第1話【問題用務員と風邪】
――カチッ、カンカンカンカンカンカンカンカンカン!!
「おはうわ寒ッ」
「さむい」
「寒いワ♪」
「…………」
目覚まし時計が鳴り響いたので起き上がると、ヒヤリとした空気が肌を撫でた。思わず布団に逆戻りしてしまう。
カンカンと鳴り続ける目覚まし時計に手刀を叩き落として静かにさせ、銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは再び布団の中に潜り込んだ。寒すぎてまだお布団が恋しい季節が到来した証拠である。
他の問題児ももれなく寒さにやられて布団に逆戻りを果たした。先程まで「寒い」と叫んでいたのも束の間のこと、あっという間に静まり返る。これが通常の反応である。冬の風物詩とも言えよう。
普通に二度寝を決め込もうとした矢先のこと、ユフィーリアが包まっていた布団が唐突に剥ぎ取られる。
「はいおはよぉ」
「うぎゃあ寒い!!」
「さっさと起きなぁ」
「痛え!!」
布団が剥ぎ取られたかと思えば、今度はベッドから蹴り落とされた。背中に生じた強めの衝撃と、顔面で味わう羽目になった床の感触にユフィーリアは悲鳴を上げる。
ベッドに張り付きながらも何とか起き上がると、燦々と窓から差し込む朝日を背中で受け止めるエドワードがそこにいた。すでに着替えも済んでいる状態である。いつもなら大胆に開放した胸元が特徴の野戦服を着ているものの、さすがに肌を見せるつもりはないのか野戦服の下には首元まで覆い隠す黒色の肌着を身につけていた。
ユフィーリアから剥ぎ取った布団を丸めるエドワードは、
「顔でも洗ってきなよぉ。目が覚めるよぉ」
「お前、何でそんなに冬に強いんだよ……」
「そりゃあ出身地は北の方だからねぇ。1年の半分以上を寒い場所で過ごせば強くもなるよぉ」
恨みがましそうなユフィーリアの声に、エドワードは丸めた布団をベッドに放って次の獲物に向かう。
エドワードは冬に強い。銀狼族と呼ばれる獣人の一族だった彼は、寒い地域を転々と移動しながら過ごす移民であった影響で寒さには耐性が高いのだ。雪が降ればはしゃぐし、雪遊びも得意でハルアなんかも興奮気味に教えを乞うぐらいである。
だからどんなに寒かろうが朝にはパッと目が覚めるし、何なら寒い中でも毎朝の日課である校舎外周のランニングもするぐらいだ。ヴァラール魔法学院の周辺は辺鄙な大自然の中にあり、冬場は身体が凍りつくのではないかと錯覚するほど寒くなるのだが、そんなのお構いなしのようであった。
心地よい睡眠を邪魔され、ユフィーリアは仕方なしに起き上がる。枕元に置いてあった雪の結晶が刻まれた煙管を一振りして、着ていた寝巻きをいつもの黒装束に切り替えた。礼装を変更する際に冷たい空気が素肌を撫でたので、思わず「ひょえッ」という情けない声を出してしまう。
「ハルちゃんも起きなぁ、朝ご飯に遅れるよぉ」
「オレはお布団と結婚します!!」
「関係ないでぇす、はい起きなぁ」
「イッタァ!?」
その時、ビタン!! という音が寝室全体に響き渡った。
ユフィーリアが音の方へ視線を投げると、布団から無理やり引き剥がされたらしいハルアが床の上でのたうち回っていた。ベッドから蹴り落とされたユフィーリアも大概だったが、まるで洗濯物の皺を伸ばすかの如く布団を床に叩きつけて起こされたハルアも痛そうである。
陸地に打ち上げられた魚のようにビクビクと床の上で跳ねていたハルアだが、痛みから復活すると全身のバネを使って飛び起きる。さすが未成年組の1人である。復活が早い。
「何すんの!!」
「布団と結婚するとかほざくからじゃんねぇ」
「もっと優しく起こしてくれてもいいじゃん!! お兄ちゃんでしょ!!」
「ちゃんと起きない弟は兄ちゃん許しませんよぉ」
「ムキィ!!」
だんだんと納得いかずに地団駄を踏むハルア。こういう時は甘やかしてくれない兄代わりの先輩に苛立ちを募らせている様子であった。
彼ならばエドワードなど背後から奇襲すればぶち殺せるような戦力を有しているが、それを実行しないのはひとえに彼のことを殺したくないからだ。何と心優しい人造人間だろう。普段は暴走機関車だ何だと言われているが、ハルアも仲間内には面倒見がよく優しい子なのだ。
と思っていたが、
「エクスカリバーとヴァジュラだったらどっちがいい!?」
「頭をグーで挟まれたいのかクソガキ、とっとと顔洗ってこい」
「ぎゃん!!」
どうやら寝起きのおかげでそんな考えに至っていないだけだったようである。自分に神造兵器という強い味方がいると理解した瞬間、その手段を容赦なく選んできて拳骨を脳天で受け止める羽目になっていた。ハルアは哀れ、再び床をのたうち回る運命を辿った。
エドワードは次いで、アイゼルネに狙いを定める。乱暴な方法で叩き起こしにかかるのはユフィーリアとハルアだけで、アイゼルネとショウにはベッドから蹴り落としたり布団から引き剥がしたりしないのである。何だろう、この差別。
現に、エドワードはアイゼルネの包まった布団を引き剥がすと「アイゼぇ、起きなぁ」と言いながらポンポン叩くのみである。ユフィーリアのことはベッドから容赦なく蹴り落としたと言うのに、この扱いである。納得できないので、あとで尻に氷柱でも刺してやろうかと画策する。
「ショウ坊、起きろ。エドに襲撃されるぞ」
ユフィーリアは最後の1人である最愛の嫁、ショウの眠るベッドに近づいた。
仕切るように閉ざされた天蓋付きベッドのカーテンを開くと、彼はすでに上体を起こしていた。ただぼんやりと赤い瞳を虚空に投げかけるだけで、起動までには時間がかかりそうである。
ショウは寝起きが非常に悪く、朝にも弱いのだ。寝るのは早いが起きるまでに時間を要する。思考回路が動き出すまでもう少しといったところだろうか。
ところが、今日はちょっと事情が違った。
「けほッ」
ショウの口から咳が飛び出た。
「ショウ坊?」
「ゆふぃ、けほッけほッ」
ユフィーリアの名前を呼ぼうとした矢先、ショウが咽せる。
どう考えても異常である。そういえば、声も覇気がなくてぼんやりしており、顔も赤い気がする。
頭を揺らすショウの額に手のひらを当てると、いつもなら温かな彼の体温が今日に限って非常に熱い。『冷感体質』を患った影響で冷気が身体に溜まるようになったユフィーリアだったら、火傷をするような勢いの熱さだった。
「あっぢィ!?」
「ユーリどうしたのぉ?」
「ショウちゃんに冥砲ルナ・フェルノでも食らった!?」
「『お邪魔しないで』って言われちゃったかしラ♪」
すでにエドワードの暴挙によって叩き起こされた問題児が、次々とショウのベッド周辺に集まる。
あまりの熱さでぼんやりした様子のショウに異常を感じ取ったのか、エドワードがユフィーリアと同じように額へ手のひらを当てて、ハルアはショウの首元に両手を添える。アイゼルネは豊満な胸元から細長い物体、――内部に嵌め込まれた魔石の色によって体温を計測する『魔石体温計』と呼ばれるものを取り出した。
硝子製の棒の内側には、何種類かの魔石が閉じ込められている。通常で言えば黄色や橙色の魔石の部分で止まるようになっているが、果たして結果はどうだろうか。
「ショウちゃん、これちょっと咥えてみテ♪」
「?」
硝子製の棒の先端をショウに咥えさせるアイゼルネ。
言われるがままに棒の先端を咥えたショウ。その体温が計測されて、見る間に魔石が色を変えていく。
平熱を告げる黄色や橙色の領域を華麗に突破し、ついに到達したのは真っ赤な魔石の領域である。赤色の次は深紅になるのだが、どうやら深紅の領域に到達する寸前で計測の終了を告げるように変化が止まった。
ショウの口から魔石体温計を引っこ抜き、アイゼルネが計測結果をユフィーリアに見せてくる。これはもしかしなくても、あれである。
「風邪だな」
「風邪だねぇ」
「風邪だね!!」
「風邪だワ♪」
「かぜぇ……」
ぺちょり、とショウはベッドに倒れ込む。
超健康優良児と呼ばれる問題児の中で風邪っぴきが出るとは、まあ、あるっちゃあるので慌てることはない。
問題は、彼が異世界出身者ということだ。この世界の病原菌が、彼自身にどんな影響を与えるか分かったものではない。最悪の場合は、風邪だけで死に至る危険性があるかもしれないのだ。
「リリアーッ!!」
「学院長おーッ!!」
「ショウちゃん生きて!!」
「死んじゃ嫌ヨ♪」
「まだしんでにゃい……」
用務員の最年少の後輩に危機が訪れ、ユフィーリアたち問題児は慌てて看病に乗り出すのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】風邪はここ最近引いていないが、もし引くと元気がなくなるし喋らなくなる。長引かない。
【エドワード】風邪はここ最近引いていない。長引くので引きたくない。もし引くと不安から泣き出す。
【ハルア】風邪とは無縁の元気ボーイ。風邪とは?
【アイゼルネ】風邪はここ最近引いていないが、風邪を引くとユフィーリア以外は面会謝絶になる。
【ショウ】今回初めて風邪を引いた。お熱でぼんやり。