第6話【問題用務員とクレーマー】
客足も落ち着いたところで、再び嵐がやってきた。
「おいコラ問題児、これはどういうことだァ!?」
「あ?」
そろそろ店じまいにしてもいいかな、と考えていたところで、購買部前に怒号が響き渡る。
商品を補充していたユフィーリアが顔を上げると、何やら柄の悪そうな生徒が食べかけのパンを片手に大股で歩み寄ってくる。確かあれはコロッケパンとして販売したものだったか。食べかけの影響で汚い歯形がついたパンを見せつけられても困る。
店舗を経営していると、少なからずこんな阿呆が湧いて出てくるのは必至である。面倒だが、こんな客を相手にするのも仕事のうちだ。
商品補充の手を中断したユフィーリアは、
「何だよ一体」
「パンの中に虫が入ってたぞコラァ、どうしてくれんだコラァ!?」
「虫ィ?」
生徒の主張にユフィーリアは眉根を寄せる。
問題児でも料理の腕前に絶対の自信を持つユフィーリアが、異物混入などの問題を起こす訳がない。自発的に「この材料を入れて混沌をもたらしてやるんだ♪」と思うぐらいなら魔法薬を相手の顔面に叩きつけた方がマシだ。食べ物で問題行動を起こせば自分自身の料理の腕前を疑われるのは分かっているので、そんな悪手は取らないと決めている。
ところが、生徒はこれが証拠だと言わんばかりに手のひらを突き出してきた。その上には油に塗れた蟻がピクピクと痙攣しており、瀕死の状態であることは火を見るより明らかである。
生徒はユフィーリアに詰め寄ると、
「これは弁償してもらわなきゃいけねえなァ? ええ!?」
「問題児を相手にイチャモンつけるとか、お前どんだけ勇者なんだよ」
ユフィーリアは呆れた口調で言うと、
「大体、その蟻がパンの中から出てきたって証拠はあるのか? お前が地面に落としたものを『新しいものに変えろ』って喧嘩を売ってるだけじゃねえの?」
「はあ? 客を疑うってのかよ!!」
「疑うさ。アタシは料理に異物を混入して楽しむような問題行動を起こしちゃいねえからな」
怒鳴り散らす生徒の主張を飄々とかわしていると、購買部の裏手で遅めの昼食を取っていたエドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウの4人がひょこりと顔を覗かせる。
「どうしたのぉ、ユーリぃ?」
「殺す!?」
「話は聞いていたけれど、いい度胸よネ♪」
「よほど死にたいと見えますね。父さんに言いつけて『冥府拷問刑』を適用しますか?」
「物騒だな、お前ら」
信頼に於ける問題児の仲間たちからの提案に、ユフィーリアは肩を竦める。
とはいえ、完全に否定できないのもある。
ユフィーリアはパンを屋外で作っていたのだ。うっかり虫が混入する可能性はいくらだってある。それがたまたま運が悪く彼が引き当ててしまっただけで、こうして不手際を主張しているだけかもしれない。その可能性は遥か彼方の確率だろうが。
このまま店の前で騒がれても面倒である。それなら簡単な方法で決着をつけようではないか。
「分かった、じゃあこうしよう。物体記憶時間遡行魔法を使って、そのパンから蟻が出てくりゃ土下座でも何でもしてやるよ」
「土下座だけで済むと思ってんのか? こっちは虫入りのパンを食わされたんだぞ?」
「分かった分かった、じゃあ弁償でも何でもしてやるって。面倒だなお前は」
ユフィーリアは「はい復唱」と言い、
「私は七魔法王が第三席【世界法律】の名前に誓い、嘘は言っていないことを宣言します。はい」
「私は――何で第三席の名前に誓うんだよおい」
「法律を制定したのが第三席【世界法律】だからな。この世の善悪を判決する役目を負っている。魔法裁判所でも第三席の名前に誓う行為はよくあることだしな」
七魔法王が第三席【世界法律】は、この世に法律を制定して秩序をもたらしたと言われる偉大な魔女だ。魔法裁判所と呼ばれる司法機関は【世界法律】に認められた裁判官であり、善人と悪人を分かつと言われている。弱きを助けて悪を挫くのが【世界法律】を筆頭とした司法関係者だ。
正義の象徴として語られる第三席【世界法律】は、こうした場合でも使用されることがままある。正義の象徴である【世界法律】の名前に誓えば、嘘を言えば厳しい罰が与えられると語られているのだ。嘘を嫌う【世界法律】は、詐欺などの罪には特に厳しい罰を与えることで有名である。
ユフィーリアに促されるまま生徒が復唱すると、
「はい、確かに聞き届けましたの」
「ッ!?!!」
生徒が勢いよく背後を振り返る。
視線の先に立っていたのは、真っ赤なドレスに真っ赤な髪が特徴の淑女――ルージュ・ロックハートである。彼女こそ第三席【世界法律】の名を冠する偉大な魔女その人だ。
ユフィーリアは彼女が店にやってくる姿が確認できたので、わざわざ第三席【世界法律】の名前を出した訳である。文句を言うことだけに視野が狭まっていた生徒は背後に佇む存在に気づくことなく、嘘を許さぬ【世界法律】の名前に誓ってしまった訳だ。
ルージュは不思議そうに首を傾げると、
「ところで、一体何の騒ぎですの?」
「こいつが買ったパンから蟻が出てきて異物混入だって騒ぐんだよ」
「なるほど、そのような理由があったんですの」
ユフィーリアの説明を受けて納得したルージュは、正義の象徴【世界法律】として居住まいを正す。
「それでは公平に判決を与える裁判官として、物体記憶時間遡行魔法の使用を許可しますの」
「ちょ、ちょっと待って、お待ちください!!」
ルージュの指示に待ったをかけたのは、ユフィーリアのパンに文句をつけてきた柄の悪い生徒である。往生際が悪く、第三席【世界法律】を前にまだ何か言い足りないようだ。
「物体記憶時間遡行魔法なんて、その、授業でもやっていないですし、それに」
「誰が貴方に使用しなさいと言いましたんですの? 生徒如きがこのような高等技術を使用するのは難しいんですの、ヴァラール魔法学院で学院長の授業を10年間ぐらい受ければ習得できる内容ですの」
生徒の主張を、ルージュは厳しく切って捨てた。
それなら使用するのは誰になるか。
この場で物体記憶時間遡行魔法などという難易度の高い魔法を使用できるのは、魔法の天才と言わしめるユフィーリアか第三席【世界法律】として有名なルージュぐらいのものである。ただしユフィーリアには異物混入の容疑がかけられており、ルージュは善悪を判決する裁判官に徹している。物体記憶時間遡行魔法を使えば何か作為が働く可能性だってある。
朗らかに笑ったルージュは、真っ赤な平たい板を掲げる。通信魔法専用端末『魔フォーン』だ。
「ちょうどお昼休み中ですの。学院長に事情を説明し、物体記憶時間遡行魔法を使用してもらうんですの」
「が、学院長はちょっと、ご多忙だし……」
「それはわたくしが判断するところですの。黙らっしゃい」
往生際が悪くまだ抵抗する生徒をピシャリと叱りつけ、ルージュは魔フォーンの表面に指を滑らせる。それから学院長の魔フォーンに慣れた様子で通信魔法を飛ばした。
「学院長、お時間取れますの?」
『どうしたの、一体。大丈夫だけど』
生徒の希望虚しく、多忙を極めていた学院長はお時間が取れた様子である。
「そこにいてくれて構いませんの、物体記憶時間遡行魔法を使用なさってくれませんの?」
『それはいいけど。でもどうして?』
「問題児の作ったパンから蟻が出てきたと文句をつけてきた勇者様がいらっしゃいましたの」
『うわ、命知らずだね。勇者というか馬鹿というか』
ルージュが現在地の座標を伝えると、魔フォーン越しに会話を交わしていた学院長は遠隔地から物体記憶時間遡行魔法を発動させる。さすが学院長、高度な魔法も遠隔操作が出来るとは見事だ。
薄紫色の魔法陣が、生徒の掲げている食べかけのコロッケパンを通過する。物体そのものが持つ記憶を再生するのが『物体記憶時間遡行魔法』の効果である。人間の記憶はその本人によって無意識のうちに書き換えられてしまう可能性があるが、物体に意思は宿らないので記憶を書き換えられることはない。
生徒の持つコロッケパンの記憶が再生される。掲げられた食べかけのコロッケパンが二重にブレたかと思えば、
「あ」
それは誰が口に出た言葉だろうか。
生徒の持っていたコロッケパンが、コロリとその手から落ちる。重力に従って地面に叩きつけられたコロッケパンは慌てて人間の手によって拾われた。おそらく購入した張本人が拾い上げたのだろう。
意思を持たない物体が、記憶を改竄できるはずもない。生徒が握りしめている食べかけのコロッケパンは、彼自身の不手際によって地面に落下したのだ。その際に蟻が張り付いてしまい、異物混入の騒ぎとなったようである。
物体記憶時間遡行魔法によって突きつけられた証拠を眺めていたルージュは、冷たい瞳を被告人の生徒に向ける。
「何か弁明はございますの?」
「…………」
生徒は泣きそうは表情で固まっているばかりだ。
問題児を相手取ってぎゃふんと言わせたかったのだろうが、残念ながら創立当初から名門魔法学校で好き勝手に生きている問題児に一般の生徒が敵う訳がないのだ。しかも小手先の脅しで屈するような精神もしていない。むしろ売られた喧嘩は借金してでも買うのが問題児である。
さて、この場合は見事に生徒が喧嘩を問題児に売ってしまったのだが、今更「間違いでした、許してください」という言葉が通じない連中であることはもうお分かりだろう。友人であればまだしも、目の前のチンピラ紛いな柄の悪い生徒は問題児とお友達ではないのだ。見逃す理由はない。
ユフィーリアは朗らかな笑顔で、
「まあ、誰にだって勘違いはあるよな。うん。問題児と呼ばれていたって、そこまで狭量じゃねえよ」
ただし、何事も例外はある。
「…………」
「…………」
ユフィーリアの背後には、狂気的な笑顔を見せる暴走機関車野郎と問題児筆頭を愛して止まない狂信者が控えていた。それぞれ煌々と黄金色の光を纏う剣と、歪んだ白い三日月の形をした魔弓が装備されている。使い手を選ぶ代わりに絶大な威力を誇る神造兵器である。
本気であんなものを振り回されれば、七魔法王でも無事では済まない。ましてやここにいるのは七魔法王より遥か下の実力しかない一般生徒である。態度だけはピカイチでも神造兵器を振るわれれば塵も残らない。
誰もが戦慄する凶器を携えた暴走機関車野郎と狂信者の2人組は、それはそれは楽しそうな声で言う。
「ねえねえショウちゃん。オレ、無性に鬼ごっこがしたい気分なんだ」
「奇遇だな、ハルさん。俺も鬼ごっこがしたくて堪らないんだ。誰かを追いかけたくてウズウズしている」
「異世界には鬼ごっこの時に使う台詞とかないの?」
「あるぞ。特別にハルさんに教えてあげよう。異世界のごく一部の地域で使われている言葉なんだ」
それから、問題児の中でも敵に回したら怖い部類に入る未成年組の2人が、揃って神造兵器を掲げた。
「「悪い子はいねえがああああああああああああああああ!!」」
「ぎゃあああああああああすみませんでしたすみませんでしたごめんなさい許してください命だけはあああああああああああああああ!!」
阿呆な生徒と未成年組による地獄の鬼ごっこが開始される。両者の絶叫は校舎中に響き渡り、事情を知った生徒には無惨にも見捨てられる運命を辿るのだった。
「ところでルージュ、お前もまさかパンを買いに来たんじゃねえよな?」
「まさかですの。異世界のパンですの、わたくしも興味があるんですの」
「お前の味覚に合う商品は置いてねえんだよな」
「マンドラゴラさえ使用していないんですの?」
「異世界にマンドラゴラがある訳ねえだろ常識を考えて出直してこい」
異世界のパンにマンドラゴラなどの劇物を扱っていないと知ったルージュだが、結局チョココロネとカツサンドをお買い上げしていった。
《登場人物》
【ユフィーリア】理不尽なクレーマーは魔法で解決。店員の態度が悪かったら手が出るか、足が出る。
【エドワード】理不尽なクレーマーは目線で解決。店員の態度が悪かったことは……そんな経験はないなぁ。みんないい人だよね。
【ハルア】理不尽なクレーマーは笑顔で解決。店員の態度が悪かったら「何でそんな態度なの!!」とデッケエ声で解決する。
【アイゼルネ】理不尽なクレーマーに遭遇したことがない。店員の態度が悪かった試しは今のところない。運がいいわね。
【ショウ】理不尽なクレーマーは炎腕と闇討ちで対応。店員の態度が悪かった試しはないが、接客をされると無意識で「ありがとうございます」とお礼は言っちゃう。
【ルージュ】異世界のパンと聞いて買いに来たら、裁判官みたいな役割を任された。何でですの?
【クレーマーの生徒】未成年組に追いかけられたのち、副学院長の魔法兵器実験として売り渡される。(魔法実験名:感覚遮断落とし穴)