表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
652/913

第6話【問題用務員と休憩】

 ドタバタと暗闇に沈む部屋に駆け込んで、ようやくあの臓物撒き散らしマネキン野郎どもから逃げ切った。



「危なかったぁ」


「…………」



 閉ざされた扉に背中を預けて座り込むエドワードの隣で、小脇に抱えられていたユフィーリアは埃っぽい床にペタンと尻をつく。


 鈍臭と顔を部屋にやれば、そこはどうやら保健室のようだった。清潔感で保たれているはずの保健室が今や埃だらけとは、医療関係者が見れば卒倒しそうな状況である。

 清掃の行き届いていない木製の床、壁には日に焼けて色褪せたポスターが剥がれかけた状態で放置されている。壁沿いに屹立する棚には何やら紐でまとめたらしい紙束が整然と並べられており、身長計や体重計には蜘蛛の巣が張られたまま触られている気配がない。


 部屋の奥にポツンと存在する窓を、雨粒がボツボツと叩いている。まだ雨が降りしきっているようだ。



「この先へ進むにしてもぉ、さっきの臓物を撒き散らすマネキン野郎どもにどうやって対抗するべきかねぇ。やっぱり燃やした方が安全?」


「…………」


「ユーリぃ? ねえ聞いてるぅ?」



 エドワードがユフィーリアの顔を覗き込み、それからギョッとした表情を見せる。


 ユフィーリアは泣いていた。自分でも涙を流しているのがよく分かった。視界は涙で歪み、止めどなく溢れてくる涙が頬を伝い落ち、ユフィーリアの黒装束や埃が溜まる床に落ちていく。

 もう限界だった。先程から怖い目に遭わされてばかりで、ユフィーリアの精神はとうの昔に限界を超えていた。今まで涙を流さずに進んでこれたことが奇跡のようである。身体に力が入らず、ペタンと座り込んだままハラハラと泣き暮れる。


 そんな上司の様子を前に、部下が慌てない訳がない。ワタワタと狼狽えるような素振りを見せるエドワードは、



「ちょ、ユーリ大丈夫ぅ? えとぉ、あのぉ」


「ううぅ、ううううう」



 慰める為に伸ばされたエドワードの手を、ユフィーリアは弱々しく振り払う。力が上手く入らない影響で、振り払ったところで大した痛みにもならないだろう。

 そのまま伸ばされかけたエドワードの手から逃れるように、ユフィーリアは四つん這いの状態で部屋の中を移動する。這いずった先でしがみついたのは、まだ比較的綺麗な保健室のベッドである。布団に鼻先を近づけると埃臭さを感じるものの、この際どうでもよかった。


 ベッドにしがみつきながら何とかよじ登り、ユフィーリアは布団を頭まですっぽりと被って饅頭になる。



「うううううううううう」


「ユーリぃ?」



 布団の向こうからエドワードの心配するような声が降ってくる。丸まったユフィーリアの背中に大きな手のひらが触れるも、身じろぎしてエドワードの手を拒否した。



「もうやだ、かえりたい……おうちかえりゅ……」


「まだ帰れないよぉ、劇型魔法絵画シアターズは幕引きまで進まなきゃ出られないでしょぉ」


「ううううううう」



 エドワードの正論に、ユフィーリアは布団の隙間から腕を出してめちゃくちゃに振り回す。今は正論なんて聞きたくねえのだ。


 恐怖も限界突破し、しかし助けてくれるような人物は皆無である。甘えさせてくれる最愛の嫁はここにはおらず、余計なことを言う筋肉だるましかいねえのだ。ユフィーリアの恐怖心に寄り添ってくれる女神のような心を持った嫁がいてくれればちょっとは頑張れたものを、どうしてよりにもよって付き合いの長さしかない巨漢しかいないのか。

 目を瞑っても蘇る、緊張感の漂う授業風景と臓物が詰め込まれたマネキン人形たちが追いかけてくる光景。あまりにも衝撃的な景色はユフィーリアの視界に、脳味噌に、精神にこびりついて簡単に離れてくれない。思い出しただけでも寒気を覚える。



「もぉやだ……ねりゅ……つかれた……」


「寝たところで変わらないじゃんねぇ」


「うううううううううう、ううううううううう!!」



 またまた降ってきたエドワードの正論に、ユフィーリアは再び布団の隙間から腕だけを差し込んでめちゃくちゃに振り回した。

 優しい言葉もクソもなく、遠慮のない彼の態度から逃げるように耳を塞いで目を瞑る。もう何も聞きたくなかった。不貞寝である。


 その後、エドワードが何も言うことはなかったので、ユフィーリアの意識は暗い闇の中を落ちていった。



 ☆



 どがーん!! という雷鳴の音に、ユフィーリアの意識は現実世界へ引き摺られた。



「…………?」



 モソモソと布団を被ったまま、埃っぽいベッドから身体を起こす。


 ボツボツと大粒の雨が叩きつける窓の向こう側。ぼんやりと寝ぼけ眼を投げかけると、暗闇の中を一条の稲妻が駆け抜ける。

 青白い光を瞬かせ、大気に強烈な光を刻み込む。遅れて鼓膜を突き刺す雷鳴が、夢の世界に片足を突っ込んでいたユフィーリアの意識を無理やり覚醒させた。最悪の目覚まし時計である。もう少しマシな目覚まし時計は用意できなかったのか。



「…………ぅ、…………ぅぅ」


「ッ!!」



 雷鳴に混ざって聞こえてくる呻き声に、ユフィーリアの心臓が飛び跳ねる。


 また何か別の幽霊が、この保健室に出たのかと不安げな眼差しを周囲に巡らせる。夜の世界を引き裂くような雷が埃っぽい保健室内を照らすだけで碌な光源はなく、目が暗闇に慣れるまで少しばかり時間がかかった。

 ぐるりと部屋を見渡すも、特に異変は見られなかった。眠る前と同じ光景が広がっているばかりである。マネキン野郎どもも入ってくる気配はない。


 安堵に胸を撫で下ろすと、また落雷が窓の外で駆け抜けた。雷鳴が耳を劈く。



「ッ……うう、ぅぅ……」


「…………?」



 呻き声はすぐ近くで聞こえた。


 視線を落とすと、エドワードが保健室のベッドに背中を預けて座り込んでいる。ユフィーリアからは彼の後頭部と、やたら広い背中しか見えない。

 よく見ると、彼の背中は小刻みに震えていた。自分の身体を抱きしめ、腕に爪を立てて雷に対して恐怖心を押し殺している様子である。本当は怖くて今にも叫びたいのに、ユフィーリアが眠っていると思っているから叫ぶに叫べないのだ。


 忠犬のように、主人の側を離れないエドワードに、ユフィーリアは何だか罪悪感が湧き上がってきた。



(こいつだって、嫌だよな……)



 エドワードは雷が嫌いだ。子供の時から雷が苦手なようで、雷雨の時は布団を頭から被って呻き声を発していたようにも思える。時にはユフィーリアに抱きついてガタガタと震えていた。

 怖くて怖くて堪らないはずなのに、それ以上に不貞寝をする主人を起こしてはならないと懸命に悲鳴を耐えている。窓の向こうで轟く雷鳴にも、部屋を染め上げるほどの稲光にも腕に爪を立てて痛みを与えることにより我慢して、口から漏れ出そうになる悲鳴を喉の奥に押し込んで。


 頭から滑り落ちた布団を見やり、ユフィーリアは布団に向けて息を吹きかける。その動作である魔法を布団にかけてやると、エドワードの頭に布団を被せた。



「ッ!? ユーリぃ、もういいのぉ?」


「よくない」



 ユフィーリアはベッドから降りると、棚にずらりと並んだ紙束をむんずと掴む。数冊ほど抱えてくると、今度は部屋の隅にひっくり返っていた洗面器を持ってきた。

 紙束はよく見たら、全て文字化けして読めない状態になっていた。ずらりと紙面を並ぶ欄を確認すると、おそらく生徒の身体情報を記した用紙なのだろう。あまり見たくないので視線をやることなく、紙束を洗面器にどさどさと落とした。


 指を弾くと魔法が発動し、洗面器に乗せた紙束が燃え始める。めらめらと燃える炎のおかげで薄暗い保健室は温かな光を取り戻した。



「ユーリぃ……」


「…………」



 炎に照らされるエドワードの顔を見やれば、彼の頬は涙の跡がついていた。今までの雷雨で涙も流していたようだが、泣き喚くのだけは堪えていたようである。何とも静かに我慢していた忠犬の様子にいじらしく感じる。

 頭に被せられた布団を、彼の銀灰色の瞳が追いかける。涙で濡れた銀灰色の双眸を頭に乗せられた布団を見やり、指先でグイグイと何やら布地をいじる。その間も彼の背後にある窓には稲光がビカビカと瞬き、雷鳴もゴロゴロと轟いているのだが、彼が泣き喚くような様子はない。


 それもそのはず、ユフィーリアはエドワードが頭から被る布団に雷の認識を阻害する魔法をかけたのだ。おかげで雷を認識せずに済んでいる。



「もう少し寝る、叫び疲れてんだよ」


「だからって何でここに来るのぉ?」


「うるさい、下敷きにされとけ」



 ユフィーリアはエドワードの胡座あぐらを掻く太腿ふとももの上に乗り、身体を縮こまらせて目を瞑る。閉じた瞼の向こうで火が燃えているので視界が明るく、エドワードの体温も相まって温かい。

 今まで極度の緊張状態にいたのだ。もう少しだけ休憩してもいいだろう。


 エドワードの逞しい身体に自身の身体を預け、ユフィーリアはもう一度、夢の世界に戻っていくのだった。



 ☆



 腕の中で眠ってしまった銀髪の魔女を、エドワードは静かに見下ろす。


 幽霊と遭遇し、それらに襲われたことによる恐怖心が彼女の心を磨耗させていた。とうとうここに来て限界が訪れ、こうして色濃く涙の跡が彼女の白い頬に残されている。桜色の唇から呻き声ではなく規則正しい寝息が漏れていることに、今は安堵を覚える。

 いつでも背筋を伸ばして前を向き、大胆不敵に笑い飛ばすのがエドワードの知るユフィーリア・エイクトベルという魔女だ。そんな彼女がここまで弱るのはあまり見たことがない。普段は強がっているのかもしれないが。


 エドワードはユフィーリアを抱きかかえ、



「ありがとぉ、ユーリぃ」



 雷が怖くて大人になっても泣くエドワードを、ユフィーリアはただの一度だって馬鹿にしたことはない。抱きついてもぎゃあぎゃあ叫ぶが、馬鹿にして笑うようなことをするような魔女ではないのだ。

 それでいて、エドワードを苦手な雷から遠ざけようとしてくれる。今も布団に雷が聞こえなくなる魔法をかけてくれたから、エドワードは平気でいられるのだ。


 だから、今度は。



「今度は、俺ちゃんが守るね」



 ――ちり、と首元で雪の結晶のモチーフが小さな音を立てる。


 彼女が雷からエドワードを遠ざけてくれたように、エドワードもユフィーリアをお化けから守らなければならない。彼女が恐怖を覚えるものから、この敬愛する魔女を遠ざけなければ。

 忠犬のように控えるのではダメだ。彼女を守る盾になるのだ。


 太い首に巻きつけられた従僕サーヴァント契約の証である首輪に、エドワードはそう密かに誓うのだった。

《登場人物》


【ユフィーリア】絶賛不貞寝中。恐怖限界突破。

【エドワード】絶賛上司の寝具になり中。雷の認識を阻害する魔法のおかげで雷を認識せずに済んでいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング登録中です。よろしくお願いします。
― 新着の感想 ―
ユフィーリアの普段と違う一面とエドワードの忠犬っぷりを見れて満足ですわ。ユフィーリアの幼児退行にほっこりしました。
やましゅーさん、おはようございます!! 新作、今回も楽しく読ませていただきました!! ユフィーリアさんとエドワードさんのお互いを思いやる絆の強さに感動しました。お化けが怖くて限界が訪れてふて寝するユ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ