第1話【問題用務員と絵画】
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
学院長であるグローリア・イーストエンドの怒声が、今日もヴァラール魔法学院内に響き渡る。
怒髪天を突く勢いで怒鳴り散らす学院長の前には、いつもの如く問題児と呼ばれる用務員の5人が正座で並んでいた。
ついでに言えば、彼らの近くには何やら気持ち悪い物体がふわふわと漂っていた。綿埃に枝のような手足を突き刺した謎めいた怪物に3つの眼球を持つ象、赤い絨毯が敷かれた廊下を這い回る虚ろな眼球の亀などペラペラな状態で問題児の周りを取り囲んでいる。身体全体が紙のようにペラペラしているので、怪物の正体は現実に飛び出てきた絵であることが判明した。
反省する様子をサラサラ見せない問題児筆頭、ユフィーリア・エイクトベルは太々しい態度で「何だよ」と言う。
「いいだろ、平面絵画式召喚魔法で遊んだって」
「魔法で遊ぶな!! ていうか、この気持ち悪い絵を授業中の教室に侵入させるんじゃないよ!!」
「気持ち悪いって何だ、一生懸命描いたんだぞこっちは!!」
「知るか!!!!」
一生懸命描いた絵を「気持ち悪い絵」と言われて怒りを露わにするユフィーリアだが、グローリアがそれ以上に怒鳴りつけてきたので口を噤むしかなかった。
きっかけは、ユフィーリアが平面絵画式召喚魔法のやり方を記した魔導書を読んでいたことだった。かつてグローリアが孤児院の子供たちを相手に披露した、描いた絵を3次元に召喚するという魔法である。自分の描いた絵が現実に飛び出てきて、さながら生き物の如く動き回る様はとても幻想的だ。
ただし、その幻想的な絵が描ければ、の話である。ユフィーリアの底辺を這いずる画力では気持ち悪い絵しか量産できなかった。何を描こうと、模写をしない限りは下手くそのままである。
そこで聡明なお嫁さんの異世界知識を用いて開催したのが、
「問題児主催『左手で絵を描けるかな?』選手権だってのに」
「馬鹿なことをやってる暇があるなら仕事をしてほしいよ」
「やだ断る」
「給料をもらっている以上は働かなきゃいけないんだよ」
「ぽよ?」
「引っ叩けば治るかな」
「最近、お前ってば暴力行使も辞さなくなったよな。学院長としての冷静な判断はどうした?」
まあ、グローリアのようにもやしの拳を受け止めたところで、普段から問題行動で鍛えられているユフィーリアたち問題児が相手では痛くも痒くもないのだが。
グローリアも自分が非力であることは理解しているのか、拳を握りしめるも殴りかかることはなかった。握った拳を無理やり開き、暴力で解決したい本能を抑制する。その表情は納得しているようなものではなく、彼に少しでも筋力があれば殴りかかっていたことだろう。
暴力ではなく罰則で問題児を懲らしめることにしたらしいグローリアは、
「とりあえず、この得体の知れない怪物どもをどうにかして。それから反省文も提出して、4000文字以上だよ」
「全部『ごめんなさい』で埋め尽くしてやる」
「そんなことをしたら今月の給料は9割減額だからね」
「おぼあッ!!」
容赦のない減給を言い渡された問題児は、仕方なく真面目な反省文作成に取り掛かるのだった。
「まず先に平面絵画式召喚魔法で出した怪物どもをどうにかして!!」
「可愛いからいいだろ」
「ペラペラなんだしぃ、ぶつけられても痛くも痒くもないじゃんねぇ」
「授業の教室に侵入するぐらいで実害はなし!!」
「それよりも大変なのは4000文字以上の反省文よネ♪」
「ユフィーリアが生み出した可愛らしい動物たちに文句があるんですか?」
「消せーッ!!」
反省文に取り掛かろうとしたところ、学院長がまず先に平面絵画式召喚魔法で呼び出した得体の知れない怪物たちの除去を命じてきたので、名残惜しいが問題児が利き手ではない手で生み出した怪物たちは平面の世界に戻されることとなった。
☆
そんな訳で、である。
「何でアタシらが代表して出さなきゃいけねえんだ」
「仕方ないじゃんねぇ。ハルちゃんが知恵熱を出しちゃってパンツ1枚で廊下を走り回るなんて奇行をし始めたからぁ、ショウちゃんが追いかけなきゃいけなくなったしぃ」
完成した反省文の束で筒状に丸めてみたり、逆に広げてバサバサ揺らしてみたりと手持ち無沙汰に弄ぶユフィーリアは深々とため息を吐いた。
問題児主催『左手だけで描けるかな?』選手権を開催して平面絵画式召喚魔法を実践し、大いに楽しんだし誰も彼も怪物を生み出す結果になったので「お前らもアタシの画力を馬鹿に出来ねえじゃねえか」「利き手じゃないなら仕方ないじゃんねぇ」というやり取りもあったが、非常に面白い出来事だった。今でも思い出すだけで笑える。
ただ、平面絵画式召喚魔法で出した怪物どもが、授業中の教室に突撃してしまったのがよくなかった。おかげで学院長に見つかる羽目になり、めちゃくちゃな勢いで叱られた。そのうち脳味噌の血管が切れるんじゃねえかと心配したほどだ。
一緒に反省文を提出しに行く仕事を任された筋骨隆々の巨漢――エドワード・ヴォルスラムは、
「提出すれば終わりじゃんねぇ。楽勝でしょぉ」
「内容をその場で確認されて、書き直しを命じられなければ楽勝なんだけどな」
しかも4000文字以上である。もう自分が何文字の反省文を書いたのか分からないぐらい、途方もない文字を書き連ねてきた。これで書き直しを命じられでもすれば、今度は問題児側が暴力を行使することになりそうだ。
いっそ学院長室に反省文の束を投げ込んで「これで終わりだァ!!」と叫んで逃げればいいだろうか。用務員室に逃げ帰る隙に、大きな赤い×と共に反省文の束が返却されそうである。まだされた訳ではないのに、何だか無性に腹が立ってきた。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、清涼感のある煙を吐き出す。
「もういい、とっとと提出する。それでショウ坊に『よく頑張ったな』って頭を撫でてもらうんだ」
「そこまで疲弊していたらぁ、ショウちゃんが最初にやるのは学院長の処刑だと思うねぇ。『ユフィーリアに何してくれてんですか』っていうドスの効いた声のおまけ付きだよぉ」
反省文の紙束を学院長の顔面に叩きつけてやることを密かに決意したユフィーリアは、目の前に見えてきた学院長室に急ぐ。
扉の前に立って、ノックすることなく扉を開け放つ。「グローリア、反省文を」まで言いかけてから、ユフィーリアは自分の言葉を打ち止めてしまった。
学院長室には誰もいなかったのだ。どうやら学院長のグローリアはまだ授業の真っ最中らしく、学院長室に帰ってきている様子はない。魔法を使って隠れているのかと室内を見渡すも、そのような影もないので本当に部屋へ帰ってきていないだけのようだ。
拍子抜けである。これなら適当な場所に反省文を置いて帰れば問題はない。
「ん?」
「何これぇ」
反省文の紙束を学院長の執務机に置いて行こうと思ったが、立派な執務机にはすでに先客がいた。
天板いっぱいに置かれた、大きめの絵画である。全体的に白と黒のみで構成されたその絵は、何だか不気味な雰囲気が漂っていた。
絵の中心部分には建物のようなものが描かれている。建物の形状は3階建て、凸の文字によく似ている。掲げられた時計には適当な時間が刻まれており、暗黒の空から降り注ぐ黒い雨を目一杯に受けて佇んでいた。
その絵を眺めるユフィーリアは、不気味な空気感に眉根を寄せる。
「学校か? 不気味な見た目をしてるな」
「これが学校なのぉ? どこの王立学院を題材にしたのよぉ」
「知るかよ。趣味の悪い絵描きがいたもんだ」
その建物が『学校』であるということは、ユフィーリアも何となく想像が出来た。
というのも、絵本などでよく登場する学校の形状があんな感じなのだ。分かりやすく学校という雰囲気を伝える為に省略されたそれは、ユフィーリアの記憶にも深く根付いている。
反省文の紙束を放り捨て、ユフィーリアは不気味な絵を改めて観察する。
「絵画の動きはなし。固着化魔法でもかけられてるのかな」
「でもぉ、その絵から魔法みたいな雰囲気はあるよぉ」
エドワードは鼻をひくつかせ、
「絵の具とかに混ざってぇ、雨の匂いと得体の知れない匂いがするねぇ」
「じゃあ魔法がかけられた絵ってことか。何の魔法がかけられてるんだかな」
ユフィーリアが白黒の絵画へ視線を戻すと、それを思わず落としそうになってしまった。
それまで動きが見られなかった、奇妙な学校の絵。適当に時間が描き込まれた時計を掲げる他、並んだ窓には何の影も見えなかった。絵画なのだからそうなっていて当然である。
だと言うのに、何故か。校舎に並んだ四角い窓に、白い人影のようなものがずらりと並んでいる。明らかにこちらを見ている。絵の外側にいる、ユフィーリアとエドワードを。
絵を学院長の執務机に戻したユフィーリアは、
「行くぞエド、すぐに出る」
「ねえユーリぃ、気のせいじゃなかったら校舎の窓から誰かが覗いていたように見えるんだけどぉ」
「気のせいだ気のせいそんなものはいない大丈夫だアタシらは何も見ていないし何も触っていないそうだろなあそうだよな!?」
「必死だってことは分かるよぉ」
現実に引き戻そうとしてくるエドワードの言葉を無理やり引き剥がし、ユフィーリアは急いで学院長室を離れようとする。
あんな怖い絵をこれ以上眺めていたくなかった。精神的におかしくなりそうである。夢にも出てきたら、こんなものを学院長室に置きっぱなしにしていたグローリアをどうにかしてしまいそうだ。
エドワードの腕を掴んで足早に学院長室を去ろうとするユフィーリアだったが、
――〈開演・真夜中人形学校〉
魔法を発動していないはずなのに、何故か意味不明な魔法が発動されてしまった。
「びゃッ!?」
「ぎゃあ!!」
途端に白い光が目の前に溢れ出し、問題児を包み込んだ。
学院長室に溢れた白い光は、数秒足らずで何事もなかったかのように消える。
それと同時に、反省文を届けにきたはずのユフィーリアとエドワードの姿も、学院長室から掻き消えていた。
《登場人物》
【ユフィーリア】心が疲れた時は、中庭の壁に描かれた未成年組の大作の絵を見に来る。
【エドワード】人物画からよく怖がられるも、それほど大したダメージにはなっていない。
【グローリア】風車が回る風景画をずっと眺めていたら、病気を疑われた。