第4話【問題用務員と熱暴走】
「ショウ坊、起きてる? 昼飯作ったけど」
天蓋付きベッドに引かれたカーテンを開け、ユフィーリアは風邪っぴきの様子を見る。
ちょうど起きたらしいショウは、もそもそと上体を起こして「食べる」と応じた。食欲はあるようで安心である。これで食欲がなくなってしまうとますます心配になってしまう。
お昼ご飯として用意したものは白麺だ。様々な場面で活躍する白麺だが、消化にもいいので風邪の際にも使用できる優れものである。あまり濃すぎる味は胃腸の調子を悪くするだけなので、普通に魚介類から取った出汁を使用した。
ほかほかと湯気の立ち上る陶器製の丼を受け取ったショウは、器用に箸を使ってちゅるちゅると白い麺を啜り始めた。さすがに麺類を「あーん」で食べさせる訳にはいかず、そのまま見守ることにする。
「ユーリ、ショウちゃん生きてる!?」
「うるせえ、静かにしろ」
「あい」
そこに後輩の病状が心配なハルアが襲撃してきた。今までショウの病状が心配なあまり様々な奇行に及んでいたが、ようやく落ち着きを取り戻したようで態度も普通に見える。ユフィーリアの叱責も素直に受け入れた。
寝室に顔を覗かせたハルアは全裸にもなっていないし、変な格好もしていない。病人を相手にいつもの調子でいくのは悪いことだと学んだ様子である。学んでくれて助かった。
ユフィーリアはハルアを手招きして呼び寄せ、
「ショウ坊が食い終わったら食器を回収して、昼間の分の薬を飲ませてやってくれ。アタシは洗濯物を干してくるわ」
「あいあい!!」
「もう少し声量を抑えろ」
元気よく返事をしたハルアに声量をどうにかするように伝え、ユフィーリアはその場から離れる。洗濯物など別に魔法でどうにかすればいいだけの話だが、先輩と後輩として仲のいいハルアとショウで積もる話もあるだろう。ハルアもさすがに病人に対して馬鹿なことはしないだろうし。
寝室から聞こえてくる会話に耳を澄ますと、ハルアがショウの体調を気遣うように「大丈夫?」とか「お風邪つらくない?」などと質問を投げかけていた。その都度、ショウが自分の体調の様子を伝えているので会話面は問題ないだろう。
これで何事も起きなければいいけど、とユフィーリアは密かに願いながら寝室をあとにした。
☆
ショウの昼食を作って少し時間が経過してからである。
「ふにゃああああああははははははほははははははは!!」
寝室から聞こえてきたショウの奇声に、ユフィーリアは思わず「うおお!?」と叫んでしまった。
昼食を終えたらしく、ハルアが回収してきた食器を洗っている最中の出来事だった。驚きのあまり取り落としてしまった食器を反射的に浮遊魔法で浮かせて叩き割ることだけは回避したが、食器を割る以上に大変なことが現在発生しているようである。
今の時間帯で言えば、ショウに食後の薬を飲ませている頃合いだろうか。渋っていなければ食後の薬も飲み終えて、大人しく寝ていると見ていい。考えたくはないが、ハルアがショウの睡眠を邪魔しただろうか。
ところが、
「ショウちゃんダメ!! 大人しく寝て!!」
「ふひゃははははははははは鳥さん、鳥さんだ鳥さんになれるぞおあひゃひゃひゃひゃ!!」
「ショウちゃん!!」
寝室から聞こえてくるドタバタ騒ぎに、只事ではない気配を感じ取った。
追加の生姜湯を作っていたアイゼルネも、夕飯用として身体に優しい献立を考えていたエドワードも互いの顔を見合わせていた。もう明らかに風邪の症状を改善させる為の薬品を服用したとは思えない気の狂い方だった。
食器を流し台に放り出し、ユフィーリアは慌てて寝室に駆け込む。勢いよく扉を開け放つと、悪夢のような光景が広がっていた。
「あひゃ、ひゃひゃひゃひゃ、うへへへへはへ鳥さんだ鳥さん、鳥さんになれるぞお、あはははひははははひゃひゃひゃひゃ」
「ショウちゃん寝よう!! おねんねしよう!! さっきまで大人しく寝てたでしょ!!」
天井付近で両腕をバタバタと暴れさせながら空中浮遊をするショウと、そんなショウの腰にしがみついて地面に引き摺り下ろそうとするも体重が足りずに一緒に宙ぶらりんの状態になっているハルアの姿とご対面した。これは一体何の地獄絵図だろうか。
熱によって顔を真っ赤にしたショウは、お目目ぐるぐるの状態でしきりに「鳥さん、鳥さん!!」とやけに楽しそうである。バタバタと両腕を振り回しているのも、自身が鳥になったような気分でいるのだろうか。
我に返ったユフィーリアは、
「ハル、お前まさか風邪薬とは違うものを飲ませたか!?」
「冤罪!!!!」
ハルアは心外なと言わんばかりに叫ぶと、
「ちゃんと風邪薬だもん、風邪薬を飲ませたもん!! そんでショウちゃんがおやすみしちゃって見張ってたら、急に飛び起きてこれだよ!!」
「ハルちゃんの言葉が正しいかもねぇ」
ショウのベッド付近を確認したエドワードが、空っぽになった小瓶をユフィーリアの眼前に示す。小瓶の中身として僅かに残っている液体は緑色をしており、グローリアが調合した風邪薬であることが判明した。
ならば、これは風邪を引いた際にごく稀に起きる幻覚症状だろうか。風邪薬の成分にはそのような効能もあると聞いていたが、まさか本当に起きるとは想定外である。偶然に偶然が重なってしまった。
その時、
「最速の鳥さんに、俺はなる!!」
「うぎゃあああ!!」
ハルアを腰に引っ付けたまま、ショウはびゅん!! とどこかに飛んでいく。寝室の扉を潜る際に遠心力か何かが働いたのか、腰からぶら下がっていたハルアを壁に叩きつけて振り落とすと、軛から解かれた鳥の如く奇声を上げながら飛び去った。
ほんの数秒、10秒足らずの出来事だった。あまりの事件に問題児筆頭をはじめとした歴戦の問題児が完全に置いてけぼりを食らった。もう呆然とするしかない。
ユフィーリアは「いやダメだろ!!」と叫び、
「エド、追うぞ!! アイゼはハルの介抱を頼む!!」
「はいよぉ」
「分かったワ♪」
壁と正面衝突を果たして気絶中の暴走機関車野郎をアイゼルネに介抱を任せ、ユフィーリアとエドワードは用務員室すら飛び出した風邪っぴきの新人を追いかける。
「おい何で飛べるんだよ、どこに冥砲ルナ・フェルノが出てる!?」
「窓の外ぉ!!」
「本当だ!?」
窓の向こうに姿を見せた歪んだ三日月の形をした魔弓――冥砲ルナ・フェルノが困惑するようにユフィーリアとエドワードに追随する。主人であるショウに呼び出されたのはいいが、どうして呼び出されたのか見当がついていないようだ。
ずるりと冥砲ルナ・フェルノの側面から、腕の形をした炎が突き出てくる。冥砲ルナ・フェルノに付随してくる炎腕もまた、混乱したようにワタワタと手首を振り回していた。本人たちも想定外の出来事に見舞われているようである。
高笑いしながら廊下の天井付近を飛ぶショウは、
「くけーッ!!」
一際大きな奇声を上げたかと思えば、冥砲ルナ・フェルノを校舎めがけて撃ち込んできた。
砕ける壁、弾け飛ぶ窓枠。廊下の壁を突き抜け、被害は一般の教室にまで至る。
当然ながら熱で暴走状態に陥ったショウの奇行の犠牲者となった生徒たちは、悲鳴を上げながら崩れた教室から飛び出してくる。「また問題児か!?」「今日は大人しかっただろう!?」と悲鳴が飛び交う。
このままでは校舎がいつぞやの時と同じように全焼する恐れが出てくる。地獄が再び訪れる前に、風邪っぴきの嫁をベッドに叩き込まなければならない。
「ショウ坊、戻ってこい!!」
「ショウちゃん、戻ってぇ!! 鳥さんにはなれないんだよぉ!!」
ユフィーリアとエドワードの2人がかりでショウに呼びかけるも、
「くけーッ、くけーッ!!」
「ダメだ本気で鳥になりきってる!!」
「何であんなおかしな幻覚を見ちゃうかねぇ!?」
両腕をバタバタと振り回し、完全に自由な大空を飛び回る鳥さんの気分に浸るショウの様子にユフィーリアとエドワードは頭を抱えた。
何としてでもベッドに叩き込みたいところではあるが、下手に動けばショウに怪我を負わせる羽目になってしまう。しかしこのまま呼びかけ続けても意味がない。怪我することを承知で魔法を叩き込むべきかとユフィーリアは逡巡する。
迷ううちに、ショウの奇行は第2射として移された。窓の向こうを漂う冥砲ルナ・フェルノに新たな炎の矢が番えられる。
「くけーッ!!」
雄叫びよろしく甲高い奇声を放ったショウが冥砲ルナ・フェルノの炎の矢を撃ち込もうとするが、
「止めなさい、ショウ」
涼やかな声。
それと同時に、天井付近を飛ぶショウと窓の向こうを漂う冥砲ルナ・フェルノに純白の鎖が巻きつく。魔法や能力などを無効化にする神造兵器『冥府天縛』だ。飛行の加護を無効化されたことでショウは重力に従って落下を開始し、冥砲ルナ・フェルノに番えられた炎の矢は霧散する。
そんなことが出来るのは、この世でただ1人だけだ。
「ん? やけに熱い訳だが、まさか風邪かね?」
ショウを受け止めたのは、装飾のない神父服を身につけた長身痩躯の男である。頭に乗せた髑髏のお面、艶やかな黒い髪は地面に届くほど長い。その顔は熱にうなされるショウと瓜二つだ。
「親父さぁん!!」
「キクガさぁん!!」
校舎全焼の危機から救ってくれたのは、ショウの実の父親であるキクガだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】謎の毒キノコを食って幻覚症状に見舞われたことはあるけど、今回のケースは本当に稀。
【エドワード】実は過去に、ショウと同じく熱による幻覚症状で鳥になりきって建物の屋根から飛び立とうとした。ユフィーリアに全力で止められた。
【ハルア】ちゃんと後輩が元気になるように、と風邪薬を飲ませた途端にこの症状。悪い薬かなって最初は思った。
【アイゼルネ】熱による暴走で「自分はショースターだ」と宣うや否やトランプを撒き散らして大惨事を引き起こした過去がある。
【ショウ】風邪を引いただけでも命の危機を覚えていた幼少期と違い、今度は誰かの命を危機に陥れる暴走具合を発揮。割と関係はない。
【キクガ】仕事でたまたま来ていたら何かやべえものに遭遇した。