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第3話【学院長と悪夢の繭】

 意識が浮上すると、目の前を生々しい肉が覆い隠していた。



「…………何、これ」



 大講堂の惨状を、グローリアはただ呆然と眺めるしかなかった。


 壁や天井、床を全体的に覆い隠しているのは生々しい肉の壁である。ぐにゅぐにゅと柔らかい感触と表面に走る血管のようなものが気持ちが悪く、さながら巨大な生物の胃袋に放り込まれたかの如き見た目をしていた。

 そんな肉の壁や床に、生徒や教職員たちが埋め込まれている。顔だけを出した状態で飲み込まれようとしていた。年越しパーティーに参加していた生徒や教職員は、全員あの肉の壁に埋まっている状態だった。


 身動きを取ろうにも、グローリアも同じく肉の壁に埋め込まれている。身体全体を拘束されており、指1本も動かすことが出来なかった。



「ふふ……ふふははは……」



 生徒や教職員の呻き声で満たされた大講堂に、仄暗い笑い声が落ちる。


 ぐちゃ、ぐにゃ、と肉で覆われた床を踏みしめて、あの道化師がグローリアたちの前にやってくる。舞台上からではあまりその容貌は伺えなかったが、艶のない黒い髪と化粧が雑に剥げた様は不気味な道化師と言えよう。

 真っ赤な唇が描かれたはずの口元は裂けるような笑みが浮かび、黒曜石の双眸に宿るのはドス黒い感情の炎。ぐるりとグローリアたち七魔法王セブンズ・マギアスの姿を見回す緩慢とした動きは、さながら糸で吊り下げられて不格好に操られる人形のようだ。


 その道化師は歓喜に声を震わせ、こう言う。



「お久しぶりでございます、兄上ェ」



 その声色は、会いたくて会いたくて仕方がなかった人物とようやく邂逅を果たした喜びに満ち溢れていた。


 兄上、ということは誰かの兄弟だろうか。七魔法王の中で黒い髪を持つ人物と言えばグローリアかキクガぐらいのものだが、グローリアに下の兄弟は存在しないし、キクガは異世界人なので兄弟の存在はこの世界にいない。誰の弟なのか想像できなかった。

 反論しようと思うが、彼の視線はグローリアに向けられていない。視線の先に辿り着くと、肉の壁から顔だけを突き出した八雲夕凪がいた。


 八雲夕凪は仇敵でも前にしたかのように鋭い眼光で道化師の男を睨みつけ、



「貴様、朝霧あさぎり……!! 極東を追放されたお主が何故ここに!!」


「それはもちろん、兄上、貴殿に会いにきたのですよ」



 朝霧と呼ばれた道化師の男は、ぱちんと指を弾く。


 すると、その姿全体を黒い霧が隠した。禍々しい霧を纏っていたのも束の間のこと、すぐにその正体が黒い霧の中より現れる。

 暗い闇を糸として紡いだかのような長い髪、爛々と光る黒曜石の双眸。顔立ちは、現在の八雲夕凪と似通った美丈夫とも呼べるほど整っており、禍々しい見た目の巫女装束を身につけていた。悪に堕ちた神々を体現していると言ってもいい。


 何より、八雲夕凪には存在する9本の真っ白な狐尻尾と同じく、彼の背後には9本の真っ黒な狐の尻尾が備わっていた。



「忌々しい堕ちた神がァ……!!」


「悲しいですねぇ、せっかくの兄弟の感動の再会なのに」



 八雲夕凪が吐き捨てるのに対し、朝霧は余裕の表情を崩さない。くすくすと楽しそうに兄が肉の壁に埋め込まれる様を笑って眺めている。



「ちょっとお爺ちゃん、どういうこと!?」


「アンタ、弟なんかいたんスか!!」


「何をさせているんですの!!」


「ふむ、弟とは全世界共通で阿呆しかいないのか」


「お爺様、怒りますよ!!」


「ええい、儂のせいじゃないわい!! 全部が全部、儂のせいだと思ったら大間違いじゃ!!」



 七魔法王の面々から飛んでくる批判に、八雲夕凪は怒声で返す。彼としてもこの状況は想定外なのだろう。



彼奴きゃつはその昔、人間を大量に殺戮した罪で極東地域を永久追放となった堕ちた神じゃ!!」


「ああ、確か豊穣神は人間を殺してはいけないってことがあったような……」



 実りを与える豊穣神は、人間の命を奪ってはいけないという掟がある。八雲夕凪たちの一族は代々豊穣神として祀られているので、その決まりを破った暁には極東地域を追放処分とされるのだ。

 ここまで禍々しい雰囲気を纏うのならば、この朝霧という神は人間を殺したことで堕ちてしまったのだ。それが故意によるものか事故なのか不明だが、哀れなものである。


 朝霧は「酷い言い方だ」と肩を竦め、



「兄上、我々豊穣神は人間に実りを与えてやっているのですよ。ならば人間は命を我々に捧げなければ釣り合いが取れないでしょう」


「戯け、そんな考えが通用すると思うてか!!」



 八雲夕凪は朝霧の発言を一蹴し、



「我らは人の信仰がなければ生きていけぬ。信仰心という我らの生命とも呼べる大事なものを捧げてくれる人の子らに、我らは豊穣を与えるのじゃ。それが何故分からぬのか、愚か者が!!」


「やはり兄上、貴殿は甘い」



 朝霧は「話になりませんね」などと言う。


 彼にとって、人間とは豊穣を与えてやった見返りとして命を捧げるべき存在だと認識しているようだ。極東地域が定める神の掟に抵触している。

 簡単な話、恩恵を受けたいのであれば生贄を要求しているようなものだ。生贄は近年、人権的なあれそれで禁止する宗教が増えてきたというのに、この朝霧という堕ちた神は古い価値観に未だ囚われている様子である。



「だから話の通じない兄上には、消えていただくことにしました」



 朝霧はそう言って、右手をスッと音もなく掲げる。


 すると、グローリアたちを飲み込まんとしていた肉の壁が収縮し、全身をゆっくりと締め上げていく。まるで何かを絞り出すように。

 そうして搾り取られたものが、肉の壁に吸収されていく。全身が締め上げられて苦しさが襲いかかると同時に、身体から気力や体力が容赦なく吸い上げられている気配があった。



「まさか、これは……ッ!!」



 八雲夕凪は肉の壁に飲み込まれながらも、何とか這い出そうともがく。



「朝霧、まさか悪夢の繭を……!?」


「ご名答です、兄上」



 朝霧は緩やかに両腕を広げ、



「かつて貴殿の神域を崩壊寸前にまで追い込んだ『悪夢の繭』ですよ。あの残滓をかき集め、僕がここまで育てました」



 恍惚とした表情を見せる朝霧。


 グローリアは戦慄した。

 脳裏をよぎった最悪の魔法動物――それを内包する卵とも言えるのが『悪夢の繭』と呼ばれるものだ。大量の魔力を人間から、大地から、世界から吸い上げ、その内包する『災厄の獣』という存在を育てるのだ。それが孵ると、世界は【世界終焉セカイシュウエン】が終わりを与えることよりも酷い結末を迎えることになると言われている。


 かつて、その悪夢の繭は濃い魔力に満たされた八雲夕凪の神域の奥深くに根差していたものだが、1人の魔女によって駆除されたはずだった。



「あの時はあの銀髪の魔女に邪魔されたが、こうして苦労して残滓をかき集めて復活を遂げました。ここまで成長させるのは骨が折れましたとも」



 朝霧は引き裂くような笑顔で、



「さあ、兄上。獣のいしずえとなって死んでくださいませ」



 さらに肉の壁が魔力を吸い上げていく。

 大講堂のそこかしこから呻き声や悲鳴が上がった。グローリアたち七魔法王は膨大な魔力量を有しているので簡単に魔力欠乏症にはならないが、生徒や教職員たちの魔力量は人並みだ。搾り取られれば最悪の場合、命を失う可能性だって考えられる。


 何とかしなければと思考回路を回転させたその時、甲高い悲鳴が耳を劈いた。





 ぴぎゅぃぃぃ――――――――――――――!!





 耳障りな絶叫が大講堂の空気を震わせると同時に、ザザザザと肉の壁が引っ込んでいく。怯えたように生々しい肉の感触が引いていき、あっという間にグローリアたち七魔法王や生徒たちも解放された。


 一体何が起きたのか分からず、グローリアはただ周囲を見渡す。解放された生徒や教職員たちは誰も彼も座り込み、あるいは床に伏せており、簡単に動くことが出来ないような気配があった。

 命が助かったと安堵すると同時に、果たして誰がグローリアたちを助けたのだろうか。あの状況で動くことが出来る人物は存在しなかったはず。


 朝霧は今までの余裕の表情を一転させ、キッと大講堂の壁を睨みつける。正確にはその向こうに広がる外の世界だ。



「まさか……!!」


「朝霧、待て!!」



 八雲夕凪の制止を振り切り、朝霧は大講堂の外に飛び出していく。


 おそらく原因は大講堂の外にあるのだ。朝霧が忌々しげな表情を見せていたので、悪夢の繭の孵化にとって重要な部分が何某かの攻撃を受けたのだろう。

 そして、この大講堂内に存在しない有名人がいる。彼らがやったに違いない。



「ええと、とりあえず見にいく?」


「そうッスね」


「リリアさん、我々は生徒たちの治療をしますの」


「はい!! 任せてください!!」


「あの朝霧とやらは捕まえても構わないかね?」


「ついでに冥府へ連れて行ってお灸を据えてほしいのじゃ」



 まだ動く元気がある七魔法王は、生徒の治療組と朝霧の捕縛組に分かれて行動を開始するのだった。

《登場人物》


【グローリア】八雲のお爺ちゃんに弟がいるってことに驚き。

【八雲夕凪】極東では有名な豊穣神。弟がいたが、信者への対応で衝突して弟を永久追放に処した。その後、恨みを募らせた弟が神域に『悪夢の繭』と呼ばれる魔法動物の卵を放ち、あわや神域を捨てなければならないかと思った矢先に通りすがりの問題児が助けてくれたので事なきを得た経緯がある。


【スカイ】爺さん、あんた弟いたんかい。

【ルージュ】兄弟の存在に驚いたが、まあ似てない似てない。

【キクガ】ちょっと共感。何故なら自分にも出来の悪い義弟(しかも轢き殺してきやがった)がいたから。

【リリアンティア】兄弟喧嘩なんて「めっ」です!


【朝霧】八雲夕凪の弟。豊穣を与えてやっているのだから信者も生贄を捧げるべきと考え、そのせいで兄である夕凪と衝突。人間は自分たちの礎になるべきだと思想を掲げる高慢ちき。

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― 新着の感想 ―
やましゅーさん、おはようございます!! 新作、今回は驚きの展開がたくさんあってハラハラドキドキさせられました!! まさか黒幕が八雲夕凪さんの実弟の堕ち神だったとは想像もつきませんでしたし、いつもの温…
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