第7話【少女と病気】
薄暗い通路を問題児と2人きりである。
「暗いね!!」
「光源魔法を使いましょうか」
「ううん、リタの魔力を消費して追試に影響が出たら大変だから温存しておいて!!」
リタが光源魔法の提案をするも、ハルアは笑顔でそれを断る。
代わりに彼が真っ黒いツナギに数え切れないほど縫い付けられた衣嚢から取り出したものは、使い古された角燈である。中身は蝋燭を設置する小さめの燭台ではなく、黄色い魔石が数個ほど転がっているだけだった。
ハルアが角燈を上下に振ると、カンカンカランという中身の魔石が角燈の中を跳ね回る音がする。それと同時にぼんやりと魔石が発光し始め、書架によって構成される薄暗い通路を照らした。どうやら角燈の中身は衝撃を与えることで半永久的に光り続ける『光撃石』のようである。
角燈を装備したハルアは、
「はい、リタ!!」
「え?」
「手!!」
ハルアは自分の手をリタに突き出し、
「オレ、迷っちゃったら二度と戻れない自信があるから!!」
「そうだ、ハルアさん方向音痴ですもんね……」
リタはハルアの方向音痴っぷりを思い出して苦笑する。
曰く、迷っても用務員室に戻ることが出来る帰巣本能は搭載しているようだが、目的地には永遠に辿り着けないほど方向感覚が壊滅的らしい。昔は1人で出歩けば目的地に辿り着けない影響で泣きながら帰ってくることも珍しくなかったようだが、最近では後輩にショウがやってきたこともあり、ハルアが変な方向に突っ走らないように後輩の彼が手を繋いで手綱を握っている。
これらの話は全て、問題児筆頭のユフィーリアが笑いながら教えてくれたものだ。この迷路のようになった魔導書図書館で好き勝手に歩けば、絶対にハルアは元の場所に戻れないだろう。普段はショウが務めている手綱役を、今度はリタが担うことになったのだ。
リタはおずおずと差し出されたハルアの手に自分の指先を引っ掛け、
「じゃ、じゃあ、あの、僭越ながら……」
「うん、お願いね!!」
「わひゃあ!?」
急に物凄い勢いで手を掴まれたものだから、リタは反射的にハルアの手を振り払ってしまった。
唐突に感じた力強さと手のひらの皮の分厚さ、そして直に伝わってくる体温に混乱しての行動だった。異性と手を繋いだことなんてほとんどなく、男兄弟は年下でまだ8歳の弟ぐらいである。
2人きりという状況で気持ちがあっという間に限界値を超えたが故の行動だが、リタはそれが相手を傷つける行動だとすぐに気づいて謝罪した。
「あ、ご、ごめんなさい、あの」
「オレ、手汗が酷かったかな」
ハルアは振り払われた自分の手のひらに視線を落とし、
「ごめんね、リタ。オレ、体温が高いから汗が出やすいのかも」
「いえ、あの、違くて」
「手を繋ぐのが嫌なら、お洋服のお袖を掴んでてもらっていい?」
「違うんです!!」
どこか寂しげに言うハルアに、リタは否定の言葉を叫んでいた。
「違うんです、あの、ハルアさんは何も悪くないです。手汗も、その、酷くなかったです」
「じゃあ、どうして?」
「え」
「どうして、リタはオレの手を振り払ったの?」
角燈に照らされたハルアの琥珀色の双眸が、真っ直ぐにリタを射抜く。
その吸い込まれそうな双眸に、リタの心臓が高鳴った。体温が上昇し、呼吸が苦しくなるのを感じ取る。身体が明らかに不調を来している証拠だった。
何か言葉を発そうと口を開くも、不思議と言葉が何も思いつかない。頭の中が混乱して、ぐちゃぐちゃになって、自分が何を考えているのかさえ分からなくなってしまうのだ。自分の胸の内側で痛いほど飛び跳ねる心臓の具合も相まって、自分自身がおかしくなってしまったのは嫌というほど理解できる。
何度も試行錯誤を繰り返して、ようやくリタは今の自分の思考回路をまとめることが出来た。
「あの時、から。あの時から、ハルアさんのお顔を見ると、おかしくなってしまうんです」
「おかしくなっちゃうの!?」
驚愕に声を上げるハルアは、
「え、オレはどこでリタにご迷惑を!?」
「め、迷惑ではなくて、あの、魔法技術競技会のスカイハイ・レースで……」
リタの脳裏をよぎるのは、秋口に開催された魔法技術競技会の光景だ。あの時は『体育祭』と名前を改められ、様々な競技が問題児主導で執り行われた。
その中で目玉の競技として残されたのが、リタも出場したスカイハイ・レースである。出場直前でリタの箒が爆発四散するという状況をハルアから助けてもらい、そして代理で出場した彼が優勝をもぎ取ったのは記憶に強く強く刻み込まれている。
あの時から、リタはハルアの顔さえまともに見ることが出来ない。友達なのに、大事な友達なのに悲しませてしまうことばかりしてしまう。
「あの時から、ハルアさんのお顔を見ると身体が熱くなって、胸がドキドキしてしまって……おかしくなってしまうんです……」
おかしいのだ。
自覚していた、自分はおかしいのだと。
ハルアと顔を合わせ、そして会話を重ねていると、自然とあのスカイハイ・レースでの光景が脳内に蘇る。その時の彼の表情が、彼の力強い声が、リタをおかしくさせるのだ。
「リタ、それは……」
ハルアは真剣な表情で、
「病気だね!!」
「病気なんですか!?」
「胸がドキドキはとっても病気だね!! そういう病気があるってちゃんリリ先生が言ってた!!」
「そうなんですか!? 私自身は至って健康だから大丈夫なんだと思っていましたが、これ病気なんですか!?」
ハルアの口から衝撃の事実が語られ、リタは甲高い声で叫んでしまう。
何ということだろう、まさかの病気である。確かに自覚症状はあれど日常生活で支障はないと思っていたら、重篤な病気が予想される結末になってしまった。これは非常にまずい。
健康そのものでも重篤な病気を知れずに引き起こす場合があることは、リタもよく知っていた。魔法動物でもそう言った症状が見られることがよくある。特に動物は表情が分かりにくく、普段の行動や食事量や糞尿の状態で判断するしかないのだ。
顔を青褪めさせるリタに、ハルアは「大丈夫だよ!!」と励ましの言葉をくれる。
「きっとユーリなら何とかしてくれるよ!! ユーリがちゃんリリ先生に見せた方がいいって言うなら一緒に保健室に行こう!!」
「そ、そうですね。追試が終わったら、まずはユフィーリアさんに相談してみます」
「うん、絶対にその方がいい!!」
ハルアはリタに手を差し出して、
「じゃあ、行こ!! 早く魔導書を見つけないと!!」
「はい、そうですね。行きましょう」
リタは、差し出されたハルアの手を握る。今度は彼の手を握ることに躊躇いはなかった。
☆
一方その頃、エドワードとショウの2人組である。
「ハルさんは告白とかされたことあるんですか?」
「いやぁ、俺ちゃんが知る限りはないねぇ」
炎腕でぼんやりと照らされた薄暗い通路に、エドワードとショウの穏やかな会話が落ちる。
話題は、反対方向へ進んでいった我らが暴走機関車野郎とまだ初心な女子生徒の2人組のことである。何やら彼らはいい感じ――というかリタの方がハルアに思いを寄せているようなのでここは2人きりにしてみたのだ。
ここでリタが持ち前の度胸を発揮させて告白でもすれば、あとはもう恋バナに持ち込むだけである。ショウも正直な話、ハルアのどこに惚れたのか知りたかった。
「というか恋ってものを知らないんじゃないのぉ? 誰かを好きになるとかぁ、そういう時の答えは『みんな大好き!!』だからねぇ」
「うーん、それだとリタさんの告白も空回りしそうですね……」
「でさぁ、そこで思ったんだけどぉ」
エドワードはやたら神妙な顔つきで、
「リタちゃんも恋を知らない可能性はない? ハルちゃんを前にするとあんな感じになるってのが恋に気づかなかったりしてぇ……」
「…………病気って言われちゃったら信じちゃいそうですね」
何だかあり得そうな未来があった。
リタが持ち前の度胸を発揮するのは告白ではなく、胸のドキドキを動悸と勘違いしたことによる病状の告白。それをハルアが「それって病気だね!!」なんて言ってしまえば、彼女は信じてしまうかもしれない。
結論、いい雰囲気どころではない。
「ショウちゃん戻るよぉ、あの恋愛1年生どころか恋愛バブちゃんたちを軌道修正しないとぉ」
「まずは恋心であるという自覚を持たせるところから始めるべきでは?」
「だよねぇ、そうだよねぇ。どうやって言えばいいかなぁ、語彙力53万もあるんだから考えてよぉ」
「おれごちゃいじだからわかんない」
「頭の刺激が必要?」
「拳による刺激はご遠慮します!!」
阿呆な未来を想定したエドワードとショウは、慌てて元来た道を引き返していくのだった。
《登場人物》
【リタ】この気持ち、もしかして、病気……!?
【ハルア】リタの「胸がドキドキする」の言葉で、動悸と診断。困った時は上司に相談。
【エドワード】あいつら恋とか知らねえとかじゃねえよな?
【ショウ】説明役? 語彙力53万あっても説明したくないことはあるんですが?