第3話【問題用務員とマギアギター】
ネロとの邂逅があった、翌日である。
「じゃじゃん」
「ショウ坊、何だその魔法兵器。副学院長に作ってもらったのか?」
朝から外出していたショウとハルアが用務員室に戻ってくると、最愛の嫁の手には何やらリュートによく似た弦楽器のような見た目の魔法兵器が握られていた。
魔法兵器だと断じた理由は、要所に金属めいた輝きを確認したからである。よく見ると弦が張られた本体部分には幾重にも溝が刻まれており、観察すると魔法陣であることが窺える。リュートと呼ぶには本体部分が薄く、あれでは音が出ないのではないだろうか。
にも関わらず、最愛の嫁はどこか誇らしげに本体部分が薄いリュート型の魔法兵器を掲げるばかりだ。ハルアも琥珀色の瞳をキラッキラに輝かせて興奮気味である。今にも飛びつかない勢いがあった。
ユフィーリアは首を傾げ、
「アタシがエドにあげたリュートそっくりだけど」
「それぇ、俺ちゃんはハルちゃんにあげたよぉ」
「脈々と受け継がれているのか」
今でこそ居住区画の倉庫で眠っているだけだが、そう言えば先日、ショウが引っ張り出していただろうか。なるほど、リュートを参考にして今回の魔法兵器を組んでもらったのであれば納得できる。
「みんな侮っているようだが、これは立派な異世界知識を提供した上で再現してもらった楽器だ。その名も『マギアギター』です」
「また愉快なものを組んで」
ショウの説明に、ちょっとユフィーリアは興味を持ち始める。異世界知識で失敗したようなことはないからだった。
「それで、どんな楽器なんだ?」
「副学院長の説明によると、弾いた弦の音を本体に刻まれた魔法陣が増幅することによって演奏するみたいだ」
ショウはマギアギターなるリュート型魔法兵器に取り付けられたベルトを肩から下げる。そうすることで楽器を支えるようだ。
白魚のような指先が、リュート型魔法兵器の弦に触れる。感触を確かめるように弦を指先で弾いたりしてみているが、演奏らしい音は全く聞こえてこない。ピンと張った弦を爪弾く小さな音が耳朶に触れる。
不意に、ショウがメイド服のエプロンドレスから小さな板のようなものを取り出した。三角形のそれはやけに小さくて薄く、すぐになくしてしまいそうな危うさがあった。
「ユフィーリア、実は」
「うん」
「ピアノより、俺はこちらの方が得意なんだ」
そう言うと、ショウは力強くマギアギターの弦を弾いた。
――ぎゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいんんんんん!!
薄く、まるで玩具のように思えたマギアギターから鋭い音が高らかに響く。
呆気に取られるのも束の間、ショウの指先が高速で弦を弾いていく。その度に目が覚めるような鋭い音が鼓膜を震わせた。
――ティロリロティロリロティロリロティロリロベケベケベーン!!
余韻を残し、嵐のように激しい演奏は終わりを迎える。
クリスタルピアノの腕前も確かに凄いものだった。ユフィーリアが聞いたことない音を、聴いたことのない音楽を軽やかに演奏するショウの技術は魔法も介入していないのに凄いと感じるほどだ。
だが、今回の『マギアギター』なる魔法兵器はさらに上回る凄さだった。襲い来る嵐のような鋭い音の連続、高速で弦を弾く指先、長いこと生きてきて正真正銘に初めて聞く音たち――それらが問題児の心を鷲掴みにする。
「凄え!?」
「ショウちゃん何その技術!? 異世界にはそんな技術があるのぉ!?」
「リュートよりも音が激しくて、おねーさん好きだワ♪」
ユフィーリア、エドワード、アイゼルネの掛け値のない賞賛の言葉にショウはちょっぴり誇らしげに笑ってから言う。
「今回、ネロさんの復讐の舞台に使うのはルミナスデイズです。歌唱魔法の技術を披露する『合唱祭』のようなものだとリタさんからお伺いしました」
ショウの説明に、ユフィーリアとエドワードが互いの顔を見合わせる。
つい先日、ルミナスデイズに関して話題を出したばかりである。何度も無断で舞台に乱入しては好き勝手に歌っていたが、もうそろそろ歌うネタもなくなってきたし出場するのは止めようという結論に至ったばかりだ。
それがここに来て、ルミナスデイズに乱入する可能性が示された。ショウもハルアもやる気である。ここで「やらない」と言えばやる気を削ぐことになるだろう。
「よーし、じゃあ出るか!!」
「頑張ろうねぇ、ユーリぃ」
「あらやる気♪」
ルミナスデイズの参加は見送ろうというやり取りを聞いていたアイゼルネだけは、楽しそうに笑っていた。「余計なことを言うな」という意味合いで脇腹を軽く小突いておく。
すると、コンコンと控えめに用務員室の扉が叩かれた。
遅れて扉が少しだけ開かれて、怯えた表情のネロが「お、おはようございます……」なんて挨拶をして顔を出す。ショウに命じられて必修科目が終わってから、全ての授業を取り止めてきたのだ。
ショウは綺麗な笑顔でネロを迎え入れ、
「よく来ましたね。これから厳しい練習が待ってますよ」
「ええ、き、厳しいんです……?」
「厳しくします。時間がないですからね」
警戒するネロの腕を掴んだショウは、
「お外に行きましょう」
☆
ショウが練習場所に選んだのは中庭である。
先日、雪かきをしたので雪の塊が中庭の片隅に残されているだけだ。人が使用している気配はなく、今日は天気もいいので練習には使えるだろう。
ただし『人の目を気にしない』という強い精神を持ち合わせていればの話である。中庭で歌の練習をすれば否が応でも目に入る。
そんなもので、こうなることは必然であった。
「お外で練習しますよ!!!!」
「嫌だああああああ!!」
校舎の柱にしがみついて屋外での練習を拒否するネロの制服を掴み、ショウが外に連れ出そうと躍起になっていた。
たまたま通りかかった生徒や教職員たちが訝しげな眼差しを向けるものの、問題児が絡んでいると分かった途端に「見なかったことにしよう」と言わんばかりの勢いで視線を逸らす。問題児が関わると碌なことがないからだ。生徒や教職員はよく分かっている。
ネロは半泣きの状態で柱に取り縋り、
「こんな往来で練習なんかすればあまりの下手さにみんな笑うに決まってるってぇ!!」
「屋外は音が吸収されやすいので響かないんです、発声練習など声を出す訓練には最適です。他人の目があれば精神も鍛えられて一石二鳥!!」
「もう今も精神がやられそうです!!」
「ごちゃごちゃ言わない!!」
ネロの決死の抵抗を何とかして引き剥がそうと、ショウも全力で少年の制服を引っ張る。ショウの腰にハルアもしがみつき、2人がかりでネロを柱から引き剥がそうとしてもまだ離れない。しぶとい様子である。
その光景を、ユフィーリアたち問題児大人組は困惑気味に見守るしかなかった。
非力な少年1人を柱から引き剥がす行為など、問題児きっての怪力を謳うエドワードに任せれば十分だ。ただまあ、そこまでして屋外で練習をする必要性に疑問を持っているからこそ無理にネロを柱から引き剥がそうとは出来ない訳である。
その時である。
「音痴のネロじゃねえか」
「問題児に泣きついたって無駄だろ」
「あれでルミナスデイズに出るんだとよ」
「可哀想に、全校生徒の前で赤っ恥を掻く羽目になるとはな」
通りがかった生徒から、次々と心のない言葉が浴びせられる。
こちらを見てニヤニヤと笑う男子生徒に女子生徒、その誰もが楽譜らしき冊子を手にしている。歌唱魔法を学ぶ生徒たちだろう。ネロを「音痴」と呼んで嘲笑ういじめっ子どもだ。
彼らの馬鹿にするような声が聞こえたのか、ネロは唇を強く噛み締める。心を抉るような言葉の数々に耐えるように、少年の表情が酷く歪んだ。
だが、残念ながらここにもっと凄まじい舌剣を持つ問題児がいた。
「はあ? ちょっとお歌が歌える類人猿どもが何をそんなに偉そうにしてるんですか?」
ネロに心ない言葉を浴びせてきたいじめっ子どもに、ショウがすぐさま切り返す。
「知ってます? 歌って誰でも歌えるんですよ。それこそお子様でも馬鹿でも歌えるんです。上手に歌おうとしたいなら音程を意識しただけでもまともに歌えるものなんですよ。むしろお猿さんが今更ぴーひゃらぴーひゃら歌ったって何の芸も捻りもないから飽きられますよ。貴方たちの歌声なんて鼻で笑われて終わりです終わり」
「ああ? 何だこの問題」
「逆ギレですか? 逆ギレしちゃいますか全体的に悪いのはそちらの方でしょう最初に喧嘩を売ってきたのはどこのどなたでしょうねぇお猿さんだから自分の口から飛び出た台詞はもう覚えてらっしゃらないですかそうですかもしかして単細胞さんですかねすみません世の中のお利口なお猿さんよりも馬鹿に『お猿さん』なんて使っちゃったらお猿さんに失礼ですよねごめんなさいお猿さん」
少し言い返そうとしただけで怒涛の如く言葉のナイフが押し寄せてくる。人間の最も柔らかい部分を的確に抉る為だけに尖れた言葉の刃は、容赦なくいじめっ子どもを傷つけた。
言葉で敵う訳がないのだ。いや、言葉でも敵う訳がない。精神をボコボコにされて暴力に訴えた途端、いじめっ子の目の前には冥府の法廷が広がっていることだろう。
口を閉ざすいじめっ子どもにぐるりと視線を巡らせたショウは、
「ルミナスデイズでは目にものを見せてやります。せいぜい精神を鍛えて待っていてください、ボコボコにしてやりますよ」
「ふ、ふん。どうせ無駄だと思うけどな!!」
「おや負け惜しみですか自分の歌声で誰かを感動させたこともないような雑魚中の雑魚が何か囀っていますねインコの方がまだ上手に歌えますけど」
「まだボコボコにしてくる気かよ!?」
いじめっ子どもは言葉で勝てないと理解するや、涙目で逃走を図った。無謀な連中である。
遠ざかる生徒の背中を見送り、ショウは「勝ったぜ」なんて鼻を鳴らして勝利を宣言した。もはや一方的な言葉の暴力であったとは言えない。
ショウは今もなお柱にしがみつくネロへと振り返り、
「貴方はいじめっ子どもに勝てます。自信を持ってください」
「ショウさん……」
「なのでまずは柱から降りてください練習しますよ!!」
「ぎゃああああやっぱりそこに帰結するのかああああああ!!」
再び始まった未成年組とネロの攻防を眺め、ユフィーリアたち大人組は苦笑する。
「あれ、いつまで続くんだろうな」
「あの子が観念するまでじゃないのぉ?」
「時間の問題ネ♪」
そんなやり取りをした数秒後、とうとうネロが未成年組の手によって柱から引き剥がされて雪の残る中庭で歌の練習をさせられるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】ハルアが使っていたリュートの元の持ち主。昔は吟遊詩人みたいなことをやったりしてみたが、飽きたのでリュートをエドワードにあげた。
【エドワード】ユフィーリアからもらったリュートで演奏をしたりもしてみたが、ハルアが欲しがったのであげた。
【ハルア】音域が複雑なのでリュートは難しくて弾けなかった。もらったけど倉庫で眠らせることに。
【アイゼルネ】弦楽器はヴァイオリンなら娼婦時代に客引きで弾いたことがある程度。
【ショウ】ピアノよりもギターの方が得意。元の世界では中学生の時に軽音部でギターを教えてもらって弾けるようになった。
【ネロ】ショウのスパルタ授業を受ける羽目になった可哀想な男子生徒。音痴と言われていじめられているが?