第3話【問題用務員と異世界パン屋】
昼休みが到来すると同時に、大勢の生徒が購買部前に雪崩れ込んできた。
「あれ?」
「店主は?」
「あのドワーフのおっちゃんたちは?」
「パンも並んでねえし、開店準備中か?」
購買部前に展開される無人のテントを前に、生徒たちは揃って首を傾げていた。
設置された商品棚には生徒たちのお目当て商品であるパンが並んでおらず、また見慣れたはずのドワーフ族7人兄弟の姿も存在しない。開店準備中であることを疑うのは当然のことである。
ちょうど商品棚の裏側に潜んで並べる為のパンを袋詰めしていたユフィーリアは、ひょこりと商品棚の裏から顔だけを出す。
「おう、もうちょっと時間かかるから待っとけ」
そう言うと、空っぽの商品棚に近寄ろうとしていた生徒たちが一斉に距離を取った。
「げえッ、問題児!?」
「まさかドワーフ族のおっちゃんたちを始末したのか!?」
「移動式パン屋を乗っ取りやがった!!」
何だか酷い言われようである。「移動式パン屋を乗っ取った」とは、まあ確かに問題児であればやりそうな気配はあるが。
ユフィーリアからすれば、半ば無理やり移動式パン屋の経営を押し付けられただけである。あのドワーフ族7人兄弟のドゥブロの連中は今頃、三男の嫁の妹の葬式に出ている頃合いだろう。その事実を知らなければユフィーリアたち問題児がドゥブロ兄弟を始末して移動式パン屋を乗っ取ったと言ってもいい。
ようやく最後の1つを袋に詰め終えたユフィーリアは、雪の結晶が刻まれた煙管を一振りして店頭に立つ。袋に詰めたばかりのパンを魔法で店頭に並べると、生徒たちが俄かに騒がしくなった。
「さあ、問題児による異世界パン屋の開店だ。じゃんじゃん買ってけ、野郎ども」
陳列されたパンたちは、どれもこれも見たことのないものばかりである。ユフィーリアもショウから異世界知識を授かりこれらの品々を作ったが、今まで作ったことのない類のものなのでちょっとばかり苦労したものだ。
ドーム状の形をし、網目が刻み込まれた甘いパン。見た目はバゲットだが食感が非常にふわふわしたものに、茶色い麺を挟んだパン。ヤドカリのような形をしており、中身に濃厚なチョコクリームをたっぷりと詰め込んだパン。プレッツェルを真っ直ぐに引き伸ばし、砂糖をまぶしたようなパン。――これら全て、ショウの異世界知識に基づいたものだ。
果たして本当にこれらの商品が売れるのか心配になる。中には用意されている材料では賄えないものもあったので、隣の購買部に駆け込んで用意してもらう羽目になったのだ。売れなければ間違いなく赤字である、問題児の財布が。
努めて笑顔で店頭に立つユフィーリアだが、得体の知れないパンに魔法薬でも仕込んでいるのかと警戒されて生徒たちはジリジリと後退していく。料理好きの名にかけて、そんな邪道なことはしないのに。
「ま、間に合った……あれ?」
問題児の問題行動を警戒して移動式パン屋のテントから距離を取る生徒たちとは対照的に、今しがた購買部前まで駆け込んできた赤毛の女子生徒は来訪者の数に反して行列が形成されていないことに驚きの声を上げる。
ハルアとショウの友人であるリタ・アロットだ。問題児の未成年組に代理購入を頼んだ商品を引き取りに来たのだろう、キョロキョロと眼鏡の奥に隠された緑色の瞳を購買部付近に巡らせている。
そんな彼女を見つけた未成年組が、テントの裏から飛び出す。
「あ、リタ!!」
「リタさん、いらっしゃいませ」
「ハルアさん、ショウさん。パン屋さんのお店番ですか?」
ユフィーリアの隣に並んで店頭に立つ未成年組の姿を認め、リタがどこか安堵の表情で駆け寄る。誰も行列に並んでいないので、お客さん第1号は未成年組の友人であるリタに決定された。
「そうだよ!! ドワーフのおじちゃんたちはお葬式に出かけちゃった!!」
「流れでお店番を頼まれてしまったんです」
「そうだったんですね。お疲れ様です」
リタは商品棚に視線を巡らせると、
「何だか随分と変わったパンが多いような気がするんですけれど……」
「異世界パン屋だからね!! 異世界のパンが並んでるよ!!」
「どれも美味しさは保証いたします」
ショウとハルアが自信たっぷりにそう宣言するものの、リタが商品を手に取る様子はない。彼女はウロウロと商品棚に視線を彷徨わせるばかりで、どれがどんなパンであるか判断できかねている様子だ。
「あの、差し支えなければどれがお勧めとかありますか?」
「お腹に溜まるパンの方がいいですか? それとも軽めのものがいいです?」
「午後の授業が魔法動物飼育学の基礎なので外に出るんです。出来ればお腹いっぱいになるパンがいいですね」
「それならこちらのパンがいいですね」
ショウが取り出したものは、商品棚に陳列されているパンとは別に用意されるサンドイッチなどの品目を記載したメニューである。今まで未成年組が手分けして作成したものだろう、手作り感満載な雰囲気がある。
厚紙を使用して作られたメニューには『カツサンド』『海老カツサンド』『メロンパンサンド』『揚げパン』などの商品名が並んでいる。前半はまだ予想できる商品だが、後半は名前だけ見ても想像つかない代物ばかりだ。当然、ショウの異世界知識に基づいている。
メニューを受け取ったリタは、
「あ、カツサンドも取り扱っているんですね」
「今ならもれなく揚げたてです」
「エドのお手製だから美味しいよ!!」
「じゃあカツサンドと――」
メニュー表の後半部分に視線を走らせたリタは、その表面を指差しながら店頭に立つショウとハルアに問いかける。
「このメロンパンサンドって何ですか?」
「こちらのですね、メロンパンを使っています」
ショウが手に取ったものは、ドーム状のパンである。表面のクッキー生地には網目が刻み込まれており、見た目だけで言えばメロンと言えなくもない。その正体はメロンを一切使用しておらず、バターの香りが漂う甘いパンだ。
「食べますか? すぐに出来ますよ?」
「あ、じゃあお願いします」
「ではカツサンドとメロンパンサンド、合わせて700ルイゼです。お金をご用意してお待ちください」
流れるように2つの商品を売り上げたショウは、メニュー表をリタの手から回収しつつ「エドさん、カツサンドの注文入りました」と購買部の裏手めがけて呼びかける。その隙に商品棚から袋詰めされたメロンパンの包装を破ると、足元から腕の形をした炎――炎腕を呼び出した。
ヌッと生えてきた炎腕に、袋から取り出したばかりのメロンパンを炙るショウ。炎腕の熱を受けてメロンパンの表面が狐色に焦げていき、熱が加えられたことで甘い匂いが鼻孔を掠めた。
炎腕によって熱したメロンパンを、ショウはユフィーリアに渡してくる。
「ユフィーリア、頼む」
「あいよ」
事前に聞かされていた調理方法を頭で描き、ユフィーリアはパンを切る為の包丁で熱々にされたメロンパンに切り込みを入れる。縦ではなく、横にである。ブツを挟むことを想定した切り方だ。
そこにハルアがテント裏で冷やされていたバニラアイスの箱を抱えてくる。お得用の巨大なアイスの箱だ。まだ手をつけられていない箱を雑な手つきで開封すると、ユフィーリアが切れ込みを入れたメロンパンにバニラアイスをこんもりと盛った。
最後に紙でアイスクリームを挟んだメロンパンを包んでやれば、メロンパンサンドの完成である。
「メロンパンサンドです!!」
「ご、豪快ですね!?」
驚くリタに、ハルアが完成したばかりのメロンパンサンドを手渡す。
「食べてみて!! めちゃくちゃ美味しいよ!!」
「え、あ、はい。じゃあ、いただきます……」
催促されたリタは、熱々のメロンパンにアイスクリームを挟むという豪快なメロンパンサンドに齧り付いた。
「お、美味しいです……!!」
「これぞまさに異世界知識の勝利です。やったぜ」
リタから「美味しい」の一言を引き摺り出せたのが嬉しいのか、ショウは拳を天高く掲げてガッツポーズを決めていた。
最初こそ、概要を聞いたユフィーリアは正気を疑ったものだが、スイーツ系として数えるのであれば確かに美味しかったのだ。熱々にされたメロンパンの生地にバニラアイスが染み込んでいき、熱々と冷え冷えの相性が抜群である。
パン生地もしっとりしているのでバニラアイスによく合い、気温も関係なしに片手で食べられるのがまたいい。下手をすれば溶け出したバニラアイスが垂れてくる可能性もあるのだが、そこはそれ、急いで食べれば問題なしという訳である。
すると、
「はぁい、カツサンドお待ち遠様ぁ」
「あら、注文者はリタちゃんだったノ♪」
購買部の裏手から紙製の箱を片手に握るエドワードと、紅茶の薬缶を手にしたアイゼルネが姿を見せる。カツサンドは1個500ルイゼというなかなかな強気のお値段設定をしていたが、無料で飲み物をつけるという売り方で落ち着いたのだ。
その場でカツも揚げてから提供するので手間暇がかかっており、500ルイゼではむしろ安すぎるようにも思える。まあヴァラール魔法学院は名門魔法学校なので金持ちも多いので、500ルイゼなど簡単に出せる生徒も多そうだ。
出来立てのメロンパンサンドを堪能していたリタは、
「あ、すみません。ありがとうございます」
「これ食べて午後の授業も頑張ってねぇ」
「はい。――うぇあ!?」
カツサンドの容器を受け取ったリタは、驚きの声を上げた。
それもそのはず、カツサンドの中身が思った以上に分厚いのだ。キャベツの千切りと一緒に挟まれた分厚い肉には焦茶色のソースが染み込んでおり、食欲の唆るいい香りが漂ってくる。さらに肉を挟むパンはカリカリに焼かれた食パンで、いい塩梅に焼き色がついていた。
食パンはショウが小麦の配合までこだわった逸品である。随分と配合率に関してあれこれ注文をつけてきたが、カツサンドに合う為に作られたと言ってもいいぐらいに出来栄えはいい。
「え、これ大丈夫ですか!?」
「売れれば大丈夫だよぉ」
「逆に売れなければ赤字を出すだけだな、ここのドワーフ族のおっちゃんたちが」
「売れる為に頑張るよ!!」
「頑張っちゃうワ♪」
「もちろん本日分のお給金として材料費込みでドワーフ族のおじさんたちには請求しますが」
さて。
ユフィーリアは視線を、移動式パン屋のテントから距離を取っていた生徒たちに向ける。
リタが食べているものに興味があるのだろう。彼らは財布を握りしめたまま、じっと彼女に視線を向けていた。あれだけ美味しそうな商品を出されて、羨まないはずがない。
「お次のお客様はどいつだ?」
ユフィーリアがそう問いかけた瞬間、それまで問題児が店番をやっているということで警戒していた生徒たちが、一斉に移動式パン屋のテントに殺到した。
《登場人物》
【ユフィーリア】訳も分からず嫁に言われるがままパンを用意したが、なかなか美味しそうなパンばかりで羨ましい。興味があるのは焼きそばパン。
【エドワード】カツサンドの制作要員に割り当てられた。興味があるのはコロッケパン。
【ハルア】ショウと一緒に接客を頑張る。メロンパンのさくさくふわふわな食感が好き。
【アイゼルネ】片手で食べられるチュロスなるものに興味津々。
【ショウ】今回も元凶。異世界で食べてきたパン、そしてまだ食べたことのないパンを再現する為に知識を提供した。メロンパンの美味しさに気づいて一時期はハマりかけた。
【リタ】ショウ・ハルアの友人であるヴァラール魔法学院1学年。月に一度の移動式パン屋は授業を終えたあとだと大行列が出来ているので買えず、ハルアとショウに相談したら代理購入を申し出てくれたので悪いと思いながらも依頼した。メロンパンサンドにこのあとハマる。