第11話【問題用務員と脱出】
気がつくと、見慣れた学院長室の光景が広がっていた。
「…………帰ってきたなぁ」
「…………帰ってきたねぇ」
窓の外はまだ明るく、雷も鳴っていない。その要素でどれだけ安堵することが出来ただろうか。
劇型魔法絵画の世界から見事に脱出することが出来たユフィーリアとエドワードは、2人揃って「はあああ」と深いため息を吐いて脱力した。その場に座り込むと学院長室の床の上にゴロリと寝転がる。ふかふかな絨毯の感覚が心地よい。
あの悪夢のような絵画の世界で、一体どれほどユフィーリアとエドワードの精神が削り取られただろうか。考えたら脳裏に人形たちの楽園と化した深夜の廃校舎の様子がよぎってしまうので思い出したくない。エドワードも雷がゴロゴロと鳴り響く世界を思い出したくないのか、耳を塞いで「やだよぉ、雷やだよぉ」と呻いていた。
「転移魔法で用務員室に帰って昼寝しよう。疲れた」
「ユーリぃ、俺ちゃんも連れてってぇ」
「当たり前だろ置いてくかよ戦友」
「だよねぇ、戦友ぅ」
あの悪夢のような世界を共に駆け抜け、何だか絆が深まったような気がする。気分は戦争を乗り越えた戦友のようなものだった。
ユフィーリアとエドワードは互いに手を繋ぎ、それから転移魔法を発動しようと雪の結晶が刻まれた煙管を振り上げる。疲れすぎているからか、座標の計算が出来ない。転移魔法を発動したところで壁に埋まらないか心配である。
まあ、もうここは絵画の世界ではないのだ。魔法が上手く発動しないなんてオチはないはずである。正しく使えば正しい結果が出てくれる現実世界万歳だ。
すると、
「……何してるの? 学院長室は君たちのベッドじゃないんだけど」
「あ」
「学院長だぁ」
寝転がったまま転移魔法で撤退をしようと目論むユフィーリアとエドワードの顔を、どうやら授業を終えて帰ってきたらしいグローリアが覗き込んでくる。怪訝な表情を浮かべた中性的な顔立ちが視界いっぱいに確認できた。
「いやちょっと、もう疲れてて」
「反省文を書く如きで疲れないでよ。こっちの方が疲れてるんだよ、君たちの相手をしているんだから」
ユフィーリアの至極真っ当な理由を一蹴し、グローリアは授業道具を執務机の隅に置く。それから執務机の上に劇型魔法絵画が置いてあることに気づいた。
魔法の絵画を「あ、やっと届いたんだ」なんて弾んだ声で言うグローリア。どうやら本日届いたばかりの絵画が机の上に置かれていたらしい。せめて梱包をしておいてくれたら、ユフィーリアもエドワードも寿命を縮めるぐらいの怖い目に遭わずに済んだのに。
もう知らんとばかりに転移魔法を発動しようとしたその時、グローリアの悲鳴が学院長室に響き渡った。そのおかげでせっかく組んだはずの転移魔法が強制終了となってしまった。
「な、何、何で、何で劇型魔法絵画が綺麗に幕引きとなってるの!?」
「は?」
「ええ?」
絵画を両手で抱えて眺めているグローリアは、何だか泣きそうな表情で「どうしてぇ!?」と叫んでいた。
ユフィーリアとエドワードは疲れた身体に鞭を打ち、のそのそと起き上がる。それからグローリアが抱えている劇型魔法絵画を覗き込んだ。
記憶にある絵の模様は、雨の降る深夜の学校である。古びた校舎から人形たちが顔を覗かせており、夜中に見たら確実にトイレに行けなくなるような不気味極まる絵の内容だった。そういえば絵画の世界で作者の記録された映像を見たが、趣味の悪い絵画を作るものだ。
ところが、である。
「絵が綺麗になってやがる……」
「人形たちもニコニコだねぇ」
ユフィーリアとエドワードが劇型魔法絵画を幕引きまで駆け抜けたからだろうか、絵の様子が変わっていた。
それまで雨が降っていたはずの空は星が出るほど晴れ渡り、古びた校舎からこちらを覗き込んでいた不気味な人形たちはニコニコの笑顔で手を振っている。「じゃあね」「ばいばい」と言わんばかりの態度である。お前たちに怖い思いをさせられた記憶はあるから、ユフィーリアは笑顔を向けられても腹立たしく思う他はない。
舌打ちをしたユフィーリアは、
「怖い目に遭わせたってのに、何でそんなに笑えるんだよ鬼畜人形どもがよ」
「本当だよぉ、大変だったんだからぁ」
「なあ、エド。アタシの腰は無事かな。今日だけでお前に何度も絞られてるんだよこっちはよ」
「ちょっとお腹が引っ込んだんじゃないのぉ?」
「ふざけんな、アタシが腹が突き出るほど肥満だって言いてえのかお前」
げしげしとエドワードを蹴飛ばして威嚇するユフィーリアだが、
「ユフィーリア、君が劇型魔法絵画に何かしたの?」
「は? したって言うか、されたんだよこっちは」
両手で絵画を抱えるグローリアにじっと見据えられ、ユフィーリアは忌々しげに吐き捨てる。
自分でこんな不気味な絵画に近づく訳がなかった。ただでさえ幽霊やお化けの類が苦手なのに、わざわざそんな雰囲気のする絵画に何かするとは労力の無駄である。何も面白くねえのだ、こっちは。
どちらかと言えば、された方である。絵画の世界に引き摺り込まれたかと思いきや、人形と雷の楽園でぎゃあぎゃあ騒ぐ羽目になったのだ。しかもユフィーリアは自慢の銀髪まで切断する事態にも陥った。今も首の辺りがスースーして落ち着かないのだ。
しかし、ユフィーリアとエドワードが酷い目に遭おうと、グローリアには知ったことではないようだった。彼は目を吊り上げると、
「何してるの!? 劇型魔法絵画は一度でも幕引きを迎えちゃうと、もう二度と絵の世界には入れなくなるのに!!」
「あ゛?」
「ああ゛?」
「ひい」
グローリアがお決まりの「ユフィーリア、君って魔女は!!」と叫ぼうとするも、それよりも先にユフィーリアとエドワードの口から揃って低い声が漏れたので上擦った悲鳴が口からこぼれていた。
「おいグローリア、お前そんな不気味な絵にアタシらが近づくとでも思ってんのか? 見るからに幽霊とかいて雷もビカビカしてる絵にどうこうするとでも思ってんのかああ゛!?」
「そんな絵を裸で置いておく方が悪いンだろうが、こっちの責任にしてんじゃねえぞダボが!!」
「ひいいい、問題児がいつになくお怒り!?」
「うるせえこっちは髪の毛まで切る羽目になってんだよ、どうしてくれんだこの髪ィ!!」
「ウチの魔女様の自慢の銀髪をどう責任取ってくれンだコラァ!!」
「君の髪の毛が短くなってた理由はこの絵が原因なのあばばばばごめんごめんってば謝るから揺らすのは止めてぇ!!」
胸倉を掴んで2人がかりでガックガックと揺さぶられ、グローリアは甲高い悲鳴を上げる。問題児の理不尽な暴力に、怒ることさえ許されなかった。
それもそうである。あんな不気味な絵を剥き出しのまま放置しておくのが悪いのだ。おそらく研究目的で劇型魔法絵画などという化石を購入したのだろうが、研究資材を台無しにされたグローリアの怒りよりも劇型魔法絵画に巻き込まれた問題児の怒りの方が正当性を持ってしまった。今回巻き込まれたのがユフィーリアたちだったからよかったが、生徒が巻き込まれれば大問題である。
すると、
「あの、学院長」
学院長室の扉が開く。
「ユフィーリアとエドさんを知りませんか。反省文を届けに行ったっきり帰ってこな」
開かれた学院長室の扉から顔を覗かせたのは、黒髪赤眼の可憐なメイド少年――アズマ・ショウである。
部屋の様子を目の当たりにしたショウは、途中で言葉が切れてしまう。彼の視線はある場所に注がれていた。
ユフィーリアの乱暴に切られた銀髪である。艶やかな銀髪は腰まで届くほどの長さを有していたのだが、今や肩口の辺りでザックリと切り取られている。しかも毛先は不揃いで誰かに無理やり切り取られたと言っても過言ではないほどの雑さだった。
何もしていないのに学院長室の室温が下がっていく。室温が下がると同時に、ショウの赤い瞳からゆっくりと光が消えていった。
「ユフィーリア、その髪はどうしたんだ……?」
即座にユフィーリアとエドワードはグローリアを指差すと、ショウの質問に絶叫で返していた。
「「学院長に虐められた!!!!」」
「ちょ、語弊!?」
正確に言うと『学院長が迂闊にも置きっぱなしにしていた絵画の世界に引き摺り込まれ、そこで遭遇した巨大赤ちゃん人形に掴まれたから切らざるを得なかった』という訳なのだが、果たしてこの言葉を正しく理解できた人物はいただろうか。少なくともこの場にはいない。
特に、旦那様を愛してやまないショウにとっては地雷である。地雷原を全体重で踏み抜いたようなものである。全身が爆発して粉々に粉砕されてもおかしくない状況だ。
ショウは素早く右手を掲げると、
「冥砲ルナ・フェルノ!!」
怒声に任せてそれを呼ぶ。
ショウの背後に、歪んだ白い三日月の形をした魔弓――冥砲ルナ・フェルノが出現する。高火力・高出力の神造兵器を前に、さしもの学院長も命の危機を感じて「ごめん、謝るから!!」と叫んでいた。
しかしそんな悲鳴など聞き入れないのがアズマ・ショウというメイド少年である。地雷原を踏み込んだらもう最後、相手を徹底的に痛めつけるまで止まらないのだ。
「ユフィーリアとエドさんに何するんですか!! 冥府に堕ちろ、学院長!!」
「だから謝ったのにぃ!!」
冥砲ルナ・フェルノから炎の矢が放たれる。
目にも留まらない速度で打ち出された紅蓮の矢は、学院長室の壁に風穴を開けて外の世界に消えていった。窓を粉々にするどころか、壁が消失している。硝子の破片と瓦礫の両方が、執務机付近に転がった。
ショウは極小の舌打ちを漏らすと、
「転移魔法でどこかに逃げるとは卑怯な。今度はハルさんと共謀しよう……」
頼りにしている自分の先輩を巻き込んで学院長に対する仕返しを目論む最愛の嫁の姿を眺めるユフィーリアとエドワードは、冷たい風が吹き込んでくる壁の穴を一瞥する。
よく見ると、壁の一部が溶け出していた。冥砲ルナ・フェルノの高温に耐え切れなかったようである。壁さえも溶け出すほどの温度を生身の人間が食らえば、黒焦げどころの話ではない。
ポツリと、エドワードが呟く。
「……まともに食らってたらどうなってたと思う?」
「死者蘇生魔法の適用どころじゃねえと思うな」
死体を消し炭にする勢いで放たれた冥砲ルナ・フェルノの紅蓮の矢に、ユフィーリアとエドワードはそっと身震いをするのだった。嫁だけは敵に回しちゃいけない存在である。
《登場人物》
【ユフィーリア】問題児だから冤罪をかけられるのは慣れたものだが、自分たちが怖い目に遭ったのに追い打ちをかけるように説教をされるのは納得しない。
【エドワード】ユフィーリアと同じく、怖い目に遭わされたのに説教されるのは納得できない。どうして怒るのか。
【グローリア】劇型魔法絵画を購入した張本人。絵はてっきり梱包された状態で来たものであり、問題児が勝手に開封したと勘違いしたから説教した。まさか違うとは思わなかったし、ショウにこのあと中庭に埋められる羽目になる。
【ショウ】反省文を提出しに行った上司と先輩が帰ってこないから、代表して迎えに行った。最愛の人にとんでもねーことをしでかした学院長を中庭に埋め、『この外道、助けるべからず』と看板を立てた。