第4話【学院長と銅羅】
「今年も最後の日だね」
「そッスね」
夜の闇が支配するヴァラール魔法学院の校舎内を、学院長のグローリア・イーストエンドと副学院長のスカイ・エルクラシスが並んで歩いていた。
当然ながら、2人は実家などを持たないので帰らない組である。グローリアの実家はとうの昔に滅んで断絶し、スカイの実家は魔界なので簡単には帰れない。というより、スカイの場合は実家を毛嫌いしているので帰る節は見られない。
今日も今日とてグローリアは残務に追われ、スカイは相変わらず魔法兵器の開発・研究に勤しんでいた。たまにはちゃんとご飯でも食べるかとそれぞれの部屋を出たところでバッタリ遭遇し、今年最後の夕飯を一緒に過ごした訳である。
グローリアは「ふぁ」と欠伸を漏らし、
「朝はユフィーリアたちが騒いでいるから何事かと思ったけど」
「最後の日だからって昨日の深夜から飲んでたみたいッスよ。記憶をすっ飛ばして購買部を襲撃してた」
「何してるんだ、問題児」
スカイの言葉に、グローリアは心底呆れたような口調を返す。
問題児は以前から、酔っ払って記憶をすっ飛ばすことを何度かやらかしている。酔った時に起こした事件を反省はするものの、飲酒を控えようとは思わないらしい。今までも数えきれないほど記憶を飛ばすぐらいに酒を飲んで事件を起こしており、その度に反省して「もう酒は飲まねえ」と言いながらも飲むのだ。
購買部を襲撃したということは、何か買い物でもしたのだろうか。その被害がこちらに向かなければ問題ないが、何故かグローリアは問題児の問題行動の標的にされやすい。勘弁してほしい。
遠い目をするグローリアは、
「来年は穏やかに過ごしたい……」
「もう新しい学院長でも入れてみたらどうッスかね。学院の運営だけに注力してもらうとか」
「やってごらんよ、1時間と持たずに学院から荷物をまとめて出ていく姿が見えるね」
グローリアとて「他の人に学院長をやってもらった方がいいんじゃないか?」という考えがよぎらない訳でもなかった。1000年も魔法学校を運営していれば数年に一度の頻度で思う訳である。
その度に、新たな学院長として招聘した魔法使いや魔女が、問題児の問題行動に耐えられず荷物をまとめて出ていく姿も合わせて想像できてしまうのだ。これで問題を起こしている連中が一般人か、生徒だったら強気な態度で出ることが出来るかもしれないが、相手は七魔法王の第七席【世界終焉】である。変に地雷を踏めば自分が消される可能性があるのだ。
そのことを理解したスカイは、苦笑しながら「なるほど」と頷く。
「そりゃあ、あの問題児にまともに注意が出来れば誰も苦労はしないんスけどね」
「結局は僕が言わなきゃいけないでしょ……はあ……」
深々とため息をついたグローリアは、
「ところでスカイ、君はどこまでついてくるの?」
「え?」
グローリアの質問に、スカイはキョトンとした表情で首を傾げた。
一緒に夕飯の時間を過ごしたのはつい数分前のことだし、別についてくる必要はないのだ。スカイの研究室はグローリアの進んでいる方向とは反対方面で、ここまで来るとかえって戻るのに時間がかかる。彼は精度の高い転移魔法が使えるから問題はないだろうが、面倒ではないのか。
もしかして、話し込んでいて帰り道をうっかり通り過ぎてしまったとかだろうか。そうだとすると、ちょっと申し訳なく思えてくる。
スカイはグローリアの背中を叩くと、
「どうせ年越しの瞬間はお互いにぼっちなんスから、こんな日ぐらいは一緒に過ごそうじゃないッスか。その方が楽しいでしょ」
「そう言って、本当は何が目的? 新しく開発する魔法兵器の構造を話したいだけなんじゃないの?」
「バレたか」
スカイは茶目っ気たっぷりに舌を出して笑うものの、グローリアも心の底ではスカイの申し出が嬉しかった。
どうせ部屋に帰っても1人きりである。立場上、親しい友人らしい人物はいない。誰も彼もグローリアの立場を恐れて畏まった態度で接してくるのだ。こうして対等に扱ってくれるのはスカイや問題児の面々など、ごく僅かに限られてくる。
グローリアは肩を竦めると、
「いいよ、食後の紅茶ぐらいは出してあげる」
「ゴチになりまーす」
「全く、副学院長として威厳のある態度を心がけた方がいいんじゃないの? 来年はそこを目標にしたら?」
「威厳なんてあってもご飯は食べられないんスよ」
そんなくだらないやり取りをしながらグローリアとスカイは階段を上がり、学院長室の扉を開ける。
銅羅が鎮座していた。
さも当然とばかりに、銅羅が鎮座していた。
「…………」
「え? 銅羅?」
スカイが首を傾げると同時に、グローリアは静かに学院長室の扉を閉める。
「……僕、疲れてるのかな」
「いやでも銅羅が置かれてて」
「スカイ、ごめん。ちょっとだけでもいいから現実逃避をさせてくれる?」
「どうせあとでたっぷりと現実を拝む羽目になるのに、今から逃避してどうするんスか」
「人間の心が搭載されていない方かな?」
「残念、ボクは悪魔なんで最初から人間じゃないんスわ」
最初から人間の心など搭載されていなかったスカイに容赦なく現実を突きつけられ、グローリアはガックリと項垂れる。
これはもしかしなくても、あれである。
問題児が問題行動を仕掛けたのかもしれない。今年最後の問題行動とかいらない。
早くも来年の平穏が危ぶまれつつあるグローリアは、深々とため息をつくと学院長室の扉を開けた。
「やっぱりある〜……」
弱々しい声が自分の口から滑り出てきた。
学院長室の雰囲気に似つかわしくない銅羅が、我が物顔で広い部屋の中央に居座っていた。銅羅を鳴らす為のバチは紐が結ばれ、銅羅を支える柱に引っかかっているのみである。どこからどう見ても銅羅であり、紛れもなく現実だった。
どこの誰が銅羅をプレゼントすると言うのか。こんな馬鹿なことをやるのは問題児以外にいない。どうせ異世界出身のあの少年からいらん異世界知識を吹き込まれて、それを実行しただけだろう。
「どうせなら用務員室に送り返してやろうかな」
「寝室に置いたらいいんじゃないッスかね、目覚まし時計として」
「ああ、いいかも」
スカイの容赦のない助言に死んだ魚のような目で応じるグローリアは、銅羅を問題児の居室に転送してやろうと右手を掲げる。
その時だ。
銅羅の柱に引っかかっていたバチが、ひとりでに動き始めたのだ。
「え」
グローリアの動きが止まる。
何が起きたのか、現実が飲み込めなかった。誰かがバチを取り上げたかのように、自然と銅羅のバチが持ち上がったのだ。
ふわふわと空中を漂うバチは、ゆっくりと銅羅に近寄っていく。その動きは今にも叩き鳴らさん雰囲気が醸し出されていた。
嫌な予感がして、グローリアは慌てて扉を閉じる。だが、
どじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃーん!!!!
銅羅が連続で何度もバシバシと叩かれ、轟音が耳を突き刺して脳味噌まで揺さぶってきた。扉を閉ざしてもその轟音が聞こえてくるということは、おそらく拡声魔法でも使用して音をわざと大きくしているのだ。
当然だが、この轟音に襲われたグローリアとスカイは揃ってひっくり返った。
こんなものに耐えられる訳がなかった。会話すらままならないほどうるさい。
「ちょ、何これうるさッ!?」
「いやあ、自動で銅羅を叩く魔法を組み上げるとは凄いッスね。これいくつかの魔法が合わさって」
「今は感心してる場合じゃないでしょ!!」
耳を塞ぎながらも感心した様子を見せるスカイを一喝したグローリアは、恨みつらみを込めて叫んだ。
「ユフィーリア、君って魔女は――――!!」
しかし、その絶叫は銅羅に掻き消され、今や遠くの地で温泉を楽しんでいる問題児筆頭の耳には届かないのだった。
《登場人物》
【グローリア】大晦日まで何で問題児は問題行動を起こすのか。
【スカイ】あの自動で銅羅を叩く魔法を教えてもらいたい。どこで見つけたんだろう?