第1話【異世界少年と年越し】
早いものでもう年末である。
「もーう、いーくつねーるーとー」
「年越しィ!!」
日課であるツキノウサギのぷいぷいをお散歩させながら、用務員の未成年組コンビであるアズマ・ショウとハルア・アナスタシスは年末の雰囲気の漂う校舎内の様子を観察していた。
もうそろそろヴァラール魔法学院も冬休みに入るようである。年末年始はヴァラール魔法学院も長期間の休みに突入し、生徒や教職員は家族同士で過ごすことが多いらしいのだ。おそらくショウの身内の人間は今日も明日も仕事なので、せめて大晦日ぐらいは会えたら嬉しいなと思うぐらいである。
年末のバタバタした空気感に、先端に星型の膨らみが目立つ長い耳を振り回してぷいぷいが「ぷ?」と不思議そうな声を上げる。ぷいぷいは年末年始など初めての体験の様子だ。
ぷいぷいがいきなり走り出さないようにと手綱をしっかり握るショウは、
「確か、年末には『年越しパーティー』なるものをやると言っていたような」
「やるよ!!」
ハルアはショウの言葉を全力で肯定し、
「1年間の最後の日はさすがに個人開催になるけど、冬休みに入る前にぱーちーするんだよ!!」
「なるほど。賑やかな年末になりそうだ」
思い返せば、ショウも元の世界の年末は大層賑やかだったような気がする。暇さえあれば嫌味に暴言、暴力を振るわれて育ったので毎日がすこぶる楽しくなかったが、年末年始にはテレビ番組も特番が組まれたりするものなので叔父夫婦もテレビ番組に釘付けになっていたことを思い出した。
叔父夫婦のことは思い出したくないが、年末年始にやっていたテレビ番組の中で印象に残っているものがある。お笑い系の番組なのだが、かなりの長時間の放映で結構面白かったのだ。叔父夫婦の目を盗んでテレビ番組を楽しむのが、ショウの年末の楽しみだった。
ふと元の世界のことを思い返していたショウは、
「元の世界では年末になるとスペシャル番組とかを組まれたりして、それをこっそり見ているのが好きだったなぁ」
「何それ!?」
「異世界の文化のことだ」
興味を持ったらしいハルアに、ショウは特に好きだったテレビ番組について説明する。
「俺が特に好きだった内容が、何人もの芸人さんがな」
「うん!!」
「ある人たちを笑わせにかかるんだ」
「そうなんだ!!」
「もし笑ってしまうとお尻を叩かれるという罰が待っているんだ」
「楽しそう!!」
琥珀色の瞳をキラキラと輝かせたハルアは、
「いいなぁ!! オレもやってみたい!! 自信はないけど!!」
「ないのか」
「すぐに笑っちゃうからね、オレ!!」
というより、そもそもハルアは常日頃から頭の螺子がぶっ飛んだような笑顔を浮かべてばかりなので、あのテレビ番組に出演しただけで尻を叩かれそうな気配さえある。おそらく叩かれる回数は史上最多になりそうだ。お尻が4分割されてしまう。
そんなことを考える以前に、果たしてこの世界には『お笑い』という概念が存在するのだろうか。コメディー映画であれば海外にも存在はいくらかあるが、ボケとツッコミのやり取りが特徴的なのは日本独自のもののような印象がある。海外であまりコンビを組んでお笑いをやるような人を見かけない。
魔法の世界に於ける芸人の存在に疑問を持ったショウは、
「ハルさんに聞きたいのだが」
「何!?」
「この世界にはお笑いの概念が存在するのか? あまりそういうものを見かけないのだが」
「誰かを笑わせる為に魔法を使う人はいるよ!!」
ハルアは首を捻ると、
「確かね、そういう人たちを『道化師』って呼ぶんだよ!! オレはあまり笑ったことないけど!!」
「すぐに笑ってしまうハルさんが笑わないのか?」
「単純につまらないからね!!」
思った以上に言葉のナイフの切れ味が鋭くて、ショウは苦笑してしまう。
彼にここまで言わせる『道化師』とやらのネタを見てみたいものだが、そうなると元の世界のお笑いの概念もこの世界では通用しないのではないかと考えてしまう。元の世界は笑いの為ならば身体を張る芸人が多かったが、果たしてこの世界の道化師はどれほど身体を張るのか。
ハルアは「多分ね!!」と言い、
「年越しパーティーにも来ると思うよ!!」
「来るのか?」
「年越しパーティーにも余興とか色々あって、生徒や先生とか有志でやったりするんだよ!! ちゃんと本物の道化師も呼んだりするよ!!」
「本物?」
「生徒や先生とかの素人が道化師を気取って芸を披露しても面白くないからね!!」
ハルアの本日の言葉のナイフは切れ味が抜群の様子だった。彼の言葉を聞いていたらしい生徒の1人が膝から崩れ落ち、友人らしい生徒に慰められていた。彼もその『道化師気取りの生徒』ということか。
それにしても年越しパーティーに余興を披露する時間があるとは、パーティーと銘打たれた宴会のような気がしないでもない。そういう雰囲気は見ていて楽しいものなので、ショウも年越しパーティーが楽しみになる。
加えて、ショウにとってはまともな年越しである。普段は叔父夫婦からの虐待ついでに生きて年を越せたことに感謝したものだが、今年は暴力とは縁遠い楽しい年越しを迎えられそうである。
すると、
「ぷ」
「ぷいぷい、どうしたんだ?」
「ぷ、ぷ」
床をぴょんこぴょんこと跳ね回っていたぷいぷいが唐突に足を止める。ショウが手綱を引っ張っても動こうとしない。散歩に飽きてしまったのだろうか。
そう思った矢先のこと、ちょうど差しかかった正面玄関から失笑とも呼べるような笑い声が幾重にもなって漏れた。何やら賑やかな雰囲気だと感じたが、おそらく迫る冬休みの準備で忙しくしているからという理由ではなさそうだ。
正面玄関には、何やら人だかりが出来ていた。集まった生徒たちは何かを見ているようだが、彼らは呆れたような笑い声を漏らすばかりである。それほど楽しくないものを見ていると理解した。
生徒の中心にいたのが、派手な衣装を身につけた白塗りの顔が特徴の道化師である。黒い髪を整髪剤で後頭部に撫で付け、風船のように膨らんだ衣装を身にまとい、小さなボールを片手に戯けた素振りを見せる。
「ふっふぅ♪」
そんな甲高い声と共に道化師は変顔を披露する。
白塗りの顔で変顔を披露するものだから、もう悪夢に出てくる魔物と呼んでもいいぐらいに怖い。世の中には道化師恐怖症なる恐怖症もあると聞くが、事実これは恐怖症を患ってもいいぐらいに怖い。
失笑する生徒たちは、道化師の芸に飽きたのか散り散りになって去っていく。そんな彼らを笑顔で見送った道化師は、1人残ってポツリと呟く。
「よし、今日も大ウケだ」
「どこがですか」
「おおう!?」
道化師の背後に忍び寄り、ショウは素直な感想をお伝えする。
いきなり背後から現れたショウに、道化師は飛び上がって驚いていた。その姿が妙に滑稽である。芸は全く笑えないが、反応は面白かった。
そもそも異世界の厳しいお笑いの世界を見てきたショウにとって、あのような変顔だけで「大ウケだ」なんて判断するのが甘すぎる。見物客の反応を見れば分かる通り、あれは間違いなく失笑だった。呆れていたのだ、観客たちは。
「甘ったれた考えはよしてください。あの程度で『大ウケ』ならば、俺は抱腹絶倒間違いなしのお笑いが出来ますよ」
「はあ? 子供がお笑いを舐めてるのか?」
「舐めているのはそちらでしょう、このすっとこどっこい。貴方はお笑いが何あるかを理解していないようですね」
道化師とショウが互いに睨み合う。ばちばちと紫電まで飛び散っている幻影まで見えるようだった。その間で、ハルアが不安げにおろおろと2人の顔を交互に見つめている。
「僕は道化師としての矜持がある、今回だってヴァラール魔法学院の年越しパーティーにお呼ばれしたのさ。ここの年越しパーティーは人気の道化師しか呼ばないから、僕は人気者さ」
「どーこが人気者ですか、適当に流行している連中を引っ張ってきただけでしょう。その状態で舞台に立っても失笑を買い、大爆死は間違いないですね」
「何だとぉ!?」
道化師は「それならなァ!!」と叫び、
「どちらのお笑いが本当に面白いか、年越しパーティーの舞台で勝負だ!!」
「望むところですよ」
売り言葉に買い言葉で聡明なショウはものの見事に道化師による喧嘩を買ってしまい、年越しパーティーの舞台で異世界のお笑いを披露することになるのだった。
ちなみに我に返った時にはすでに遅く、頼りになる先輩に「ど、どうしようハルさん……」と相談するも、肝心の先輩からは優しく微笑まれるだけで終わってしまった。つまり見捨てられた。
《登場人物》
【ショウ】異世界の厳しいお笑いを見て育ったので、お笑いには厳しめ。お笑いを舐めるな!!
【ハルア】意外とゲラで、すぐに笑うのだが、道化師の芸は単純に凄いと思うぐらいで笑いとは違う気がする。