第1話【問題用務員と移動式パン屋】
ヴァラール魔法学院には月に一度、移動式のパン屋がやってくる。
「普段は人気があって買えないパン屋でも、働かない用務員である我々には関係ないもんな」
「働かない万歳だねぇ」
「万歳!!」
「最高だワ♪」
「労働なんてクソ喰らえですね」
本日、移動式のパン屋がヴァラール魔法学院にやってくるということもあって働かない用務員として有名な問題児は購買部前を目指していた。
移動式のパン屋は購買部前に複数展開される。ヴァラール魔法学院から程近い場所にある学生都市『イストラ』は小麦の名産地であり、その影響でパン屋が非常に多いのだ。パン屋が軒を連ねる激戦区である。
ヴァラール魔法学院に主食となるパンを卸しているのも学生都市『イストラ』のパン工房だし、移動式のパン屋が月に一度の頻度で訪問するし、この名門魔法学校にとってパンはすでに身近なものとなっていた。特にこの月に一度の移動式パン屋は人気が高く、学生たちの手によって商品があっという間に駆逐されてしまうことで有名である。
しかし、現在は生徒たちも授業中。誰もいない隙を見計らい、こうして人気パン屋の商品を買い漁ろうと問題児は画策した訳だ。
「今回は惣菜パンが来てるみたいだからな、楽しみだな」
「この前はキノコのパニーニとかあったよねぇ」
「あったけえのが食いてえなぁ」
銀髪碧眼の魔女、ユフィーリア・エイクトベルは雪の結晶が刻まれた煙管を吹かしながらしみじみと呟く。
季節が冬に向かっていくからか、妙に寒くて仕方がない。氷の魔法を好んで使った影響で患った『冷感体質』がユフィーリアの体温を容赦なく奪い、何もしないでも寒くなっていくのだ。冷気を吸い上げる回数も増えているのは確かである。
現在も肩が剥き出しの黒装束では寒いので、首元まで襟が届く真っ黒なセーターに礼装を変換して着用している。袖も長めにしているので指先しか見えない仕様になっていた。最愛の嫁曰く「萌え袖可愛い」らしいが、異世界の知識はよく分からない。
「お腹に溜まるものが食べたいねぇ。いっそバゲット1本買ってぇ、自分で具材でも挟んでサンドイッチでも作ろうかねぇ」
「その挟む為の食材はどこから出すんだ?」
「用務員室の食料保管庫だよぉ」
「この野郎。購買部で自腹を切れ。夕飯用の食材とかもあるんだぞお前」
隣を歩く筋骨隆々とした巨漢、エドワード・ヴォルスラムを睨みつけるユフィーリア。
ただでさえ大食いのエドワードにサンドイッチなど作らせようものなら、食料保管庫にある食材を片っ端から引っ張り出してサンドイッチにしそうである。購入するバゲットは何本ぐらいになるだろうか。絶対に1本では済まなさそう。
エドワードは「いいじゃんねぇ」と言い、
「食料保管庫にあった鶏肉だけにするからさぁ」
「ふざけんな、あれは今日のチキンステーキ用の肉だ。飯抜きにしてやるからな大食いマッチョ野郎が」
まさかの夕飯用のステーキ肉が狙われていたことを知り、ユフィーリアはますますサンドイッチの許可を出せなくなった。下手をすれば今日の夕飯が質素になりかねない。
「エド、そんなことしてみろよ。未成年組をけしかけるからな」
「やらないよぉ、あとが怖いもんねぇ」
ユフィーリアの言葉にエドワードは身震いしながら応じる。
問題児の中でも知略と行動力に溢れたトンデモ野郎どもが未成年組のハルア・アナスタシスとアズマ・ショウだ。ユフィーリアの知識の引き出しには存在しない『異世界』の知識を駆使するショウと、阿呆ほど身体能力が優れたハルアの2人組は常識を簡単に超えてくるので敵に回したら厄介だ。
今日の夕飯が先輩用務員のせいで質素になると知れば、未成年組も黙ってはいないだろう。普段は兄貴と慕っているエドワードでも容赦はしない。ケツを狙われることは確定と言えよう。
そんな未成年組からの回答だが、
「えー、オレらそんなことしないよ!!」
「親愛なる我らが兄貴のエドさんにそんな酷いことはしませんよ」
ハルアとショウは揃ってそんなことを言う。
未成年組からの信頼を得ているエドワードは、ユフィーリアにどこか勝ち誇ったような表情を見せてくる。伊達に普段から兄貴と慕われていないということか。
こうなると未成年組をけしかけたところで、大した攻撃にはならない気がする。仲間にも他人にも容赦のない未成年組という手段がなくなってしまえば、あとはユフィーリア自らの手で始末する他はないだろう。
ところが、
「まあでも、ご飯がエドのせいで質素になるなら嫌いになるよ」
「育ち盛りを舐めないでほしいです。ご飯が減るということは、その元凶となる人物から距離を取るべきだと俺は過去から学びました」
ハルアとショウの容赦のない一言に、今度はエドワードが泣きそうな表情をユフィーリアに向けてくる。容赦ない切り捨て宣言を受け、彼のヨワヨワな精神がズタボロになりかけていた。
未成年組の言葉はつまり、『エドワードが原因で今日のご飯が減るなら嫌いになる』という単純明快なものだった。食の為なら厳しい判断も辞さない未成年組の姿勢は嫌いではない。
しょんぼりと肩を落とすエドワードの背中を、ユフィーリアは優しく叩くだけに留めた。情けも容赦もないお子様には分からぬ感情だろう。
「おねーさん、いつものシナモンロールがいいワ♪」
「紅茶にもコーヒーにも合うもんな、あれ」
「美味しいじゃなイ♪」
南瓜頭の美魔女、アイゼルネが「今日はどんなお紅茶に合わせようかしラ♪」なんて弾んだ声で言う。まだ移動式パン屋のラインナップを見ていないというのに、もう買ったつもりでいるようだ。
「まだあるって決まった訳じゃないだろ」
「女の子に人気の商品ヨ♪ あるに決まってるじゃなイ♪」
「今回もそうだといいけどな」
人気商品とはいえ、季節によって商品の入れ替わりが激しいのがパン屋である。前回の来訪時にあったとして、今回もまた店頭に並んでいるとは限らないのだ。
そうなったらそうなったで別の商品を買うか、類似品がもしかすると並んでいる可能性もあるので諦めるのはまだ早い。最初から『存在しない』と決めつけるものではないのだ。
そんな会話を交わしながら、問題児たちは移動式パン屋が集まる購買部前へ向かうのだった。
☆
購買部前には3つほどのテントが展開されているものの、用意された商品棚にはお目当てであるパンが並んでいなかった。
「まだ準備中か?」
「ええ? もう営業を始めてもいい時間帯だよぉ?」
そう言って、エドワードは自らの腹をさする。彼の腹時計は今日も現在のようである。
「ユフィーリア、あそこに誰かが集まっているぞ」
「もしかしてパン屋のおじちゃんたちじゃない!?」
未成年組の2人が指差した先には、何やら円陣を組んで話し合い真っ只中の子供たちがいた。
いや、よく見ると子供と見紛うほど低い身長でずんぐりむっくりな体型のおじさんたちだった。立派な顎鬚を蓄え、年季の入った鷲鼻と顔中の皺から相当な高齢者であることが窺える。「どうする?」「どうすんだ?」と低く野太い声で何かヒソヒソと言葉をやりとりしていた。
首を傾げたユフィーリアは、
「おーい、ドゥブロのおっさんたち。どうしたんだ?」
「お、おお。アンタら、問題児どもか。また今回も仕事してねえのか」
「うるせえ」
それまで円陣を組んで会話中だった身長の低いおじさんたちは、一斉に散り散りになるとそれぞれのテントに戻っていく。
彼らはドワーフ族と呼ばれる人種だ。成人しても子供と見紛うほど低い身長と立派な顎鬚、大きな鷲鼻が特徴的である。主に鍛治職人として有名な彼らだが、パン屋やお菓子屋などの食料品を取り扱うお店も最近では目立つようになってきた。基本的に手先が器用な種族なので、何でも出来てしまうのだろう。
このドゥブロと呼ばれたドワーフ族は、7人兄弟で移動式のパン屋を経営していた。兄弟でそれぞれ得意分野があるらしく、多種多様なジャムのみで勝負をしたり、惣菜パンが得意だったりと幅広いパンの種類が取り揃えられている。美味しさも保証されているので生徒たちからの人気も高い。
店主たちがテントに戻ったことでようやく営業が始まるかと思いきや、ドワーフ族の7人兄弟は商品を並べる素振りすら見せない。ため息を吐くばかりだ。
「……おいこれ何があったか聞くべきかな」
「聞いたら面倒なことに巻き込まれそうだよぉ」
「お腹空いたのに面倒ごとはやだよ、オレ」
「他人の事情に突っ込む首は持ち合わせていないワ♪」
「タダ働きの気配ですね」
問題児はヒソヒソと小声でやり取りをし、相手の事情には首を突っ込まないという方向に決める。変に首を突っ込んで問題行動として指摘されるのが嫌だ。
しかし、ドワーフ族7人兄弟はなおもため息を吐くばかりである。それどころか、今度は視線をチラチラとユフィーリアたち問題児に向けてきた。
あからさまな「お話を聞いてほしいな」アピールである。事情を聞けば最後、面倒なことを押し付けられるのは目に見えていた。
ならばもう、こうするしかない。
「よし帰ろう、パンはアタシが焼いてやるから」
「待て待て待て、事情を聞くぐらいはしてもいいだろうが!?」
「嫌だよ事情を聞いたら面倒なことに巻き込まれるんだろ!?」
口々に「帰るなんて酷い」とか「話する聞いてくれねえのか」と嘆くが、知ったことではない。勝手にやってろという話である。
「実はさ、嫁の妹が事故で亡くなったって聞いてよ。どうしても葬式に出なけりゃならねえんだ」
「事情を聞いちゃいねえのに語り始めたぞ」
「なりふり構っていられないって訳だねぇ」
「耳塞いでた方がいいかな!!」
「口も塞いだ方がよさそうだぞ」
「未成年組がついにお暴力の行使に出そうヨ♪」
空腹のあまり事情を語り始めるドワーフ族7人兄弟へついに暴力行使を決めた未成年組を、アイゼルネが首根っこを引っ掴んで止める。
事情をかいつまんで説明すると、7人兄弟の三男の嫁の妹が事故死してしまったようだ。損耗率も3割を超えており、死者蘇生魔法の適用を逸脱しているので葬式を執り行うことを決めた訳である。
ドワーフ族は冠婚葬祭などといった行事には、親族一同が参加するという文化が根付いている。兄弟全員で葬式に参加したいが、移動式パン屋で生計を立てているので1日でも売り上げがなくなると商売が立ち行かなくなるとか言っていた。そんな経営をしているのが悪くないか。
耳を塞いで話を聞かないようにしていた問題児だが、ドゥブロ7人兄弟からとんでもねーことを聞いてしまった。
「そんな訳だから問題児、経営は任せたぞ」
「え?」
「売れれば何でもいいわな。材料は揃えてあるから好きに使ってくれ」
「は?」
「じゃあ頼んだぞ」
「ちょ!?」
半ば強制的に移動式パン屋の経営を問題児に任せ、そのずんぐりむっくりとした体型に似つかわしくない素早さでどこかに走り去ってしまう7人兄弟。引き止めようにも、その姿はあっという間に見えなくなってしまった。
その場に取り残された問題児は、互いの顔を見合わせるしかなかった。
本当にふざけないでほしい。確かに料理の腕前に自信のある問題児だが、さすがにパン屋を経営できるかと問われれば微妙なところだ。出来なくはないが、人気の高いドワーフ族の移動式パン屋に匹敵するかどうかである。
「おいどうするんだこれ!?」
「何でよぉ!!」
「パンを買いに来ただけなのに!!」
「何でこうなるのヨ♪」
「日頃の行いがハプニングの女神様に愛されちゃってるからかな」
「そんな女神様には中指立てて唾吐き捨てとけ!!」
ちくしょー、という問題児たちの絶叫が晴れ渡った空に響き渡るのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】月に一度の移動式パン屋では腹に溜まるバゲットサンドやパニーニを買う。
【エドワード】月に一度の移動式パン屋ではバゲット1本買って、自分でサンドイッチにして食べてる。ショウ曰く「全自動鉛筆削り機」らしい。
【ハルア】月に一度の移動式パン屋ではクロワッサンをよく買う。いかにこぼさず食べるのか、ショウと競っている。
【アイゼルネ】月に一度の移動式パン屋ではシナモンロールを買う。どの紅茶に合わせるのか考えるのが楽しみ。
【ショウ】月に一度の移動式パン屋ではハルアを真似してクロワッサンをよく買う。メロンパンとか食べてみたいのにないんだよなぁ。
【ドゥブロ7人兄弟】移動式パン屋を営むドワーフ族。世界中を巡ってパンを販売している。