第5話【問題用務員と解剖実験】
昇降機の駆動音が止まった。
「止まった?」
「まさか閉じ込められたってことはないよねぇ」
狭い個室内の隅で縮こまっていたユフィーリアとエドワードは、止まったままの昇降機に眉根を寄せる。
2枚組み合わされた扉は、開く様子がない。これで個室内に閉じ込められたら絵の中の世界で一生を過ごす羽目になってしまう。魔法が上手く発動されない空間で転移魔法を安易に使うのは憚られた。
雪の結晶が刻まれた煙管を握るユフィーリアは、
「転移魔法でも使ってみるか? 座標が狂って下半身が壁に埋まりそうだけど」
「止めてよぉ、何でそんな普通に言うのよぉ」
「何でも挑戦だろ」
「その挑戦する志は尊敬できるけどぉ、今はいらないよぉ」
エドワードが嫌そうな表情でユフィーリアの提案を却下すると、2枚組み合わされた昇降機の扉がゆっくりと開かれる。どうやら昇降機の作りが古いので、扉が開くまで時間を要したようだった。
引き戸が脇にガコガコと音を立てながら収納されていき、ユフィーリアとエドワードを扉の向こうに誘う。扉の向こうは魔光灯による光で満たされた明るい空間だが、何やら視界の端に棚のようなものが確認できた。
そして昇降機と向かい合うようにして設置された、曇り硝子が嵌め込まれた扉が奥に見える。扉越しに誰かが覗き込んでいることはないが、階下の授業風景による恐怖が記憶に根付いてしまっているので簡単に出ることが出来ない。
警戒心を露わにするユフィーリアは、エドワードの太い腕にしがみつく。
「おい、行け。引き摺って」
「何でしがみついてくるのぉ、自分で歩きなよぉ」
エドワードは呆れた様子でユフィーリアを引き剥がす。彼の場合、この場に雷がないからほとんど無双状態だった。雷鳴が轟いた瞬間に使い物にならなくなるのに。
恨めしげに見つめてくるユフィーリアから視線を逸らし、エドワードはとっとと自分だけ先に昇降機を降りてしまう。このまま昇降機内に留まっていても今度は階下からあの恐怖の授業風景に引き戻されても嫌なので、仕方なしにユフィーリアも昇降機から恐る恐る降りる。
ひょこりと昇降機から半身だけを出して、部屋の様子を確認。昇降機の向こうに広がっていたのは倉庫か準備室のようで、誰も気配も感じられなかった。
「誰もいねえ……よかった……」
「よくはないねぇ」
「何でだよ、誰もいないだけいいだろ」
先に部屋へ降り立ったエドワードは、部屋に置かれた棚を顎で示す。
狭い部屋の壁沿いに置かれた棚には、大小様々な瓶がずらりと収納されていた。どれもこれも埃を被って、硝子の表面には汚れが目立つほど放置されている。中身は液体で満たされており、そして何かが浮かんでいた。
眼球である。人体から抉り取られただろう緑色の虹彩が特徴的な眼球が、液体に沈められていた。眼球の濁り具合や毛細血管の様子、小さな球体にへばりついた視神経までしっかりと残されており、今まさに抉り取ったばかりだと言わんばかりに置かれていた。
瓶の中身は眼球だけではない。心臓、肺、胃袋、腎臓、肝臓、小腸、大腸など人体に必要な臓器が瓶詰めにされて棚に並べられている。標本か、それとも趣味の悪い蒐集品のように。
「あー、結構状態が悪いな。抉り取った人間の生活習慣が悪かったかな」
「あれぇ?」
「何だよ」
首を傾げるエドワードに、ユフィーリアは訝しげな表情を作る。意外なものでも見るかのような視線に不満を感じた。
「だって他人の内臓だよぉ? 怖くないのぉ?」
「内臓如きで怖がってたら魔女なんて何千年もやってられねえんだよ。未だに闇市場だと人間の臓器とか売られてるし」
「あー、そういえばたまに眼球の型録とか見てるよねぇ」
「珍しい虹彩の色とか、それこそ魔眼とかあったら見ちゃうんだよな」
魔女や魔法使いにとって人間の内臓を眺めるのは、実はそう珍しいものではない。臓器提供から始まり人攫い、罪人の部品を量り売りなど様々な販売方法で臓器が市場に流れているのだ。主に大規模な魔法の触媒に使用されるが人の目に触れるようなものではないので、そういったものは『闇市場』と呼ばれる特定の人物しか出入りしない市場に取り揃えられている。
ユフィーリアも魔女なので、人間の臓器を触媒にした大規模な魔法は何度か行使した記憶がある。あまりいい魔法とは呼べないのだが、魔法の天才を名乗るならば勉強しておいて損はないという分野だったので実践しただけであり、臓器もきちんと臓器提供によって獲得したものを使用したので悪いことは何もしていない。
ユフィーリアは何でもない調子で、
「うちの学院もよく出入りしてる連中はいるよ。グローリアとかルージュとか、この前なんか副学院長が生皮買ってるのを見かけた時にはさすがに引いたけど」
「学院長は分からないでもないけどぉ、魔法兵器に傾倒してる副学院長が行くなんて珍しいねぇ」
「そうでもねえよ。リリアも『連れてけ』ってねだってくるし」
「リリアちゃん先生もぉ? 11歳のお子様に臓器の楽園を見せて何させる気なのよぉ」
「回復魔法と治癒魔法の勉強だよ。状態の悪い臓器とかも売ってるからな。もしこんな症状が見られたら臓器の状態はこうだから、こうやって回復魔法や治癒魔法をかけてやれって実物を見せながらな。熱心に聞いてるよ」
「リリアちゃん先生って逞しいねぇ……」
遠い目をするエドワードは、
「ユーリぃ、どうして俺ちゃんは連れて行ってくれないのぉ? ハルちゃんとかショウちゃんはぁ?」
「連れてける訳ねえだろ、格好の餌食だよ」
ユフィーリアは即座に一蹴し、
「お前らのような健康状態最高の、しかも魔法が使えない連中を闇市場に連れて行ってみろよ。すぐに暗がりに引っ張り込まれて部品単位で量り売りされるぞ」
「うへえ」
「だから今後もお留守番だ。アタシが出入りしてるからって二度と行きたいとか言うんじゃねえぞ」
ちなみに一般的な需要が高いのは『健康体な成人男性の臓器』であり、変態向けに人気があるのは『少年少女の臓器』である。どちらの条件も問題児の男子組は合致してしまうので言わないでおくのが吉だ。
「じゃあこの臓器の群れを見ても何とも思わないんだねぇ」
「別に何とも。こんなのだったら余裕だよ」
ユフィーリアは余裕の表情で隣の部屋に繋がっているらしい扉を開ける。
鍵などはかけられておらず、普通に開いた。隣の部屋も魔光灯による光が満たされており、安心できるぐらいには明るい。シンと静謐が落ちる部屋の中にユフィーリアとエドワードの足音が響く。
隣の部屋は意外にも広く、引き出しがいっぱい取り付けられた頑丈そうな見た目の机が置かれている。黒板も上下を入れ替えることが出来る作りになっており、少し独特な様相をしていた。真っ黒な表面は綺麗に拭かれており、階下の教室で見た黒板とは違って何も描かれていない。
問題は、頑丈な机の上に放置されたブツだった。
「うわ」
「ええー」
2人揃って顔を顰める。
大きめの机だからか、人が寝転んでも余りあるほどだ。頑丈な硬い天板に白い布が敷かれ、その上に子供の人形が横たわっていた。
見た目はマネキンのようである。球体関節が特徴的で、衣服は身につけておらず、だらりと全身を弛緩させている。ギョロリとした青色の眼球が天井へ真っ直ぐに投げかけられており、桃色に塗られた唇は引き結ばれている。
そんな全裸の状態のマネキンだが、硬い腹をくり抜かれていた。腹をくり抜いたところで中身は空洞だが、今は何やら桃色やら赤色やらの肉が詰め込まれている。
「臓器じゃんねぇ」
「嘘だろ、人形に人間の臓器を詰め込んで何をするつもりだよ」
悍ましさを感じ、ユフィーリアはマネキンから距離を取る。
マネキンの中身に人間の臓器を詰め込んだところで、一体何になるというのか。肉人形を作るにしても外側が作り物では意味がない。
得体の知れない儀式の途中で放置されたマネキンは、やることもなく机の上で寝転がっているだけである。このまま動き出したら怖い。
「嫌だもう先に行く、こんなところに1秒でも長くいたくない」
「あれって何かの魔法の途中なのぉ?」
「あんな魔法ねえよ!!」
臓器を詰め込まれたまま放置されているマネキンを指差すエドワードに声を荒げたユフィーリアは、すぐさま広い部屋の片隅に設けられた扉に飛びつく。
――カタ、
音がした。
嫌な予感がして、扉に飛びついたユフィーリアは背後を振り返ってしまう。
頑丈な机の台座に置かれた子供のマネキンの、首だけが何故かユフィーリアに向けられていた。ギョロリとした青色の眼球が真っ直ぐに硬直するユフィーリアを見据えている。
「エド、お前動かしたか?」
「動かしてないよぉ、届かないもんねぇ」
机の近くにいるエドワードに言えば、彼はこれが証拠だと言わんばかりに今立っている位置から机めがけて手を伸ばす。
いくらエドワードの腕が長いと言っても、さすがに限度がある。マネキンが寝かされた机の上からは距離があるので歩き出さなければ触れることさえ叶わない位置にいるのだ。
その時、
――ガタンッ!!
寝かされていたマネキンの腕がひとりでに跳ね上がり、空中を彷徨うエドワードの手を掴んだ。
「ッ、ゔぉおあ!?」
「ちょ、お前ッ、こっちに投げてくるんじゃねえ!?」
驚いたエドワードが、手を掴んできたマネキンをユフィーリアめがけてぶん投げてくる。
腹の中に詰め込まれた臓物が撒き散らされ、マネキンの肩から腕が外れる。放物線を描いて物凄い速度でぶっ飛んでくるマネキンに、ユフィーリアは咄嗟に扉を開いてその向こう側に慌てて駆け込んだ。
開け放たれた扉の影に隠れるユフィーリア。その背中を追いかけるようにして扉を潜り抜けてきた子供のマネキンは、遠くに見えた壁に叩きつけられて轟音を奏でる。爆発四散したのではないかと思うぐらいの激しい音だったが、壁にめり込んだだけで済んでいた。
床に転々と落ちている臓物と、エドワードの手にしがみついたままの人形の手を眺めるユフィーリアは、泣きそうな表情で訴える。
「何すんだお前!?」
「そこにいると思わなくてぇ」
すっとぼけた答えを返すエドワードだが、扉にしがみついたままのユフィーリアに視線を向けて表情を引き攣らせる。正確には、ユフィーリアの背後を見て、である。
遅れて、何かがユフィーリアの腰の辺りに触れた。硬くて丸い何かである。
反射的に視線をやると、ユフィーリアの周囲をマネキンが取り囲んでいた。先程、エドワードがぶん投げて壁にめり込んだ状態を晒しているマネキンと同じような、子供のマネキンである。
彼らは漏れなく、身体のどこかしらを抉られていた。
頭部をくり抜かれて人間の脳味噌を嵌め込まれたマネキン、空洞となった眼窩に人間の目玉を装着したマネキン、ちょうど心臓の部分を抉り抜かれてもう動かなくなって久しい心臓を押し込まれたマネキンなど色々といた。共通しているのは身体のどこかに人間の臓器を詰め込まれているのと、何故かマネキンなのにひとりでに動いているところだ。
固まったユフィーリアに、ようやく手からマネキンの腕を引き剥がしてきたエドワードが問いかける。
「ここから使える魔法って何かあるのぉ?」
「…………転移魔法でも使ってみるか?」
魔法が上手く発動する自信はないが、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を掲げる。
座標を確認する為に周囲へ視線を巡らせると、最初に見たマネキンが安置されていた部屋はどうやら教室と繋がっていたようである。見覚えのある内装だが、階下で突破してきた教室とはまた別物だ。並べられた机と椅子に少しばかり鉄錆の臭いが混ざり、ちょっと血も見えていたりした。
ユフィーリアを取り囲むマネキンたちを突破すれば、教室の扉である。せめて外に出ることが出来る距離を稼ぎたい。
エドワードがユフィーリアを抱え上げると、
「じゃあ、はいお願いねぇ」
「お前蹴飛ばしていけよ」
「無理だよぉ、気持ち悪いじゃんねぇ」
無機質なマネキンたちの視線に晒されながらも、ユフィーリアはエドワードに抱えられた状態で転移魔法を発動させる。
一瞬の跳躍。視界が切り替わり、取り囲んでいたマネキンたちの背後に移動する。マネキンたちは瞬時に目の前から消えたユフィーリアとエドワードを追いかけるように、首だけで振り返ってきた。
さあ、地獄の鬼ごっこが始まった。
「あばばばばばぼええええ」
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!」
扉を蹴飛ばす勢いで開き、2人は悲鳴を上げながら廊下へ飛び出す。ガタガタと不穏な音を立てながら腕を伸ばして追いかけてくるマネキンの群れから、全速力で逃げ出した。
《登場人物》
【ユフィーリア】呪術や精神に作用する魔法に人間の臓器などの生贄が必要なので闇市場で適当なものを見繕ったことはある。たまに罪人がバラバラにされていくショーを酒を飲みながら笑い飛ばしているほど、見えないけど残虐性は程々に持ち合わせている。
【エドワード】酒に煙草もやるけれど、なかなかの健康体。闇市場に行ったら獣人の先祖返りってことでバラバラにされる。