第1話【問題用務員と新年】
年明けである。
「あけおめ」
「ことよろ!!」
年明け早々、寝室にそんな明るい声が響き渡る。
寝ぼけ眼を擦りながら銀髪碧眼の魔女、ユフィーリアは布団を剥いでベッドから出る。ヒヤリとした空気が肌を撫で、思わず顔を顰めた。
天蓋付きベッドのカーテンの向こうでは甲高い声でキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてくる。おそらく新年の雰囲気に楽しさが爆発して飛び起きた未成年組の2人が騒いでいるのだろう。
だが、それにしても「あけおめ」「ことよろ」とは一体何の呪文だろうか。
「おはようさん、お前ら。新年から元気だな」
「あ、ユーリ!!」
「ユフィーリア、おはよう」
カーテンを開けると、寝室の窓から差し込む陽光を目一杯に浴びてはしゃぐ未成年組のハルア・アナスタシスとアズマ・ショウが、2人揃って満面の笑みで挨拶をしてきた。
ハルアとショウはユフィーリアが姿を見せると、居住まいを正すなり「あけおめ!!」「ことよろだ」と呪文をぶつけてくる。魔法を使えないので呪いの類でもなければ身体に害が出るような類でもないので、おそらく暗号か何かだろうか。
ユフィーリアは首を傾げると、
「その『あけおめ』とか『ことよろ』って何の呪文だ?」
「『あけおめ』は明けましておめでとうという意味だ」
ショウはちょっと誇らしげに、
「そして『ことよろ』は今年もよろしくという意味で、俺の元いた世界の若者は言葉を省略するのが流行してたんだ」
「ああ、なるほどな。短縮呪文ってどこの世界でも流行るのか」
ユフィーリアは感心したように言う。
新年早々、魔法の知識に触れるとは思わなかった。『短縮呪文』というのは本来あるべき魔法の呪文を短く省略することで発動する魔法で、正式に詠唱する魔法よりも威力は少しばかり落ちるが効果は変わらないということで、特に戦闘時なんかは動きながら魔法が使えるという理由から重宝されている。
もちろん、魔法の腕前が熟達していれば短縮呪文を使用しても威力を落とさずに使える。さらに魔法の呪文を省略するどころか、一切唱えることなく魔法を発動させる『無詠唱呪文』という技術もあるので時代は年々進化していくばかりだ。
ショウとハルアは自分たちの兄貴分であるエドワードが眠るベッドに突撃し、
「あけおめですよ、エドさん」
「あけおめことよろーッ!!」
「ぐほあッ!?」
エドワードが眠るベッドに飛び込み、体当たり突撃をかます。新年早々に腹で未成年組を受け止める羽目になるとは、彼も未成年組に愛されているようだ。
のそのそと起き上がったエドワードは、自分の腹の上でゴロゴロしている未成年組の頭を大きな手のひらで撫でる。朝から洗礼を受けながらもいいお兄ちゃんをしている様子である。
大きな欠伸をしたエドワードは、
「なぁに、その挨拶。呪い?」
「新年から呪う訳ないじゃないですか」
「呪わないよ、失礼な!!」
エドワードにも短縮呪文ならぬ短縮新年の挨拶のした影響で、その意味を問われていた。それはそうである、彼はまだ異世界の文化を知らない。
「ル・ブラシャリッテ、エド。今年もよろしく」
「ル・ブラシャマンテ、ユーリぃ。今年もお前さんと馬鹿なことやれると考えるとワクワクするねぇ」
「お、新年1発目に女装か女体化しとくか?」
「止めてくれるぅ?」
ユフィーリアが悪魔のような笑顔で提案するが、エドワードも清々しい笑顔で拒否してきた。全く、ノリが分からない相棒様である。
「ユフィーリア、先程の言葉は一体?」
「る、何たらって言ってたね!!」
首を傾げるショウとハルアに答えたのはユフィーリアではなく、朝の寒さに身体を震わせたエドワードであった。
「新年の挨拶だよぉ。獣王国ビーストウッズでは男の人が『ル・ブラシャマンテ』、女の人が『ル・ブラシャリッテ』って挨拶を使うのぉ」
「なるほど、異世界の新年のご挨拶ですか。そういうの面白いですね」
「面白いね!!」
エドワードの説明に、ショウとハルアは瞳を輝かせる。
ショウの世界の新年の挨拶『あけおめ』『ことよろ』と同様、エドワードの故郷の挨拶にも興味が出てくるのだ。この世界には様々な新年の挨拶がある訳である。
その様々な新年の挨拶を知っているのが、ごく身近にいる。かつて移動式サーカス団の手品師として幾度となく舞台に立ち、世界各国で魔法を使わない奇術を披露して喝采をもらっていた天才奇術師が存在しているのだ。当然ながら世界各国の新年の挨拶だけではなく、日常会話や演説などもお手のものな彼女が。
そして、彼女は楽しそうな気配を感じ取ったのか、ひょこりと顔を覗かせて弾んだ声で言う。
「エチャ・ドゥ・ビッチェ♪ 今年も賑やかな年になるように祈っているワ♪」
「お、どこの国の言葉だ?」
「アーリフ連合国ヨ♪」
天蓋付きベッドのカーテンを開き、いつもの南瓜のハリボテで頭部を覆い隠した魅惑の美女、アイゼルネが顔を覗かせる。どうやら今までの会話の内容を聞いていたらしく、アーリフ連合国の新年の挨拶を口にする。
さすが世界中を巡った人気の移動式サーカス団である。定住することはなく、しかし長期間に渡って公演されるので言葉を覚えるのは必然的だった。なおかつ客の呼び込みも現地の言葉を使わなければならず、客が入らなければそのまま売上にも直轄するので言葉を覚えるのは必死だっただろう。
未成年組がアイゼルネに興味を惹かれているうちに、ユフィーリアは「さて」と呟く。
「アタシは正月用の飯でも作るかな」
「もしかしてあれぇ?」
「おうよ、毎年あれ」
エドワードが目を輝かせるのを尻目に、ユフィーリアは颯爽と寝室から出ていくのだった。
☆
そんな訳で、である。
「毎年恒例、ペルーナパイだ」
「待ってましたぁ」
「やっぱこれだね!!」
「今年も食べられるなんて嬉しいワ♪」
「?」
ユフィーリアがあらかじめ用意していた材料を使って魔法で焼いたのは、狐色をした円形のパイである。サクサクとした表面からうっすらと覗くのは調味料や香辛料などを用いられて詰め込まれた挽肉と豆である。
これはレティシア王国の伝統的な新年の料理、その名もペルーナパイである。その年の運勢を占う為に食べるパイなのだ。
その運勢の占い方だが、
「中身にコインが入ってるからな。当たった奴はラッキーってことで」
「コイン」
ショウがテーブルから身を乗り出し、
「元の世界にも似たような料理はあったが、もしかしてそれと似たようなものが食べられると……!?」
「お、ショウ坊の世界にも似たような料理があるのか。その料理よりも美味く出来てるといいな」
円形のパイにいざ包丁を突き立てようとしたその時、居住区画にちりんちりんという音が響いた。来客があった、ということだ。
新年の挨拶と称して、七魔法王の誰かが来訪してきたのかもしれない。リリアンティアだったらペルーナパイをこれから食べるので時間的にもちょうどよさそうだ。
ユフィーリアは包丁を置くと、
「ちょっと見てくるから、お前らまだ食うなよ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「誰かしラ♪」
「分かった」
来客対応の為に、ユフィーリアは用務員室に足を踏み込む。ものがごちゃごちゃと置かれており、そういえば掃除をすることをすっかり忘れていた。
とりあえず掃除は気が向いた時にやるとして、まずは来客の対応からである。足の踏み場は魔法で作れば問題はない。
ユフィーリアは用務員室の扉を開けると、
「あけましておめでとう、ユフィーリア君」
「親父さん」
扉の向こうに立っていたのは、色鮮やかな赤い振袖を身につけた可憐な女装姿が似合うショウの実父――キクガだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】かつてペルーナパイに入ってるコインで歯が欠けたことがある。
【エドワード】かつてペルーナパイに入っているコインを噛みちぎったことがある。
【ハルア】かつてペルーナパイに入っているコインを丸呑みしたことがある。
【アイゼルネ】上記3人が馬鹿やらかしたのを全部見てきた。
【ショウ】異世界流新年の料理に興味津々。
【キクガ】お正月なので冥府はお休み。意地でも働かないとばかりにおめかしして、息子以下子供たちに会いにきた。