第5話【問題用務員と悪魔の声】
それは、ユフィーリアたちの願いとは裏腹に自分の方からやってきやがった。
「異世界の歌の威力が凄いと聞いて」
「帰れ」
「来ないでよぉ」
「お帰りください!!」
「学院長室はあちらヨ♪」
「仕事してろッスよ、何で今日に限って興味を示してくるんだ」
「しゃー!!」
「ちょっと待って、もしかして歓迎されていない!? リリアちゃんに至っては猫みたいに威嚇してくるんだけど!?」
紫色の瞳に好奇心の光を漲らせ、わくわくと子供のような表情で正面玄関の様子を見にきた学院長の青年をユフィーリアたちは歓迎しなかった。
歌唱魔法は魔法が使えない人間でも使える魔法と言われているものの、世の中には常に例外が伴う。世の中には誰でも使える歌唱魔法を使えない、上手く使うことが出来ない人間がいるのだ。
その最たる例がヴァラール魔法学院の学院長であるこの阿呆である。あらゆる魔法をそつなく使うことが出来る名門魔法学校の学院長は唯一、歌唱魔法だけはどうしても苦手としている訳である。しかも周囲からその使用を禁じられる徹底ぶりだ。
ヴァラール魔法学院の学院長、グローリア・イーストエンドは「何さ」と不満げに応じる。
「どうしてそんなに追い払おうとするのさ。僕はただ、生徒たちから評判の異世界の歌とやらの効果を確かめにきただけだよ」
「お前が歌唱魔法を使うってなったらコトだからだよ」
ユフィーリアは吐き捨てる。
「お前がうっかり歌唱魔法を使ってとんでもねーことになったのは知ってるからな」
「わ、分かってるよ。僕だってその、ちょっとは反省してるよ……」
「ちょっとじゃねえ、物凄く反省しろ」
しょんぼりと肩を落とすグローリアに、ユフィーリアは厳しく言い含める。いつもとは立場が逆転していた。
「あの、確か学院長って歌唱魔法が少しだけ苦手って言ってましたよね。そんなに酷いんですか?」
「おいショウ坊、ダメだ興味を持つな!!」
まさかの最愛の嫁がグローリアの歌唱魔法の腕前に興味を持ってしまい、ユフィーリアは慌てて止める。
彼はグローリアの歌唱魔法の酷さを理解していないのだ。まだ被害に遭っていないならば興味を逸らすことで被害を受けずに済む。
もし歌唱魔法の餌食になったとしたら、最愛の嫁の鼓膜がぶち破られる恐れがある。いいや、グローリアの歌唱魔法によって彼の音感が狂ってしまったら最悪だ。それほど学院長が及ぼす歌唱魔法の威力は計り知れない。
しかし、状況はユフィーリアが想定するより悪い方向に転がっていく。
「どんなものか聴いてみたいです。ちょっと1小節だけでも歌ってもらえませんか?」
「いいよ」
「はあ!?」
ユフィーリアは目を剥いてグローリアを振り返り、
「お前、歌うなって言ったろうが!!」
「でもショウ君からのお願いだよ。これは聞いてあげなきゃでしょ」
「いつもはショウ坊の我儘なんて突っぱねるじゃねえか、絶対に歌うんじゃねえ『悪魔の声』の持ち主がよ!!」
「そこまで言うことないじゃないか、僕だって一応は気にしてるしこれでも練習してるんだよ!?」
「練習とかふざけてんのか!? やるなって言ってんだよ!?」
どうして今日に限ってはこんなに頑ななのか。もしかしてショウの異世界の歌に感化された影響で、精神状態も強気になっているのだろうか。もし異世界の歌が彼に影響を及ぼしていたら、やはりとんでもない威力である。
まずい、非常にまずい。グローリアの歌唱魔法をショウに聴かせる訳にはいかない。とにかく阻止しないといけないのだがグローリアはノリノリで何の曲を歌うかと考えているし、ショウもどこか期待するような面持ちでグローリアの歌声を待ち望んでいる。早急に口を塞げば防げるだろうか。
ユフィーリアが魔法で口を塞いでやろうと雪の結晶が刻まれた煙管を振り上げるが、ほんの数秒だけ遅かった。
「どぼへにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪!!!!」
そんな変な歌詞が聞こえてきそうなほど、グローリアの口から放たれた歌声は地獄のような様相を取っていた。
堪らずユフィーリアは耳を塞ぐ。耳を塞いだところで指と指の隙間から漏れ聞こえてくる彼の歌声は悪魔が首を絞められた時に解き放つ断末魔のようにも思えた。
ユフィーリアたちがグローリアの歌唱魔法を封じたのは、これが原因である。単純な理由で、グローリアは歌が超ど下手くそなのだ。しかもただ調子っぱずれな歌声という可愛い下手くそ程度ならまだしも、怪鳥が発する超音波ぐらいにとんでもねー下手くそっぷりである。『音痴』で片付けられる領域を超えていた。
そんな超音波とも取れる歌声をもろに受けることとなったユフィーリアたちは、こぞって悲鳴を上げた。
「ぎゃあああああああああああああ!?!!」
「おえッ、吐き気がするぅ」
「頭が痛くなってくるね!!」
「地獄だワ♪」
「いやあああああ精神崩壊寸前まで追い込まれたと思ったらトドメ刺されてるッスよおおおおあああああ」
「神よ、どうか身共の無事をお祈りください……!!」
まさに正しく『悪魔の声』である。他者を苦しめる歌声が朗々と正面玄関に高らかに響く。
これはまだ屋内だから被害は周囲の人間程度で収まるのだ。屋外でグローリアの悪魔の声による歌唱魔法を披露すれば、瑞々しい大地は枯れ果てて荒れ地となり、空を飛ぶ鴉は地に落ちることだろう。実際、鼻歌で鴉や鳩を仕留め、湖に小魚の死体がぷかぷかと浮いていたこともあるので小さな生き物ならば簡単に命を奪うほどの威力を有するのだ。
グローリアの歌声にもんどり打つ問題児と副学院長、永遠聖女の保健医たちだったが、
「うるせえです」
「ひでぶッ!?」
あまりの喧しさに耐えられなかったショウがグローリアに容赦のない平手打ちを叩き込んだことで、図らずも命を救われることになった。
ぶん殴られたグローリアは、女の子みたいな姿勢で床に座り込んだ状態のままショウを呆然と見上げていた。
彼からすれば「聴いてみたい」とお願いされたから叶えただけなのだが、平手打ちの刑はあまりにも予想外であった様子である。冥砲ルナ・フェルノが飛んでこないだけマシだと思った方がいい。
ショウはそんな学院長を静かに見下ろし、
「何ですか、その甲高い絶叫は。それが歌ですか? 声の本質的にもその歌い方は喉を痛めるだけですし超音波が非常に迷惑です。歌は超音波を発してやるものじゃないんですよ、お分かりですか? ちゃんと音程を確認してから歌ってくださいよ、それとも音感ゴミです?」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃないか……」
いつもの舌剣によって容赦なく切り捨てられ、グローリアはしょんぼりと肩を落とす。歌唱魔法を敬遠していたが、ちょっと扱いが可哀想だった。
ショウはそんな学院長に「立ってください」と起立を促す。
何をするのかと思えば、彼はスタスタと迷いのない足取りでクリスタルピアノに歩み寄った。椅子に座り、透明な鍵盤に指を置く。
視線はそのまま、訳も分からず言われた通りに立ち上がったグローリアに固定されていた。その赤い瞳にはどこか真剣な光が宿されている。
「まずは発声練習からです。その超音波で好き勝手に歌われて、ユフィーリアの鼓膜をぶち破られると非常に困ります。問題児音痴矯正プログラムを開始します」
「え、ちょ」
「まずは発声練習からですって言ってるでしょう。姿勢を正してお腹に力を入れる!! 今から出すピアノの音を意識して声を出してください、さんはい!!」
ショウが鍵盤を叩き、グローリアの声がその音に乗せられる。ショウの真剣さに逃げることさえ出来ず、何か『問題児音痴矯正プログラム』なる授業が強制的に始まってしまった。
グローリアとショウのやり取りを、とりあえずユフィーリアたちは輪の外側から見守る。
現状、声を出すだけではそれほど音を外しているという印象はない。頭痛を引き起こすぐらいの超音波を発することもない。『問題児音痴矯正プログラム』なる授業は上手く運んでいるようだ。
「まあ、とりあえず成り行きは見守るか……」
「そうだねぇ」
「音痴って直せるもの!?」
「これで矯正できたらお金取れるわネ♪」
「一定数はいるッスもんねぇ、グローリア並みのクソど音痴」
「ショウ様さすがです……あの悪魔の声を聴いたあとであれほど活発に動けるなんて……」
グローリアに『音痴矯正プログラム』なる授業を施すショウに、知れず尊敬の念が集まるのであった。
ちなみにグローリアの音痴は、ショウによる授業が功を奏したのか少しだけマシになった。
《登場人物》
【ユフィーリア】グローリアの超音波鼻歌で昼寝を邪魔されたことがある。
【エドワード】グローリアの超音波ハミングで吐き気を催したことがある。三半規管が狂う。
【ハルア】グローリアの歌があまりにも下手すぎて、混乱のあまりスパイダーウォークをし始めたことがある。
【アイゼルネ】初めてグローリアの下手くそな歌を聴いて気絶しかけた。
【ショウ】この度、初めてグローリアの歌声を聴き、音痴矯正プログラムなるものを実施。あの程度の超音波、叔母さんの金切り声に比べらば屁でもない。
【スカイ】グローリアの歌声を録音し、目覚まし時計にしてユフィーリアにプレゼントして半殺しされた。
【リリアンティア】グローリアの歌声で悪夢を見たことがあるので、今夜は用務員室に泊まろうか考え中。
【グローリア】『悪魔の声』と呼ばれるほど歌が下手。超音波もかくやとばかりのキンキン声で歌う。ショウによる音痴矯正プログラムを受けてから、予定のない日はショウによる音楽の授業を受ける姿が見られることに。