第5話【問題用務員と複合歌唱魔法】
ルミナスデイズ当日である。
「あば、あばばばは、ばばばばば」
「緊張気味だね!!」
「ハルさん、景気付けに背中に飛び蹴りしてあげたら正気に戻るかもしれないぞ」
「分かった!!」
「保健室に担ぎ込まれるから止めてやれ」
大講堂の片隅で、問題児とネロはそんなやり取りを交わす。
照明が落とされた大講堂にはかなりの人数の生徒が集められていた。この場にいる生徒たちは、これから始まるルミナスデイズに参加する生徒たちの歌声を聴きに来ている訳である。入り口付近で配布されているプログラムで参加する生徒たちを確認しては「あ、この人参加するんだ」「どんな歌を披露してくれるのかな」と会話が聞こえてくる。
当然ながら、問題児とネロの名前はプログラムに掲載されていない。あれほど「ルミナスデイズで鼻を明かしてやりますよ」なんていじめっ子どもに言っていたショウだが、肝心のルミナスデイズの参加申し込み締め切りがとうの昔に過ぎ去っていたことをすっかり忘れるというウッカリさんを発動してしまったのだ。
しかし、ショウが気にした様子はない。むしろ余裕綽々と言わんばかりの態度で会場全体を見渡すのみである。
「我々は問題児ですから、どこかしらの組の発表前に捩じ込んでしまえばいいでしょう。どうせ判定する魔法使いたちは誰も彼も年齢を忘れるほど年上ですし」
「確かにそうだけども」
ショウの物言いに、ユフィーリアは苦笑するしかなかった。問題児として精神面が鍛えられているのか、それともネロの歌の練習に付き合っていた為か思考回路が洗脳状態になっているのか判断できない。
『ただいまより、本年度のルミナスデイズが開催されます』
すると、薄暗い大講堂内に静かな女性の声が響き渡った。
緞帳が降りた大講堂の舞台には、隅の方に立て看板のようなものが鎮座している。その立て看板の表面には白墨で、これから歌唱魔法を発表する組の名前が表記されている。
ヴァラール魔法学院には組の存在はなく、自由に時間割を組むことが出来るので幅広い交友関係が築ける。ただ、その魔法のみに特化した時間割、いわゆる『専攻形式』と呼ばれる時間割を組むと交友関係も固定化されてくる。ルミナスデイズは、その歌唱魔法を専攻する生徒たちが自らチームを組んで参加するのだ。
そして可哀想だが、いじめられっ子のネロは当然どこにも入れてもらえなかった。嘲られて、爪弾きにされてきたのだ。
「だ、大丈夫かな……大丈夫……」
「死ぬ気で練習してきたんです。成功させなきゃ今度は血反吐を吐かせます」
「鬼!?」
「お望みならばなりますが?」
不安に駆られるネロに厳しい言葉をかけるショウ。どこまでも容赦がなかった。
そんな問題児の状況など知らず、学院長の簡素すぎる挨拶が終わり、ルミナスデイズが正式に幕を開ける。
運営を任されたらしい生徒が舞台袖から楚々と出てくると、舞台上に飾られた立て看板の文字を白墨で書き直す。書き直された立て看板には綺麗な文字で『ピエタ』と並んでいた。
「ショウ坊は歌唱魔法をまともに聴くのは初めてか?」
「ああ。思えばちゃんと聴いたのは初めてかもしれない」
ユフィーリアの質問に、ショウはどこか期待を寄せるような視線を舞台上に投げかける。
「精神に強い影響を及ぼすのだろう? 感動して涙が止まらなくなるのか、それとも不安に駆られて悪夢を見るようになるのか、どんな効果が得られるのか楽しみだ」
「不安に駆られて悪夢を見るほど精神に影響を及ぼす歌は、お前の方が得意だと思うけどなぁ……」
特にショウは、精神的にも強い耐性を持つ副学院長のスカイでさえ精神の乱高下状態を引き起こした実績がある。異世界の歌はそれほど威力が絶大なのだ。
それを今回、歌唱魔法の名家として名を馳せるフォートナ家の子供であるネロに仕込んだのだ。恐ろしい結果になるのは予想できるので、最悪の未来からは全力で目を逸らしておく。
カーンカーンという鐘の音が講堂内に響き渡ると、舞台を覆い隠すように閉ざされた真っ赤な天鵞絨のカーテンが開かれていく。舞台上には3段もある雛壇が設置され、その上に20名前後の生徒が立っていた。
「――――♪」
1人の生徒が指揮者の動きに合わせて歌声を披露する。
伸びやかな歌声だ。美しく、若々しく、歌唱魔法を専攻している上に大人顔負けの実力を有しているとこれでもかと示された。ビリビリと肌を震わせる歌声はやがて、他の生徒も歌声を重ねることで勢いが増す。
女子生徒によるソプラノとアルト、そして男子生徒によるテノールとバスによる混成四部合唱だ。さすが普段から歌唱魔法を学んでいるだけあって、歌声は学生から見れば素晴らしいものだと言えよう。素人であれば彼らの歌声に聴き入るはずだ。
ところが、異世界出身のショウは特に心に響かなかったようで、綺麗な歌声を大講堂全体に行き渡らせる生徒たちに眠たげな目線を向けるばかりだ。
「何だか眠くなってくる退屈な歌だ」
「凄えな。歌唱魔法を食らったことないのに、どうして耐えられるんだ」
普通に眠たそうに欠伸をするショウに、ユフィーリアは素直に驚く。
「歌唱魔法に慣れていないと、1組目でもう涙腺崩壊するんだぞ?」
「ショウちゃん無理してない?」
「大丈夫かしラ♪」
「何で大人の皆さんに心配されてるんですか」
ユフィーリア、エドワード、アイゼルネに精神状態を心配されるショウは、不満げに唇を尖らせる。
「お忘れだと思いますが、俺は元々尊厳を破壊されるぐらいの虐待を受けてきた異世界人ですよ。この程度の歌声で精神崩壊を起こしていたら、この世界に来る前に俺は何度も精神科医のお世話になっているのですが」
「そうだった、鋼の精神持ちだこいつ」
「しかも鍛えちゃったのが俺ちゃんたちが原因って言うねぇ」
「じゃあオレたちと過ごせばどんなに気弱な人でもツヨツヨになれるってこと!?」
「そういうんじゃないわヨ♪」
最近ではすっかりその雰囲気はないが、異世界にやってきたばかりのショウはそれはそれは庇護欲を掻き立てる生真面目で大人しい少年だったのだ。今では自分の可愛さと異世界の知識をフル活用して好き勝手に暴走する、立派な問題児に成長してしまったが。
過去の凄惨な虐待が精神を鍛えることになったのか、それとも問題児と過ごしているうちに精神状態が鍛えられてしまったのか、とにかく生徒が発動する歌唱魔法程度では心など揺らがないのだろう。今も「アカペラで歌われると余計に……」なんて言いながら眠たげである。
ユフィーリアは首を傾げ、
「複合歌唱魔法さえ意味ねえなら何ならショウ坊の心を揺らがせることが出来るんだ……?」
「複合歌唱魔法?」
欠伸による生理的な涙が浮かぶ赤い瞳を瞬かせ、ショウが問いかけてくる。
「複合歌唱魔法ってのは複数人で執り行う歌唱魔法の形態で、より多くの連中の精神に強い影響を及ぼすことが出来るんだ。普通に歌唱魔法をやろうとしたら大勢に影響が出にくいから、ああやって複数人で畳みかけるんだよ」
「逆に単独による歌唱魔法は『単体歌唱魔法』と言いまして、よほど高い技術を持っていないと実現できないんです。中でも重要なのは声量ですね。歌唱魔法は普通、アカペラでやりますので声量がないと掻き消されちゃうんですよ」
「おお、なるほど。ユフィーリアの説明も分かりやすいが、ネロさんの説明も面白くていいですね」
ユフィーリアの説明に被せるようにしてきたのは、歌唱魔法を専攻するネロである。普段の勉強は無駄ではなかったようで、その説明は初心者にも理解しやすい内容だった。
意図せず褒められたネロは、恥ずかしそうに「いやぁ……」と笑いながら後頭部を掻く。この程度を褒められるとは思わなかったのだろう。
ショウは「あれ?」と首を傾げ、
「じゃあ楽器を使ったらいいのでは」
「楽器は確かに歌唱魔法を増幅させる為に有効的なんですけど、楽器を弾ける人ってあまりいないんですよ。歌唱魔法の授業でも楽器が弾ける生徒って取り合いになることが多くて」
「なるほど。確かに楽器が弾ける生徒は俺の世界でも重宝されたな……」
何かを思い出したのか、ショウはどこか遠い目をしている。
実は楽器を弾くには高い技術が必要で、誰でも簡単に弾けるものではないのだ。そもそもまずは楽譜を読めなければ始まらないので、歌唱魔法の名門ぐらいしか楽器を弾ける魔女や魔法使いはいない。
独学で勉強したとしても、弾ける範囲は限られている。ユフィーリアもリュートを独学で学んでいたが、弾ける曲数が限られてしまうので辞めたぐらいだ。
「ただ、俺も楽譜は読めないのだが」
「嘘だろショウ坊、あれだけ弾いて!?」
「ああ」
驚愕するユフィーリアに、ショウは事もなげに言う。
「俺は大体、聴いたことのある曲しか演奏できなくて。だからお上品なクラシックなどは弾けないんだ、聴いたことがないから」
「逆に聴いたことのある曲だったら弾けるって凄くねえか……?」
「何度も聴きながらピアノを弾いて音を調整して、研究するんだ。そうすると弾ける」
「涙ぐましい努力」
問題児がそんなやり取りをしているうちに、1組目が歌唱魔法の披露を終えるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】複合歌唱魔法はデュエット、限界でクインテットまで。それ以外は好き勝手にやりまくるのでコーラスがついていけなくなる。
【エドワード】ユフィーリアと合唱団所属時代、好き勝手に歌う彼女を抑制する為に強制的に組まされてデュエットさせられていた。
【ハルア】ショウと一緒だったらデュエットできるかも!
【アイゼルネ】どんな人物でも合わせられるので、ユフィーリアやエドワードにも重宝される。コーラスの天才。
【ショウ】精神乱高下させることに定評のある異世界の曲をたくさん知る。ハルアと組んでアイドルできるのでは……!?
【ネロ】歌唱魔法を専攻しているだけあって、知識はある。複合歌唱魔法を想定して学んでいたが、単体歌唱魔法の方に才能がある。