第2話【問題用務員と魔導書解読学】
昼食後、リタには「放課後は用務員室に来い。勉強会だ」と宣言して午後の授業に送り出した。
「そんな訳で、魔導書解読学の特別講習を始めます」
「よ、よろしくお願いします」
青色の縁が特徴的な眼鏡を装備したユフィーリアに、リタが緊張気味に応じる。
午後の授業を消費したリタは、逃げずに用務員室にやってきた。魔導書解読学で赤点を取ったとしても授業態度こそは真面目な生徒である。さすがに追試を受けずに留年という最悪の状況は免れたい様子だ。
そんな真面目っぷりに応じていきなり難しい魔導書を押し付けるなり、「ほれ解読してみろ」と言うのはまずい。魔導書解読学は他の授業と比べて危険度の高い分野なのだ。実力を見誤ると精神科直行である。
ユフィーリアはリタに1冊の魔導書を差し出し、
「一応、ルージュには確認を取ったけど今は上級魔導書のパズル本が基礎の課題なんだろ。解読方法は分かるか?」
「い、一応は学んでいます」
ユフィーリアから差し出された魔導書を受け取るなり、リタはまず背表紙を確認した。魔導書解読学の基礎である。
魔導書解読学の基本は背表紙にある。背表紙の部分に記載されている数字の頁に解読用の魔法をかけてから読まなければ、魔導書の中身が全部白紙の状態だったり違う内容を表示されたりするのだ。中には無理やり魔導書を開いて特濃の官能小説を読まされたという阿呆もいる。昔のユフィーリアのことである。
上級の魔導書は魔法の応用を記していることが多く、中級以下の魔導書で基礎知識を身につけた魔女や魔法使いが参考文献にするのが今の常識となっている。たまに上級魔導書に混ざっている呪われた日記帳とか読み返すのも恥ずかしくなってくる手記は、ちょっと事情が特殊なので除外だ。
魔導書解読学の基礎を外さなかったリタに、ユフィーリアは感心の眼差しを向ける。
「赤点を取ったって言うから魔導書の解読方法すら危ないのかと思ってたけど、ちゃんと基礎は学んでるな」
「ちゃんとこの辺りは実践できているんですけど……」
背表紙を確認し終えたリタは、
「私、どうしてか魔導書の中身がおかしなものになっちゃって……」
「読み方が違うか、もしくは魔法のかけ方がおかしいかのどっちかだな。まあ試しに読んでみろ、そのパズル本はおっかない魔法なんてかかってねえから」
「うう、はいぃ……」
リタは強張った表情のまま、革製の表紙を開く。そしてペラペラと魔導書の頁を慎重な手つきで捲った。
ユフィーリアが渡した魔導書の背表紙には『2-60-185-36』という数字が並んでいる。これは管理番号とか出版に必要な番号とかではなく、魔法をかけなければならない魔導書の頁番号だ。
まずは背表紙に記載されている数字を確認して、該当の頁に解読用の魔法をかけることが出来れば魔導書解読学は問題ない。最低限、それだけを基礎として身につけていると大体の魔導書は読める。
該当の頁を開いたリタは、自分の杖を真っ白な頁に突きつけた。
「ええと、〈解読・魔導書姿見せ〉」
解読用の魔法がかけられた魔導書の白い頁には、ぼんやりと『1』の文字が浮かび上がった。まずは第一段階突破という訳である。
「えと、次は60頁……」
リタの手つきは順調である。魔導書解読学の基礎はしっかりと押さえられているので、追試どころか期末考査でも合格できそうな水準はある。
ところが、魔導書の60頁を開いたリタは急に「きゃあ!!」と悲鳴を上げて魔導書を放り出してしまった。投げ出された魔導書が床に叩きつけられて、バサリと頁を晒す。
真っ白な頁にデカデカと表示されていたのは、鬼のような形相で怒る半裸の男の絵だった。今までそんなものはなかったはずだが、急に染み出すようにして出現したのだ。
「リタ嬢、落ち着け。紙魚は解読用の魔法で消せるから」
「あ、は、ひゃい……」
ユフィーリアに促されるまま魔導書を拾い上げたリタは、杖を構えて解読用の魔法をかける。
「〈解読・魔導書紙魚駆除〉」
すると頁全体に居座っていた怒り顔の男は、リタのかけた魔法によって頁の端まで追いやられて消された。それと同時に真っ白となった頁にぼんやりとした文字で『2』と表示される。
このように、魔導書解読学は解読用の魔法が複数存在するのだ。解読用の頁に表示される問題を、該当する解読用の魔法で撃退することが魔導書解読学である。魔導書がどの問題を提示しているのかということを正確に見極めなければならない。
これが上級の魔導書の中でも特にとんでもねーブツになると、解読用の魔法の他にも呪術や精神異常魔法を学んでいることが前提の魔法がかけられていることがある。そう言ったことはよほど魔導書解読学が好きな魔女や魔法使いでなければ踏み入れない領域なので、今回は考えないことにする。
その後も魔導書が提示してくる問題に解読用の魔法で挑んだリタだが、ようやく全ての問題に解答して魔導書を読む準備が出来た。
「で、出来ましたぁ」
「お疲れさん、リタ嬢」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管でリタの持つ魔導書の表紙を叩き、
「じゃ、内容を確認しようか。なんて書いてある?」
「はい。ええと……」
リタは魔導書の頁を広げて、首を傾げた。
「あれ? 恋愛小説になってる……」
「おかしいな。その魔導書、魔法薬のレシピ集なんだけど」
ユフィーリアが渡した魔導書は『魔法薬学、最新魔法薬レシピ』なる魔導書である。ただし正しく魔導書解読学で紐解かなければ甘酸っぱい恋愛小説になるという罠が仕掛けられたパズル本であった。
ちなみにこのパズル本というものは、魔導書の代表的な形式である。正しく魔導書を解読用の魔法で紐解けば望み通りの内容を提示するが、少しでも間違うとおかしな内容をお届けされる訳である。代表的なものは『気になるあの子を振り向かせる恋の魔法の魔導書を読もうとしたら、何故か他人を呪い殺す本に変わっていた』という話である。ユフィーリアの体験談だ。
泣きそうな表情でユフィーリアを見てくるリタに、してやれたことと言えば慰める意味での肩を叩くことぐらいであった。
「ゆ、ユフィーリアひゃん……」
「基礎は大丈夫だ、問題なく出来てる。でもなぁ……」
ユフィーリアは難しい表情で言い淀み、
「リタ嬢、もしかして魔導書の紙魚が苦手か?」
「うう……じ、実は……」
泣きそうになりながらもリタはかろうじて頷いた。
困ったことに魔導書は、読み手の苦手感情を刺激してくるのだ。例えるなら悪戯小僧がそのまま書籍の姿をしていると言ってもいい。つまりは読み手を揶揄っている訳である。
苦手意識は簡単には消えないので、魔導書もリタが紙魚に対して苦手意識を持っていることを察知して揶揄いの材料として使用しているのだろう。通常のパズル本に紙魚が出現するのはもはや必然のようにも思えるので、紙魚が出ない魔導書は特殊な魔法がかけられたものしかない。
天井を振り仰ぐユフィーリアに、用務員室の隣に設けられた居住区画から聞き覚えのある声が投げかけられた。
「リタ、平気?」
「大丈夫ですか?」
居住区画の扉から顔を出し、不安げな眼差しを友人のリタに向けるハルアとショウの姿があった。魔導書解読学の特別講義に邪魔となるので、居住区画で大人しくしてもらっていたのだ。
その後ろから、エドワードとアイゼルネも顔を覗かせた。用務員室での特別講義を聞いていたのか、その表情はやや厳しめである。ユフィーリアも同じ意見だ。
ユフィーリアは肩を竦めると、
「仕方ねえ。リタ嬢には早めの聖夜祭のプレゼントをやるかな」
「え? な、何ですか?」
急な話題転換にリタが困惑したような目を向けてくる。そんな赤毛の少女に、ユフィーリアは告げた。
「リタ嬢、お前に成績をプレゼントしよう」
《登場人物》
【ユフィーリア】かつて魔導書では色々とやらかした。呪術の魔導書を読もうと思って解読用の魔法で突破したら官能小説になってたし、興味本位で恋の魔法の魔導書とか読もうとしたら何故か他人を呪い殺す内容になってたり、やらかしエピソードは尽きない。
【リタ】昔むかし、両親の持っていた魔導書で気持ち悪い形相でこちらを睨むお婆さんの紙魚を見かけた時から紙魚に対して苦手意識がある。
【ハルア】ガラスのコップを耳に当ててユフィーリアとリタの勉強の様子を盗聴中。
【ショウ】おやつを食べながら同じく盗聴中。
【エドワード】ユフィーリアの持っている魔導書で紙魚を見かけたことがあり、その時は情けないことに「ゔぉ」とか言って驚いた。
【アイゼルネ】パズル本の解読に失敗してお化粧の魔導書を読んでいるつもりが、死体の埋め方について書かれていた時はイラってした。