第2話【問題用務員と看病】
「風邪ですね」
「風邪だね」
保健室から連れてこられた保健医のリリアンティアと、ヴァラール魔法学院の学院長であるグローリアは、ベッドに横たわるショウの症状を眺めて結論づける。
「この時期は風邪を引きやすいですので、お薬を飲んで安静にしていれば問題ないと神託を受けております」
「異世界人だから免疫がなくて当然っちゃ当然だけど、死に至るようなものではないから安心していいよ。風邪薬なら君でも処方できるでしょ。不安なら僕が調合するけどさ」
保健医と学院長の判断を聞き、ユフィーリアたち問題児はその場にヘナヘナと崩れ落ちた。
何せショウは異世界人である。異世界人ということは、ユフィーリアたちと身体の構造が全く異なっていると言ってもいいのだ。いくら見た目は同じで同じ釜の飯を食べているとはいえ、身体の構造が違っていれば病原菌に耐えうるかどうかさえも怪しい。実際、彼には魔力回路が備わっていないという相違点もある。
だが、ショウが患ったのは普通の風邪で、安静にしていれば治るという判断を受けて安堵はした。とりあえず生命の危機はないと分かれば上々である。
ユフィーリアは「よかったぁ」と胸を撫で下ろし、
「これで不治の病に罹りましたとか言ったら、世界を終わらせる自信があったわ」
「嫁の健康で軽率に世界を終わらせるの止めない? 巻き込まれるのはこっちなんだよね?」
グローリアはジト目で睨みつけてくる。そんなこと言われても、嫁のいない世界など存在する意味は果たしてあるのか。
「じゃあただの風邪として扱ってていいってことか?」
「そうですね。お部屋をあったかくして、消化にいいものを食べさせてあげてください」
診察を終えたリリアンティアは「果樹園から林檎を取ってきますね」と言い残して、用務員室から小走りで立ち去った。彼女の育てた林檎ならば栄養価も高そうである。
グローリアも特に興味を唆る症状ではなかったからか、やけに興醒めした様子で「じゃあ僕は風邪薬を調合してきてあげるね。大人しくしてるんだよ」と問題児に言い含め、用務員室から転移魔法で姿を消した。つまらなさそうな様子ではあったが、一応は風邪薬を調合してくれるらしい。何だかんだと気にかけてはいるようだ。
ユフィーリアはベッドに横たわるショウの手を握り、
「よかったな、ショウ坊。ただの風邪で」
「うう……」
ショウは熱に浮かされた赤い瞳を天井に投げ、
「今日から……購買部で、新作のお菓子出る、のにぃ……」
「治ったら食えばいいだろ。買っとくから」
「ハルさんとリタさんと、遊ぶ約束したの、にぃ……」
「治ったら遊べ、2人とも逃げねえから」
現にハルアは心配のあまりバタバタと居住区画内を駆け回って、エドワードにプロレス技を決められていた。あんな元気の塊がぶっ倒れるはずがない。
風邪のせいで情緒が不安定になっている嫁の頭を撫でてやり、ユフィーリアはショウの額に氷嚢を乗せてやる。氷の魔法が得意なので氷嚢作りなど会話の片手間に出来るのだ。
さて、目下の問題は朝食である。
「アイゼ、アタシは朝飯作ってくるからショウ坊を見ててくれ」
「ハルちゃんはどうすル♪」
「復活したらベッドに潜り込んでくるだろ。好きにさせとけ」
ベッドのすぐ側に魔法で転送した小さな椅子を置き、アイゼルネを見張りに配置させたユフィーリアは朝食作りに向かう。
必要なのはショウ用の病人食と、ユフィーリアたちの普通の朝食である。今日ばかりは食堂を利用するという病原菌を振り撒きにいくような問題行動は控えるべきだ。当たり前であるが。
☆
「ショウ坊、朝飯でき――うわ」
朝食である粥を作ってきたユフィーリアは、ショウのベッドに起きた異変に目を疑った。
仰向けで寝転がり、うんうんと熱にうなされるショウへ覆い被さるようにハルアがいた。しかもブリッジ状態である。いつにも増して意味の分からない行動は、後輩が初めて風邪を引いてしまったという混乱が表れているからだろうか。
見張りを任せたはずのアイゼルネは、ハルアの奇行を止めることなく全力で視線を逸らすだけにしていた。彼女ではこの問題児の暴走機関車野郎の奇行を止めることは出来なかった様子である。
ユフィーリアはため息を吐き、
「エド、ハルを連れ出してくれ。混乱して変な行動を起こされちゃ、おちおち看病も出来やしねえ」
「はいよぉ」
「あーッ!!!!」
ショウの上でブリッジをしていたハルアは、エドワードにあっさりと連れていかれた。本当に馬鹿野郎である。
ジタバタと暴れるハルアを見送ったユフィーリアは、見張りの役割をアイゼルネと交代する。アイゼルネは「おねーさんは生姜湯を入れてくるわネ♪」と入れ替わるように寝室から出ていく。生姜湯は風邪の際に飲むことで発汗を促し、熱を下げてくれる効果があると言われている飲み物だ。
空いた椅子に腰掛けると、ショウの熱で潤んだ赤い瞳がツイと投げかけられる。頭を動かした影響で額に乗せた氷嚢がずり落ちた。氷嚢の中身は少しばかり溶け出しており、温くなってしまっているので交換することを決める。
ユフィーリアは粥の器を掲げると、
「朝飯作ってきたぞ。食えるか?」
「ハルさんは……? 妖怪みたいなハルさんの幻覚が見えたんだ……」
「うん、確かに妖怪みたいなことをしてたけど、今は大人しく朝飯を食わせてるから」
熱に浮かされていても、ハルアの所業は妖怪みたいだと認識されちゃうらしかった。ブリッジで覆い被されば、そりゃそうなる。
「おかゆ……?」
「使えそうな米がちょうどなくてな。悪いがパン粥だ」
起き上がったショウに「こぼすなよ」と忠告してから器を渡してやる。
ユフィーリアが用意したのはパン粥だ。龍国粥でも病人食に適してはいるが、エドワードとアイゼルネが風邪の際にはパン粥が出てくる文化で幼少期を過ごしていた影響もあって『病人にはパン粥』という認識が植え付けられていたのだ。もちろん普通のお粥も作れるが、あいにく米を炊いている時間が惜しかった。
陶器製の器の中には小さく刻んだ白パンが、温められた牛乳に浸して柔らかく解されている。このままでは微妙な味になってしまうので糖分を取れるようにと苺ジャムも添えておいた。全体的に真っ白な色味のパン粥に、真っ赤な色合いが目を引く。
熱でぼんやりしているショウは器ごとユフィーリアに返却すると、
「あ」
「あー、なるほどな」
まるで「食べさせろ」と言わんばかりに口を開けてきた。
苦笑したユフィーリアは、スプーンでパンの欠片をすくうとショウの口に運ぶ。牛乳を彼の寝巻きにこぼさないように気をつけ、食べさせやすいように牛乳に浸されて柔らかくなったパンをショウの口の中に入れた。
口の中に転がってきたパンを、もきゅもきゅと咀嚼するショウ。しっかりと嚥下してから、またパカリと口を開く。その行動が妙に母性をくすぐる。まるで雛鳥に餌やりをしているようだ。
「美味いか?」
「んむ」
「そうか、美味いか」
「んぬぬ」
順調にパン粥を消費していくショウは、吐き出すような素振りがない。風邪っぴきではあるものの、吐き気の症状がある様子は見られないので食べられる時に食べさせるに限る。
「ユーリ♪ 生姜湯と学院長が風邪薬を持ってきてくれたわヨ♪」
「おう、これ終わったら飲ませるわ」
遅れて、アイゼルネが寝室に顔を覗かせる。その手には陶器製の薬缶と、硝子製の小瓶が握られていた。硝子製の小瓶には緑色をした液体が揺れており、明らかな薬品であることが窺える。
パン粥を「あーん」で食べさせてもらっている最中のショウの姿を目の当たりにし、アイゼルネが小さな笑い声を漏らす。いつも以上に甘えたな後輩の様子が面白くて仕方がないらしい。
柔らかく解されたパン粥を咀嚼中のショウは、アイゼルネが握っている風邪薬らしい小瓶を見つけるなり顔を顰めた。
「毒でしゅか……」
「お薬だ、ショウ坊。これ食べ終わったら飲むんだぞ」
「やだ」
表情全体で拒否の姿勢を突きつけるショウは、ダメ押しとばかりに「やだ」と再度言う。
「飲まない」
「飲まないと熱下がらねえぞ」
「やだ」
「やだ、じゃねえの。ちゃんと飲め」
「や」
「しょーうぼーう」
「むいむいむいむい」
薬を飲みたくないと駄々を捏ねるショウの頬をびよびよと伸ばし、何とか宥めすかして食事後に風邪薬を飲ませるのに30分は格闘することになるとはユフィーリアの知る由もない。
《登場人物》
【ユフィーリア】風邪を引いた時の病人食はかき氷。冷感体質なので身体を内側からも冷やす必要があるから。
【エドワード】風邪を引いた時の病人食はパン粥。母親が作ってくれた甘い奴がいい。
【ハルア】病人食代表のお粥は嫌いと明言しているのだが、何故か自分の記憶にある『お粥』とは違うものだと思っている。知っているお粥は灰色のドロドロとしたもので、ロウトを口に突っ込まれて食べるもの。
【アイゼルネ】風邪を引いた際の病人食はパン粥。エドワードとは違い、こちらはポタージュにパンを浸したもの。
【ショウ】風邪を引いた際の病人食はゼリー。元の世界ではよくゼリーを食べて乗り切った。
【グローリア】急に呼ばれたから何だと思ったらショウが風邪を引いたというので、一応は様子を見にきた。
【リリアンティア】ユフィーリアに要請され、用務員室を訪問。お友達のショウが風邪を引いたとのことだったのでお見舞いがてら様子を見にきた。