第3話【少女と追試乗っ取り】
そんなこんなで追試当日である。
「うう、平気かな……」
リタは心配だった。
魔導書図書館に集められた追試対象者たちは、不安げな表情で乱立する書架を見渡す。背の高い本棚には厚さの違う魔導書が隙間なく詰め込まれており、目当ての魔導書を探すことだけでも苦労しそうだ。
図書館の様々な場所に設けられた読書スペースに集まったリタたち追試対象者は、魔導書解読学の追試がどんな内容になるのか不安だった。リタも魔法に関連することならば超成績優秀の問題児たちに教わったものだが、最終的に言われたのは「お前に成績をプレゼントしてやる」という嬉しいのか不安になるのか分からない言葉だった。何をするつもりだろうか。
不安という単語を表情として全面に押し出すリタは、遠くの方でコツンという靴の音を聞いた。
「はい、追試対象者の皆さん。こんにちはですの」
追試対象者のみが集められた読書スペースに姿を見せたのは、赤い髪に赤いドレスが特徴的な魔女――ルージュ・ロックハートである。
魔導書図書館の司書にして魔導書解読学の授業を受け持っている彼女は、授業内容も比較的分かりやすいことで有名だ。ルージュは問題児筆頭のユフィーリアと同じ七魔法王の1人にも数えられるので、何かしら取り計らうように声をかけてくれたのかもしれない。
成績を落とさないで済むとリタが安堵したのも束の間のこと、並いる追試対象者たちをぐるりと見渡したルージュは冷静に試験内容を言い渡す。
「それではこれから配布いたします魔導書を解読するんですの。解読できたら内容を読み上げるんですの、内容が正しければ追試合格ですの」
普段の魔導書解読学の授業内容や試験内容と同じことで、リタは絶望した。
同じく絶望を味わっている追試対象者から「もう少し易しい内容には」とか「解読する魔導書の難易度を下げてくれます……?」とか声が上がるものの、ルージュが聞いている素振りは一切見えない。緩やかに波打った燃えるような赤髪の調子を気怠げな眼差しで眺めるだけだ。
生徒たちの声が止んだ子路を見計らい、ルージュは真っ赤な口紅を塗った唇を開く。
「戯言は終わりましたの?」
その声は、あまりにも冷たかった。
「甘いことを言うんじゃないんですの。上級の魔導書を解読するのは将来に役立つ技術ですの。それが出来なければ名門魔法学校の生徒として恥ずかしいですの」
厳しい言葉に、追試対象者である生徒たちの誰もが押し黙るしかなかった。
確かに上級の魔導書が必要になる場面もあるだろう。より高みを目指すのならば初級や中級の魔導書に頼らず、上級やさらに上の階級の魔導書に手を出すのが最適かもしれない。
しかしまあ、いくら何でも厳しすぎやしないかという意見はあったが、追試の対象になってしまったリタには何も言い返せなかった。こればかりは結果が全てである。
「ですので、上級の魔導書を解読していただき」
追試の内容を説明するルージュだったが、追試対象者の生徒たちはそれどころではなかった。
彼らは全員、ルージュなど見ていなかった。そしてルージュの言葉など聞いていなかった。
それ以上に危機を感じさせるものが、ルージュの背後に迫っていた。
――あの誰もが恐れる銀髪碧眼の魔女が、悪魔のような笑顔でルージュの背後に立っていたのだ。
「それでは試験を」
「ボッシュートでーす」
「ぎゃあッ!?」
銀髪碧眼の魔女がルージュの背後で手を叩く。
次の瞬間、ルージュの足元に巨大な穴が開いた。一寸先も見通すことが出来ない、それでいてどこまで続いているかも不明な深い深い奈落の底に繋がる穴のように見えた。一瞬にして開いたその穴は、あっという間にルージュの頭のてっぺんまで飲み込む。
重力に従って奈落の穴に落下していくルージュの悲鳴が、尾を引くようにして遠ざかっていった。その悲鳴はどこまでもどこまでも響いているので、この穴はよほど深いと言える。
唖然とする生徒が追試の監督を飲み込む穴を見つめる中、銀髪碧眼の魔女は自らが開けた穴の縁にしゃがみ込むと落ちゆく赤い魔女に向けてこう告げた。
「ルージュ、植物園に群生している採取禁止の毒草を無断で摘んで紅茶に加工した件は、学院長にチクっておいたからな」
穴の奥から「ユフィーリアさん、貴女って魔女はあああああ!!」という絶叫が聞こえてくるも、全てを聞き終えないうちに銀髪碧眼の魔女は魔導書図書館にぶち開けた穴を閉ざす。
何してんだ、という至極真っ当な意見は誰もが飲み込んだ。ルージュの味覚の壊れっぷりは、ヴァラール魔法学院全体に周知されていたのだ。下手に反感を買い、そして「布教活動ですの」とか言って巻き込まれでもしたら死ぬ自信がある。
銀髪碧眼の魔女は立ち尽くすリタたち追試対象の生徒へ向き直ると、
「諸君!! 今回、魔導書解読学の追試を請け負うことになった、問題児筆頭のユフィーリア・エイクトベルちゃんだ☆ゾ!!」
ばちこーん、と華麗にウインクを決めた銀髪碧眼の魔女――ユフィーリアは、そんなことを言ったのだった。
「問題児!?」
「何でお前がここに!!」
「邪魔をするな!!」
追試対象者の生徒たちからは非難轟々だった。
それもそのはず、問題児筆頭としてある意味有名なユフィーリアは自分の面白さを優先するあまり授業を妨害することが多々あったのだ。今回の追試を乗っ取るような行為も、面白さを優先させて落第の憂き目に遭う生徒たちを笑いにきたと思っているのだろう。
彼女の本質を知っているのは、むしろ数少ないのではないか。いいや、この場に於いては魔導書解読学の勉強を見てもらったリタぐらいのものだろう。
怒る生徒たちに、ユフィーリアは「あーあー!!」と叫ぶと、
「うるせえお前ら、黙れ黙れ!! 口答えした奴は追試も不合格にしてやってもいいんだからな!!」
「横暴だ!?」
「そんなことが許されてたまるか!!」
「学院長が黙ってないぞ!!」
「残念でしたー、学院長のグローリアにはちゃんと許可とってありまーす。あとルージュの説教に忙しいだろうからお前らの戯言に耳を傾ける余裕なんてありませーん」
意見など許さない女王様のような態度を取るユフィーリアに、またしても生徒から批判の声が飛ぶ。文句を言われても、この銀髪碧眼の魔女は意にも介した様子はない。
「問題児に何が出来るんだ!!」
「どうせ碌なことじゃねえだろ!!」
「何だとお前ら、アタシが用務員としてこの魔法学院に雇用された時にこっそり契約書に『全教科予備教員』とか書かれていたことを知らねえな!? こちとら全教科受け持つことが出来るぐらいに優秀なんでーす、魔導書解読学の基礎学習で赤点を取るようなお前らとは違うんでーす」
べろべろばあ、と舌を出して明らかに馬鹿にしたような態度を取るユフィーリア。一部の生徒からは「何だとこの野郎!?」という非難の声が上がるものの、大半の生徒は問題児の優秀さを思い知っているので黙るしかない。
この優秀さを無駄遣いして怒られるまでが問題児である。本来の能力を遺憾なく発揮すれば『全教科の授業を受け持つことが出来る』なんて壮大な言葉を軽々と言えるのだろう。
ユフィーリアはパンと手を叩いて、
「はい、それじゃ試験内容を発表するぞ。今から封筒をそれぞれ1通ずつ配るからな。まだ封を開けるんじゃねえぞ、封を開けたら追試不合格にしてやるからな」
容赦なく生徒の成績を人質として握りしめてきた問題児筆頭は、雪の結晶が刻まれた煙管を一振りする。
ふわり、とどこからともなく封筒の群れが飛んでくる。まるで風を受けて舞い上がる書類の束の如く視界を白色で染めるも、それぞれの封筒は意思を持って生徒たちの手の中に収まった。
リタの手の中にも1通の封筒が収まる。そこには癖のある文字で『リタ・アロット』という名前が表面に書き込まれていた。
封筒を手にした生徒の誰もが困惑する中、ユフィーリアによる追試の説明が続けられる。
「その封筒の中身に、魔導書の著者名と題名が書かれた紙が入ってる。どんな手段を使ってもいいから、この魔導書図書館から指定された魔導書を探してこい」
ユフィーリアはニヤリと楽しそうに笑い、
「魔導書解読学の中でも身体能力と度胸が必要となる分野、その名も『魔導書拾い』を今回の追試の内容とする」
それは間違いなく、リタが得意とする分野だった。
《登場人物》
【リタ】魔導書解読学で赤点を取ってしまった女子生徒。座ってお勉強するよりもフィールドワークとかの方が得意なので、目当ての魔導書を探すのは得意かもしれない。
【ユフィーリア】かつて雇用契約書に『全教科予備教員』という文言があって契約書を再作成させたが、この度リタの受ける追試を乗っ取る為に全教科予備教員の文言を復活させてきた。全教科を満遍なく教えられる、ある意味で問題行動しなけりゃ人気になりそうな先生タイプ。授業を使って遊び倒しそう。
【ルージュ】魔導書図書館の司書。他人に毒草ブランド紅茶を振る舞って殺しかけることに余念がない。本人には悪気はない。この度、やらかしたのを問題児にバレて学院長に告げ口されたので説教を受ける羽目に。