第1話【問題用務員と折れた角】
セツコ、餌の時間である。
「セツコ、飯だぞ」
銀髪碧眼の魔女、ユフィーリア・エイクトベルは木桶へ山盛りになった氷を片手に魔法動物たちがいる厩舎にやってきた。
目当ては最近仲間入りを果たした『雪の王』ことセツコである。最愛の嫁が正式名称を口にしていたが、ちょっと聞いていなかった。多分、彼もまた魔法動物に詳しい友人の少女から聞いたのだろうが。
肝心の未成年組は「髪をむしゃむしゃされるから嫌」「たまにしか様子は見に行かない」と主張している始末である。自分たちが連れてきたのに、この仕打ちであった。まあ近づけば髪をもしゃもしゃされるので、あまりお近づきにはなりたくないという気持ちは分かるのだが。
厩舎で大人しく餌の到着を待っていた真っ白な鹿――セツコは青い瞳をパチパチと瞬かせ、
「けぅん……?」
「悪いな、ショウ坊もハルも髪の毛をもしゃもしゃしてくるから嫌だって」
ユフィーリアは山盛りに氷が詰め込まれた木桶をセツコの前に差し出し、
「アタシやエドにはやらねえのに、お前は何で未成年組にはやるんだよ。あいつらいじけやすいから、あんまり揶揄ってくれるな」
「けぅん」
「ん?」
木桶に鼻先を突っ込んでユフィーリアが魔法で作り出した氷をゴリゴリと貪るセツコは、何やら納得がいかないと言わんばかりに鳴いた。
動物言語学を習得しているユフィーリアは当然ながら、セツコの言わんとしていることを理解できる。ユフィーリアよりも高い動物言語学の才能を持つ少女は冬休みの宿題に追われている頃合いだと思うが、そんなことは脇に置いておく。
セツコが言うには、
「けうん(童らと触れ合って何が悪いと?)」
「そうか、お前1000歳超えてるのか」
つまり、セツコは未成年組の髪の毛をもしゃもしゃするのは揶揄い目的ではなく、単なるお世話的な触れ合いだったようだ。自分の方が年上なので年下の世話をしてやるのが魔法動物の世界では当たり前のことである。
この『雪の王』はどうやら1000歳を超える長生きな鹿らしく、それゆえに年下であるショウとハルアを世話していた様子なのだ。それをすっかり「いぢめられた」と勘違いして未成年組が近づかなくなってしまったらしい。
ユフィーリアはやれやれと肩を竦め、
「仕方ねえな、ちゃんと事情を話してやるからお前も少しは『他人が嫌がることをやらない』ということを学べ。1000年以上も生きてるんだから頭もいいだろ」
「けぅ、けぅん(あと、単純にあの童らの髪の毛の質がいい。もしゃもしゃし甲斐がある)」
「だからそれを止めろって言ってんだよ、クソボケ。毛刈りするぞ」
世界中に5体しか存在しない超希少な魔法動物だが、そんな魔法動物が相手でもユフィーリアの態度は変わらない。何故ならユフィーリアの方が年上だからである。
別に殺すつもりは毛頭ないのだが、それはそれとしてどちらが上の立場かを教えてやるのも人間の役目である。あまり舐めた態度を取ると痛い目を見るのだという常識を分からせてやらなければならない。特に『雪の王』は氷の魔法の使い手だが、ユフィーリアの足元にも及ばないことを教えてやる必要がある。
しかし、そこは野生動物である。氷をゴリッゴリと音を立てながら貪るセツコは、
「けぅん……(童らの髪の毛が恋しい)」
「絶対お前楽しんでるよな、セツコ。食ってねえよな」
「けうん(しゃぶるのがいいのだよ、お分かりかね)」
「肉にするぞお前」
そろそろこの舐め腐った奴は食肉加工してもいいのではないか、と思った矢先のことだ。
「ユフィーリア君、こんにちは」
「あ、親父さん。ちわす」
厩舎の近くの廊下をたまたま通りかかったらしい人物に挨拶され、ユフィーリアも反射的に挨拶をし返す。
黒い髪に長身痩躯、装飾品が削ぎ落とされた神父服という不気味な格好をした冥王第一補佐官様――アズマ・キクガである。最近、たびたびこの学院内で姿を見かけるのだが、実に仕事熱心な冥府の役人様だ。
頭に髑髏のお面を乗せ、最愛の嫁と同じ顔を晒しているキクガの姿を見た『雪の王』ことセツコは何やら戸惑いの声を上げていた。それもそのはず、キクガと彼の息子とは瓜二つの容姿をしているのだ。迷うことも無理はない。
キクガはじっとこちらを見ながら氷を貪る真っ白な鹿を見つけると、
「おや、とても綺麗な鹿な訳だが」
「『雪の王』ってんで、世界でも5体しか目撃数がないめっちゃくちゃ珍しい魔法動物っすよ」
「なるほど。これほど美しければ乱獲もされる訳だが」
じっと見つめてくるセツコに、キクガはそっと手を差し出した。
「撫でても大丈夫かね?」
「毛を引っ張らなければ大丈夫かと」
「そうかね。では」
キクガはそう言って、セツコの頭を撫でた。
同じような顔をしていても、息子に対する態度とキクガに対する態度が違くて驚くユフィーリア。頭を撫でられる距離に息子であるショウが近づけば間違いなく髪の毛をもしゃもしゃされているのに、キクガにはそれが一切ないのだ。大人しく手のひらを受け入れている始末である。
キクガ自身もちょっと嬉しそうにしていた。真っ白な鹿など見たことがないのか、彼は「ふふ、ふわふわな訳だが」なんて声が少しばかり弾んでいる。寒さを遮断する為のふわふわな毛皮を気に入ったのだろう。
すると、
「あ」
キクガが唐突に声を漏らした。
頭を撫でていた拍子に手がセツコの立派な角の付け根に当たってしまったようで、ポロリと角が片方だけ落ちてしまった。ポロリなんて可愛い音ではない。もう、重たいものが重力を装備してさらに重さを加速させたゴトンという音がユフィーリアの耳朶に触れた。
地面に転がった角は、それはそれは立派なものだった。幾重にも枝分かれした角には数え切れないほど氷柱が垂れ、見た目が非常に神秘的である。状態がいいものだから売れば相当な値段になりそうだ。
キクガは顔を青褪めさせ、
「す、すまない、痛かっただろうかあの角が角が」
「大丈夫だって、親父さん。『雪の王』の角は生え変わりがあるんだよ」
ユフィーリアがセツコの頭を示す。
セツコの頭からは、僅かな突起物が生えていた。生え変わろうとしているのだろう、少し放置しておけば角みたいなものが確認できるようになるはずだ。
同じような鹿の魔法動物が角を木に打ち付けてわざと折ることがある、という話を聞いたことがある。頭が重すぎるのも厄介なので、ある程度まで伸びたら角を木にぶち当てて折ってしまうらしいのだ。折れた角は魔法薬の材料にもなると言われている。
片方だけ角が折れたセツコは、ぶるぶると首を震わせて言う。
「けう(どうせならもう片方も折ってくれやしないか。頭が重すぎる)」
「はいはい、暴れんなよ」
ユフィーリアが残ったもう片方の角の根本を引っ掴むと、軽く力を込めて折る。ポキ、と容易く折れてしまった角はずっしりと重たかった。
ようやく角の重みから解放された真っ白な鹿は、ぶるぶると頭を振って大層ご満悦の様子だった。体長を超えるほど立派な角が生え、さらに氷柱まで垂れていたらそれはもう重すぎて仕方がないだろう。
ただ、角が取れた『雪の王』の威厳はどこにもなくなっていた。ただの真っ白い鹿である。間抜けにも程がある。
ユフィーリアは一抱えほどもある角を地面に下ろし、
「しかし、この角はどうするかな。グローリアに売りつけるか、記念としてリタ嬢に取っておくか……」
学院長に押し付けるにしても、未成年組の友人である少女に渡すにしても、この大きさはさすがに大きすぎるだろう。何本かポキポキと折って研究用に渡してしまった方がよさそうだ。
それか、どこかの業者に売りつけてしまうのも手だろう。ヴァラール魔法学院で保護しているとはあえて言わずに「雪山で拾った」なんて言えば、信じてくれるかもしれない。
使い道を考えて数秒、ユフィーリアは結論に至った。
「よし、魔法薬作ろう」
「何て?」
角が取れたセツコの頭を両手でわしゃわしゃと撫でていたキクガが聞き返したのだがユフィーリアの耳には届かず、立派な角を抱えていそいそと校舎内に戻っていくのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】未成年組が連れてきた『雪の王』のお世話を主にしている。魔法で氷を生み出して餌やりをしている。
【キクガ】仕事熱心な冥王第一補佐官。意外と動物は好きだがあまり近付かれない。
【セツコ】ヴァラール魔法学院で保護される希少な魔法動物の鹿。最近、餌としてくれる氷が美味え。