第1話【異世界少年と殺人事件】
シェイブ・ホイットナーは名探偵である。
「ふう、食堂車で提供されるコーヒーはやはり最高だ……」
感慨深げに呟くこの男、シェイブは自分で認める名探偵である。
自分で認めているだけであって、他人から認められていない訳である。つまり自称であった。
七三分けに撫で付けた金色の髪、鼻の下に生やした特徴的な髭。理知的な顔立ちは如何にも『頭がいい』という評価をもらいそうなものだが、名探偵と自称するだけあってやはり馬鹿そうに見える。探偵を名乗るならまだしも『名探偵』であると自称してはいけないと思う。
「やはり香りがいい……最高の豆を使っているな……?」
「いえ、ただの特売のコーヒー豆ですが」
魔法列車の食堂車を利用する彼は優雅にコーヒーを嗜んでいたのだが、香り豊かな黒色の液体の匂いを嗅いで豆が云々などと言い出した辺りから食堂車の給仕に訝しげな表情をされていた。匂いを嗅いでも豆の良し悪しなど分からなかった様子である。
他に食堂車を利用する人物はおらず、シェイブは先程の恥ずかしい場面など知ったことではないとばかりに堂々とコーヒーを啜りながら一緒に注文したクッキーを齧る。ホロホロ生地のクッキーはコーヒーの苦味によく合っていた。
シェイブはふと窓の外を見やり、
「これだけ平和だと、事件も早々起こらないだろうな……」
窓の向こうを流れていく景色は、雄大な自然風景そのものだった。雪の降り積もる霊峰が連なり、冷たい水を湛えた湖が広がっている。すでに緑の葉は全て落ちてしまい、これから新しい生命が萌ゆることを考えると何とも素晴らしい気持ちになる。
魔法列車は転移魔法を駆使しながら都会の街並みや大自然の中を走る画期的な魔法兵器であり、シェイブもよく移動の際に利用する。世の中は魔法が発達して転移魔法などという無粋なものが移動手段の主流となっているが、シェイブはそんな便利さにかまけず魔法列車を利用することを良しとしていた。
食堂車の給仕として働く少女は、窓の外を眺めてしみじみと呟くシェイブを変なものでも見るかのような視線を送って従業員の先輩とコソコソ会話を交わす。
「あの人、どこまで乗るんですか? もう2時間は乗ってますよね?」
「魔法列車は切符さえ持っていれば延々と巡ることが出来るからね。あの人、魔法列車の発車終了まで乗ってるわよ」
「嘘でしょ、ぐるぐる回ってるってことですか?」
「おかしなものよね」
従業員が何やらコソコソと会話していても、シェイブは気にも留めない。ひたすら自分の世界に浸るだけである。
「お菓子お菓子!!」
「おやつおやつ」
「ショウちゃん、ハルちゃん。他の利用者さんもいるんだから静かにしてねぇ」
すると、列車の走行音しか聞こえなかったはずの食堂車に賑やかな声と足音が飛び込んできた。
シェイブが片眉を上げて食堂車の扉へ視線をやると、ちょうど男女の奇妙な3人組がやってきた。先客であるシェイブの迷惑など考えることすらなく、彼らが向かったのは給仕が取り仕切る焼き菓子を販売する売店である。
特に目を引くのが、天井に頭が届かんばかりに背の高くて人相の悪い男だ。硝子製の商品箱に食い付かん勢いで突撃する少年少女の襟首を引っ掴み、穏和な態度で給仕に目的の焼き菓子を注文する。その人相の悪さからか、給仕の少女は顔を引き攣らせていた。
事件を起こすとしたらああ言った男だろう、とシェイブが確信した瞬間である。
「きゃああああああああああああ!!」
絹を引き裂くような、甲高い女性の悲鳴。
その声が鼓膜を震わせると同時に、シェイブは素早く立ち上がった。立ち上がった拍子にコーヒーを満たすカップがひっくり返り、茶色い液体が机からこぼれ落ちる。食堂車の絨毯にコーヒーが染み込むより先に、シェイブは食堂車を飛び出していた。
嫌な予感はしていた。何故なら名探偵であるシェイブが、この魔法列車に乗っているからだ。探偵に平和な時間など訪れたことはない。シェイブが行く先々で事件が発生するのだ――と思い込んでいるだけである。
悲鳴が聞こえた方面に向かって客室の並ぶ廊下を駆け抜けていると、狭い廊下の上で座り込む女性を発見した。可哀想に、彼女は客室の様子を眺めて震えている。
「どうしました、お嬢さん」
「あ、ぁ……」
廊下に座り込む女性は、震える指先で客室を指差した。
「人が、人が……!!」
その言葉の意味は即座に理解した。
シェイブは客室に飛び込む。同時に噎せ返るような鉄錆の臭いが鼻孔を掠めたことで「うッ」と思わず声を漏らしてしまった。狭い個室にそれだけの臭いが充満しているのだから、もうこの臭いを発生させる原因は息をしていない。
手巾で口元を覆うシェイブが見たものは、壁に寄りかかって目を閉じる壮年の男である。首は無惨に掻き切られ、だらりと力なく投げ出された手には血に塗れたナイフが握られている。首から溢れ出た鮮血は男の着ているスーツやシャツにまで浸食しており、カッと見開かれた青い瞳に光はない。紛れもなく死んでいる。
「一体誰がこんなことを……!!」
陰惨な事件である。
しかし、幸いなことは魔法列車が走行中であったことだろう。つまり犯人はまだこの魔法列車内にいる。
取り逃がしてはならない。第2、第3の犠牲者が出てしまう前に、名探偵であるシェイブが捕まえるのだ。
「お嬢さん、頼みがあります」
「あ、は、はい……?」
震えた声で応じる女性に、シェイブは真剣な眼差しで言う。
「乗客を全員、食堂車に集めてもらいたい」
☆
「何だったんだろうね!!」
「さあ?」
「急いでいたしぃ、トイレか何かじゃないのぉ?」
コーヒーのカップをわざわざ放り捨ててまで食堂車を飛び出して行った男を見送り、問題児男子3人組のエドワード、ハルア、ショウはそれぞれ首を傾げる。
先客だったあの男の存在は見かけたことがないので、たまたま乗り合わせただけの乗客だろう。やたら気取った雰囲気でコーヒーを啜っていたが、先程の悲鳴が聞こえた途端に風のような速さで立ち去ってしまった。話を聞く余裕すらなかった。
今しがた飛び出した彼の詳細よりも、目的は目の前の硝子製のショーケースに売られている焼き菓子である。魔法列車の食堂車で販売されている焼き菓子はどれも美味しいので、毎度目移りしてしまうのが難点だ。本日は季節限定の焼き菓子も含め、ショウを誘惑させる甘味がずらりと待機している。
「うう、どれにしよう……!!」
「ショウちゃんはいつも悩むね!!」
「だってどれも美味しそうなんだ……!!」
ショーケースを右に左に移動しながらどの焼き菓子を食べようかと悩むショウ。季節の食材やそれらしい見た目を取り入れたクッキーやマフィン、季節限定とは違って新しく開発されただろう味のフィナンシェなど迷ってしまう。
こうして悩んでいるのが何やら可愛いのか、エドワードやハルアの用務員の先輩だけではなく食堂車で軽食などを提供する給仕のお姉さんも微笑ましげにショウを見守っていた。こぼれたコーヒーを掃除する給仕のお姉さんはぶつくさと文句を垂れていたが。
何十種類も置かれた焼き菓子の前をウロウロとうろつき、それからショウはようやく食べたい焼き菓子を注文しようと口を開く。
「え、一体何?」
「何か急に食堂車に集まれって……」
「何かあったの?」
「分からない」
「迷惑なんだけど」
その時、食堂車の扉が外側から開けられて、何やら大勢の乗客がゾロゾロとやってくる。唐突に利用客が増えて給仕のお姉さんも目を白黒させていた。
食堂車にやってきた乗客たちは、困惑と不機嫌な感情が綯い交ぜになった顔をしていた。食堂車へ行くようにと誰かに指示されたのだろう。落ち着いた雰囲気のある食堂車が、あっという間に20人前後の乗客で賑やかになってしまった。
唖然とする問題児男子勢3人組をよそに、コーヒーをひっくり返しながらも食堂車を飛び出したあの男が至極真剣な表情で戻ってくる。
「全員、お集まりいただいたようで感謝する」
慇懃な態度で礼を述べた男は、
「残念だが、この魔法列車の中で殺人事件が起きてしまった。今から犯人探しに協力してほしい」
ざわめく食堂車の様子など無視して、殺人事件よりも焼き菓子の行方に興味があるショウは普通に注文をしようと「すいません」と給仕のお姉さんを呼び止めた。
「焼き菓子の注文いいですか?」
「君、殺人事件が起きた列車内で普通におやつを注文するものではないぞ」
「うるさいですよ、髭。貴方に俺の行動を止める権利はありません。何様のつもりですか? 王様ですか? 裁判官ですか? それともご高名な魔法使い様でいらっしゃいますか? どれかに当てはまるのだったら氏名と身分を明かした上で『お願い』という態度を取るべきではないんですか俺と貴方はお友達でもなければ上司と部下の関係でもましてや先輩と後輩の関係でもないんですよ」
「な、何か凄い言い返してくるではないか君……」
おやつをお預けにされそうになったショウが怒涛の勢いで男を言い負かしたことにより、何とかおやつの注文許可が降りたのだった。
《登場人物》
【ショウ】魔法列車の食堂車は焼き菓子が美味しいので、むしろそれ目当てで列車に乗っている節がある。
【エドワード】高確率でショウとハルアから焼き菓子をねだられ、つい甘やかしてしまう。ユフィーリアの目がないと大体これ。
【ハルア】食堂車の焼き菓子はお腹に溜まるものを選びがち。マフィンとかドーナツとか大好き。
【シェイブ】自称名探偵。周りからは迷惑がられている。