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第4話【問題用務員と揚げパン】

 異世界パン屋が順調に売上を伸ばす中、嵐が来訪した。



「何をしているのかな、ユフィーリア」


「げ」



 今しがた出来上がったばかりのカツサンドを購入した生徒を見送ったユフィーリアは、次なる客としてやってきた相手の顔を見るなり呻き声を発した。


 穏やかな笑みを湛えたその人は、学院長であるグローリア・イーストエンドだ。問題児を目の敵のようにして説教してくる、名門魔法学校『ヴァラール魔法学院』の頂点である。

 当然ながら、まだユフィーリアたち問題児は問題行動を起こしていない。説教をされるような筋合いはないのだ。今回の移動式パン屋だって乗っ取った訳ではなく、元々の店主であるドゥブロ7人兄弟に押し付けられたような形である。本来であればユフィーリアたちだってお客様側だったのだ。



「何だよグローリア、まだ問題行動はしてねえぞ」


「じゃあ、いつものドワーフ族の店主さんたちは?」


「葬式だとよ。三男の嫁さんの妹さんが事故で亡くなったから、葬式に出なきゃいけねえって慌てて飛び出して行った」


「そうなんだ。それなら仕方がないなぁ」



 グローリアは呆れた様子で言うと、



「まあとりあえず、僕はお昼ご飯を買いに来ただけだから。サンドイッチとかある?」


「ダメです」



 グローリアの注文を即座に却下したのは、ぬるりとユフィーリアの隣にいつのまにか並んでいたショウだった。


 商品陳列用の棚にはまだパンが用意されているし、これから追加で焼くこともある。グローリアの注文品であるサンドイッチもハムとチーズのサンドイッチからゆで卵を使用したサンドイッチまで幅広い種類を取り揃えており、女子生徒や女性職員から人気が高かった。

 客が求める商品を売り渡すのが商売として基本だが、あろうことかこの聡明なお嫁様はそれを断った。客の求める商品だろうとガン無視である。


 そんな理不尽な接客をするショウがグローリアに示した代わりの商品が、



「学院長にお勧めなのがコッペパンです」


「こっぺぱん」



 ショウが商品棚から引っ掴んだものは、透明な袋に詰め込まれた短い棍棒のようなパンである。その名も『コッペパン』と言った。

 異世界を代表するそのパンは、バゲットを短くしたような見た目をしているにも関わらず硬くない。むしろふわふわとした柔らかい食感が特徴的であり、小麦のほのかな甘みが感じられるパンだ。ショウはこれに「惣菜やジャムなどを挟んで売るんだ」とやたら格好いい顔で言っていた。


 そんな間抜けな名前のコッペパンを手にしたショウは、何と包装を破きながら購買部の裏手に向かう。



「え、一体何しに行ったの?」


「さあ……?」


「何で君が分かってないんだ、ユフィーリア」


「分かる訳ねえだろ。これ全部、ショウ坊の知識に基づく異世界パンだぞ」



 ユフィーリアでさえ嫁の行動には、まだ分からないことが多いのだ。


 ややあって、ショウがトングを片手に戻ってくる。パン屋で見かける耐熱性のトングには、先程のコッペパンが挟まれていた。よく見るとコッペパンの表面がじゅわじゅわと何か液体のようなものを纏っており、湯気まで確認できる。

 考えられる事象としては、コッペパンを油に潜らせてきたのだろうか。惣菜やジャムなどを挟んで売り出すことを前提として考えられたコッペパンを、ただ油でカラッと揚げただけでは果たして何か意味があるのだろうか。


 じゅわじゅわに油を纏ったコッペパンを紙に包んだショウは、



「ここに砂糖をドバッと」


「うわあ!?」


「砂糖爆弾が!?」



 油で揚げてきたはずのコッペパンに、ショウが遠慮のない手つきで砂糖をドバドバと振りかけていく。ユフィーリアが料理で味付けする時に使う砂糖の量ではない、他人にお菓子を大量に渡す際に作る焼き菓子並みに投入していた。

 もちろん、ショウが作っているのは焼き菓子でもなければケーキでもない。パンである。異世界のパンにはこんな砂糖をドサドサと振りかける油まみれのパンが存在するのか。


 こんもりと盛られた砂糖をコッペパン全体に満遍なくまぶしたところで、ショウは熱々の状態のパンを笑顔でグローリアに手渡す。



「お待たせしました、揚げパンです」


「あげぱん」



 パンの名前を復唱するグローリアは、ショウから紙に包まれた揚げパンなる商品を受け取る。


 安直な名前ではあるが、確かに的を射ている名称である。コッペパンという素朴なパンを油で揚げ、さらに味付けとして砂糖を振りかけるのは何とも簡単で素晴らしい商品ではないか。コッペパンさえ用意すればいくらでも簡単に作れそうなものである。

 料理の感覚で言えば、フライバゲットによく似ているだろうか。あれもバゲットを油で揚げてから生クリームなどで味付けをするおやつだが、ショウはこれを食事であると想定して提供した。異世界ではこのようなおやつじみたパンでもご飯として数えられてしまうのか。


 油が染み込んでくる紙に顔を僅かにしかめたグローリアは、



「……これ油が凄いね」


「揚げたてですからね」



 ショウはケロリとした表情で宣い、



「さあ、学院長。がぶりといっちゃいましょう、がぶりと。揚げたてが美味しいんですから」


「ああもう急かしてくるなぁ、食べるけどさ」



 ショウに急かされるまま、グローリアは揚げパンを包んでいる紙を捲って砂糖がまぶされた表面に齧り付く。


 コッペパンに染み込んだ油がじゅわっと溢れ出し、グローリアの口の端を伝って地面に落ちる。鬼のように砂糖が振りかけられているのでどう足掻いても口の周りは汚れるし、よく見たら大量の油で口元がちょっとてらてらしていた。

 さすが揚げパンである。簡単な材料でここまで美味しそうなものに変貌を遂げるとは驚きだ。異世界にはまだまだユフィーリアの知らない料理が存在しているのかもしれない。


 口の周りを手巾で拭きながら、グローリアは言う。



「うん、まあ、甘くて美味しいね」


「それはよかったです」



 ショウは満足げに胸を張る。異世界のパンを褒められたことでちょっと嬉しそうだ。



「ところで、どうして僕にこんなものをお勧めしてきたの? 確かに異世界料理には興味があるけれど」


「ああ、単にカロリーが高くて太りやすいパンですからね」



 グローリアの質問に何でもない調子で応じたショウに、揚げパンを食べていた学院長の動きが止まった。


 カロリーは食事において重要な部分である。特に太ることを気にする女子生徒や女性職員は気にする要素で、問題児でもアイゼルネは「カロリーが高いものは天敵ヨ♪」と悲鳴を上げている。そんなことなど知ったこっちゃないとばかりにユフィーリアは料理もおやつも作るのだが、一応は太りやすさの要素も気にしていたりするのだ。

 学院長の食べていた揚げパンが美味しそうで、次の客である女子生徒は同じものを注文しようと思っていたようだが、ショウの「カロリーが高くて太りやすい」という一言でピタリと動きを止めていた。揚げパンを示そうとしていた指先が、スッと元に戻される。


 ショウに非難するような目線をやるグローリアは、



「どうして僕にそんなカロリー爆弾みたいなものを食べさせようと……」


「学院長は痩せすぎなんですよ。もう少しお肉をつけた方が見栄えがいいですし、威厳も出ます。今の状態ではもやしです」



 ショウは自分自身を指差し、



「一方で俺は鶏ガラのような身体でしたが、ユフィーリアとエドさんによる食育の効果も発揮してもやしにまでステップアップです。このまま標準体重に戻して、ゆくゆくは父さんみたいな高身長細マッチョを目指すのです」


「それを僕に強要するの……? 今更な気がするんだけど……?」


「うるさいですよ。昨日だって昼食を購買部で買ったクロワッサン1個で済ませた学院長が言っていい台詞ではないです。忙しいからとまともに食事を取らないと、いつか不健康で冥府の法廷に立たされて父さんに説教されるんですからね」


「止めて本当にありそうで怖いことを言うの!!」



 グローリアは「分かったよ、もう」とぶつくさ言いながら揚げパンを食べ進める。不味いとは感じないようで、口の周りを砂糖でベタベタに汚しながらも食べる手は止めない。

 体重制限など気にしない様子の生徒は教職員はグローリアの食べる揚げパンを心底羨ましげに視線を注いでいたが、やはりカロリー爆弾である部分が気になるのか女子を中心とした一部の生徒や教職員は距離を取っていた。油で揚げてあるから美味しそうには見えるだろうが、ショウの「太りやすい」という残酷な言葉が蹈鞴を踏ませている様子である。


 さらにショウはグローリアに、カリカリのトーストで作った雪鮭とクリームチーズのサンドイッチをグイと押し付ける。



「太れとは言いますが、何も糖質の馬鹿高いものを阿呆みたいに食べたらそれこそ健康を害します。あとはこのサンドイッチで我慢してください。多めに包みましたので夜ご飯もちゃんと食べてくださいよ」


「君が僕の健康を気遣うなんて、明日は嵐でもやってくるのかな?」


「おや、嵐でも起こしてほしければいつでも起こしますよ。何なら今すぐにでもやります?」


「絶対に止めて。失言だったことは謝るから」



 グローリアは押し付けられたサンドイッチの代金と、揚げパンの代金まできっちり支払って行列から避けた。揚げパンに関してはその場で完食を目論むようである。サンドイッチの紙包みを抱えた状態で、もそもそと揚げパンを口に運んでいる。

 次に並んでいた生徒の接客は、ショウが対応することになった。ユフィーリアは新しく作られることになりそうな『揚げパン』とやらの調理手順を確認する必要があり、購買部の裏手に用意した簡易的な調理場に急ぐ。魔法で設けた調理場にはエドワードがカツサンドの仕込みをしている真っ最中だった。


 ユフィーリアはとりあえず商品棚に陳列していたコッペパンを転送魔法で手元に呼び出し、



「揚げパンの調理が追加されたな」


「俺ちゃんも食べてみたぁい」


「客が捌けたらな」



 異世界パン屋の営業はまだ続く。

《登場人物》


【ユフィーリア】たまに学院長の食育も強制的に開催する、食事に関しては容赦しない問題児筆頭。もやしは教育だ!

【ショウ】揚げパンの魅力には小学生の給食で気づいた。きなこの揚げパンが大好きだが、砂糖の揚げパンも捨てがたい。この世界にきなこが見当たらなかったので砂糖で販売。


【エドワード】揚げパンの調理工程も追加され、ちょっと食べたくなってきた。早くお客さん捌けないかな。

【ハルア】揚げパンを使っている最中につまみ食いをしようとしてエドワードにぶん殴られた。

【アイゼルネ】カロリーの高いものは天敵ヨ♪


【グローリア】もやし代表の学院長。たまに問題児の手によって飯を強制的に食わされるが、悪い気はしていない。でも自分の生活を改善するつもりもない。

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― 新着の感想 ―
やましゅーさん、おはようございます!! 新作、今回も楽しく読ませていただきました!! 揚げパンの作っている過程の描写や、出来上がった揚げパンがすごく美味しそうに描かれていてとても楽しかったです!!お…
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