第1話【異世界少年とギター】
大人たちは雪かきに出かけてしまった。
「お暇」
「お暇!!」
暖かい用務員室でぬくぬくとしながらぬいぐるみでドロドロの愛憎劇ごっこを繰り広げる未成年組、ショウとハルアは揃って退屈そうな声を上げる。
本日もヴァラール魔法学院の周囲は雪が降り、一面の銀世界を演出していた。雪かき大好きな旦那様と頼れるアニキな先輩はスコップ片手に意気揚々と雪かきに出かけてしまい、南瓜頭の美人なおねーさんは寒さのあまり用務員室の居住区画に引きこもってしまった。紅茶の研究をしているのだろうが、出てくる気配がないので居住区画に設けられた暖炉でぬくぬくしている頃合いだろう。
それにしたってお暇である。暇に殺されてしまうぐらいに暇である。ぬいぐるみによる愛憎劇など幾度となく繰り返してきたものだから、こんな遊びで暇が解消できるはずもなかった。
ハルアは手にしていた兎のぬいぐるみをポンと放ると、
「ショウちゃん、歌って!!」
「また異世界ソングか?」
「うん!!」
先輩からの期待に満ちた視線を受け、ショウは苦笑する。
どうやら異世界の歌が気に入った模様で、事あるごとにおねだりされるのだ。暇さえあれば異世界の歌をせがまれ、その度にショウは脳味噌を回転させて「どんな歌が場の空気に相応しいか、求められているか」などを考えたりするものだ。
異世界の歌はたくさん聴いてきたのでネタはまだまだあるのだが、困ったことに用務員室には楽器がない。さすがのショウもアカペラで歌うほどの歌唱力はないのだ。せめて楽器で誤魔化したいところではある。
「異世界ソングを歌ってもいいのだが、クリスタルピアノのところには行けないぞ。ユフィーリアとエドさんが雪かきから帰ってこないと」
「楽器なきゃダメ?」
ハルアの質問に、ショウは「あった方がより素晴らしい演奏が出来ると思う」と答える。
「分かった、じゃあ探してくるね!!」
「探すとは?」
「探すんだよ!!」
よく意味の分からない言葉を叫んだかと思えば、ハルアは「待ってて!!」と言うなり用務員室の隣に設けられた居住区画に飛び込んでしまった。扉越しに「きゃッ♪」とアイゼルネの声まで聞こえたので、驚かせてしまったことは間違いなさそうだ。
どうしようかと戸惑うショウの膝に、用務員室のアイドル的存在であるツキノウサギのぷいぷいが寄り添ってくる。「ぷ」といつものように鳴いていた。果てしなく無表情なので慰められているのかさえ不明である。
やがてドタバタと激しい足音を立てて、ハルアが用務員室に戻ってきた。その手に握られていたのは、
「はい、これ!!」
「ギターか?」
「リュートって言うの!!」
「ええ……?」
ハルアが突き出してきた楽器に、ショウは訝しげな表情を見せる。
ピンと張られた弦に本体に開けられた大きな穴、艶やかな木目が特徴的なそれはどこからどう見てもアコースティックギターである。これが『リュート』と呼ばれる楽器ならば、ショウの記憶が正しければネックがポッキリと曲がっているはずだ。
いいや、そもそもここは異世界である。楽器の名称がショウの生きていた世界と違っていてもおかしくはない。でも、やっぱり見た目が非常にギターである。
「ハルさん、これはギターと言うんだ」
「異世界ではそうなの!? オレが教えてもらったのはリュートって呼び方だよ!!」
「じゃあこの世界ではリュートの呼び方が正しいのかな」
「でも『ギター』の呼び方の方が格好いいから、オレはギターって呼ぶね!!」
「あっさり鞍替えしてしまった」
そんな呼び方をあっさりと変えられるものなのかと驚いたショウだが、肝心のハルアはすでにギター呼びをしようと試みていた。「ぎたー、ギター、うん、ギター」と何度も呼び方を確かめている。
「じゃあ、このギターで何か弾けばいいのか?」
「オナシャス!!」
「ああ、分かった。出来る限り対応してみよう」
ショウはギターを構え、弦を指先で弾いて音を出す。
ちゃんと手入れは施されているようで、弦を弾くと綺麗な音が耳朶に触れた。クリスタルピアノとはまた違った、優しく聞き心地のいい音である。
何を弾こうかと適当に弦を弾きながら考え、ショウは「よし」と呟く。
「ちょっと暗いかもしれないが、異世界では有名な楽曲だ」
「おおー!!」
「それではお覚悟」
期待と興奮の眼差しを向けてくるハルアに、ショウは異世界でもよく耳にした楽曲をギターの音色に乗せて歌い始める。
その楽曲に興奮したハルアがドッタンバッタンと踊り始めたのは、ショウが歌い始めてから僅か数秒後のことだった。
☆
「終わり」
「ショウちゃん、リュートじゃねえやギターお上手だね!!」
「ハルさんはバレエも踊れるんだな。知らなかった」
歌い終えてから、ショウは先程まで目の前で踊っていたハルアのダンスについて素直に感想を述べる。
ショウが選んだ異世界の歌に合わせてハルアが披露した踊りは、バレエのように優雅で繊細なものだった。それまでハルアが好んでいたのは飛び跳ねたり駆け回ったりと元気の良さが伝わってくるダンスだったが、雰囲気が打って変わり気品のある踊りも出来るのかと素直に驚いた。
ハルアは「そうだ、ショウちゃん!!」とこちらへ振り返り、
「ユーリとエドにも聴いてもらおう!! すっごくいい歌だったもん!!」
「えと、また精神状態が乱高下みたいなことにならないだろうか……」
「そうなったらユーリとエドの意思が弱いんだよ!!」
辛辣なことを言うハルアは居住区画の扉を蹴り開けるなり、中にいるアイゼルネに向かって「ユーリとエドのところに遊びに行ってくるね!!」などと叫ぶ。アイゼルネが制止する暇もなく、ハルアはショウを引き摺って用務員室から飛び出してしまった。
抵抗する間もなく連れ出されるショウ。かろうじてアコースティックギターは掴んできたのは幸運と言えよう。これを忘れたらアカペラで大熱唱というちょっと恥ずかしい姿を、最愛の旦那様と頼れるアニキの前に晒す羽目になってしまうところだった。
意気揚々と用務員室を出発したハルアだが、不意に廊下の真ん中でピタリと立ち止まってしまう。引き摺られていたショウは転びそうになってしまった。
「ハルさん?」
「…………」
ショウの呼びかけには応じず、ハルアは窓の向こうをじっと見つめている。
窓の向こうに見えるのは曇り空と、ちらちらと降り始めた綿雪ぐらいだ。特に何かが見える訳でもなく、興味を惹かれるようなものもない。
つられて窓の向こうに視線をやるショウの隣で、ハルアが言う。
「嫌な予感がする」
「え」
次の瞬間。
窓の向こうで、真っ逆さまに誰かが落ちていく。
事故ではない。思い詰めた表情、力の抜けた身体、抵抗もせずに重力に従って頭から落ちていくその姿は、明らかに生きることを諦めた瞬間で。
唖然と立ち尽くすショウより先に、ハルアが窓枠を飛び越えて真っ逆さまに落ちていく誰かに手を伸ばす。彼の勇気とも無謀とも呼べる行動はその落ちゆく人物を助けることは出来ただろうが、同時にハルア自身も重力に従って落ちていく。
「ッ、炎腕!!」
咄嗟にショウは叫んでいた。
遅れて、窓の向こうで「いで!!」と痛みに呻くハルアの声が聞こえてくる。炎腕に助けを出すのが遅かっただろうか。
慌てて窓枠に駆け寄ると、雪が積もる中庭に多数の腕の形をした炎――炎腕が仰向けになったハルアを受け止めていた。ハルアの腕にはヴァラール魔法学院の男子用の制服を着た少年が抱き止められたまま気絶している。
2人とも無事なことに安堵の息を吐いたショウは、ヘナヘナとその場に座り込む。掴んでいたアコースティックギターがやけに重く感じた。
「ショウ坊、どうした?」
「ショウちゃん、具合悪いのぉ?」
「あ……」
唐突に名前を呼ばれ、ショウは顔を上げる。
そこには雪かきの為にコートやマフラーなどで重装備で身を固めたユフィーリアとエドワードが、心配そうな表情で座り込むショウの顔を覗き込んでいた。
2人の存在を認識すると、自然とボロボロと涙が溢れてくる。慌てた素振りで「え、どうした?」「抱っこするぅ?」と全力で慰めようとしてくれている彼らに、ショウは涙ながらに訴える。
「ハルさんがぁ……!!」
「ハル、お前ショウ坊泣かすなんて覚悟は出来てんだろうなぁ!?」
「ハルちゃん、後輩泣かすなんて何考えてるのぉ!?」
「冤罪!!!! でもごめんショウちゃん!!!!」
窓枠から外を覗き込んだ2人がドスの効いた声で何やら叫んでいたが、炎腕に支えられるハルアとそんな彼の腕の中で絶賛気絶中の男子生徒の姿を認めるなり、揃って「……あ?」なんて言ってユフィーリアとエドワードは首を傾げるのだった。
とりあえず、状況の説明をしなければハルアに冤罪がかけられそうである。
《登場人物》
【ショウ】ピアノよりもギターの方が得意。
【ハルア】ギター(リュート)の弦を何度もぶちって切っちゃったから触るのをやめた。
【ユフィーリア】今日も雪かき〜♪
【エドワード】雪かきのどさくさに紛れて雪だるまと雪うさぎも量産してきた。
【アイゼルネ】上司と先輩は何でこんな寒い中に出かけられるのかしら、と思いながら凍えて帰ってくる2人の為に紅茶の用意。