第4話【問題用務員と食品サンプル】
諸悪の根源は魔導書図書館にいた。
「よう、ルージュ。新刊でも読んでるのか?」
「あら、ユフィーリアさん。ごきげんよう」
貸し出しカウンターで読書に耽っていた赤い髪に赤いドレス姿の魔女――ルージュ・ロックハートは、広げていた魔導書の頁から顔を上げる。
ユフィーリアは努めてにこやかな笑顔で「よう」と片手を上げるだけに留めた。ここで殴りかかったら作戦が台無しである。
魔導書図書館は、一部の区画だったら飲食が許されている。特に読書が許されている読書スペースではたまに飲み物を持ち込み、魔導書を読みながら珈琲を啜るという優雅な読書をしている生徒や教職員の姿を見かけるのだ。そしてルージュが居座る貸し出しカウンターも同じである。
白いケーキ屋の箱を掲げたユフィーリアは、
「そうだそうだ、あのペルーナパイありがとうよ」
「あら、わざわざお礼を言いに来たんですの? 殊勝なことですの」
ルージュはころころと笑う。やはりあの紫色の謎物体はペルーナパイであり、作成者はルージュであることは間違いないようだ。
「にしても、あれどうやって作ったんだ?」
「大変だったんですの。植物園の植物を少しばかり拝借し、それだけでは足りなかったので然るべき店舗から掻き集めたんですの」
「何してくれてんだお前」
自然とユフィーリアの口からそんな言葉が漏れていた。
植物園の管理人は八雲夕凪だが、実際に仕事をしているのはリリアンティアである。彼女が手塩にかけて育てた魔法植物を、授業ではなく己の欲望を満たす為に摘むとはどういうことか。
この事実を知れば、あの幼い聖女様は心の底から悲しむだろう。ただでさえリリアンティアは目の前の魔女に対してよくない印象を抱いているのだ。泣きながらポカポカ叩いてくるか、それとも本気で脳天でも狙いにくるかの2択が考えられる。
しかも、植物園から多少の魔法植物を拝借するだけでは飽き足らず、劇薬や毒物を扱う店舗から材料を取り寄せたとはどういうことか。確実に七魔法王を全員、この世から消し飛ばすつもりだったのか。
「何を入れたらあんなものを」
「ヒュドラにコカトリス、マンドラゴラ、カトブレパスなど考えつくものを片っ端から」
「お前本当に馬鹿じゃねえの?」
清々しいほど綺麗な笑顔で言ってのけるルージュに、ユフィーリアは本気でぶん殴ってやろうかなと拳を握った。
これだけ材料を列挙されて分からないとは思うが、右から猛毒、猛毒、猛毒、猛毒である。これだけ並べば分かる通り、猛毒を有する材料しか投入されていない。
人体にどんな悪影響をもたらすのかという説明は長くなるので割愛させてもらうが、食べれば即座に冥府の法廷へ立たされるぐらいに危険な代物であることは確かだ。紫色のもこもこと蠢く謎物体が出来上がるのも頷ける材料の数々である。本気でテロを企てた馬鹿野郎がいたとは。
頭を抱えたユフィーリアは、
「どうしてあんなものを作ったんだ?」
「もちろん、新年ですもの。日頃の感謝を込めて作ったんですの」
「ショウ坊が言ってたけどな、『地獄への道は善意で舗装されている』って本当なんだな」
最愛の嫁である彼が笑顔で教えてくれたのだが、これはある意味で教訓なのだそうだ。意味は『善意でやったことが必ずしも良い結果に繋がることはない』というらしい。素晴らしい言葉である、まさに今の状況のような言葉だ。
ルージュは善意であの地獄のような見た目のペルーナパイを焼いたが、結果的にいいことには繋がっていない。むしろ悪い結果しかもたらしていないのだ。これぞ正しく『地獄への道は善意で舗装されている』だろう。またの名を『自分の趣味の押し付け』とも言うが。
ユフィーリアは遠い目をすると、
「新年スペシャルだからって、何だってあんなものを作ろうと思ったのか……」
「何なんですの、先程から」
ルージュが訝しげな表情を見せたので、ユフィーリアはとっとと用事を済ませる為に持ち込んだ白い箱を置く。
「ほらよ、見事なペルーナパイをくれたお礼だ。ありがたく食せ」
「お茶請けですの? どういう風の吹き回しですの」
「だから言ったろ、見事なペルーナパイを焼いてくれたお礼だってな」
ユフィーリアの感謝の意を心の底から怪しみながら、ルージュは貸し出しカウンターに置かれた白い箱の蓋を開ける。
中身は、それはそれは見事なペルーナパイだった。狐色に焼かれたパイ生地にふわりと漂う小麦の香り、艶めいた表面には油がたっぷりと使われていることが想像できる。
これぞまさしく、正しいペルーナパイであった。決して紫色の謎物体でもなければ、紙皿の上をもこもこと蠢くような性質を持ち合わせる訳でもない。切り分ければ甘辛く味付けが施された挽肉と豆がこぼれ落ち、中から幸運を形作るコインが出てくることだろう。
ルージュは「あら」と赤い瞳を瞬かせ、
「ペルーナパイですの?」
「お前が新年だからって焼いてくれたからな。こっちもお返しに」
「まあ見た目と匂いは素敵なものですの」
ルージュは形のいい鼻をひくつかせながら、白い箱から登場したペルーナパイの匂いを嗅ぐ。この毒物しか受け付けない馬鹿舌の持ち主は、ちゃんとしたペルーナパイを前にどこか不満げであった。
「ですが本当に大丈夫なんですの?」
「何がだよ」
「ユフィーリアさんがちゃんと作りましたの? 泥に幻覚を被せている訳ではなく?」
「そんなことをすると思うか?」
ユフィーリアは眉根を寄せて応じると、ルージュは「確かに」と納得した。食べ物を使った問題行動をしてこなかったので、その信頼はあるのだろう。
「まあいいですの。ユフィーリアさんの手料理ともなれば美味しくない訳がないですの。わたくしの舌には、まあ、物足りなさはありますけれど」
「毒物ばっかり食ってねえで、たまにはまともなものも食ったらどうだ」
「あの刺激的なお味がお分かりにならないのでしたら、ユフィーリアさんの味覚もまだまだですの」
ルージュは早速とばかりにナイフを手元に転送する。切り分けて食べるつもりだ。
「ユフィーリアさん、どうせなら貴女も召し上がって行かれたらどうですの。ご自分で焼いたパイですし、紅茶ぐらいなら振る舞って差し上げても」
何やら誘い文句を並べ立てながらルージュがナイフをペルーナパイに突き立てるが、その丸まった刃はパイ生地に突き刺さらなかった。
ペルーナパイが硬い。非常に硬いのだ。
まるで作り物のように。
「ユフィーリアさん……?」
「おう、何だ」
「これは一体どういうことですの?」
「誰がアタシが作ったって言ったよ」
ユフィーリアは朗らかに笑う。
そう、ユフィーリアは一言も「自分が焼いた」なんて言っていないのだ。勝手に勘違いをしたのはルージュである。
この目の前に鎮座するペルーナパイは、本物によく似た偽物である。細部に至るまで本当に食べられるのではないかと思うぐらいに酷似しており、実際こうしてルージュの目を騙すことに成功した。
このペルーナパイを作ったのはショウとハルアである。材料提供は副学院長だ。
「副学院長が粘土を提供してくれて、ショウ坊とハルが本物っぽく作ったんだよ。凄えよな、着色までやって本格的にペルーナパイだぜ。こういう技術を異世界だと『食品サンプル』って言うらしいけど」
ユフィーリアがそこまで説明したところで、ポンとルージュの肩に誰かの手が置かれた。
振り返ると、その先に待ち受けていたのはショウである。手に持っているのは紅茶用の薬缶だ。
ニコニコの笑顔で背後に控えていたショウは、ルージュの顔を鷲掴みにする。無理やり口の中に指先を突っ込んで、彼女の口を強制的にこじ開けた。
「あっつあつの紅茶を召し上がれ〜♪」
「もがががごごぼぼぼぼぶへえええええ!?!!」
ジタバタ暴れるルージュは哀れ、炎腕に取り押さえられて身動きが取れないままグツグツと煮えたぎるほど熱された紅茶を口の中に注ぎ入れられ、くぐもった悲鳴を上げていた。
ちなみにユフィーリアは巻き込まれないようにショウが背後に忍び寄ったところを見計らって距離を取り、ジタバタ暴れる馬鹿舌の持ち主を指を差してゲラゲラと笑い飛ばすのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】猛毒ペルーナパイを作った馬鹿タレにトラップを差し入れ。食品サンプルの技術を目の当たりにして驚いた。本物にそっくりだぁ。
【ルージュ】偽物なのに本物みたいな匂いがするのは一体何なのか。このあと口の中の火傷はリリアンティアに治療してもらう。
【ショウ】ルージュの背後で熱々の紅茶を構えて待機。本当は泥水にでもしようかなと思ったが、寒いし熱々の紅茶が美味かろうと勝手に判断した。
【ハルア】登場はしていないが、食品サンプルの話を聞いて実践。本物に似せる指先の器用さを持ち合わせている。
【アイゼルネ】匂いの幻を嗅がせる魔法『幻臭魔法』を駆使して食品サンプルをより本物に近づけた。幻覚系の魔法ならユフィーリアよりも腕前は高い。