第10話【異世界少年と雪崩】
背後から聞こえてくる足音が恐ろしくて仕方がない。
「何なんですかあれ、怖」
「空飛べるって便利だねぇ」
「あんなデッカいのから簡単に逃げられるからね!!」
エドワードとハルアを冥砲ルナ・フェルノに乗せて、ショウは冷たい冬の空を悠々と飛ぶ。
研究施設から飛び出した真っ白い熊と毛むくじゃらの猿は、雪の積もった地上から喧しく叫びながらショウたち問題児を追いかけてくる。視線はこちらに固定されており、キィキィギャアギャアとうるさい。
全裸で震える研究者たちは軒並み撥ね飛ばされ、踏み潰され、無事では済まないだろう。冥府に送り込む手間が省けた。おそらく冥府の法廷で父親が困惑の表情で全裸の研究者たちに裁きを下すことになるだろうが。
巨大な白い熊と毛むくじゃらな猿から視線を外したショウは、
「あれどうしますか? 仕留めます?」
「あれが学院の付近を彷徨っても嫌だしねぇ、ぱぱっと仕留めちゃおうかぁ」
エドワードはそう言って、背負っていた背嚢から弩を引っ張り出した。この空中という足場が不安定な状況でも危険な魔法動物の狩りに挑もうとする姿勢は尊敬できる。
少しでも先輩の矢が当たるように、とショウは冥砲ルナ・フェルノを下降させた。背後から迫ってくるどすどすどすどすという鈍い足音が恐怖心を煽るものの、冥砲ルナ・フェルノに跨りながら弩を構えるエドワードがいれば簡単に仕留められるだろう。
何も問題はない。苦労して研究者たちが金儲け目当てで複製した魔法動物だが、生まれて間もない命はあとほんの少しで終わりを迎える。
そう思っていたのだが、
「ん?」
「急に寒い!!」
「これってぇ」
身体全体を包み込んだ、目が覚めるほどの冷たい空気の感触。
それまではただ「寒い」だけの感覚が、途端に身体の芯まで凍りつくのではないかと錯覚するほどのものと化す。体内まで氷になったかのようだ。
その寒さの正体を、ショウは知っている。最近味わったばかりだ。
「ショウちゃん、前!!」
「あ」
前方に、見覚えのある白い鹿が現れた。
見事な白い体毛と綺麗な青い瞳、そして頭頂部から突き出た立派な角からいくつも氷柱が伸びている。その鹿の存在を認めると、自分自身が氷になったのではないかと思うぐらいに空気がまだ一段と冷えた。
希少な魔法動物『雪の王』の出現である。
「え、ちょ」
「こんなところに出現されても困るのだが!?」
冥砲ルナ・フェルノの飛行の加護で空を自由に飛ぶショウと、大質量の三日月型神造兵器に乗って突っ込んでくるエドワードとハルアの様子を眺めても動く気配を見せない『雪の王』。さすが野生の魔法動物だ、我が道を行くのは全ての世界に於ける共通の事項らしい。
慌ててショウは冥砲ルナ・フェルノと共に急上昇して、目の前に鎮座する『雪の王』を回避した。身体の芯まで凍えるような空気から脱して、不思議と暖かさを感じるようになる。
回避したところで気づいたが、背後からは研究施設で作られた魔法動物の複製体が追いかけてきているところだった。真っ白な巨大熊と毛むくじゃらな猿が、それぞれ奇声を上げてどすどすと走ってくる。向かう先は行く手を塞ぐように立ち塞がる『雪の王』だ。
魔法動物同士による衝突事故の未来を予測し、ショウは顔を青褪めさせた。
「ど、どうしたら!?」
「あそこからどうやって助ければいいの!?」
ショウとハルアはオロオロと狼狽えるも、エドワードだけが静かに構えていた弩を下ろした。
「所詮は雪山に住む動物の複製だからねぇ、頭の中身までいじってなければ『雪の王』を前にすれば平伏すると思うけどぉ」
「本当!?」
「あの鹿さん、そんなに偉いんですか?」
「雪山の王様だからねぇ、自分の縄張りを荒らされて出てきたんでしょぉ。魔法動物同士にも序列ってものがあるってユーリから聞いたことあるよぉ」
真っ白な鹿を助ける必要などない、と先輩の発言にショウとハルアは安堵する。真っ白な鹿の方が強いのであれば心配はないだろう。
しかし、あの白い熊と毛むくじゃらの猿は速度を緩めることなく『雪の王』めがけて突っ込もうとしている。「邪魔をするな」と言わんばかりの咆哮を上げていた。
平伏するとは一体何なのだろうか。縄張りの主だとしても相手は複製体である、研究者の手によって作られた偽物の魔法動物たちは『雪の王』の偉大さを理解していないようだった。
そんな愚か者どもを真っ直ぐに見据え、『雪の王』は高く嘶いた。
――――けえーんッ!!!!
まるで鳥の鳴き声の如く甲高い、それでいてしっかりと聞こえる声だった。
その声を合図にして、ズゴンという轟音が耳朶に触れた。何かが滑り落ちてこようとしているような音だった。
見れば、巨大熊と毛むくじゃらの猿の足元の雪が崩れていた。塊の雪が滑るように崩れると、巨大な魔法動物の複製体どもを巻き込んで山の斜面を流れていく。『雪の王』は滑り落ちていく雪の上を、まるで高い波に乗るサーファーのように乗って悠々自適に移動していた。
あの鹿、雪崩を引き起こしやがった。
「雪崩が!?」
「まずいよぉ、この先にあるのヴァラール魔法学院だよぉ!?」
「大変じゃないですか!!」
今度は3人揃って顔を青褪めさせる展開となった。
今回の雪崩の原因は『雪の王』なので怒られはしないだろうが、この先にヴァラール魔法学院があるということは雪崩に飲み込まれてしまう可能性も示唆していた。いくら名門魔法学校とはいえ、さすがに天災への対策は万全と言い難いだろう。
急いで学院にいるユフィーリアに連絡を取れば対処してくれるだろうが、雪崩の進行速度が予想よりも早すぎる。これでは連絡している間に雪崩がヴァラール魔法学院に到達してしまう。
色々と思考を巡らせ、ショウは「そうだ!!」と妙案を閃いた。
「雪崩同士をぶつければいいのでは!?」
「ショウちゃんナイスアイディア!!」
他の位置で強制的に雪崩を発生させ、雪崩同士をぶつけ合って止めるという画期的な提案にハルアが乗っかる。一緒にいたエドワードは目を剥いていたが、それより先に後先考えずに行動してしまうのが問題児の暴走機関車野郎たる彼だ。
すぐさまハルアは右手を天高く掲げると「ヴァジュラ!!」と叫ぶ。
晴れ渡った空に一条の雷が落ち、落雷をまとった槍――最強の神造兵器ヴァジュラがハルアの右手に収まった。コートの下から他の神造兵器を取り出すのが面倒だったのだろう、呼べばやってくるのが最強の神造兵器というのもいかがなものか。
まだ雪崩の影響を受けていない斜面に目をつけたハルアは、
「えいやあッ!!」
気合の入った声と共に、ヴァジュラを投擲した。
冷たい空気を引き裂いて飛んでいくヴァジュラは、見事に真っ白な大地に突き刺さって盛大に爆発した。その衝撃は計り知れないものであり、雪の塊が山の斜面を滑り落ちていく。
目論見通り、雪崩が発生した。ハルアが意図的に発生させた雪崩の行く先は、真っ白な巨大熊と毛むくじゃらな猿が埋もれて『雪の王』が華麗に乗りこなす雪崩である。あのまま上手く止まってくれることを願うしかない。
――のだが、
「あ」
「あ!!」
「あー……」
ハルアが発生させた雪崩は『雪の王』が乗りこなす雪崩と合体し、物凄く巨大な雪崩となってヴァラール魔法学院の校庭めがけて殺到した。
冥砲ルナ・フェルノで上空から見下ろしていたショウたち問題児は、その光景を唖然とした様子で眺めているしかない。
何だかとんでもなく大変なことをやらかしたような気分である。これは説教は免れない。
「ここから回避できる説教ってありますか?」
「俺ちゃん知らない」
「見捨てられた!!」
雪崩を発生させる原因となってしまった未成年組は、哀れ先輩から無惨にも見捨てられることとなった。
《登場人物》
【ショウ】最近は割と自ら問題行動を起こす問題児。考えた結果、まともな作戦になる場合とポンコツになる場合がある。
【ハルア】基本ポンコツなので、頭のいいショウに乗っかりがち。
【エドワード】お目目ぐるぐるで暴走しがちなショウのストッパーにはなるのだが、残念ながら大体機能はしない。