第5話【問題用務員、お笑いの道を諦めさせる】
気がつくと保健室に連れ込まれていた。
「夜這いッ!?」
「ユフィーリア君、気が付いたかね?」
「うひょう!?」
見覚えのある保健室の天井を背後にして、キクガが寝ているユフィーリアの顔を覗き込んできた。
ユフィーリアは弾かれたように飛び起きると同時に重力が襲いかかり、背中を強かにぶつける。どうやらベッドから転がり落ちたようだ。床に転がった状態で呆然と天井を見上げ続けるユフィーリアに、キクガが心配そうな表情で「大丈夫かね?」と問いかけてくる。
用務員室でショウとキクガによる何か面白い話を聞いてから記憶がない。喋りの邪魔をしてはいけないとただひたすらに静かにしながら笑っていたら、いつのまにか酸欠の状態になっていたようだ。おかげで余計な心配をかけさせることになってしまった。
腹筋を使って跳ね起きたユフィーリアは、
「うわ何だこれ」
起き上がったユフィーリアが真っ先に認識したのは、保健室の床に寝転がらされた七魔法王の面々であった。
保健室のベッドを使用しているのは女性陣のみであり、男性陣はどこからか調達したらしいマットレスの上に転がされている。その上に転がされている顔触れを確認すると、エドワードやハルアの他にグローリアやスカイ、八雲夕凪の姿も存在していたのだ。あと硬い床に転がされている真っ赤なドレスの女性はルージュか。
脳味噌が理解を拒否するような光景が広がる中、キクガは朗らかに笑いながら言う。
「すまないな、死体だらけな訳だが」
「嘘だろ死んだ!?」
「さすがに冗談な訳だが」
目を剥くユフィーリアに、キクガは事情を説明する。
「君たちが気絶をしてからグローリア君が用務員室までやってきて、グローリア君を気絶がしてから全員を保健室に運んだ訳だが」
「どうしよう、話を聞いても何も理解できない」
キクガの説明を聞いても、やはり脳味噌が理解を拒否してしまった。ただただ混乱するしかない。
どうやらユフィーリアたち問題児とリリアンティア、リタが酸欠で気絶してから何かの用事があって用務員室を訪れたグローリアを用務員室の中へ引き摺り込むことに成功したらしい。そこで異世界文化『漫才』を披露すると、ユフィーリアたちと同じく白目を剥いて気絶を果たしたようだ。
それから気絶者を保健室に運び入れてから、ショウとキクガは七魔法王の面々を回って異世界文化である『漫才』を披露し、そのたびに気絶する七魔法王たちをこうして保健室に運び入れたらしかった。やはり脳味噌が理解を拒否してくれてよかったかもしれない。
ユフィーリアは首を傾げ、
「あれ、じゃあショウ坊は?」
「あちらで項垂れている訳だが」
「うわ背中からキノコの幻影が見える」
保健室の隅に向かって膝を抱え、ずんと重たい闇を背負いながら座り込む最愛の嫁の丸まった背中を見てしまったユフィーリアは、のほほんと保健室の椅子に座るキクガに視線をやる。
「あれどうしちゃったんすか」
「いや何、異世界文化の『漫才』が思った以上に難しかった訳だが」
ほわほわと微笑みを絶やさないキクガは、
「あまりのつまらなさにユフィーリア君たちが気絶してしまい、他も同じように気絶してしまったことから自信がなくなってしまったらしい。それもまた人間を成長させる訳だが」
「いや、つまらなかったとかそんなことは」
「ユフィーリア君」
朗らかに笑うキクガは、声こそ落ち着き払っているものだが目には真剣な光が宿されている。
「ここで早々に諦めさせた方がいい訳だが。お笑いは異世界文化の中でも限られた人間にのみ許された高等技術、それを見様見真似でどうにかしようという方が間違えている訳だが」
「いやあの」
「彼には『世の中には簡単に出来ないものもある』ということを教えなければならない訳だが。成功体験を与えてはいけないこともある」
並々ならぬ雰囲気を感じ取り、ユフィーリアは思わず閉口する。
父親として、息子がお笑いの道に進むような真似はどうだろうかと思うところがあるのだろう。異世界のお笑い文化がどういうものかユフィーリアには分からないが、とりあえず厳しい世界ということだけは脳が理解してくれたのでそのように解釈することとする。
変なことを吹き込んで余計な成功体験を与え、自信をつけさせてしまった暁には年越しパーティーでのお笑いバトルが待っている。あの手この手で回避させれば問題ないだろう、多分。
キクガはユフィーリアの肩を叩き、
「そんな訳で、ユフィーリア君。他の人にも同じような認識でいることを頼む訳だが」
「お、おう、分かった……」
ユフィーリアが頷くのを確認してから、キクガは保健室の隅で膝を抱えるショウの背中を撫でてやる。
「ショウ、これで分かっただろう。お笑いは素人には厳しい訳だが」
「うう……ユフィーリアにも嫌われた……」
「ユフィーリア君はこれしきのことで嫌いにならないとも。しかし最愛の旦那様に格好悪い姿を見せるのはどうかね?」
「おぎゃあ……」
「ショウ、お笑いの世界は諦めなさい。別の道を探す訳だが」
父親の懸命な説得が功を奏し、ショウは「ゔん……」と涙ながらに首を縦に振ってお笑いの世界は諦めることとなった。
こうして問題児はお笑いバトルを諦め、年越しパーティーの余興は波乱なく迎えることとなる。
――そのはずだった。
この時、年越しパーティーに思いもよらぬ事件が起こることを、問題児でさえ予見できていなかったのだ。
《登場人物》
【ユフィーリア】見覚えのある連中が保健室に転がされていたので、本気で死を疑った。特にキクガに関して言えば洒落にならない。
【ショウ】お笑い……無理だった……ちくせう。
【キクガ】父親として息子に厳しいことは厳しいと、現実を見せてやることも大切。