第6話【異世界少年と雪の王】
腹拵えも済んだところで、再出発である。
「ていや」
「あ、壊した」
「壊しちゃった!!」
雪山狩りの為に持ち込んだスコップでせっかく作ったばかりのゲイルを壊すエドワードの姿を、ショウとハルアは背後から眺めていた。
スコップを突き立てられた丸くて可愛らしい見た目のゲイルは、あっという間に崩れて雑に積まれた雪山と化す。今まで見ていた可愛らしさの欠片もない崩れ方だった。
さらに崩れたゲイルを適当に均し、その場には何も作られていないとばかりに片付けてしまった。痕跡すらも残っていない。おそらく他にゲイルを悪用されることを懸念して、徹底的に崩すのだろう。
スコップを片付けるエドワードは、
「こうでもしないとねぇ、お馬鹿な密猟者が巣食っちゃうからぁ」
「密猟者が?」
「俺ちゃんは父さんから早く作る方法も教わったしぃ、体力もあるしねぇ。ゲイルを簡単に作れちゃうけどぉ、一般人だとそうもいかないでしょぉ?」
特に雪山の狩猟に慣れている狩人などそうそういない訳である。雪山の狩りにはゲイルが主流だということも慣れた人々には共通認識だろうが、雪が積もっていない場所での狩りを主な仕事としてきた一般人はゲイル作りにも苦労するようであった。
珍しい動物を狙う密猟者は顕著のようだ。彼らは雪山狩りをしている最中の狩人が作ったゲイルを横取りするか、狩場を変えた時に放置されたゲイルを根城にして密猟を行うらしい。如何にも小狡いことを考える人間らしい。
ショウは納得したように頷き、
「密猟防止にも役立つということですね」
「まあ、根性のある密猟者はテントを張って頑張るみたいだけどねぇ。そんな時は出かけた隙を見計らって、勝手に片付けて道具を持っていっちゃうけどぉ」
「殺す気ですか?」
「運がよければ凍りつくだけで済むってぇ。死者蘇生魔法がギリギリ適用されるよぉ」
エドワードは軽い調子で笑い飛ばす。密猟者への対抗手段が容赦なくて、後輩としてどう反応を返すべきか迷った。
まあ、保護されるべき希少な動物を金儲けの為に狩る非情な連中に慈悲をくれてやる必要などないのだろう。ショウだったら迷わず冥砲ルナ・フェルノをぶっ放しているかもしれなかった。
背嚢を背負い直したエドワードは、
「んじゃ、行きますかぁ」
「あいあい!!」
「了解です」
休んだしお腹もいっぱいになって元気を取り戻したショウとハルアは、またざくざくと雪を踏みしめながら緩やかな山道を登り始める。
ところが、登山して数分も経たないうちにハルアがピタリと足を止めたのだ。何かを探すように彼の琥珀色の双眸が周囲を巡る。
何かを察知したのだろうか。ハルアお得意の第六感が冴え渡っているのかもしれない。
ショウは先頭を歩くエドワードを呼び止め、
「エドさん、エドさん。ハルさんが何かを探してます」
「お、何か感じたかねぇ」
エドワードはハルアへと振り返り、
「ハルちゃん、いい予感か悪い予感だけ教えてくれるぅ?」
「…………」
何かを探すように視線を彷徨わせていたハルアは、エドワードに呼ばれてようやく正面を向いた。そして琥珀色の瞳を虚空に投げると、
「どっちも!!」
「どっちもぉ?」
「どっちも!!」
どうやらいい予感も悪い予感もするようだった。
どんないい予感なのかと詳細を聞こうとした瞬間、ショウは周囲の空気が異常に下がったのを感じ取った。施してきた防寒対策の壁を突破し、素肌に冷気が直接刺してくるような感覚だ。
思わず身震いをしてしまったショウは、周囲を見渡して冷気の原因を探る。冷気の原因として考えられるものは山ほど目の前にあるが、特に異常な冷気の気配は――――――――。
――――いた。
「……何だ、あれ」
ショウの口から声が漏れていた。
乱立する針葉樹の影に、何か動物が顔を出していた。雪のように真っ白な毛皮と、こちらをじっと見据える青色の双眸。頭頂部から突き出た立派な角は青白く、さながら樹木のように枝分かれしている角の先端から氷柱が伸びていた。
鹿だった。それも、そこに佇んでいるだけで神聖さを感じさせる見た目は、この世のものとは思えないほど幻想的なものである。雪山の神様と言われても納得してしまいそうだ。
あまりの荘厳な見た目をした鹿の出現に、ショウの口からため息が漏れてしまう。綺麗すぎて言葉が出ない。
「エドさん、あれは……」
「うん。学院長が厄介なものって言ってたけどぉ、本当に厄介なものだったねぇ」
エドワードは背嚢から引っ張り出した弩に矢を装填しながら、
「まさかこんなところで『雪の王』に出会えるなんてねぇ」
「『雪の王』?」
「あの真っ白い鹿のことだよお。冬だけにしか姿を見せない希少な魔法動物」
エドワード曰く、魔力の澄んだ冬の山に住む鹿の魔法動物のようだ。その身には上質な魔力が宿り、毛皮や角などは魔法の媒介として高く取引されているらしい。
しかし、非常に珍しい魔法動物なので滅多なことでお目にかかる機会はなく、また氷の属性魔法を使用してくることから捕獲も難しいと言われている。姿を見せただけで周囲の気温を下げ、歩けば雪が降り、嘶けば雪崩を引き起こすとされている。
学院長は、あの『雪の王』をご所望のようである。だから50万ルイゼなどという高額な買取金額を提示したのか。
「でも悪い予感もするって話ですが……」
「悪い予感ねぇ。『雪の王』に攻撃されて大変な目に遭うって話だったらまだ分かるけどぉ」
弩を構えるエドワードは、その鋭い矢の先端を『雪の王』という白い鹿に向ける。
真っ白な鹿は、じっと弩を構えるエドワードを見据えるばかりだ。身じろぎすらしない。逃げる素振りも見せないので、あとは弩の引き金を引けば簡単に仕留められる。
いいや、どうだろうか。弩に装填した痺れ毒を塗り込めた矢が、果たしてあの『雪の王』に通用するだろうか。見るからに特別な外見をした牡鹿である、ただの痺れ毒で仕留められる相手ではないかもしれない。
エドワードの指先が弩に引っかかり、あと少しで矢が放たれるといったその時である。
――ダァン!!
銃声が雪山全体を揺らすかのように轟いた。
横から射出されたらしい砂粒みたいな弾丸の雨が、針葉樹の幹を穿つ。衝撃を受けて揺れた針葉樹の枝から雪の塊がドサドサと地面に落ちた。
真っ白な牡鹿は驚いた様子で飛び跳ねながらその場から逃げ出してしまう。『雪の王』が逃げ出すと周囲一帯の気温も徐々に正常な状態に戻りつつあり、厚手のコートでも平気なぐらいの暖かさを取り戻した。
唖然と立ち尽くす問題児男子組の前に、猟銃と防寒着を身につけた男たちが雪を蹴飛ばしながら走ってくる。
「仕留めたか!?」
「いいや逃げられた!!」
「この下手くそ!!」
男たちは年齢が30代から40代ぐらいの、中年と呼ばれる年齢層である。髭面に犯罪者と間違われそうな目つきの悪さ、こちらの存在に気づかず猟銃を抱える姿は堅気ではない雰囲気が漂っていた。
ざかざかと雪を蹴飛ばしながら、男たちは『雪の王』が逃げた方角を目指して走り去っていく。高値で取引されるから、彼らもまた『雪の王』を狩りにきた猟師なのだろう。
だが、彼らの存在は歓迎できないものだった。
「エドさん、あの人たちっていいんですか?」
「よくないねぇ。この辺りの山はヴァラール魔法学院が管理してる土地だからねぇ」
ヴァラール魔法学院周辺の土地は、学院所有の土地として管理されているのだ。その為、近寄ってくる魔法動物も主に授業の教材として使われることが多い。
エドワードも用務員として勤務しているから自由に土地を出入りできるし、こうして雪山狩りを依頼される。エドワードに頼まないのであれば学院側が猟師に依頼するしかない。
結論から言うと、今この場にエドワード以外の猟師がいる方がおかしいのだ。
「密猟者だぁ!!」
「捕まえなきゃ!!」
「さーちあんどでーす!!」
すぐさま男たちの正体を密猟者と見抜いた問題児男子組は、すぐさま走り去った彼らを追いかけるのだった。
《登場人物》
【ショウ】かつて鹿の被り物を被ってダンスしたことがあるので、なるほどあの鹿さんのように加工したらユフィーリアっぽくなれるかもしれない……!?
【ハルア】あの鹿さん、仲良くなったらリタ驚いてくれるかな〜。
【エドワード】あまり雪の王をお見かけすることがなかったが、近くに同じように常にひんやりしてて気まぐれに雪を降らせて面白がって氷像を立てたりする魔女がいるので驚きはしない。