第3話【問題用務員と人形の授業】
木造建ての古い校舎は、全体的に埃臭い。
「荒れてるよな」
「だねぇ」
ようやく雷鳴が聞こえない位置まで来たからか、エドワードの受け答えも普通になってきた。
埃を被ったロッカーが横倒しになっていたり、机や椅子のセットが廊下に放り出されていたり、校舎内の荒れ具合は半端ではない。野盗でも学校の中に入り込んだのかと言わんばかりの荒れ模様だ。
廃校舎ではある様子だが、何故か明かりは確認できる。どうやら魔力を充填して輝く『魔光灯』を使用しているようで、そろそろ魔力も尽きかけているのかチカチカと不気味に明滅を繰り返している。
出入り口付近にロッカーが横倒しにされたことで出入りが不可能となった教室を眺め、ユフィーリアは「うわ」と思わず声を上げてしまう。
「凄え、落書きだらけ」
「本当だぁ。ここまでやるってことはぁ、この学校は学級崩壊でも起こしたのかねぇ」
「この規模で言えば学校崩壊だろ」
覗き込んだ教室内は、黒板だけではなく壁や床にも白墨で落書きがびっしりと書き込まれていた。意味不明な記号から文字、さらには○と×のみで構成される図式など何の意図があって書き込まれたのか分からないものばかりである。
机も椅子も薙ぎ倒され、ひっくり返り、そして落書きされている。教室全体に及ぶまで落書きをするなど、これをやらかした犯人は相当な執念をお持ちのようだ。もしかすると複数人で落書きしたのかもしれない。
嫌そうに落書きだらけの教室から視線を逸らしたユフィーリアは、
「嫌だな、あそこから幽霊とかが這い出てきたら」
「幽霊なんて見ないじゃんねぇ」
「お前が雷でガタガタ震えてた時に見たんだよ、こっちは」
校舎内に入る際、扉を開けようとしたら硝子玉のような眼球が覗き込んできたのだ。あの恐怖は脳裏に焼き付いて簡単に離れない。その時にガタガタと震えていたエドワードは幸せなものだ。
あの眼球は絶対に生きた人間ではない。幽霊か、それに準ずる何かである。得体の知れないものが校舎内を彷徨い歩いているというだけで、今すぐ校舎全体を氷漬けにして解決したい衝動に駆られるのだ。
ユフィーリアはエドワードを睨みつけ、
「お前の方が耐性あるんだから、せいぜい盾になれ筋肉だるま。何の為の筋肉だ」
「少なくとも肉壁になる為ではないねぇ」
「うるせえ、とっととご主人様の前を歩け駄犬。ケツ蹴飛ばすぞ」
「いつも以上に気が立ってない? 喜んでいい?」
「何でだよ」
高い位置にあるエドワードの尻を蹴飛ばして前に押し出してやるユフィーリアだが、
――がらーん、ごろーん。
歪んで聞こえる鐘の音に、思わず飛び上がってしまった。
「ぴょえ」
「ユーリぃ、俺ちゃんは木でも何でもないよぉ」
「うるさい黙れ、ショウ坊に言いつけるぞ」
「俺ちゃんが無事で済まない奴だってぇ」
飛び上がった拍子にエドワードの逞しい身体にしがみつくユフィーリア。気分は夏によく鳴く蝉である。
「これ進んでいいのかねぇ」
「ふざけんじゃねえよエドお前アタシがどうなってもいいのか!?」
「やけに早口じゃんねぇ」
「この野郎、他人事だと思って」
しがみつきながら器用にエドワードの肩に頭突きを喰らわせるユフィーリアだが、廊下の奥に見えた人影に固まった。
それはエドワードの肩越しに、影だけが認識できた。窓から差し込む青白い稲光に照らされた、やけに細くて背の高い人間の姿である。ガクガクと全身を不自然に震わせながら廊下の奥に消えていく姿がくっきりと見えてしまった。
その人間の姿は、タイトスカートとカーディガンという姿だったので女性だろうか。身体の細さの割に頭が大きく、うねうねと蛇のようにうねった髪の毛は肩口で切り揃えられていた気がする。一瞬の出来事でこれだけ見えたのは上出来だろうが、怖さ故にユフィーリアの脳裏へ深く刻み込まれてしまう。
エドワードの肩に額を押し当てるユフィーリアは、
「もうやだ」
「俺ちゃんもぉ」
「稲光ぐらい我慢しろよ」
「無理ぃ」
しがみついているエドワードが小刻みに震え始めたので、ユフィーリアは仕方なしに埃っぽい床へ降り立つ。それからエドワードの大きな手のひらを握ると、
「劇型魔法絵画は幕引きまで進まなけりゃ出られねえからな。アタシとお前は一心同体だ、見捨てるんじゃねえぞ」
「ユーリこそぉ、俺ちゃんのことを雷鳴轟く中に放り出さないでよぉ」
「幽霊が襲いかかってこない限りは保証してやる」
このまま進まねば劇型魔法絵画から出ることは出来ない。それはユフィーリアとエドワードの精神にも強い負担を強いることだが、どう足掻いても脱出できないのだから進むしかない。
ぎゅうッと2人で固く手を繋ぎ、稲光が満たす廊下をユフィーリアとエドワードは謎の人影が消えた部屋を目指して進んでいった。
☆
閉ざされた扉の向こうから、何やら板書の音が聞こえてくる。
「……凄え、ドア越しに結構大きめの音で聞こえてくるんだけど」
「どんな筆圧で書いてるんだろうねぇ」
ユフィーリアとエドワードは閉ざされた扉に耳をそばだてて、室内の様子を伺っていた。
一体どんな力強さで黒板と向かい合っているのか、先程から声を潜めて会話をしている2人の声量さえ掻き消さん勢いでガッツンガッツンと部屋の扉から聞こえてくる。おかげで普通の声量で会話しても、扉の向こうにいるだろう人物たちには聞こえていないようだった。
黒板に何か恨みでもあるのかと言わんばかりである。筆記具として使われている白墨が、もはや可哀想なほど削れているはずだ。黒板と白墨の気分を考えると全身が痛くなる気がしてきた。
泣きそうな表情で扉に張り付くユフィーリアは、
「様子を見なきゃダメかな……」
「でもぉ、これより先に進むことは出来ないよぉ」
エドワードは今まで進んできた廊下を一瞥する。
どんな校舎の構造をしているのか、埃っぽい廊下の終端がこの部屋だったのだ。曲がり角すら存在しない始末である。この扉の向こうに控える人物にもし見つかりでもすれば、雨が降りしきる外に飛び出す他はない。その場合はエドワードが使い物にならなくなりそうだが。
先に進むには、この部屋を通過しなければならないようだ。その事実がユフィーリアを苦しめていた。この劇型魔法絵画を置きっ放しにしていた学院長と、劇型魔法絵画の製作者を恨むしかない。
エドワードは扉のドアノブに手をかけ、
「開けるよぉ」
「おい馬鹿待て心の準備ぐらいさせろ!!」
「いつまで待てばいいのよぉ、それはぁ。絶対に準備できない奴じゃんねぇ」
自分が怖くないからと、エドワードは容赦がなかった。部屋の主に気づかれないような慎重さで扉を開ける。
ギィ、と蝶番が軋む音。それから扉の隙間から白墨を黒板に叩きつけるガッツンガッツンという音が鼓膜に突き刺さる。扉が開いたことにも気づく様子はなく、激しい板書が未だに続いていた。
エドワードに促されるまま、ユフィーリアは扉の隙間に頭だけを差し込む。それから明かりで満たされた室内に視線を巡らせた。
「ひい」
「ユーリぃ、声ぇ」
「無理だろこれは、声出るって」
上擦った悲鳴を漏らすユフィーリアを、エドワードが叱責する。
明かりで満たされた室内は、どうやら教室のようである。僅かだが等間隔に並べられた学習机、部屋の奥には教卓が鎮座する。壁に掲げられた黒板に向かう背の高い女性の背中だけが見えており、何やら一心不乱に白墨で何かを書き殴っていた。
黒板にびっしりと書き込まれているのは、ミミズがのたうち回ったかのような汚い文字と何かの記号の群れである。授業を執り行っているようだが、果たしてその授業内容は何なのか。時折、女性は冊子の頁を捲って、またガンガンと白墨で黒板を殴り始める。
問題は、並べられた学習机に向かう何かである。
「人形だらけじゃんねぇ」
「怖い怖い怖い怖い怖い」
「ユーリぃ、落ち着きなってぇ。見つからない限りは何ともないんだからぁ」
あまりの恐怖に木製の床へ伏せるユフィーリアを、エドワードが「もうちょっと頑張りなぁ」と励ます。
学習机に向かうように配置されていたのは、様々な人形だった。兎や熊のぬいぐるみからくるみ割り人形、赤ん坊の姿を模ったお世話人形、デッサンに用いられるだろう人形、糸が切れた操り人形など多岐に渡る。生徒役を担っているのか、古びた椅子に彼らは座らされている。
相手が人形ならば、どんな乱暴な授業を執り行っても問題はない。何故なら物言わぬ人形だからだ。文句も飛んでこなければ悲鳴も恐怖もない。
「ユーリぃ、ユーリぃ」
「何だよ、もうやだよ帰りたい」
「教室の端に何かあるよぉ」
エドワードに促され、ユフィーリアは顔を上げた。
教室の出入り口と向かい合わせになるように、何やら鉄柵で覆われた扉のようなものがあった。引き戸のようになった扉の正体は昇降機だろう。扉の脇に操作レバーのようなものが設置されている。
だが、簡単に生徒を脱走させない為だろうか、扉の鉄柵は南京錠がかけられて封鎖されていた。あの南京錠を解く為の鍵が必要である。
「鍵……いやこの際だからもう魔法で遠隔的に開けてやる……」
「さっすが魔法の天才様ぁ」
「おうよ天才だよ、大事にしろよこの野郎」
ユフィーリアがエドワードの称賛に乱暴な口調で応じ、雪の結晶が刻まれた煙管を握る。
それの何がいけなかったのだろう。皆目見当もつかないが、唐突に激しい板書が止んだ。
それと同時に、視線が突き刺さる。それは1つどころの話ではない。2つも3つも不思議と視線を感じる。あちこちからユフィーリアとエドワードが見られていた。
視線を教室に戻すと、授業中だろう人形たちが、何故か一斉にユフィーリアとエドワードを見据えていた。首だけで。
「あわ、あ」
「わ、わぁ」
生徒役の人形たちは、首だけをユフィーリアとエドワードに向けていた。つまり180度ぐらい首が曲がっていたのだ。確かに人形なら曲がりそうだが、操られていないはずの人形たちが一斉にこちらを向くなど恐怖でしかない。
固まるユフィーリアとエドワードに、さらなる恐怖が襲いかかる。
あの、今まで激しい板書を繰り返していた女性が手を止めたのだ。ボロボロになった白墨を黒板に置くと、ゆっくりと2人へ振り返る。身体は黒板に向けたまま、首だけで。
本能が、警鐘を鳴らした。
「お邪魔しました」
「授業の邪魔をしてごめんなさい」
ユフィーリアとエドワードは咄嗟に謝罪の言葉を口にすると、勢いよく扉を閉める。扉の向こうから聞こえてくる甲高い悲鳴に構うことなく教室に背中を向け、脱兎の如くその場から逃げ出した。
《登場人物》
【ユフィーリア】ぬいぐるみは平気だが、実は人形系は苦手。特に玩具のお世話人形とか、夜中に動きそうで怖い。
【エドワード】あの玩具のお世話人形、妹が持ってたなぁと余計なことを思い出した。