第2話【問題用務員とルミナスデイズ】
「そういや、もうすぐルミナスデイズだよな」
魔法によって温かさが維持されている部屋で読書をする銀髪碧眼の魔女、ユフィーリア・エイクトベルはふとそんな話題を出す。
聖夜祭が近づくこの頃、ヴァラール魔法学院で催される恒例の行事と言えば『ルミナスデイズ』である。歌唱による魔法を披露して完成度を競う発表会だが、分かりやすく例えるなら合唱祭だ。
歌唱による魔法は主に精神状態へ強く影響を及ぼすものとされており、戦いに赴く戦士たちへ捧げる応援歌や死者へ哀悼の意を伝える葬送歌などが代表例である。この時期になると讃美歌があちこちから聞こえ始めており、ルミナスデイズに出演する生徒たちの練習に熱が入っているのが窺える。
ユフィーリアは読んでいた魔導書を閉じると、
「どうする? 乱入する?」
「やるのぉ?」
日課にしている筋トレを終えたらしい鋼の肉体を持つ巨漢、エドワード・ヴォルスラムが身体に浮かんだ汗をタオルで拭いながら応じる。
「乱入したとしてぇ、やるネタはあるのぉ?」
「ねえな」
「じゃあやらない方がいいんじゃない? 無駄な労力を使うのはやだよぉ、俺ちゃん」
「嫌に消極的じゃねえか。アタシとお前で過去にどれほどの問題行動を起こしてきたか分からせてやろうか? 今更な、いい子ぶっても無駄なんだよお前も問題児ィ!!」
「喧しいなぁ、この上司」
エドワードは「でもさぁ」と脱いでおいた冬用の肌着を身につけながら、
「聖夜祭があるから体力温存はしておきたいじゃんねぇ」
「それもそうか。じゃあ止めよう」
ユフィーリアは即決でルミナスデイズの乱入を取り止めた。
この場に未成年組がいれば「ルミナスデイズってなぁに?」「出てみたい!!」と騒ぐだろうが、あいにくと彼らは用務員室のアイドルのお散歩に出掛けているので留守である。まあ、ルミナスデイズの存在をどこかで知った彼らが超特急で戻ってくるなり話題に出してきそうでもあるのだが、そうなったら対応を考えた方がいい。
すると、アイゼルネが温かい紅茶を入れながら、
「あら、今年もユーリとエドのデュエットを楽しみにしていたのだけれド♪」
「いやぁ、もう正直歌うネタがないから」
「だよねぇ」
ユフィーリアとエドワードは苦笑しながら言う。
毎年、ユフィーリアとエドワードはこのルミナスデイズに無断で出演して会場を沸かせていたのだ。自分たちの歌声に多少の自信があるので、運営側から止められても出演した回数は30……いや50……まあ何か両手の指の数では足りないほどだ。
ただ、毎年出演しているものだから歌うネタがなくなってきた訳である。歌うのは好きだし得意ではあるのだが、同じ歌を披露するのは面白いこと大好きな問題児の矜持が許さない。歌うネタがないなら出演しない方がマシである。
それに、問題児にはルミナスデイズよりも重要な行事を控えているのだ。
「今年の聖夜祭も負けられないからな」
「だよねぇ。俺ちゃんもいつもより筋トレの回数を増やしてるよぉ」
「おねーさんも負けていられないワ♪」
アイゼルネもまたルミナスデイズの他に控えている聖夜祭に燃えている様子である。
問題児がルミナスデイズにかまけている暇がないのは、この聖夜祭が理由だった。聖夜祭と言えば出てくるアレと問題児は毎年のように死闘を繰り広げている訳である。
いつもは何とか辛勝という戦績を収めているのだが、今年は異世界からの天才軍師がやってきた訳である。あの馬鹿野郎も簡単に捻り潰すことが出来るかもしれない。問題児の優秀さを見せつける時が来たのだ。
閉じた魔導書を握る手に力を込めるユフィーリア。自然とミシミシと魔導書が悲鳴を上げる。
「今年は楽に勝たせてもらうぞ。去年はハルが早々にぶっ倒されたのが痛手だったけど、ショウ坊がいれば簡単に負けねえだろ」
「未成年組なんて言われてるしねぇ、今年は派手に突っ込んで負けるなんて無様な姿は晒さないでしょぉ」
「おねーさんの幻惑魔法も冴えちゃうワ♪」
そんなこんなで様々な思惑を胸に、問題児は聖夜祭に思いを馳せるのだった。もはや闘志が目に浮かんでいた。
「――で、ショウ坊とハルはどこまで散歩に行ってんだ?」
ふと我に返ったユフィーリアが、そう口を開く。
未成年組の2人が用務員室のアイドルであるツキノウサギのぷいぷいを散歩に出かけてから、2時間ぐらいが経過しようとしていた。随分と遠くまで散歩に出かけているのか、それとも散歩の途中で友人のリタ・アロットと遭遇して話し込んでいるのだろうか。
いつもの散歩時間は大体1時間程度で帰ってくるのだが、いつもより長めに散歩をしている様子である。さすがに帰りが遅いとおやつの時間が心配になってしまう。
執務机の上に積まれた雑紙を手にしたユフィーリアは、用務員室の隅に置かれた小動物用の籠に近寄る。その中でガサガサと元気よく動き回っていたのは、紙製の小さな怪獣であるステディだ。
「な、ステディも心配だよな」
「ぎゃッ」
小さな手を一生懸命に伸ばして雑紙を求めてくるステディ。「そんな事情など知らんから早よ寄越せ」とばかりの態度である。
「ステディには関係ないみたいだねぇ」
「お前はおやつにしか興味ねえか」
やれやれと肩を竦めたユフィーリアは、小動物用の籠の蓋を開けて雑紙を差し入れる。
ガサガサと籠の中を動き回るステディは、差し入れられた雑紙に大きな口で齧り付いた。容赦なくビリビリと破いて美味しそうに咀嚼するものの、ステディの中身は空洞なのでちぎられた紙片がステディの内部に溜まっていくだけだ。動けばすぐに出てしまう。
ステディの場合は、紙を噛みちぎることが出来ればいいようだ。自分の中からちぎれた紙が出てきたとしても気にした様子はない。実際、ステディの根城としている小動物用の籠はちぎられた紙だらけである。
ステディにもおやつをあげたところで、さて今度は散歩から帰ってきた未成年組の為におやつを用意しようとしたところで、用務員室の扉が外から叩かれた。
「はいはーイ♪」
ちょうど紅茶の蒸らし時間の為に手が空いたアイゼルネが、代わりに来客の対応をする。
扉を開けると、見慣れた白い修道服と金色の髪が垣間見えた。ついでに言えば頭に積もった僅かな雪の塊で、一体相手がどこからやってきたのか容易に想像が出来る。小さな背丈に見合わない立派な荷車には、木箱に詰め込まれた野菜や果物が乗せられている。
保健医にして七魔法王の第六席【世界治癒】のリリアンティア・ブリッツオールである。おやつの時間が近づくと貢ぎ物である野菜や果物などを携えて、こうして用務員室までやってくるのだ。これも放っておくと食事を取らない彼女に対する食育の賜物である。
リリアンティアは明るい声で「こんにちは!!」と挨拶をし、
「本日のお野菜定期便です!! おやつは何ですか!!」
「おう、リリア。頭に雪が積もってるぞ」
「あう、これは失敬」
ユフィーリアに指摘され、リリアンティアは頭に積もった雪の塊を払い落とす。「えへへ」と照れ臭そうに笑う。
「今日のおやつはドライフルーツのパウンドケーキにするつもりだ。この前もらった林檎とか、ドライフルーツにしたんだよ」
「わあ、嬉しいです!! 身共が手塩にかけて育てた果物を活用していただけるとは光栄です!!」
リリアンティアはいそいそと野菜が詰まった木箱を用務員室に運び入れながら、
「そういえば、母様。今、正面玄関でショウ様のコンサートが行われているみたいですよ」
「コンサート?」
「副学院長様がクリスタルピアノを調律したようでして、その試し弾きとしてショウ様が歌っているみたいです。通りかかった際に少しだけ聴きましたが、とてもお上手でした」
ユフィーリアは「ふーん」と応じる。
異世界出身のショウがたまに口ずさんでいる歌は、耳に残る音楽であることが多いのだ。曲の長さも飽きない程度に短く、それでいていつまでも脳内で再生されるものが多いので興味が湧いてくる。
果たして今回はどんな歌が披露されているのか気になるところではある。彼のことだから選曲も素晴らしいことになっているだろう。
正面玄関で開催されているショウのワンマンライブが無性に気になるユフィーリアは、
「ちょっと聴きに行っちゃお」
「母様、おやつは!?」
「あとで作るから」
おやつを求めるリリアンティアには悪いが、最愛の嫁のワンマンライブが気になるユフィーリアは弾んだ足取りで正面玄関に向かうのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】ヴァラール魔法学院の合唱祭『ルミナスデイズ』に勝手に乱入して思う存分に歌って勝手に去っていくことを幾度となく繰り返してきた。かつては有名な合唱団で修行し、主演も務めたこともある。
【エドワード】ヴァラール魔法学院の合唱祭『ルミナスデイズ』にユフィーリアと共に引き摺られて行ったことがある。かつて有名な合唱団で修行していた時代は、一定数のお姉様方から人気があったらしい。
【アイゼルネ】ユフィーリアとエドワードが『ルミナスデイズ』に出演する際は、ハルアを引き連れて最前列を陣取る。歌が上手いのよネ♪
【ハルア】お散歩中。
【ショウ】お散歩中。