物》
【グローリア】学院長室が勝手に占拠されるのはこれで何度目になるだろうか。出来れば別の部屋でやってほしい。
【エドワード】オカマバーのママ。見事な胸筋で客を圧殺した人数は35人。(大嘘)
【ハルア】ママを慕って入店した中堅オカマ従業員。ウインクでお客を殺すことが出来る。(大嘘)
【ショウ】オカマバーきっての毒舌店員。可愛い顔をして毒を吐き散らかす。(本当)
【キクガ】オカマバーの経営者。客が文句をつけてきたら出てくる最終兵器。はんなりした言葉で追い詰めてくる。(本当)
【ユフィーリア】学院長室の乗っ取りに関しては関与していないが、机を退けて内装を魔法で変えた。結局関わってんじゃねえか。
【アイゼルネ】登場はしていないが、ティーソーダを用意した人物。