第13話【とある画家と報復】
「ご機嫌麗しゅう、お客様ァ!! この度は我が傑作をお買い上げいただき、誠にありがとうございます!!」
ウィリアムズ・ペテロシア・アームズフレッグスが訪れたのは、かの有名な魔女・魔法使い養成機関『ヴァラール魔法学院』である。
舞台役者のような背の高いシルクハットに燕尾服、鼻の下で整えたくるんとカールした特徴的な髭が目を引く。ウィリアムズは画家ではあるが、こうして自分の作品をお買い上げしてくれた客の元へ訪れる際にはお洒落に気を使うのだ。
そして今回、絵を買ってくれた客というのが名門魔法学校の学院長にして、世界的にも有名な七魔法王が第一席【世界創生】――グローリア・イーストエンドである。よもや七魔法王に絵を買ってもらえるようになるとは鼻が高い。
「我が作品はお楽しみいただけましたかね? あの絵は私の絵の中でもとびきりの傑作でしてな」
「…………」
「おや?」
反応がなかった。
名門魔法学校を統治する学院長が使うに値する執務室に足を踏み入れ、ウィリアムズはキョトンとした表情を見せる。先日、確かに購入してもらったばかりの絵を梱包せずに転送魔法で送り込んだが、はて間違いだっただろうか。
立派な調度品で統一された学院長室は広々としており、絵のアトリエとして使うことが出来たのであれば個展でも開けそうな勢いがある。個展を開く為の部屋として使わずともかなりの数の作品を並べることが出来るだろう。それだけ画家であるウィリアムズには縁遠い部屋だ。
その部屋の主人は、ポカンとした表情で執務机に向かっていた。唐突に訪問したウィリアムズの存在に驚いている様子だった。
「あのぅ、学院長殿? 私、先日絵を購入していただきました……」
「何でここにいるの!?」
「ほわぁ!?」
絵を購入していただいたお客様ことグローリアに悲鳴を上げられ、ウィリアムズの心臓が跳ねる。
確かに相手の予定を聞かず、わざわざ訪問するのは間違えていた。名門魔法学校の学院長は授業に魔導書の執筆作業にと多方面で活躍する有名な魔法使いであり、多忙であることを考慮するべきだったのだ。今まで絵を購入していただいた客は金を持て余した暇人ばかりだったので、彼らと同じ扱いをしてしまったのがそもそもの間違いである。
ドキドキと逸る心臓を押さえるウィリアムズは出直すことを伝えようと口を開くが、
「ダメ、今すぐ帰って!! ここにいると危険だから!!」
「き、危険? そんなに危険な魔法でも取り扱って」
「違う、君自身が危険なんだ!! このまま君が学院を訪問したことが彼らに知られればまずいことになる!!」
椅子を蹴飛ばさん勢いで立ち上がり、グローリアは大股でウィリアムズに歩み寄る。彼の手に持っているのは白い革表紙が特徴の魔導書だ。手元を覗き込んでみたが、頁は真っ白い。文字の1つもないのだ。
それにしても、この反応は想定外だ。ウィリアムズは自分自身が危険だと思うような行動はしていない。思い当たる節がまるでないのだ。
それがどうしてこんな態度の結果を招くようになってしまったのか。皆目見当もつかないままグローリアに手を引かれ、ウィリアムズは混乱するばかりである。
すると、
――キィ、
蝶番の軋む音が、背後で聞こえてきた。
思わず背後を振り返ってしまう。
学院長室に用事があったのだろうか。ただの画家で、客の元にお礼を言うだけの為に訪問したウィリアムズは、仕事の邪魔をしないように立ち去った方がよかったのかもしれない。
しれない、のだが。
「…………」
僅かに開かれた扉の隙間から、垂直に誰かの頭が覗いていた。
覗いているのは頭部のちょうど半分程度、目元の辺りぐらいまでである。垂れ落ちた黒髪は艶やかで、瞳を縁取る睫毛は影が落ちるほど長い。全貌は見えないが可愛らしい部類の顔立ちではある。
ただ、その瞳が何とも恐ろしかった。この辺りでは見ない、夕焼け空を溶かし込んだ双眸に光はなく、底なしの茜空に突き落とされそうな印象がある。じいっと静かにウィリアムズを見据える冷たい赤眼に、思わず唾を飲み込んでしまった。
顔の上半分だけを覗かせるその誰かは、
――シャキン、
自身の顔の横で、文具用の鋏を鳴らす。
「え……?」
ウィリアムズが声を漏らすと、扉の隙間から顔を覗かせていた誰かは音もなく顔を引っ込める。パタンと扉を閉ざした。
あれは何だったのだろうか。もしかして扉の向こうで出待ちされているのか。
文具用の鋏を鳴らすということは、ウィリアムズを明確に敵として認識している模様である。学院長室から立ち去ったところを見計らって襲いかかってくる算段か。
冷や汗を流すウィリアムズに、グローリアは「ほら来た!!」と叫ぶ。
「今すぐ帰らなきゃダメな理由がこれだよ!! 彼が来たんだ!!」
「か、彼? 見るからに可憐な少女のようだが……?」
「実は彼なんだよ、女の子みたいに見えるけど危険極まりない人物なんだ。君の絵に引き摺り込まれた子がいて、ああもう詳細は省くけれど危険だから帰ってお願いだからぁ!!」
グローリアは右手を掲げ、転移魔法をウィリアムズにかける。
ウィリアムズが何かを言うより先に、視界が切り替わる。絢爛豪華な名門魔法学校の学院長室から一転して、見覚えのある絵がそこかしこに掲げられたウィリアムズのアトリエが広がっていた。転移魔法の座標をあっという間に割り出すとは、やはりさすが偉大なる魔法使いと呼ばれし七魔法王の第一席【世界創生】だ。
カーテンが閉められて薄暗いアトリエには、イーゼルが乱立している。設置されたキャンバスに描かれている絵はどれも途中のものばかりだが、幽霊を想起させる恐ろしい内容だった。魔法絵画専用の画材で描かれているので、キャンバス上に鎮座するお化けたちは作者のウィリアムズに視線を投げかける。
自身の作品を一瞥したウィリアムズは、アトリエの隅に置かれた帽子かけに背の高いシルクハットを引っかける。
「一体何だと言うのだ……」
あれほど騒ぐような問題だろうか。
ウィリアムズの脳裏に刻み込まれた、黒髪の名前も知らない人物の様子を思い出す。女の子のように可憐でありながら、夕焼け空を溶かし込んだかのような瞳は感情が抜け落ちていて背筋が凍えるような感覚を覚えた。耳朶に触れる鋏を擦り合わせるような音も、まだ鼓膜にへばりついているようである。
幽霊にしては生気を感じさせる。人間と捉えるには雰囲気が恐ろしい。ウィリアムズの見たことのない系統の人間である。果たして人間と表現してもいいものか。
ニヤリと口の端を吊り上げたウィリアムズは、
「いや、ちょうどいい。次の題材はあの名前も知らぬ何某だ」
彼のような存在は、恐ろしい絵を題材に取り扱ってきたウィリアムズのような画家にとってうってつけである。そう考えれば絵のアイディアも不思議と湧き出てくるものだ。
筆記具を探してウィリアムズはアトリエを見渡す。絵の具が飛び散った床板の上に鉛筆を発見して手を伸ばした。早くあの脳裏に焼き付いた名前の知らない誰かを描き写さねばならない。
鉛筆に向けて伸ばされた手が、不意に止まった。視界に見覚えのない革靴の先端が映り込んでいた。
「…………」
屈んだ体勢のまま、ウィリアムズは顔を上げる。
薄暗いアトリエの中、乱立するイーゼルの群れとキャンバスたちの間に佇むメイド服姿の人間が立っていた。
固まるウィリアムズを静かに見下ろす、感情の読めない赤い双眸。艶やかな黒髪は背中を流れ、長いスカートが特徴の古風なメイド服を身に纏っている。指先までピッシリと揃え、頭頂部で王冠の如く飾られた純白のホワイトブリムがメイドらしさを添える。
いつから、という疑問は頭からすっぽ抜けた。
「ひいッ」
上擦った悲鳴を漏らしたウィリアムズは、その場で尻餅をつく。
部屋に入ってくる雰囲気がなかった。転移魔法を使うような気配さえ。
では、一体どこからこのメイドさんは入ってきたのか。
後退りをするウィリアムズは、何かに背中をぶつける。反射的に視線を天井に投げると、赤茶色の髪と琥珀色の双眸を持つ少年がウィリアムズの顔を覗き込んでいた。
「あああああぁぁああ!?」
情けない声が自分の口から迸る。
黒髪赤眼のメイドさんは、ゆっくりとウィリアムズに歩み寄る。そして目線を合わせる為に絵の具が飛び散った床にしゃがみ込んだ。
光の差さない赤い瞳が、ウィリアムズを真っ直ぐに射抜く。真っ赤な双眸は洞窟のように深く深く、ウィリアムズの精神を深淵に引き摺り込もうとする。
「貴方が最近、学院長に劇型魔法絵画なるものを売った画家さんですか?」
メイドさんの桜色の唇から紡がれるのは、少年特有の低く涼やかな声。なるほど、確かに『彼』と呼ぶに相応しい。
「ぇあ、あ?」
「貴方にお願いがあって来たんです」
朗らかに微笑むメイドさんに、ウィリアムズは間抜け面を晒すばかりだ。
「貴方は絵の販売方針として、お客様に驚いてほしいが故にわざと梱包をしないで転送魔法にて絵を運び入れているようですね。あの販売方針を取り止めていただきたいんです」
「え、は?」
ウィリアムズは状況が読めず、瞬きをする。
確かにウィリアムズは、絵を販売する時に梱包をせず転送魔法で客の元に送りつける販売方針を掲げている。それはひとえに、客に驚いてもらいたいが故だ。独特な販売方法のおかげでウィリアムズは今も画家として生活費が稼げている訳である。
その販売方針を、変更しろというのは酷な話だ。販売方針を変更して生活が出来なくなれば、一体誰が責任を取ってくれるのか。目の前のメイドさんが生活費を負担してくれるのか。
理不尽な要求に、ウィリアムズはメイドを睨みつける。
「ふざけるな。絵の販売方針を変えることは」
――シャキン、
ウィリアムズの右頬に、ピリッとした痛みが生まれる。
メイドさんが突き出した鋏の先端が、ウィリアムズの頬の皮膚を裂いていた。切れた頬から血が流れ出し、濡れた感覚が伝わってくる。
他人を傷つけることを躊躇わない手つきである。ウィリアムズの脳味噌が警鐘を鳴らす。「彼はとんでもない人物だ」と。
「俺の旦那様、お化けが苦手なんです。ちょっぴり怖がりなんです」
ひたり、とメイドさんは冷たい鋏の刃を、ウィリアムズの血に濡れた頬に押し付けてくる。
「そんな旦那様がですね、貴方が学院長室に送りつけた絵に巻き込まれたんです。それはそれはとても怖い思いをしたそうですよ。貴方がちゃんと梱包さえすれば巻き込まれなかったはずなのに」
メイドさんはそうして、フッと顔から朗らかな笑みを消し去った。
「『はい』以外の回答をしてみてください。次の瞬間、貴方は冥府の法廷に立っていることでしょう。痛くて苦しい呵責の毎日を送りたいですか?」
身体の芯まで冷える殺意を耳から捩じ込まれたウィリアムズは、堪らず悲鳴じみた声で「はいいいいい!!」と叫んでいた。
☆
一方その頃、用務員室。
「……なあ、ショウ坊とハルはどこに出かけたんだ?」
「さあ?」
「野暮用だって言ってたわネ♪」
朝から外出した未成年組のハルアとショウの行先を聞いていなかったユフィーリア、エドワード、アイゼルネの3人は「まあいっか」と思考を放棄する。どうせどこかで遊んでいるのだろう。
彼らがとある画家を脅し、販売方針を変えたことなどは知らないのである。知らないったら知らないのだ。
《登場人物》
【ウィリアムズ】化石と呼ばれる技術『劇型魔法絵画』を専門とする絵描き。主にホラー系の絵を描く。梱包せずに購入者へ絵を送りつけ、驚かせることで売り上げを伸ばしている。ホラー愛好家の間ではなかなかいい腕前の画家らしい。
【ショウ】画家の家の特定および侵入は父親の力を拝借した。泣きながら協力を要請したら喜んで協力してくれた。
【ハルア】ショウが人殺しにならないか監視目的でついてきた。もしも手を染めようとなったら自分が代わろうとも思ってた。
【ユフィーリア】またしても何も知らない。
【エドワード】るんるんでお出かけしてたけど何だろう?
【アイゼルネ】そういえばどこかにお出かけする時に、ホラーの絵で有名な画家の名前をしきりに呟いていたけど何かしら?