第2話【問題用務員と劇型魔法絵画】
白く塗り潰される視界。
そして少しの浮遊感。
それから、
「――――え」
「は?」
学院長室に置かれた不気味な絵画から放たれた光が収束したと思えば、ユフィーリアとエドワードが置かれた状況が変質していた。
目の前に学校がある。
星どころか月明かりさえ届かない暗黒の空。ぼんやりと明るい夜の雰囲気の中に浮かぶ、凸の文字のような形をした校舎。古びた時計は長針と短針がぐるぐると忙しなく回っているものの、時間が経過するような雰囲気は見られない。
建物に埋め込まれた窓枠に、今は明かりも灯っていなければ誰が覗き込んでいる訳でもない。廃校になっていると言っても差し支えはない古さだった。
「何だ、ここ」
「あの絵の中って訳ぇ?」
無人の校庭の真ん中にぽつねんと立ち尽くすユフィーリアとエドワード。
校舎の敷地を示すかのように鉄柵がぐるりと取り囲んでいるが、それは学校の敷地内から誰も逃さないようにする為の有刺鉄線も仕掛けられていた。完全に退路が断たれてしまい、後戻りなど出来ない状態である。
夜の帳が下りた薄暗い校庭には、遊具が物寂しげに置かれているのみだ。錆びたブランコ、朽ちたシーソー、鉄筋が組み合わさった立体的な遊具はささくれが目立つ。校庭の隅にはボロボロになったボールが転がっており、風もないのに何故かゴロゴロと転がる。
不気味だ。あまりにも不気味極まりない場所である。
「絵画の中か」
ユフィーリアは密かに顔を顰め、雪の結晶が刻まれた煙管を咥える。
「じゃあ、多分あれは『劇型魔法絵画』だな。珍しいもんを持ってきやがって」
「俺ちゃんは見たことないけどぉ、それずっと昔にあった奴じゃんねぇ」
「空間構築魔法とかその他諸々の魔法がかけられた魔法の絵画だ。手間暇がかかるから今の時代だと化石みたいなもんだけど、まだ残ってるって聞いちゃいたがな」
劇型魔法絵画とは、およそ1000年から1500年前に存在したとされる過去の遺物だ。現在では失われた魔法の技術であり、再現するには高い技術力と豊富な魔法の知識が必要になってくる。主に空間構築魔法を主軸にして、入り込んできた人間を外に逃がさないようにする為の封印魔法やら絵の世界で生物が動けるような魔法など様々な魔法が複雑に絡み合っている複合型の魔法だ。
その絵画は、入ることが出来る。絵の世界に飛び込むことが出来る。ただし外に出ることはない。劇型なので、演劇が幕引きとなるまで飛び込んだ人間は登場人物を演じなければならないのだ。
この絵の中で。
「こんな不気味な絵の幕引きなんて碌なものじゃねえ!!」
ユフィーリアは叫んでいた。
目の前には不気味な廃校舎が聳え立っている。等間隔に並べられた窓なんて、今にも誰かが覗き込んできそうな気配があるのだ。
そんな不気味さでいっぱいの校舎の演劇なんて、最終的に登場人物が全員死ぬか呪われるかの2択しかないではないか。絶対に碌なことが起きないのは間違いなかった。
頭を抱え込み、その場にしゃがみ込んだユフィーリアは自分の立たされた境遇を嘆いた。
「あー、クソ。こんな不気味な劇型魔法絵画に巻き込まれんなら未成年組に反省文の提出をさせればよかった!!」
「あの2人なら怖がらなさそうだもんねぇ」
エドワードも遠い目をして言う。
問題児の中で特に頭の螺子の所在を疑いたくなるのが、未成年組と呼ばれしハルアとショウである。2人には基本的に怖いものなどないのか、夜の学校に放り込まれてもケロッとしている。
特に、ショウの肝の据わり方は半端ではなかった。幽霊などには人並みに怖がったりするものの、抵抗そのものは高いのか聞くだけ聞いて「どうかしたか?」なんて言ってのけたりするのだ。ハルアも幽霊などは信じていないし、あれで存在するだけで幽霊が浄化される浄化装置なので幽霊など敵ではない。
きっと未成年組なら内側からめちゃくちゃに破壊してくれるだろう。そうに決まっている。
「まあまあ、ユーリぃ。やっちゃったものは仕方ないんだからぁ、とっとと解決してお外に出ようねぇ」
「嫌だぁ、ちくしょー」
ユフィーリアはエドワードの手によって抱きかかえられ、問答無用で校舎めがけて引き摺られた。
ただでさえ、こんな幽霊とかお化けとか怖いものが苦手なのだ。幽霊は滅べばいいし、お化け屋敷なんて終焉させるべき悪しき文化だと思っている。それなのにこんな劇型魔法絵画に巻き込まれるなど、冗談ではない。
どうにかして回避できないかと思った、その時だ。
――ぴしゃーんッッ、ゴロゴロゴロゴロッ!!
盛大な雷光と共に、轟音が耳を劈いた。
「あ、雨」
抱きかかえられた状態のユフィーリアがそう呟いた瞬間、エドワードが膝から崩れ落ちるのに巻き込まれた。
「ちょ、おい!?」
「あばば、あばばばばばばばばばば!!」
「イダダダダダダダダダ締まってる締まってる内臓出るからせめて腕の力を緩めろ馬鹿!!」
雷が鳴り響いたことで、エドワードはユフィーリアを抱き枕の代わりにしてガタガタと震えていた。
今まで余裕の表情だったエドワードが見る影もないのだが、彼は雷が大の苦手だった。雷を前にするとこんな風に腰抜けになってしまうのだ。
それは幽霊を前にしてポンコツになるユフィーリアと同じである。だから雷が苦手なエドワードのことを笑えない。
そのうち身体を叩き始めた雨粒に全身を濡らす羽目になり、ユフィーリアは舌打ちをする。
「おい校舎まで頑張れ、校舎に入ったら抱きついても何でもいいからとにかく校舎まで頑張れ!!」
「おごごごごごごごごごごご」
「叫んでる暇があるなら校舎まで動け!! 感電死するぞ!!」
「あががががががががががががが」
ガタガタと震えるエドワードに抱きつかれながらも、ユフィーリアは彼を何とか引き摺って廃校舎の扉の前に立つ。
扉に嵌め込まれた窓ガラスは埃かぶっており、何年も放置されているのは明らかだった。真鍮製のドアノブも青錆のようなものが浮かんでおり、さらにドアノブと扉本体の隙間に蜘蛛の巣が張られているので、触れるのを躊躇ってしまう。
それでも雷がゴロゴロと鳴っているし、玄関の軒先を叩きつける雨粒の勢いが凄まじいことになってきたので、ユフィーリアは意を決してドアノブに触れる。
――がちゃ。
扉が開いた。
どうやら鍵はかかっていなかったらしい。
扉を開けようとしたその瞬間、
じいっ。
扉の隙間から、硝子玉のような眼球が覗いていた。
「ひいッ」
ユフィーリアは思わず扉から手を離してしまう。
パタン、と音を立てて扉が閉じた。
薄い扉の向こうから、パタパタと足音が遠ざかっていく。扉の向こうに誰かがいたのは間違いないようだ。
「え、今の……」
「おべべべべべべべべべべ」
がらがら、ぴしゃーん!! と雷鳴が轟く。
エドワードの苦手な雷がすぐ側で落ち、彼の太い腕がユフィーリアの首に巻きついてくる。殺す気だろうか。気づいているのか不明だが、ユフィーリアを殺せばエドワードも同じ末路を辿る羽目になる。
そんなことも気づかないぐらいに、エドワードは震えていた。ガタガタと身体の震えが伝わってくる。彼の精神状態が大変なことになっていた。
ユフィーリアは湧き上がってくる恐怖心を根性で捩じ伏せ、
「幽霊がナンボのもんじゃい、おらァ!!」
気合いと共に、ユフィーリアは扉を勢いよく開けた。
蝶番の軋む、ギィという音が耳朶に触れる。
扉の向こうに広がるのは、真っ暗な空間。墓石のように闇の中を立ち並ぶ靴箱は全てが埃を被っており、靴を収めるだろう棚には蜘蛛の巣が張られている。木製の床は足を乗せるとギシギシと軋んだ音を奏で、下手をすれば床板をぶち抜いてしまいそうな雰囲気があった。
そして全体的に薄暗い。天井に埋め込まれた照明はすでに明かりが途絶えており、窓から差し込む稲光だけがまともな光源と言ってもいいぐらいだ。
「埃臭えなァ」
「あばばばばばばばばばばば」
「建物の中に入ったんだから、少しは落ち着け」
ユフィーリアはエドワードを引き剥がすと、雪の結晶が刻まれた煙管を一振りして魔法を発動させる。
全身が雨に濡れたせいで衣服がびしょびしょに濡れている。もはや下着まで濡れているので不快で仕方がない。
魔法で発動した温風を全身で受け止めて、濡れた衣服を乾かすユフィーリア。ついでに埃っぽい床にしゃがみ込んで頭を抱えるエドワードの濡れた衣服も乾かしてやる。幽霊は苦手だが、大袈裟に怖がり続けるエドワードがすぐ近くにいるおかげでいくらか冷静になれた。
ユフィーリアは濡れたエドワードの灰色の髪を撫でてやり、
「エド、もう建物の中に入ったって言ったろ。感電の心配はねえんだから」
「ま、まだ聞こえるよぉ」
エドワードはユフィーリアの手を掴むと、涙声で縋り付いてくる。
「ゴロゴロってぇ、外から聞こえるもんねぇ。やだよぉ……」
「そんな筋骨隆々とした肉体を持っておきながら、女の子みてえなことを言ってんじゃねえよ。せめて立て、手ェ握っててやるから」
エドワードの大きな手に自分の手を握らせて、ユフィーリアはようやく彼を立ち上がらせる。身長2メイル(メートル)超え、体重も3桁のエドワードを引き摺って歩くなどユフィーリアには不可能な芸当だ。かろうじて先程は魔法を使うことが出来たが、魔法が使えなくなった時が怖い。
この世界は絵画の中だ。複雑に絡み合う魔法によって構成されており、いつ魔法の使用禁止を言い渡されるのか分からない。魔法でエドワードを引き摺っていくことも出来るが、魔法が使えなくなった時が怖いのでやらない。
メソメソと涙を流すエドワードを小突くユフィーリアは、
「ほら、とっとと行くぞ」
「うん……」
「泣くなよ、建物の奥に行けばどうせ聞こえなくなるだろ」
そう慰めの言葉をかけてやりながら廃校舎に遠慮なく足を踏み入れるユフィーリアだったが、
――がらーん、ごろーん。
何だか錆びついた印象のある鐘の音が、校舎全体に鳴り響く。
ユフィーリアの心臓がドキリと音を立てて跳ねた。
学校だから鐘の音が聞こえるのは当たり前だが、やけに歪んで聞こえてきた。壊れているのだろうか。
ただ、鐘の音が聞こえてきたということは、授業開始を告げる音で間違いないだろう。何の授業が始まるというのか。
「……進みたくなくなってきたな」
「おべべべべべべべべ」
「お前はまた泣くなって。雷は室内まで落ちてこないから、な?」
また校舎の外で聞こえてきた雷鳴に震え始めたエドワードを慰めつつ、ユフィーリアはとりあえず窓から離れるようにする。
雷が苦手なエドワードと、幽霊が苦手なユフィーリア。
2人からすればこの絵画の世界は、紛れもなく『最悪』の一言に尽きた。
《登場人物》
【ユフィーリア】強がっているが、お化けが苦手。雷は比較的平気なので、雷雨の日はエドワードの抱き枕にされる。
【エドワード】雷が苦手。お化けは比較的耐性があるのか、ユフィーリアの肉壁にされる。