第7話【問題用務員と図書館の人形】
疲れが取れた気分ではないが、マシになったような気はする。
「この先に何があると思う?」
「お化けと幽霊のパラダイス?」
「嫌な現実を突きつけてくるんじゃねえ」
隣を並んで歩くエドワードの腰に頭突きを叩き込み、ユフィーリアは唸る。
遠くの方で雷の音が聞こえてくるからか、エドワードとユフィーリアは手を繋いでいる状態である。大の大人が何をしているのだと問われるだろうが、ユフィーリアはお化けが苦手だし、エドワードは雷が苦手なのでこの状況が最も安心できるのだ。
雷の音が聞こえるたび、そして床板が軋んだ音を立てるたびにユフィーリアとエドワードはどちらともなく繋いだ手を強く握る。握力の限界に挑戦するかの如く握るので、この絵から脱出したら手がめきゃめきゃに潰れていそうだ。今のところまだ無事であるのが奇跡だ。
チカチカと明滅する魔光灯を眺めるユフィーリアは、泣きそうな表情でエドワードの手を強めに握る。
「やだなぁ、この先……」
「我慢しなぁ」
「もうちょっと未成年組に接するように優しくしろよ」
「お前さんはいい大人でしょうがよぉ」
エドワードに一蹴されてしまい、ユフィーリアは不機嫌そうに頬を膨らませる。この相棒は全く優しくない、全然優しくない。同じ大人でもアイゼルネにはこんな態度を取らないのに。
どうせなら手でも振り払ってやろうかと画策するも、物陰からお化けが飛び出してきたらユフィーリアの方がどうにかなってしまうので繋いだ手を離せない。チカチカと明滅する魔光灯が精神を追い詰めていく。
ほとんどエドワードに引き摺られるようにして廊下を進むと、その先に扉が現れた。廊下のどん詰まりに出てきたその扉は観音開き式のもので、上部に掲げられた看板には『図書室』とあった。
「図書室だってぇ」
「図書室」
「あからさまに元気になったぁ」
図書室の出現にユフィーリアの目が輝く。
図書室ということは、この世界にも書籍の存在があるのだ。まだ見ぬ書籍の存在に読書家の血が騒ぐ。
またの名を現実逃避である。嫌いなもので溢れるこの劇型魔法絵画の世界に於いて精神をゴリゴリと追い詰められていくだけなので、少しでも好きなものに触れて精神を回復したい。
エドワードの手を離し、ユフィーリアはフラフラと図書室の扉に歩み寄ってしまう。それまでの警戒心は皆無だった。
「ユーリぃ、危ないってぇ」
「図書室に危ない要素なんてあるかよ。せいぜい本が勝手に飛んでるぐらいで」
観音開き式の扉を開けたユフィーリアは、意気揚々と埃の漂う図書室に足を踏み入れた。
天井から、椅子に座った山高帽を被った背の高い男が逆さに垂れ下がっていた。
自然と扉を閉めた。
現実逃避をしたかったのに、現実逃避をした先でも何かいた。
ユフィーリアは扉に額を押し当てて、シクシクと涙を流す。
「何でだよお……図書室はアタシのオアシスだろお……」
「こんな気味悪いお化けの楽園で安息地になるような場所なんてある訳ないじゃんねぇ」
扉に張り付いてシクシクと涙を流すユフィーリアをとりあえず引き剥がし、エドワードが先行して図書室の扉を開けた。
部屋に足を踏み入れて真っ先にあの逆さにぶら下がった人形とご対面を果たしたのだ。エドワードの広い背中越しに再び認識する羽目になってしまい、ユフィーリアは「ぽぅ」と短い悲鳴を漏らしてエドワードの背中に張り付く。得体の知れないものは見たくない。
エドワードも同じブツを見たようで、ちょっと驚いたように身体を震わせた。
「うおぉ、これはさすがにぃ」
「あれやだ」
「幼児退行しないのよぉ」
エドワードの背中に張り付いて逆さの人形から全力で視線を逸らすユフィーリアは、
「エド、あれぶっ壊してこい。アタシのオアシスから追い出せ」
「それだとユーリはあの人形に近寄ることになるんだけどぉ、それでいいのぉ?」
「よくない」
「どっちなのよぉ」
禅問答みたいな無茶な要求を振りかざすユフィーリアに、エドワードが困惑の声を上げる。
あの人形に近寄りたくないが、近づかなければ図書室から追い出すことも不可能である。それにこの図書室を通過しなければ劇型魔法絵画の世界から脱出することも叶わないというのであれば、逆さまの人形など素通りするのが最適解だ。
かと言って、この場に残りたくはない。この場に残れば臓物を撒き散らす系のマネキンが追いかけてくる可能性もあるし、昇降機を利用する前に通過してきた恐怖の授業を執り行っていた得体の知れない女教師に見つかる可能性だってある。ただでさえちょっぴりだけ回復した精神が早くも限界を迎えそうだというのに、ここで怖い目に遭いたくない。
ユフィーリアは渋い顔を作り、
「お前の背中に張り付いていくから、引き摺っていけ」
「じゃあ、あの人形を天井から引き剥がすのでいいのぉ?」
「うん」
「はいよぉ」
エドワードはユフィーリアの両腕を自分の腰に巻き付け、ずるずると引き摺りながら逆さ人形がぶら下がる図書室に突撃する。
図書室に足を踏み入れてからすぐ近くにある逆さ人形に歩み寄り、エドワードは遠慮なく顔面を鷲掴みにすると引っ張った。天井に括り付けられていた椅子ごと人形は床に落下し、盛大な音を奏でる。
埃が雪のように舞う中、落下した人形がエドワードの背中に張り付くユフィーリアを見据えていた。頭に被っていた山高帽は転がり落ち、痩躯に身につけた背広は埃に塗れて真っ白になり、隠されていた表情がついに露わとなる。
3歳児が描いたようなつぶらなお目目と、あんぐりと開けられた分厚い唇が特徴的な顔立ちをしていた。随分と間抜け面である。
「…………エド、これどこかで見たことあると思ったんだけどよ」
「何よぉ」
「一昔前のダッチワイフだよな、これ」
「ぶふッ」
ユフィーリアの言葉に、エドワードの口から押さえきれなかった笑い声が漏れた。
山高帽で隠されていた顔面が晒されてから思い出したのだが、逢引き宿の軒先などに置かれていた偽物の性具人形である。またの名をダッチワイフであった。しかも妙に顔面が不細工に作られているせいでエロさの欠片もない人形である。
今でこそ魔法兵器の技術も格段に向上して綺麗な見た目のダッチワイフが並ぶようになったが、これらが開発された当初はこんな厚ぼったい唇と子供が描いたようなぐりぐりパッチリお目目が特徴的な人形だった気がする。利用したことはないが、軒先で雨ざらしにされているのを何度か見かけた。
それがどうして山高帽に背広などという男性の姿を模しているのか。
「うわぁ、まさか野郎が野郎のナニを処理させてたって? そういう趣味?」
「世の中にはそういう趣味を持つ男の子がいるのよぉ」
「まあ、アタシは偏見を持たないけどよ」
どんな意図があって男装をさせられているのか不明だし、推理したくもない。『何かそういう趣味がある利用客がいた』という結論で納得することにした。世の中には色々な趣味があると思うので、あえてそこに触れるのはよくない。
山高帽と背広の男装姿も、まあ一応は需要があったのだろう。よくは知らないけれど、きっとそうなのだ。見た目が気持ち悪いので触れたくはない。
エドワードの背中からとりあえず離れたユフィーリアは、図書室の様子を見回す。
「本がある〜♪」
「読まないよぉ」
「ちょっとぐらい読んでもいいだろ」
明るく弾んだ声で、ユフィーリアはニコニコと図書室の本棚を見渡していた。
背の高い本棚には大小様々な本が雑に詰め込まれている。魔導書図書館の司書であるルージュがこの図書室の光景を目の当たりにすれば、確実に悲鳴でも上げたくなるものだ。絵本らしい薄さの書籍の隣に図鑑のようなものが詰め込まれているし、小説らしき分厚さの本の隣には教科書のような見た目の背表紙が並んでいる。整理整頓がされていない証拠だ。
試しにユフィーリアは、手近な本棚から本を引き抜いてみる。分厚さは図鑑のようで、背表紙は立派だし星空の絵も描かれている。星座関係を記した書籍だろうか。
ちょっと中身を確かめる目的で表紙を開いてみると、
「…………」
「ユーリぃ、どうしたのぉ?」
「読めない」
頁とご対面を果たしたユフィーリアは、そっと本を閉じた。閉じざるを得なかった。
中身がまるっきり読めなかったのだ。文章が文字化けしていて読むことが出来ない。ついでに言えばあの悪魔憑きらしい女教師が物凄い勢いで黒板に書き殴っていた、意味不明な文字の羅列のようだった。
全部見なかったことにして視線を逸らしたユフィーリアは、本を元の位置に戻す。読まなきゃよかったと後悔した。
「読めない本ってあるんだなぁ……」
「そりゃあ、ここって絵の世界じゃんねぇ。本の内容まで事細かに決めるものぉ?」
「まあ、決めねえよなぁ」
ユフィーリアも納得したように頷く。
図書室に何かないかと物色するも、特に部屋には何もなかった。読めない書籍が大量に転がっているだけで、次の部屋に移動できるような場所がない。
この部屋は本当に行き止まりのようであった。行き止まりであれば長居する必要はない。早々に出て行って他の部屋を見てみた方がいい。
エドワードも図書室に用事はないようで、ユフィーリアと一緒に出ようとする。
――がさ、
何か、背後で聞こえてきた。
「エド」
「ユーリぃ、振り向かないのぉ」
エドワードが、ユフィーリアを抱きかかえてくる。荷物のように小脇に抱えるのではなく、未成年組の2人を抱っこするかのような抱え方だった。
おかげで肩越しに、背後で身を起こした何かを目撃することになる。見たくなかったが、見る羽目になってしまった。エドワードも同じだろう。
天井に括り付けていた、あの男装型ダッチワイフが四つん這いになってこちらを見上げていた。
「ダッチワイフって動く機能あったっけぇ?」
「なかったな」
「最新式でも動くものって聞いたことないんだけどぉ」
「そりゃ動くようになったら娼婦のねーちゃんでいいだろうがよ」
ユフィーリアとエドワードの和やかな会話を経たのち、全速力で逃げる。
図書室を飛び出すと、あの男装型ダッチワイフも四つん這いになって追いかけてきた。まるで蜘蛛のようにガサガサと這いまわりながら。
間抜けな顔でも、四つん這いになって追いかけられれば怖いものは怖い。
「何で追いかけてくるんだよぉ!!」
「ユーリぃ、見ちゃダメ出来れば俺ちゃんの耳を塞いでおいてぇぎゃああ!!」
「お前、抱きかかえておいて振り落とすとかナシだからなおい!?」
遠くの方で激しく轟く雷鳴に悲鳴を上げそうになるエドワードの耳を手で塞ぎ、ユフィーリアは何とかしがみついて男装型ダッチワイフから逃げるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】図書室は楽園だし、よくヴァラール魔法学院でも入り浸るほど。なのに怖い人形が出てきたら1人で行けなくなっちゃうでしょうが!!
【エドワード】逆さに張り付いてるってどうやってやったんだろうなぁ、と現実逃避。