第8話【冥王第一補佐官とエイクトベル家】
以前、キクガはユフィーリアの台帳を見たことがある。
「エイクトベル家、嫡男……?」
生前からの記録を読んで衝撃を受けたのが、あの彼女が元々男性であったことだ。
ユフィーリア・エイクトベル。
遥か昔に存在した名門魔法使い一族『エイクトベル家』嫡男にして、次期当主。本来の姿は黒髪黒眼で背の高い筋肉質な男性だが、現在の姿は『終わりの女神エンデ』に憑依した影響でもたらされたものである。憑依の際に記憶領域に損傷があり、自分自身が男性だったという過去の記憶全てが消え去っている。
父親の名前はオルトレイ・エイクトベル。母親の存在はなし。父親のオルトレイが男体妊娠によって彼を出産した。兄弟姉妹の有無は姉が6人、彼女たちは魔法を学ぶことなく一般の軍人と結婚して天寿を全うしている。
魔法を引き継いだのはユフィーリアのみで、学校などに通うことなくほとんど独学。得意な魔法は属性魔法だが、特に氷の魔法を扱った。その為、冷気が身体に溜まる体質『冷感体質』を発症し、身体から冷気を吸い上げる魔導具が必須となる。
特筆すべき点は、
「エイクトベル家は当時最強と呼び声の高い魔法使い一族であり、魔法と物理攻撃を融合させた特殊な戦い方が特徴的。戦闘に特化した魔法使い一族は他を凌駕し、こと戦闘においては常勝無敗を誇る。――なるほど」
キクガは納得したように頷く。
元より彼女自身の身体能力は高いと思っていたが、血筋が関係してきているようだ。一般的な魔法使いや魔女は身体能力が低く運動音痴な者が多いが、戦闘に特化したエイクトベル家は卓抜した身体能力を持っていたらしい。
加えてユフィーリアの場合、女神の肉体という頑丈さと保有魔力量の豊富さの加護もあるのだろう。彼女が『最強』と呼ばれ、恐れられる理由も分かる気がする。
そうなると、気になる部分がある。
「ユフィーリア君は果たして、どれぐらい強いのだろうか……」
父親のオルトレイは、レティシア王国で語り継がれる伝説の魔法軍隊『永虹盟血騎士団』の隊長および指導官を務めた人物だ。その強さは現在でも破られることがないと言われている。
そんな人物から直々に魔法と体術、その他諸々の手解きを受けて次世代最強を望まれ、さらに数千年にも渡って頂点の座に君臨するユフィーリア・エイクトベルの強さとはどれほどだろうか。想像は出来ない。
ユフィーリア・エイクトベルの台帳を閉じたキクガは、
「試してみたい訳だが」
さて、その機会が訪れるのはいつになるだろうか。
☆
目を引く美貌が引き裂けるような笑みを見せたユフィーリアに、キクガは背筋に冷たいものを感じていた。
(これがエイクトベル家の次期当主、次世代最強の座を望まれた威圧か)
狙撃系魔銃を持つ手がかすかに震える。
彼女の身体能力の高さは記憶にあるが、それでも『身体能力が高くて強い』という認識止まりだ。化け物じみた強さはキクガの知るところではない。
常々ユフィーリアの実力を確かめたいと思っていたが、まさかこの時に限って機会が訪れるとは予想外だ。そして全身でヒシヒシと感じる彼女からの威圧に押されているのも事実だった。
「あは」
ユフィーリアの桜色の唇から、楽しそうな笑い声が漏れる。こう言っては失礼だろうと自覚はあるが、さながらそれは化け物の鳴き声のようであった。
「――覚悟しなさい」
キクガは狙撃系魔銃を射出する。
澄み渡った空に響き渡る銃声。銃口から放たれた大量の真っ赤な塗料は、それだけで相手を退場させるほどの威力を誇る。狙撃系魔銃は広範囲にも及ぶ射程と高い攻撃力が特徴だが、撃てば再装填まで時間がかかるのが問題である。
射出された塗料は凄まじい速度でユフィーリアめがけて飛んでいくものの、彼女はべたりと伏せるようにして塗料を回避した。彼女の後頭部を通過した塗料の弾丸は弧を描いて落下し、地面を赤く濡らす。
伏せたユフィーリアは低い姿勢を維持したまま、キクガに突っ込んでくる。まさに一陣の風のようであった。銀髪を靡かせて懐に潜り込んだ彼女は、キクガの足に自らの足を引っ掛けてくる。
「くッ」
足払いをかけられ、キクガの身体は背中の方に倒れそうになる。
無様に尻餅をつく寸前に地面へ手をつき、バク転の要領でユフィーリアから距離を取った。膝を屈伸させて着地を果たすものの、すぐ目の前にはユフィーリアがいる。
彼女の持ち上げられた右足が鞭のようにしなる。ちょうどしゃがみ込むキクガの側頭部を狙って振り抜かれた回し蹴りを、かろうじて左腕を掲げて受け止めた。
「まさか、ここまッ――!?」
彼女の回し蹴りを受け止めたのも束の間、顎に強い衝撃を受けてキクガは背中を仰け反らせる。
回し蹴りを受け止められたことで、彼女は身体を支えている左足を器用に使って爪先を叩き込んできたのだ。右足を受け止められ、身体を支える足を持たないにも関わらず、跳躍をするように蹴りを叩き込んでくるとは無茶だ。
顎を蹴られた激痛で悶絶するキクガは、背中から地面に叩きつけられる寸前で後転の要領で転がって体勢を立て直すユフィーリアの姿を認識する。このままでは相手にもならずに負ける光景しか見えない。
「あれ、は……!!」
キクガが視線を巡らせると、障害物の影に連射系魔銃が転がっているのを発見した。確かあれはアイゼルネが使用していたものだろうか。撃破されてからこんな場所に魔銃が転がっているとは運がいい。
急いで連射系魔銃に手を伸ばし、照準も何もなくユフィーリアに向けて引き金を引く。ダダダダダダ!! と連続で真っ赤な塗料が射出され、銀髪碧眼の悪魔に襲いかかる。
ユフィーリアは青色の瞳を瞬かせ、それからすぐ近くにあった障害物の影に消えていく。誰もいなくなった無人の空間を真っ赤な塗料弾丸が虚しく通過するだけだった。
「はあ、はあ……何という強さだ……」
キクガは連射系魔銃に装填された塗料の残量を確認しつつ立ち上がる。
まさかこれほど強いとは思わなかった。彼女の戦う場面は何度か見かけたことはあるものの、全て彼女なりに手加減をしていたという訳か。あんなに強くて秒殺されないだけ、キクガもまだまともに動けているのか。
いや、どうだろう。もしかしたら手加減をされているだけかもしれない。あんなに狂気的な笑顔を振り撒きながら手加減をするだけの理性を残しているとは恐れ入る。彼女の内面など推し量ることは出来ない。
とりあえず体勢を立て直すべきかと考えるも、背骨から突き刺さるような殺気にほぼ反射で振り返る。
「ッ!?」
キクガは息を呑んだ。
いつのまに回り込まれたのだろうか。背後に伸びる一直線の道を、ユフィーリアが真っ直ぐに駆けてくる。彼女の持つ軽量系魔銃は未だに使用される様子はないが、この調子ならば間違いなく撃ってくる。
すぐさま連射系魔銃を握り直し、ユフィーリアめがけて引き金を引く。連続する銃声が鼓膜を叩く。連射される真っ赤な塗料が、ユフィーリアを射抜こうと襲いかかる。
が、
――タタタタッ、タタタタタッ!!
軽い銃声。
ユフィーリアが握りしめていた両手の軽量系魔銃が奏でる音である。射出された真っ赤な塗料はキクガが連射系魔銃から撃った塗料と衝突し、パッと弾けて双方共に消える。
事前に知っていたのは、ユフィーリアがノーコンだという情報だった。投げたものがあらぬ方向に飛んでいくことを、彼女は密かに気にしていた。その為、投擲する際には自動追尾魔法を使って必ず当たるように細工をしているらしい。
いや、もしかしたら銃火器になると関係ないのかもしれない。狙いがつけられればいいのだから。
「考え事か?」
「わッ」
目の前にまで肉薄してきたユフィーリアは、右手に握った軽量系魔銃をポイと放り捨てる。手を自由にした状態で掴んできたのは、キクガの腕だ。
何をするのかと思えば、右腕1本で身長差がかなりあるキクガの身体を投げ飛ばしたのだ。ぐるん、と視界が入れ替わる。背中から貫く痛みにキクガは呻き、しかしすぐに応戦すべきだと連射系魔銃をユフィーリアに突きつける。
そして、自分の顔に照準する軽量系魔銃の銃口とご対面を果たした。逃がさないようにとキクガの身体を跨ぐユフィーリアが、それを静かに突きつけていた。
「はッ、はあ……」
「…………」
キクガは肩で息をする一方、ユフィーリアは呼吸を乱すことすらない。冷徹な眼差しでキクガを見据えている。
「空っぽの玩具でも挑もうとするのは褒めてやる」
「……気づいていたのかね」
「悪いな、目がいいもので」
口の端を吊り上げて笑うユフィーリアに、キクガも笑い返す。
「君は、どうしてそこまで強いのに普段から本気を出さないのかね」
「大抵は何でもそつなくこなせるようになると、全部がつまらなくなる。アタシは面白いことしかしたくない主義だからな」
「そうか」
キクガは塗料の残量がなくなった連射系魔銃を放り捨てると、
「私との戦いは、楽しかったかね」
「期待以上だったよ、親父さん」
ユフィーリアが軽量系魔銃の引き金を引く。
液体が上半身を容赦なく叩き、それから視界がパッと切り替わる。そこは試合会場とは対照的に閉鎖されており、どこかの部屋であることが窺えた。
遠くの方で聞こえる歓声は、最終的に勝利をもぎ取ったユフィーリアを祝福しているのだろう。確かに彼女は強かった。紛れもなく最強だった。
気怠さに任せて寝転がるキクガは、少しばかり悔しさを滲ませて呟く。
「勝てなかった訳だが」
戦闘に特化した魔法使い一族、エイクトベル家。
その才能の片鱗を目の当たりにしただけでも、キクガは満足していた。
《登場人物》
【キクガ】頭脳明晰、身体能力抜群の完璧お父様。冷静な判断を下せるほど落ち着き払っているが、反射神経などは全体的に人並み。ただ容赦はないので始末する時は始末する。今回はユフィーリアの実力が知りたいから煽った。
【ユフィーリア】卓越した戦闘技術を持つ魔法使い一族『エイクトベル家』の元・次期当主。現在では廃止されている。記憶はないが身体に、魂に刷り込まれた戦闘技術は継承されており、女神の肉体の加護もあって簡単に人間の枠を超越してくる。