第8話【問題用務員と指揮官資格】
黒白の盤上を支配する駒が、ついに王を包囲して勝利を宣言する。
「チェックメイト」
「…………」
白魚のような嫁の指先がビショップの駒を摘み、黒白の盤上の上を滑るように移動させた上での宣告である。どこに動かそうとユフィーリアの王将は行動できずに終わった。
多少の知恵はあるし、チェスのルールも理解している。何なら身内で言えば勝率はかなりよかったはずだ。だと言うのに最強格の女王の駒をあえて使用せず、さらにルークの駒とビショップの駒をそれぞれ1個ずつ排除した敵軍に討ち取られるとは恐れ入る。
盤上を厳しい目で眺めていたユフィーリアは、諦めて項垂れた。
「参りました……」
「これで10勝だな」
ショウは、それはそれは楽しそうに笑って言う。
最愛の嫁の聡明さが一体どの程度のものなのかという考えに至り、ボードゲームやトランプなどを片っ端からやってみた結果がこれである。チェスは問題児4人でそれぞれ10戦ずつ挑戦して見事に全勝、トランプゲームはしれっと1位抜けをするぐらいにめちゃくちゃ強い。
特にチェスは「本来、駒落ちという規則はないのだがやってみたい」ということで自分からクイーンの駒などを封じてくる始末である。それでも勝てなかったのは単純にユフィーリアのチェスの腕前が弱かったから、という訳ではなさそうだ。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を口に咥え、悔しさを表すように吸い口をガジガジと噛む。こうしたって悔しさは紛れない。
「ショウ坊、強すぎるだろ。何でこんなに勝てないんだ」
「ふふふ、元の世界でも負けなしだったからな」
ショウはニコニコの笑顔でチェスの駒を片付ける。この腕前ならば無敗を誇るのも頷ける。
「まさか異世界でも駒落ちで連勝してたって訳じゃ」
「チェスでご飯を食べる人もいるからな。そう言った人には本気で挑ませてもらって勝ったぞ。なかなか楽しかった」
「今のお前、凄い輝いているよ……」
つまりあえて駒落ちなどという手法を選んだのは、手加減をする為のようである。ささやかな嫁の心遣いに涙が出てしまいそうになる。
ユフィーリアの後ろではエドワードとアイゼルネが頭を抱えていた。どうやらショウとユフィーリアのどちらが勝つかを賭けていたらしく、各々財布から取り出した1000ルイゼ紙幣をハルアに支払っていた。大人たちからお小遣いをもらえた暴走機関車野郎はホクホク顔である。
豚の顔が描かれたがま口にお小遣いを捩じ込むハルアは、
「そう言えば、この前受けた『指揮官資格』はどうなったの!?」
「今日が合格発表のはずだが……」
駒を綺麗に片付けたショウがそう告げる。
先日のポンコツ迷探偵が起こした愉快な推理対決を経て、ショウは『指揮官資格』というものに挑戦した訳である。簡単に言ってしまうと軍隊の作戦司令などを務める軍人に必要な資格である。
この資格を有していると、各国の軍事に於ける有力な椅子に収まることが出来る。当然ながら受験する人物は従軍している現役の軍人が大半で、より高位の資格を持つにはそれなりに難しい試験を突破しなければならないのだ。
ショウは首を傾げると、
「だが、指揮官資格を持っていると何かいいことはあるのだろうか」
「指揮官資格って言うのは持ってると『頭がいい奴』って思われる資格だからな。まあ損はねえよ、損は」
軍隊に於いて重要な指揮能力を発揮できるか否かの資格だが、重要なのは聡明さと判断力である。それらを計測する為に指揮官資格を獲得する連中も多いと聞く。資格保有者は総じて頭がいいことで有名だ。
当然だが、ユフィーリアとエドワードも有している資格である。従軍している訳ではないので何の役に立つか分からないが、とりあえず『上級指揮官』の資格を持っているだけで他の教職員から驚かれた経緯があるので持っていても損はなさそうだ。
ユフィーリアは清涼感のある煙を吐き出しながら、
「ここまで頭がよければそんなに難しい試験内容じゃなかったろ。今じゃチェスを何人抜いたかでどのぐらいになるか決まるんじゃなかったっけ」
「俺ちゃんは5人抜いたねぇ」
指揮官資格の中でも『中級資格』を有するエドワードが言う。
「ユーリは10人抜いたんでしょぉ」
「13人だ。14人目で飽きた」
あの時は本当に苦行だった。チェスを勝ち続ければいいのだが、10人を超えた辺りで飽きてきてしまったのだ。11人目、12人目と精神を押し殺して勝利を重ねたが、13人目に勝利したところでついに精神力が限界を訪れたのである。
それ以来、チェスをひたすらに勝ち続けなければならないという馬鹿みたいな指揮官資格など二度と受けないと誓ったのだ。資格更新時のみ書類のやり取りを交わすだけである。あんな苦行は死んでも御免である。
ショウは赤い瞳をパチパチと瞬かせて、
「連続で勝たなきゃいけなかったのか? 俺が受けた時は5人に勝って、それ以降は試験管の人が出てこなくなってきてしまったのだが」
「5人で打ち止めか? そんなことある?」
「あったんだが……」
ショウは自分の試験内容について不安を感じているようだった。連続で勝たなければならないというのに、まさか試験管が5人で打ち止めとは資格取得に誘っておきながら何という仕打ちだろうか。
そんなことを思っていたその時、トントンと用務員室の扉が叩かれた。
扉の向こうから聞こえてきたのは「お届け物ですニャー」という購買部の黒猫店長の声である。おそらく手紙でも持ってきてくれたのだろう。
「もしかして合格証かな!!」
「ワクワクだな」
未成年組は扉へ飛びつき、元気よく黒猫店長にご挨拶。あまりの元気のよさに黒猫店長が驚きを露わにしていた。
尻尾をぼわぼわに膨らませながらも、黒猫店長はショウに封筒を差し出す。封筒の表面にはレティシア王国の紋章が印字されていた。受験した指揮官資格の合否判定がようやく届いたのだ。
ショウが慎重な手つきで封筒を開けていく。ぺり、と封蝋が捺された封筒を開けて折り畳まれた羊皮紙を取り出し、中身を確認してからユフィーリアに勢いよく振り返った。
「合格だった!!」
「お、よかったな」
ユフィーリアはアイゼルネから温かい紅茶を受け取り、
「何級だった?」
「特級だ!!」
「ん?」
聞き間違いだっただろうか。今、ショウの口から特級という単語が聞こえた気がする。
視線を持ち上げると、彼が弾けるような笑顔で羊皮紙を見せつけてきた。
その紙面には今回の指揮官資格の合格を告げる文言、そしてその等級が記載されている。5人に勝利したのであれば中級程度が妥当であるはずなのだが、そこに並んでいたのは2文字の簡素な文字である。
――特級。
「ショウちゃん凄え!!」
「ふふふのふ、特級指揮官です。やったぜ」
同封されていたカードぐらいの大きさがある資格証を天高く掲げるショウを眺めながら、ユフィーリアは唖然とするしかなかった。
特級と言えば最上級の指揮官資格である。世界中に見ても100人も合格していない類のものだ。
それをたった5人に勝利しただけで獲得できるものだろうか。確かにショウは問題児の中でもダントツで聡明だが、その聡明さを見抜けるものか。
ユフィーリアは「まさか」と口を開き、
「ショウ坊が5人抜いたのって、特級の指揮官資格保有者か?」
「そうじゃないのぉ?」
エドワードが横から新聞を差し出してくる。
ユフィーリアが受け取った新聞は、レティシア王国で発刊されている新聞だった。ヴァラール魔法学院には様々な国で発刊されている新聞が流れ込んでくるので、世界中の情勢が知りたい放題である。
その新聞の最も大きな一面を飾っていたのは、レティシア王国の魔法軍隊のお偉方が頭を抱えている場面だった。煌びやかな軍服を身につけ、如何にも上に立つのに相応しい威厳のある見た目をしている。
その題名には『史上最年少の特級指揮官が誕生!? 現役特級指揮官が5人も敗北を喫する!!』とある。
「……ショウ坊ってめちゃくちゃ頭がよかったんだな」
「今更でしょぉ」
現役の軍人を頭脳で打ち負かしてきたにも関わらず、資格の凄さを理解していないせいで訳も分からずはしゃいでいる女装メイド少年に、ユフィーリアとエドワードは軽く戦慄するのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】指揮官資格は上級指揮官の資格を保有。チェスゲームはまあまあ出来るものの腕前は中の上程度。
【エドワード】指揮官資格は中級指揮官の資格を保有。チェスゲームはユフィーリアに教えてもらい、基礎的なものは大体学んだもののあまり上手ではない。
【ハルア】指揮官資格が保有できるほど頭がよろしい訳ではない。チェスゲームで駒で積み木をしてどのぐらい積めるか遊ぶぐらいだし。
【アイゼルネ】指揮官資格は持っていないが、チェスゲームは娼婦の時にお客さんと勝負した影響でそこそこ強い。
【ショウ】問題児の中でチェスゲーム最強。聡明な頭脳は数手先を予見するほど。ハルアの第六感と同じぐらいの確率で当たるには当たる。