第10話【異世界少年と逞しい少女】
――ドゴォ!! みたいな轟音が薄闇の向こうから響き渡る。
「ッ、今の音は!?」
「ハルちゃんとリタちゃんが進んだ方向からだねぇ」
薄暗い通路を戻っていたショウとエドワードは、何かが倒れるような音を聞く。
音の規模からして、相当大きなものが倒れたと予想できる。その場で大きなものと言えば、果ての見えないほど巨大な本棚だ。こんなものが倒れでもすればまず間違いなく無事では済まない。
顔を青褪めさせたショウは、
「ハルさんとリタさんが……!!」
「ハルちゃんがいるからリタちゃんの無事は保証されてると思うけどねぇ」
エドワードも表情を険しくし、
「ただリタちゃんを守るばかりで自分のことを疎かにしがちなところがハルちゃんの悪いところだしぃ」
「じゃあなおさらまずくないですか? ハルさんが――」
死んじゃう、と口にしようとしたところでショウは思い直す。
頼れる先輩のハルアは、細胞の1つ1つに再生魔法が印字された人造人間だ。致死性の高い怪我を負っても立ち所に回復してしまう超人的な回復力を有し、頑丈さで言えば問題児の中でも1、2位を争うほどである。
そんな彼が簡単に死ぬものだろうか。怪我は治っても痛みは残るだろうが、たとえ本棚に押し潰されたとしても残された細胞片から爆速で回復して全裸で復活を果たしそうなものである。
そういう意味で、ショウはこう結論づけた。
「リタさんが危ないです」
「ハルちゃんはぁ?」
「ハルさんは死んでも死ななさそうなので問題ないかと。リタさんの方が危ないですよ、精神的に」
怪訝な表情でこちらを振り返るエドワードに、ショウは真剣な表情で言う。
「だって、目の前で知り合いが死ぬんですよ? いくら生き返ると言っても、精神的なダメージは避けられないと思いますが」
「あー、確かにぃ」
失敗すれば挽肉になってご臨終という凶悪極まる魔法の世界に長いこと身を置いているからエドワードも失念していただろうが、一般人の感覚で言えば目の前で他人が死ぬのは精神的なショックが非常に大きい。下手をすれば心的外傷を作ることになってしまう。
生まれてからまだ15年そこそこという月日しか経っていない魔女のひよっこであるリタは、ショウの知る中でまともな感性を有した一般人の括りにいる。目の前で他人が、それも身近にいる友人が本棚に押し潰されて死にでもすれば心的外傷から魔導書図書館に近寄ることすらなくなるだろう。
リタの精神的安全の為にも、一刻も早く現場に急行しなければならない。
「でも、何で本棚が倒れでも? まさか他の追試対象者が邪魔をしましたか?」
「魔導書拾いだからねぇ」
「それで片付けられると思ってます?」
「片付けられるよぉ。魔導書拾いは何があるか分かったもんじゃないんだからねぇ」
全ての原因は魔導書拾いにあると言わんばかりの口調で言うエドワードは、
「おそらくだけどぉ、目当ての魔導書が見つかったんじゃないのかねぇ」
「見つかったらいいじゃないですか。何でわざわざ本棚が倒れるような真似を」
「ショウちゃん、魔導書拾いで目当ての魔導書が何ですぐに見つからないか覚えてるぅ?」
首を傾げたショウは、
「確か、魔導書が探している人から逃げているんですっけ」
「ついでに言えば魔導書って仲間意識もあるっていう報告もあるからねぇ。捕まった魔導書を助ける為に襲いかかる可能性もあるよぉ」
つまり、リタが目当ての魔導書を捕獲して、その捕獲された魔導書を助ける為に他の魔導書が襲いかかったということか。魔導書拾いというものはよほど危険なもののようである。
広大な魔導書図書館から目当ての魔導書を見つけてくるだけ、などという甘い考えは通用しない。やはり危険な魔法の世界に於ける仕事の1つに数えられるものは危険という認識を持たなければならなかったのだ。
しかし、エドワードの小声をショウは聞き逃さなかった。
「まあ、ハルちゃんとリタちゃんのモダモダを見てた魔導書が『早よくっつけや』とばかりに仕掛けたのかもしれないけどぉ」
「…………」
ショウはエドワードの顔を見上げ、
「つまり、魔導書が2人をいちゃいちゃさせる為に本棚を倒したと?」
「そういうことも聞いたことあるよぉ。実際、魔導書拾いで同じ目に遭った男女が恋人になって戻ってきたってぇ」
その事実を知った今、ショウの中に衝撃が走った。
つまり、ユフィーリアと公式で2人きりの空間が出来上がり、思う存分にいちゃいちゃすることが出来るまたとない好機ではないか。本棚が倒れて閉鎖的な空間の中、救助を待つ間はショウとユフィーリアの2人きりである。
その際に人目がないのをいいことに、あんなことやこんなことに及ぶ可能性もなきにしもあらずという訳だ。ショウの望むままに監禁いちゃいちゃコース直行である。この機を逃す訳にはいかない。
「こうしてはいられない、俺もユフィーリアと一緒に魔導書拾いを」
方向転換しようとしたショウだが、エドワードに首根っこを引っ掴まれて止められてしまう。ちょっと首が絞まって「くけッ」と変な声が出た。
「……エドさん?」
「なぁに?」
「何するんですか? 首が絞まりかけましたよ?」
「ハルちゃんとリタちゃんの救助が優先だよぉ」
「あの2人なら問題ないですって、きっと今頃は本棚の影に隠れていちゃこらと」
「行くよぉ」
非力なショウではエドワードの剛腕に敵うはずもなく、問答無用で引き摺られていくのだった。
☆
炎腕で行く道を照らしながら進んでいくと、遠くの方から足音が近づいてきた。
「誰でしょうか」
「足音が1つしか聞こえてこないねぇ」
ショウとエドワードは互いの顔を見合わせる。
他の追試対象者が向かってきている、という選択肢はほぼないと見ていいだろう。何せ分かれ道に遭遇した時点ではショウとエドワード、そして反対側に進んでいったハルアとリタの4人しかいなかったのだ。他の生徒がいれば会話ぐらい聞こえてきてもいいはずである。
そうなると、考えられるのは先程の轟音である。倒れた本棚によって片方が押し潰され、無事なもう片方が助けを求めてショウとエドワードのいる方向に歩いているのかと最悪なことを予想してしまう。ただ、その割には足取りはしっかりとしている印象だ。
やがて、その足音の主が炎腕が照らす明かりの範囲内に足を踏み入れてくる。
「あ、ショウさん。エドワードさんも無事でしたか?」
「リタさん!?」
「後ろにいるのってもしかしてハルちゃん!?」
ショウとエドワードは揃って驚愕する。
薄闇の向こうから現れたのは、ハルアと一緒に反対方向へ進んだはずのリタだったのだ。しかも肝心のハルアは彼女の背中におんぶされている状態である。
いくら小柄と言えど、女の子であるはずのリタがハルアを背負うのは無茶がある。どれほどの地点で本棚が倒れたのか不明だが、ここまで重たいハルアを背負って歩くのは大変だっただろう。
ところが、リタは汗の1つも掻いていない。息を切らしている様子も見られず、ハルアを軽々と背負っているのだ。これほどリタは力持ちだっただろうかとショウは混乱する。
「すみません、エドワードさん。ハルアさんをお願いできませんか? 魔導書の角を頭で受けちゃったみたいで軽い脳震盪を起こしているみたいなんです。私は試験があるので……」
「あ、うん。いいよぉ」
「ありがとうございます!!」
エドワードはリタに背負われているハルアを引き剥がし、ヒョイと軽々と抱きかかえる。これが本来ならば正しい光景である。
「ではすみません、あとはお願いします!! あ、あとこの先でハルアさんが使っていた角燈が壊れたまま放置されていると思いますので、回収していただけると助かります!!」
「分かったよぉ」
「わ、分かりました」
リタは勢いよく頭を下げてから、足早にその場から立ち去った。毛むくじゃらの何かを抱きかかえていたので、目当ての魔導書は確保できた様子だ。これで追試は問題なく合格できそうである。
遠ざかっていくリタの背中を、ショウとエドワードはただ見送るしかなかった。
常日頃から、リタは自分自身のことを「私って鈍臭くて……」なんて卑下していたが、鈍臭さの欠片も感じさせない素早さで走り去ってしまった。しかも今まで自分よりも体重のあるハルアを背負っていたという根性も見せる始末である。さすが普段から魔法動物を相手に走り回っているだけある。
「リタさん、ガッツありますね」
「本当にねぇ。ハルちゃんをここまで背負ってきちゃうんだからぁ」
「リタって凄いよね!!」
「ハルちゃん、起きたんなら自分の足で歩きなぁ」
「まだ頭痛いから甘えさせて!!」
いつのまにか目覚めていたハルアに肩を竦め、ショウとエドワードは壊してしまった角燈とやらを回収しに薄暗い通路を進んでいくのだった。
《登場人物》
【ショウ】普段からリタの根性や度胸のある部分は見たことあるが、さすがに先輩をおんぶして運んでくるのは想定外。
【エドワード】ハルアが女の子におんぶされたまま運ばれてきたのは驚いた。
【ハルア】リタのおんぶが心地よかったのと、先輩と後輩に恥ずかしいところを見られたので寝たふりしてた。
【リタ】忘れていると思うけど追試真っ最中の対象者。このあと慌てて捕獲した魔導書を見せに行った。