第5話【少女と魔導書拾い】
追試が開始され、リタも本棚の間を進みながら封筒を開ける。
「ええと、探す本は『魔法動物生態大全』か……」
題名を口にして、リタはしっかりとそれを記憶する。
魔法動物関連の魔導書は、全体的に野生動物のように警戒心が高い。下手に取り扱えば読み手へ襲いかかってくるし、毎年何人かの生徒は魔法動物関連の魔導書によって指先を食いちぎられることもあるらしい。
ただ、見た目は魔導書であっても野生動物のように振る舞うのであればリタも問題なく捕獲できそうだ。むしろ得意分野である。魔法動物の研究者を志していてよかったと思えるほどだ。
魔導書を探して本棚を見上げていたリタだが、急に本棚の影から伸びてきた手に腕を掴まれてしまう。
「きゃあ!?」
甲高い声を上げてしまうリタ。
抵抗を試みたのも束の間、あっという間に本棚の影に引き摺り込まれてしまった。腕を掴む手の方が力強かったので抵抗する暇もなかった。
本棚の影に引き摺り込まれてしまったリタは、何かに全身を締め上げられる。もしかして追試を妨害する存在でも魔導書図書館の内部に放たれていたのだろうかと思えば、布地越しに感じる逞しさと体温に覚えがあった。
ふと顔を上げると、すぐ近くには琥珀色の双眸を緩ませて笑うハルアの顔が。
「は、はるゅあしゃ……!?」
「ハルアだよ!!」
「す、すみません、噛みまみた……」
あまりの緊張からハルアの名前を噛んでしまい、リタの顔に熱が集中する。心臓が破裂しそうな勢いで飛び跳ねるが、果たしてその鼓動は聞こえていないかと変な心配をしてしまう。
どうやらリタを本棚の影に引っ張り込んだのはハルアの仕業らしい。男性から見れば少しばかり小柄な体躯でも、動き回るうちに鍛えられただろう筋肉質な感触が服の下からありありと伝わってくる。あとふわりと鼻孔をくすぐる石鹸のような香りが何とも心地よい。
そこまで余計なことを考えてから、リタは「わひゃあ!!」と奇声を上げつつ慌てて離れた。
「えと、あの、ハルアさんはどうして……」
「リタのお手伝いだよ!!」
「そうですよ」
「そうだよぉ」
「ショウさんとエドワードさんまで!?」
ずっとハルアしか見ていなかったが、どうやらすぐ近くにショウとエドワードまで控えていた様子である。先程のリタの恥ずかしい姿が問題児に大公開されてしまっていた。
憤死寸前のリタをよそに、問題児男子組はそれどころではなかった。最年長の問題児と最年少の問題児の両方からハルアは肘や拳で攻撃されていた。やり返しを目論むほどの暴行ではなく、ハルアも「痛い痛い!!」と訴えるばかりである。
これだけで見ればリタとハルアの関係を茶化す先輩と後輩に見えるのだが、会話の内容に耳を傾けると事情が違っていた。彼らも真剣な表情でハルアに注意している。
「ハルちゃん、女の子にいきなり抱きついたらダメって言ったじゃんねぇ。身内ノリを嫌がる子もいるんだから止めなぁ」
「そうですよ、ハルさん。下手をすれば痴漢と訴えられて嫌われることになるんですからね。女の子相手には紳士さんで対応しましょう、紳士さんです」
「イダダダダごめんってごめんって気をつけます!!」
どうやらハルアがリタを抱きしめたことについて、下手をすれば嫌がらせの行動になるから止めた方がいいという忠告だった。
確かにハルアは距離感が近い。頭も撫でてくるし頬も触ってくるし、先程のように抱きしめてくるどころかお姫様抱っこをしてくることも多々ある。友人としての距離感とは言い難いかもしれない。
ただ、それを止められてしまうと何だかとても惜しいと感じる自分もいた。寂しいような、悲しいような、言葉には出来ない切なさがあった。異性同士の触れ合いは控えた方が模範的な生徒だろうが、とてもモヤモヤしてしまう。
「ごめんね、リタ。いきなり抱きついちゃってびっくりさせたよね」
「い、いえ、あの、お気になさらず!!」
申し訳なさそうに謝罪するハルアに、リタはパタパタと手を振って応じる。
「で、あの、お手伝いに来てくれたとのことなんですけど……」
「そうだよ!!」
リタが「追試でそれは大丈夫なのだろうか」と不安げに問いかけると、ハルアは元気よく頷いた。
試験監督であるユフィーリアは「どんな手段でも使っていいから」と言っていたが、まさかこの意味が密かに含まれていたのだろうか。問題児は優秀な人材だしこれだけの人数がいればリタの探す魔導書も簡単に見つけられそうなものだが、追試に関係のない部外者が首を突っ込んで失格を言い渡されないかと心配にもなる。
そのリタの意図を汲み取ったのか、ショウが「あのですね」と説明を始める。
「魔導書拾いというものは、どうやら複数人で挑むものらしいんです」
「え、そうなんですか?」
「はい。危機を感じ取った魔導書が襲いかかってくることもあるようで、魔導書拾いに挑む際は複数人で役割分担をするのが常識らしいです」
ショウは「俺もエドさんから話を聞いただけですが」と締め括る。この可憐なメイドさんの格好をした少年も、リタと同じく魔導書拾い初心者のようであった。
「魔導書拾いって何があるか分からないからねぇ。急に本棚が倒れてきたりとかあるしぃ」
「上から魔導書が雨のように降ってくることもあるよ!!」
「経験者はこう語っていますので、いくらリタさんでも単独行動は危ないかと」
「わひゃあ……」
経験者らしい口振りのエドワードとハルアの言葉を聞き、さらにショウからのダメ押しもあってリタは思わず身震いをしてしまった。
本棚が倒れてきたりとか、魔導書が雨のように降ってくるとか、冗談ではない。すぐ側に壁の如く聳える本棚は見上げるほど高く、果てしない。こんなものが倒れてきたらリタでも助かるのは難しい。高所から落下してきた魔導書が頭にでもぶつかれば大変なことになる。
内容は魔導書の解読よりも遥かにリタ向きだが、やはり危険なものは危険であった。魔法を学ぶことに於いて安全圏はほとんどない。いつでも命を失う危険性と隣り合わせなのだ。
リタは泣きそうになりながら、
「わた、私、魔導書を見つけられるでしょうか……」
「その為にオレらがいるんだよ!!」
ハルアは「任せんしゃい!!」と自分の胸を叩き、
「オレ、探すのは得意だから!! あと本棚が倒れてきてもぶっ飛ばしてあげるね!!」
「俺ちゃんもユーリと一緒に無茶やってた時の経験があるしぃ、若い子に何か助言が出来るかもしれないからねぇ」
「高所を探すなら任せてください。ハルさんを抱えてひとっ飛びです」
ハルアに続いてエドワード、ショウも頼もしいことを言ってくれる。
普段こそ問題児としてヴァラール魔法学院内をお騒がせする問題児だが、友人として交流するうちにこれほど頼りになる存在は他にいないことに気づいた。教職員に相談するより問題児に相談した方が早く物事が解決するのだ。
今回だって初めての魔導書拾いで本棚が倒れてくるとか魔導書が雨のように降ってくるとか怖い話を聞かされたし、これほど膨大な量の魔導書の中から目当ての1冊を探し当てるのは難しいと思っていたが、手伝ってくれるのであれば心強い。ここは彼らの厚意に甘えよう。
リタはぺこりと頭を下げて、
「じゃ、じゃあよろしくお願いします。先輩方」
「先輩!! いい響きだね!!」
「俺ちゃんの後輩は小悪魔と暴走機関車野郎しかいないからぁ、こんな真面目で可愛げのある後輩は大歓迎だよぉ」
「エドさん、聞き捨てなりません。小悪魔の何が悪いんですか。まとわりついて駄々捏ねますよ」
「エド、尻に人差し指の第二関節まで突っ込むよ!?」
「ほらこれだよぉ。ショウちゃんは最初の真面目な可愛さからすっかり自分の可愛さを使いこなす小悪魔になっちゃったしぃ、ハルちゃんはいつも通りに頭の螺子がどこかに行っちゃってるしぃ」
ダバダバと未成年組にまとわりつかれて鬱陶しそうにしているエドワードの姿を眺め、リタは堪らず噴き出してしまう。まるで兄弟みたいだ。
そんな賑やかなやり取りを経て、リタの魔導書拾いが始まった。
《登場人物》
【リタ】ヴァラール魔法学院の1学年。魔法動物の研究者になりたくてその分野の勉強に関しては大人とタメ張れるレベル。しかし魔導書解読学は苦手でこの度追試を受けたが、魔導書拾いという得意分野で気合いが入る。
【ハルア】リタの友人。魔導書拾いはたまにやってお金を稼ぐ。割りのいいバイト。
【ショウ】魔導書拾い、初挑戦。どんなことになるのかワクワク。
【エドワード】未成年組の保護者。ユフィーリアの無茶に振り回されて魔導書拾い耐久レース24時とかやったことがあるので、魔導書拾いは得意。