第1話【問題用務員と追試】
ヴァラール魔法学院の1学年、リタ・アロットは正面玄関前に設置された掲示板の前で立ち尽くしていた。
「あ……あわ……」
彼女が見ていたのは、掲示板に張り出された羊皮紙である。
羊皮紙には上から下までずらりと人の名前が書き込まれていた。羊皮紙に自分の名前を発見した生徒は「うわー!!」とか「どうしようー!!」とか頭を抱えて叫んでいる。羊皮紙に書き込まれた名前の数は、実に100名を超えるのではないだろうか。
その中の1人に、何とリタも入り込んでいた訳である。羊皮紙の下の方に自分の名前を発見して、泣きそうになるばかりだ。
そんな他人を天国にも地獄にも突き落とす羊皮紙に掲げられた題名は『魔導書解読学、追試験対象者』とあった。
「リタ、今日のお昼はー……」
「あ、あう、あううう……」
「え、ちょ、リタ大丈夫!? 何があったの!?」
今日のお昼ご飯に誘ってくれた友人の女子生徒に、リタはボロボロと涙をこぼす泣き顔を晒してしまう。
彼女が出来たことと言えば、友人に掲示板の『追試験対象者』という題名が掲げられた羊皮紙の存在を示すように指差したことぐらいだ。この行動だけで友人は「あー……」と苦い表情を見せる。
ポンとリタの肩を叩いた友人は、
「大人しく追試験を受けな……」
「ううううう」
「ごめん、ごめんけど本当に魔導書解読学は教えられない。あたしも本当にギリギリで回避したのよ、赤点」
「ううううああああ」
友人に助けを求めるも無碍に断られてしまい、リタは絶望の表情を浮かべる。
悲しいことに、この友人は魔導書解読学の赤点をギリギリの点数で回避した幸運の持ち主である。だから今回の追試験対象者には選ばれなかったのだ。
一方でリタはあと2点が足りなくて魔導書解読学の試験で赤点を取ってしまった訳である。筆記試験がないのに赤点とかどういうことだろうかと思うだろうが、まあヴァラール魔法学院は魔法を教える『学校』なので当然ながらそういう仕組みもあるということである。
追試験対象者に選ばれてしまったリタはその時、頭の中にある人物の顔と名前が浮かんだ。
「――――!!」
「え、ちょ、ちょっとリタ!?」
慌てた様子で名前を呼ぶ友人を振り切り、リタは目的地を目指して全速力で駆け出した。
☆
今日のお昼ご飯である。
「ダイニング・ビーステッドが聖夜祭限定のメニューを出すんだよ。そんな訳でダイニング・ビーステッドに決定」
「それなら他のところも同じじゃんねぇ。圧政はよくないよぉ」
「反逆を起こしてもいいってこと!?」
「謀反♪」
「殿中ですよ、殿」
「ええい黙れ黙れお前ら!!」
期間限定のメニューを置くということで問答無用で本日の昼食の行き先を決めた問題児筆頭、ユフィーリア・エイクトベルに仲間たちから続々と非難の声が寄せられる。
他人の意見など丸無視した絶対王政である。非難が飛ぶのも止むなしだ。しかし仲間たちがどれほど非難を重ねたところでユフィーリアは「黙れ!!」と怒鳴りつけるだけであった。いつもは仲間の意見に耳を傾ける聡明な魔女だが、この時ばかりは女王様のようであった。
問題児の筋肉担当、エドワード・ヴォルスラムが「何でぇ?」と声を上げる。
「急にそんな女王様みたいなことを言われちゃうと興奮しちゃうんだけどぉ?」
「このクソドM、アタシはお前を喜ばせる為に言ってんじゃねえよ」
阿呆なことを宣うエドワードに一喝したユフィーリアは、
「実はダイニング・ビーステッドでビーフシチューが聖夜祭限定メニューで出るんだよ」
「それを先に言いなよぉ」
「いいよ!!」
「賛成♪」
「ダイニング・ビーステッドで決まりだな」
「お前ら愛してるわ」
数秒前までは非難轟々だった昼食の場所決めも、一瞬にして意見が翻って満場一致となった。これにはユフィーリアも思わず普段は口にしない言葉を口にしてしまう。
実はユフィーリアの好物がビーフシチューなのだ。特にダイニング・ビーステッドで聖夜祭の期間のみ登場するビーフシチューはユフィーリアのお気に入りで、毎年必ず食べているほど美味しい訳である。
女王陛下張りの絶対的な圧政を敷いていた理由は、まさにこの部分が原因である。こればかりはユフィーリアとて譲れないのだ。「じゃあ個人で食べればいいじゃない」という誰かの意見が聞こえてきそうだが、問題児は基本的に昼食は全員で食べることを決めているので1人飯はしない。
そんな訳で早速お昼ご飯に出かけようとする問題児だったが、
「ゆゆゆゆゆふぃ、ユフィーリアさん!!」
「ほわッ!?」
用務員室の扉が勢いよく開かれ、転がるように赤い何かが飛び込んできた。
誰かと思えば問題児の未成年組、ハルアとショウの友人であるリタだった。よく見れば頬には涙の跡が刻まれており、彼女の緑色の双眸はどこか潤んでいる。遠い場所にある用務員室まで走ってきた影響でおさげ髪も制服も乱れており、何があったのか容易に想像できる。
問題児の間の空気が変わる中、リタは真っ先にユフィーリアへ縋り付く。
「たしゅ、助けて、助けてくだしゃい……!!」
「どうしたリタ嬢、何があった!?」
逼迫した声音で助けを求めるリタを抱き止め、ユフィーリアは事情を問いかける。これはもう昼飯を食っている場合ではない。
リタの友人であるハルアとショウも表情が変わる。大人組であるエドワードや南瓜頭の美人、アイゼルネもリタの事情を聞く体勢を取っていた。ついでに言えば今すぐ元凶を取り除こうと飛び出しそうになる未成年組を押さえる準備の方も整っていた。
ユフィーリアに縋り付くリタは、ボロボロと涙をこぼしながら口を開く。
「じ、実は……!!」
「実は?」
「ま、魔導書解読学で赤点を取ってしまったんです……!!」
ズッコケそうな事情が、リタの口から語られた。
てっきりユフィーリアはこの慌て具合だからリタの身によからぬことでも起きたのかと思っていたのだが、大変なことは大変なことでも勉強方面に於ける『大変なこと』だったのだ。学生にとって一大事である。
そう言えば、リタは魔導書解読学の授業が苦手と言っていたことを思い出す。魔導書解読学は基礎のみ必修科目として時間割に組み込むことを必要としているのだ。魔法の授業は得意なことを伸ばすことに専念した方が危険性が少なくて済むのだが、必修科目だけは将来生きていく上で必要になってくる場面が多いので時間割に組み込まなければならない。
ユフィーリアは何とも言えない表情を浮かべ、
「リタ嬢、もしかして赤点を取ったのって必修科目の魔導書解読学の基礎の方か?」
「はいぃ……」
リタはべしょべしょと泣きながら、
「何とか、何とか授業にはついていけているとは思っていたのですが、期末考査の時に魔導書解読学の試験で赤点を取ってしまってぇ……」
「あー……」
ユフィーリアはこの前終わったばかりの期末考査の様子を思い出す。おそらくその結果が出て、リタは不運にも赤点で追試という結果になってしまったのだろう。
こればかりは問題児として何も出来ることはない。彼女自身の成績の問題である。その他の有象無象の連中の成績が下がるのはどうでもいいが、未成年組と仲のいいリタが進級できなくなるのは可哀想だ。
なので、
「リタ嬢、勉強しようか」
「い、いつもの問題行動は!?」
「問題行動に頼るんじゃありません。親御さんに顔向けが出来ません。ほら魔導書解読学の勉強なら教えてやるから、まずは昼飯食いながら詳しい事情と苦手な部分を教えてくれ」
「問題児なのに何で急に真面目になっちゃうんですかぁ!!」
「リタ嬢こそいつも真面目な生徒なのに、問題児の問題行動を期待するんじゃありません」
何故か問題児による問題行動で追試をどうにか中止に追い込めないかと画策するリタに一喝したユフィーリアは、とりあえずお昼ご飯を食べに出かけるのだった。
ユフィーリアとリタのやり取りの間、すっかり勢いが萎んだ問題児の仲間たちはそっと合掌するのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】魔導書解読学は読書家の影響で割と得意。魔導書は禁書(読んではいけない魔導書)を読んで司書のルージュからぶん殴られたことがある。
【エドワード】基本的に魔導書は魔法が使えないので、一般図書ぐらいしか読まない。魔法を使う必要のない中級の魔導書ぐらいは読む。
【ハルア】本を読んでいると眠くなるので後輩のショウに読み聞かせをしてもらう。
【アイゼルネ】変身系の魔導書や精神異常系の魔導書なら読むが、それ以外は読んでも分からないので手を出そうとしない。
【ショウ】用務員室にある中級の魔導書も読破した。かなりの読書家。
【リタ】ショウとハルアの友人である女子生徒。魔法動物に関する授業は優秀だが、魔導書解読学はちょっと苦手。