第5話【問題用務員とチュロス】
「こんにちは!!」
聞き覚えのある声が響き渡る。
異世界パン屋に現れたお客様は、真っ白い修道服を身につけた聖女様である。何やら可愛らしいクマさん柄のお財布まで両手で握りしめ、新緑色の瞳を期待に輝かせ、ふんすふんすと興奮気味でご来店だ。
保健医のリリアンティア・ブリッツオールである。雑誌にあるダイエット情報に踊らされて食事を質素にしがちだった聖女様だが、最近では問題児による強制的な食育が功を奏し、こうして自らちゃんとご飯を食べるようになった偉い子だ。
商品棚から身を乗り出すユフィーリアは、
「おう、リリアか。ちゃんと昼飯か?」
「はい、母様!! 異世界のパンが販売されていると学院長様からそこで聞きました!!」
弾けんばかりの笑顔で応じるリリアンティア。異世界のパン屋について学院長であるグローリアから話を聞いたのだろう。彼も彼なりにリリアンティアが痩せ細るのを快く思ってはいないようだ。
「リリア先生、いらっしゃったんですね」
「こんにちは、ちゃんリリ先生!!」
「ハルア様にショウ様、こんにちは!!」
商品棚の裏手で焼き上がったばかりのパンを袋詰めしていた未成年組が、仲のいい保健医の先生の来店を笑顔で歓迎する。見知った顔を確認し、リリアンティアも嬉しそうに破顔していた。
「どんなパンがお望みでしょうか?」
「やっぱり甘いパンがいい!?」
「そうですね、ええと」
ショウとハルアに促されるまま、リリアンティアは商品棚に視線をやる。
商品棚に並べられているパンは、どれもこれもショウの異世界知識に基づいて作られているものばかりだ。形が珍妙なものでも美味しさは保証済みである。
リリアンティアは「あ」と声を上げ、
「このパン、ヤドカリさんみたいで可愛いです」
「チョココロネですね。お目が高いです」
ショウが「異世界を代表するパンの1つですよ」と言うそのパンは、確かにリリアンティアの言葉通りヤドカリのような形が特徴的である。中身に詰め込まれているのは滑らかなチョコクリームで、これまでも女子生徒を中心に売られてきた代物だ。
最愛の嫁曰く、このパンの名前は『チョココロネ』というらしい。中身に詰め込まれるのはチョコクリームかカスタードクリームが代表的で、ショウが「断固としてチョコクリームです、カスタードは2の次!!」と主張するので問答無用でチョコクリームが詰め込まれることになった。
リリアンティアはユフィーリアにチョココロネが詰まった袋を差し出し、
「母様、こちらのパンをください!!」
「それだけか?」
「え、ダメですか?」
「ダメに決まってんだろ」
チョココロネの袋を受け取ったユフィーリアは、
「まさかとは思うが、チョココロネだけで昼飯を済ませようとしてねえよな。ちゃんと購買部で惣菜の類を買うつもりなら、さっきの言葉は撤回してやる」
「チョココロネだけにしようかと思いましたが……」
「はいダメです、お前はまだ食育が必要です」
「にゅやッ!?」
まさかのお昼ご飯がパン1個宣言である。それだけで済むとでも思っているのか。せめてそこにサラダなどの惣菜を付け加えるのであれば許容範囲だが、パン1個で済ませるなど言語道断である。
ショウもハルアも、さすがにパン1個でお昼ご飯を済ませようと考えたリリアンティアを許すつもりはないらしい。「ダメだよ、ちゃんリリ先生」「リリア先生、それはダメです」と厳しい口調で一蹴していた。
商品棚から別のパンを手に取ったショウは、
「リリア先生はせめてもう1個ぐらいパンを買ってもらわなきゃダメです。栄養が行き届かず、ひもじい思いをさせるのは問題児の流儀に反します」
「いえそんな、身共はパン1個でも」
「そんなご多忙なリリア先生にお勧めのパンがこちらです!!」
ショウがリリアンティアの目の前に突きつけたのは、細長い菓子パンである。カリカリになるまで揚げられたそれには砂糖が満遍なくまぶされており、一目で甘いものだと断ずることが出来る見た目だ。
狐色の細長い棒のようなものから焦茶色、茶色など種類も多岐に渡って用意されている。それぞれ生地に練り込まれている調味料が異なるのだ。ついでに、周りにまぶしてある砂糖も若干変更してある。
瞳を瞬かせるリリアンティアに、ショウは自慢げに商品の説明をする。
「こちらのパンはチュロスと言いまして、朝ご飯では定番の商品です。異世界流に改造を施していますのでとても美味しいと思いますよ」
「あ、朝ご飯なのですか?」
「本当は砂糖をまぶしたものではなくて、ホットチョコレートにつけて食べるのが代表的と言われていますね。ドーナツよりもちょっと硬めの歯応えが美味しいんですよ」
ショウの説明を横で聞いていたユフィーリアもまた「へえ」と思わず口から漏れてしまう。
ホットチョコレートならばユフィーリアも知っている。それと合わせて食べるとなったら確かに美味しそうだ。その場合、砂糖をまぶすのではなくただ素揚げしたものの方がチョコレートの甘さをより感じられるだろう。異世界もなかなか面白いことを開発するものだ。
チュロスを包んでいた包装を遠慮のない手つきで破ったショウは、星形の先端をリリアンティアの口元に差し出す。
「さ、リリア先生。まずはがぶっといっちゃいましょう」
「いただきます!!」
「判断が早い」
ショウの差し出したチュロスの先端に、リリアンティアは小さな口を目一杯広げて齧り付く。
かと思えば、何故かスルスルとそのままチュロスがリリアンティアの口の中に吸い込まれていく。あっという間に細長いチュロスはリリアンティアの口の中に収納され、真っ白な聖女様はリスみたいに頬を膨らませて甘いチュロスを堪能する。
もぎゅもぎゅと頬いっぱいに詰め込んだチュロスを嚥下したリリアンティアは、
「美味しいです!! 外側はサクサク、中はモチモチ!!」
「お気に召してよかったです。2本目どうぞ」
「いただきます!!」
「躊躇しなくなりましたね」
チュロスの美味しさに感動するリリアンティアに、2本目のチュロスを差し出すショウ。その星形の先端にパクリと食らいついたリリアンティアの口の中に、みるみるうちにチュロスが吸い込まれていく。
新緑の瞳をキラッキラに輝かせ、砂糖がまぶされたチュロスを平らげるリリアンティア。そのまま3本目、4本目とショウが順調にチュロスを差し出していくたびに、彼女の口の中へ細長い星形の菓子パンがスルスルと吸い込まれていった。もはやそういう魔法兵器のようである。
その光景を眺めていたショウは、ポツリと一言。
「何だか全自動鉛筆削り機みたいだ……」
「ふにゃふおふにゃにゃ」
「リリア先生、せめて口の中にあるものを全部飲み込んでからお話しましょうね。淑女がはしたないですよ」
「むにゅにゅにゅにゅにゅ」
口の中に詰め込んだチュロスを飲み込んだリリアンティアは、清々しいほど綺麗な笑顔で言う。
「とても美味しかったです!!」
「チュロスを4本も平らげてしまった……」
「片手で食べられるこの『ちゅろす』なるパンはとても素晴らしい食べ物ですね。生地の色によって味が異なるのも魅力的です」
「お気に召していただけたようで嬉しい限りです」
満足げなリリアンティアに、ショウも思わず笑みをこぼす。チョココロネ1個で昼食を済ませようとしていたリリアンティアに、少しでも多くの栄養を与えることが出来て安心している様子だった。
「ちなみにリリア先生、チョココロネの他にもメロンパンというものがございまして。そちらは今なら何とアイスクリームが挟まってご提供されます」
「な、何とそれは豪華な……!!」
「ご用意しますか?」
「ぜひお願いします!!」
自然な流れでチョココロネとメロンパンサンドまで誘導された幼い聖女様に、問題児の小悪魔はニコニコの笑顔で「毎度ありがとうございます」と返す。
太らせるつもりは一切ないだろうが、売り方が何とも卑怯というか何というか。とはいえ、ユフィーリアもリリアンティアはもう少し太るべきだと考えているので何も言うことはない。
ショウの商才を購買部の裏から覗いていたエドワードとアイゼルネは、その売り方に戦慄していた。
「怖いよぉ、言葉巧みに売りつけられちゃうよぉ」
「ショウちゃんなら壺も高く売りつけそうよネ♪」
「お前ら、後輩を何だと思ってやがる」
チュロス4本分のお値段とチョココロネ、メロンパンサンドの代金もきっちりとリリアンティアからいただいたユフィーリアは、注文の品を用意し始めるのだった。
ちなみにリリアンティアが非常に美味しそうにチュロスを食べたので、彼女の後ろに並んでいた客がつられてチュロスを購入したのはもはや狙っているとしか言いようがなかった。
《登場人物》
【ユフィーリア】言葉巧みな最愛の嫁に言いくるめられることもままある。語彙力で勝てそうな気もしない。
【ショウ】決して騙すつもりはないのだが、語彙力は問題児で最強を誇るのでセールストークを展開させたら危ない。チュロスを食べるリリアンティアが全自動鉛筆削り機に見えてしまった。
【ハルア】後輩のショウに語彙力で勝てた試しがないし、勝とうとも思わない。
【エドワード】裏から様子を見ていた先輩の1人。語彙力最強の後輩に戦慄。
【アイゼルネ】裏から様子を見ていた先輩の1人。ショウと語彙力で言えば互角かもしれない。
【リリアンティア】問題児がいないのでお昼ご飯はパン1個で節約しようと思ったら、ものの見事に問題児に見つかってちゃんとご飯を食べさせられた。質素な生活には慣れているのだが、食べようと思えばちゃんと食べられる子。