第6話【異世界少年と作戦変更】
「どうしたジジイ、老体にはきついって言うんじゃねえだろうなァ!!」
「小娘如きに負けるほど弱くはないわァ!!」
燃え盛る炎の中、銀髪碧眼の我らが麗しき魔女様と筋骨隆々のサンタクロースの決戦が展開される。
少しでも隙を作れるようにと生徒や教職員の手によってお手製の火炎瓶が投げ込まれるが、サンタクロースは放物線を描いて投げ込まれた火炎瓶を殴りつけたり蹴飛ばしたりして蹴散らす。狙った方向に飛ばず、余計に個数を減らしていくだけだ。
サンタクロースは未だに袋を手放すことはない。本来の獲物ではないとはいえ、問題児の中でも突出した戦闘能力を持ったユフィーリアを相手に1歩も引けを取らないとは恐れ入る。
木刀と拳が激しく撃ち合わされ、ガガガガガガガッ!! という聞いていいのかよくないのか分からない音が耳朶に触れた。少なくとも拳と木刀が撃ち合わされて奏でられる音ではない。
「……あれはどうすればいいんだ?」
「どうにも出来ないねぇ」
最愛の旦那様とサンタクロースによる激しい争いに置いて行かれたショウは、遠い目をするしかなかった。その隣ではエドワードがどうやって乱入したものかと困惑の表情を浮かべている。
あの2人の間に飛び込めば、確実にすり潰されてしまう。現状ではユフィーリアが優勢なので余計な手を加えずに彼女の勝敗に委ねてもいいが、聖戦と呼ばれるからにはどんな隙で現在の攻勢が崩されるか分からない。万全を期するのが肝要である。
ショウは「ふむ」と頷き、
「アイゼさん、用意はありますか?」
「もちろんヨ♪」
アイゼルネがポンと手を叩くと、彼女の足元に一抱えほどのバケツが転送されてきた。
バケツの中身は、緑色の液体によって満たされていた。液体というよりドロドロとした半固形の何かである。バケツを揺らすたびに表面がたぷたぷと震え、触れると肌にまとわりついてくる。
お手製の片栗粉スライムである。これもショウが展開した異世界技術『科学』によるものだ。本当はもっと他に方法があるのだが、再現しやすさと簡単さを優先した結果、片栗粉を使用したものが適切だと判断したのだ。
そしてこれを出したということは当然、投げつけるためである。
「炎腕!!」
ショウが呼びかけると、足元から腕の形をした炎――炎腕が大量に生えてきた。
炎腕はスライムでたっぷりと満たされたバケツを手に取ると、えっちらおっちらとバケツリレーで運搬していく。その先にいるのはユフィーリアとの戦いに夢中になっているサンタクロースの頭上である。
こちらに狙いが向いていないのをいいことに、炎腕はサンタクロースの頭上でバケツをひっくり返した。大量に作られた緑色のお手製スライムが、雨の如くサンタクロースの頭上に降り注ぐ。
「ぬぅん!?」
「おわ」
ユフィーリアは慌てて飛び退いてスライムを回避したが、もろに被弾したサンタクロースは頭の先から爪先までスライム塗れになってしまった。濡れた服が彫像の如き肉体に張り付いて筋肉の凄まじさを浮き彫りにし、立派な顎鬚は薄く緑色に湿っている。
これぞショウの作戦『スライム爆撃』である。スライムを全身で浴びたのだ、不快感を気にしてあまり動くことなど出来ないだろう。現にサンタクロースも嫌そうな表情をこれでもかと顔面に押し出していた。
ショウは勝利を確信して胸を張り、
「どうですか、スライム爆撃は。ぬるぬるの不快感で動きたくなくなるでしょう!!」
「甘いわ、小僧!!」
サンタクロースは忌々しげに吠えると、
「この程度で折れたらサンタクロースなどやっていない!!!!」
そう言うと、サンタクロースは己の赤い衣服を両手で引き裂いた。
ぶちぶちぃッ!! と音を立てて引き裂かれていく布地。飛び散るボタン。スライム爆撃を受けて濡れたサンタクロース専用の衣装を脱ぎ捨てたことで、鋼の肉体美が露わとなる。
まさかサンタクロースの衣装を脱ぎ捨ててくるとは想定外だ。鍛えていると上半身裸にでもなりたくなる習性があるのだろうか。とにかく剥き出しの肌でスライム爆撃を受けても動けなくなるような不快感はなくなってしまう。
不満げに眉根を寄せたショウは、
「脱げばいいって話ではありませんよ!!」
こちらとて、予想外の出来事に対処する術は問題児の問題行動で慣れたものだ。甘く見ないでほしいものである。
「今が好機です、火炎瓶を絶えず投げ続けてください!! 肌が剥き出しの状態では思うように動けないはずです!!」
「貴様!?」
「迂闊に脱いだのが間違いでしたね、お馬鹿なサンタさん。脳味噌まで筋肉が詰まった妖精さんとは思いませんでしたよ」
ショウは目を剥くサンタクロースを嘲笑った。
続々と投げ込まれる火炎瓶、燃え盛る炎。舐めるように廊下を蹂躙していく炎にサンタクロースが顔を顰める。剥き出しの肌に炎の熱気はさぞ辛いだろう。
さらに絶えず叩き込まれるユフィーリアの猛攻撃である。さすが戦場に立たせたら最強の『エイクトベル家』の魔女だ。いつぞやのアーリフ連合国での戦いも凄まじいものだったが、やはり今この場でも圧倒的な力を発している。
だが、
「火炎瓶の在庫が気になるところだな……」
「遠慮なく投げてるもんねぇ」
「なくなっちゃうよ!!」
「今はまだ平気かもしれないけれド♪」
ショウは歯噛みする。
火炎瓶は副学院長のスカイにも手伝ってもらって大量に用意したとはいえ、あまり消費しすぎるとかえって不利な状況に追い込まれる。ユフィーリアの攻撃と火炎瓶による攻撃の挟み撃ちで今の状況が成り立っていると言っても過言ではない。
このまま長引けば、確実に火炎瓶の在庫がなくなる。その前に何とか生け捕りにしたいところだ。
その時、
「ショウ? こんな夜遅くまで何をしているのかね?」
廊下に落ちる、涼やかな低い声。聞き心地のいいそれは、確かに身内のものである。
「父さん!?」
「はい、お父さんな訳だが」
弾かれたように振り返ると、そこには父親のアズマ・キクガの姿があった。装飾のない神父服と頭に乗せた髑髏のお面という格好は、まさに仕事中のものである。
「どうして父さんが……」
「仕事中な訳だが」
「深夜にまで仕事とはお疲れ様だ……」
「冥府では今の時刻から本格稼働な訳だが。何せ霊魂は夜に多く移動するのでな」
キクガは「ところで」と首を傾げ、
「あちらのご老体は一体? サンタクロースの格好をした変質者かね?」
「紛れもないサンタクロースだ、父さん」
「何と。あんなエドワード君みたいにムキムキなご老体が?」
キクガは驚いた表情を見せ、
「それで、何故サンタクロースとユフィーリア君が戦っているのかね?」
「それは――」
ショウはこれまでの経緯を説明した。サンタクロースの袋に誰もが興味のあることを、そして聖夜祭のプレゼントをみんなで山分けをする手筈になった聖戦であることを。
聞けば聞くほど阿呆な問題行動だが、キクガは黙って耳を傾けていた。常識人として、親として、子供であるショウに「そんなことをしてはいけない」と諭す訳でもなくただ静かにショウの説明を受け入れていた。
全てを聞き終えてから、キクガは一言。
「なるほど、サンタクロースの袋かね。それは私も興味がある」
ショウは悟った――「そうだ、この人も問題児の気質だった」と。
キクガはそう言って、懐から手のひらに乗る大きさの髑髏を取り出した。人間の頭蓋骨のように見えるのだが、つるりとした表面は作り物のようにも見える。
額の部分をコツコツと軽く叩くと、綺麗に並んだ歯列がカタカタと動き始めた。どうやら冥府で使われている通信魔法専用端末『魔フォーン』と同じような代物のようである。
やがて、聞こえ始めたのは冥府に相応しくない明るい声だった。
『はい、冥府総督府総務課でございます』
総務課とかあるのか、冥府。
「冥王裁判課のアズマだ」
『お疲れ様です、冥王第一補佐官様。ご用件は?』
「呵責開発課の課長まで頼めるかね?」
『かしこまりました。少々お待ちください』
一般企業並みの受け答えをする総務課の何某は、その通信魔法を今度は呵責開発課と呼ばれる場所に繋いでいる様子だった。一旦音声が聞こえなくなる。
少し待つと、髑髏から『何だ、キクガよ』などと芯のある男性の声が聞こえてきた。キクガの目当ての人物である呵責開発課の課長らしい。
冥府に於ける2番手であるにも関わらず馴れ馴れしいタメ口を利いてきた相手に怒ることなく、キクガは用件を伝える。
「サンタクロースを捕まえたい場合はどうすればいい?」
『何してんだお前』
至極真っ当な答えが返ってきてしまった。
『まあいい、誰でも考えることだからな。オレもやったことはある』
「やったのかね」
『連中に魔法の類は通用しない。サンタクロースは聖夜祭を象徴する妖精だからな。妖精は魔法に強いし、魔法の感知能力も極めて高い。罠魔法など即見抜かれるが』
通信の相手はさも当然とばかりに告げた。
『クッキーと牛乳があれば腹いっぱいになって寝始める。お供のトナカイを黙らせるのに人参の3つがあれば簡単に捕まえられるぞ』
ショウは固まった。
ここまで用意した聖戦で、しかも今もなお最愛の旦那様が死闘を繰り広げているというのに、まさかのクッキーと牛乳だけで捕まえられるのか。
いいや、相手の情報が偽物ということも考えられる。あんなムキムキに鍛えられたサンタクロースがクッキーと牛乳如きに屈するはずがない。
堪らずショウは髑髏に向かって話しかけていた。
「あの、サンタクロースって妙にムキムキのお爺さんなんですけど通用しますか?」
『通用するぞ。普段は制限して食ってないだけだろう』
「今もなお、バチバチに戦っているんですけど本当に大丈夫ですか?」
『口八丁手八丁、ついでに涙の1つでもこぼせば騙せるだろうに。妖精どもは単細胞の阿呆ばかりだから、嘘には簡単に騙される』
そして妖精の認識も間違っていなかった。
クッキーと牛乳、そしてほんの少しの嘘で騙されてくれるのであれば状況を打開できる。火炎瓶が弾切れを起こす前に決着をつけられるし、何ならサンタクロースの袋も穏便に奪うことが出来るではないか。
ショウは「よし」と頷き、
「エドさん、今すぐクッキーを焼いてください。ハルさん、確か美味しい牛乳を持っていなかったか? あれを少しだけ分けてくれ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
急遽作戦を変更し、ショウは早速とばかりに行動を開始するのだった。
《登場人物》
【ショウ】元の世界にもクッキーと牛乳と人参の概念はあったが、あれはサンタさんのお礼のものだとてっきり思っていた。
【エドワード】妖精ってそんなに阿呆だったっけと思いながらもクッキーを焼きに行く。
【ハルア】サンタさんの為なら秘蔵の牛乳も出しちゃうぞ!
【アイゼルネ】とりあえず聖戦の行く末は見守っていた方がいいのかしラ♪
【ユフィーリア】絶賛サンタクロースとバトル中。ほぼ互角に撃ち合ってくるサンタクロースの実力に驚愕。
【サンタクロース】あの戦場では最強のエイクトベル家の末裔と互角に戦えるほど鍛えてきた。
【キクガ】冥王第一補佐官。深夜に仕事をするのは霊魂がちゃんと冥府に来ているか、脱走していないかを確認するのによく現世を訪れる。
【呵責開発課課長】聖夜祭だからちょうどローストチキンを作りながら仕事をしていた時にキクガから連絡が入った。