第9話【問題用務員と非合法終焉】
その夜のことである。
「ふひ」
夜の闇に沈むヴァラール魔法学院の校舎を見上げ、1人の男が笑い声を漏らす。
真っ黒な長衣で全身をすっぽりと覆い隠し、頭巾の下から覗く眼鏡が月明かりを受けてギラリと怪しげに輝く。身長は小柄な方で、長衣の袖から覗く彼の手首は異様に細く、それでいて肌も青白い。不健康そうな印象を植え付ける。
彼は堪らないと言った風体で身体を折り曲げ、笑い声を押し殺していた。これから始まる出来事に歓喜している様子である。手に握りしめる何かの装置を大事そうに撫でていた。
「あの学院長、徹夜が続くと判断が鈍るって本当だったんだな。ああ最高だ、これからのことを考えただけで興奮して眠れねえ……!!」
涎を垂らさん勢いで興奮気味なご様子の男は、後生大事に握りしめた装置を改めて持ち直す。気分はさながら神造兵器を携える英雄だが、見た目が完全に不審者然としているのは否定できない。
装置にはボタンのみが取り付けられており、遠隔で何かしらの仕掛けが発動する仕組みになっているようだ。「早く押せ」と言わんばかりに赤く塗られたボタンが月明かりを鈍く反射する。
男は親指を赤いボタンに這わせ、
「さあ、ショータイムだ!!」
そんなことを宣言して、赤いボタンを押した。
――――――――。
――――――――…………。
何も、起きなかった。
「は?」
カチ、カチカチと何度も何度も赤いボタンを押す。
それでも何も起きない。ヴァラール魔法学院に異変が起きない。
男は「クソ!!」と吐き捨て、
「一体どうなってやがる、試作機の実験と称して魔法兵器を潜り込ませたのに!!」
暗闇の中に、彼の悪態が吐き出される。
躍起になってボタンを何度も何度もカチカチカチカチと押しているが、一向に発動しない仕掛けに苛立ちが募るばかりだ。彼の表情にも焦燥感が見て取れる。
だからこそ気付かなかった。視野を広く持っていればすぐに気付くことが出来る位置にいたのに、男はボタンに夢中で見ていなかった。
爛々と暗闇に琥珀色の双眸を光らせる少年が、装置の作動に夢中な男の顔をじっと覗き込んでいた。
「ひぃッ!?」
上擦った悲鳴を漏らし、男は思わず手から装置を滑り落としてしまう。
ガシャン、と耳障りな音が地面に叩きつけられた装置から響いた。おそらく壊れてしまったが、そもそも作動するはずの仕掛けがうんともすんとも言わなくなってしまったのだから仕方がない。
無表情の少年は、男の手からすっぽ抜けた装置にただじっと視線をやっていた。それから何を思ったのか、転がる装置めがけて足を持ち上げ、容赦なくそれを踏み潰す。
粉々に壊れてしまった装置を前に、男は恐怖を感じざるを得なかった。今この時を漂う最悪の空気に泣きそうになる。
「『こんばんは、ご機嫌いかが?』」
不意に声がした。
ただの声ではない。少年と女性の声が、二重になって聞こえてきたのだ。
男はパッと顔を上げる。視界の中に立っている人物は、あの少年しかいない。
「『いやぁ、よくやったもんだよ。うちの学院長が徹夜した頃合いを見計らって魔法兵器の実験という仕事を潜り込ませるんだもんな。正常な判断をしないまま、実験って言葉に囚われて頷いちゃったんだろ。弱点が出ちゃったなぁ、こりゃあいつには健康な生活を送ってもらわないとダメそうだ』」
「お、おまッ、お前は一体」
「『よく作ったもんだよ、あの魔法兵器』」
少年の唇が動くたび、そこから紡がれるのは少年と女性の重なり合う声。それが非常に不気味極まりない。
「『魔法陣の方が主体だな、魔法兵器はガワだけ整えたものか。あの魔法陣は寝ている対象者を意のままに操る効果があった。心地いい睡眠をお届けすると謳っておきながら、実際は寝ている全校生徒・全教職員を自由に操る為だったんだな』」
男は息を呑んだ。
まさにその通りだった。
あの魔法兵器――というか、主体は魔法陣の方だ。魔法陣に仕込んだ魔法は『眠った相手を意のままに操る』というものだ。子機と呼んだあの小さな人形で眠った相手を操り、親機を通じることでその精度を高めるのだ。男の保有魔力では名門魔法学校の全校生徒を操作するなど難しいが、補助となる魔法陣を親機に仕込むことでそれを実現した。
男の目論見をピタリと言い当ててくるこの少年は、只者ではない。やはり名門魔法学校に属するだけはある。
「『で、だ。おそらく目的は七魔法王かな。寝ている間に七魔法王を操って全校生徒と全教職員にぶつけて相討ちか、もしくは学院の破壊でも目論んだな。――いいや違うか』」
少年はニィと口の端を吊り上げる。その様相はさながら悪魔のようであった。
「『第七席を操って七魔法王全員ごと、ヴァラール魔法学院を処分しようとしたかな。第七席は誰も敵わないからな』」
男の全身から冷や汗が噴き出る。目的まで相手には看破されていた。
まさしくその通りで、第七席【世界終焉】を操ってヴァラール魔法学院の破滅を目論んだ。第七席【世界終焉】は世界を終わりに導く死神――その戦力は七魔法王が束になっても敵わないとされている。七魔法王全員を操るよりも、七魔法王最強と呼び声の高い第七席【世界終焉】を操作した方が遥かに簡単だ。
出し抜いたと驕っていた。神の如く崇められている魔法使いや魔女でさえ、簡単に死ぬもんだと嘲っていた。大した連中ではないと、どこかで馬鹿にしていたのだ。
やはり、相手にするものではなかった。
「『どうした? 喜べよ』」
少年は1歩、距離を詰めてくる。
「『第七席がこうして会いに来てやったぞ』」
「ひ、ひいいいッ!!」
男は堪らず尻餅をついた。尻肉から伝わってくる鈍い痛みなど、今目の前にある恐怖そのものに比べれば屁でもない。
地雷を踏み抜いた。このまま与えられるのは終焉だ。この世から男の生きた証が何もかも消えてしまう。
そこまで考えて、ふと「待てよ」と思い止まる。終焉とはそれほど簡単に与えられるものだっただろうか?
「しゅ、終焉を与えるつもりか? 無理だろ、お前には出来ない」
「『へえ、何でそう思う?』」
「終焉は、他の七魔法王の許可がないとやっちゃダメなんだ。簡単に消し飛ばせないんだ!! 残念だったな、第七席!!」
勝ち誇ったように言う男だったが、
「『知ってるか? 終焉って、アタシ以外に覚えてる連中はいないんだよ。七魔法王も例外じゃない。あらゆる記憶、記録、その他諸々全てがこの世から消える。それが終焉だ』」
少年の、琥珀色の双眸が変わる。
蜂蜜を溶かし込んだかのような瞳に宿る、極彩色の輝き。幻想的なそれが真っ直ぐに男を射抜く。
悪魔のような笑みに、怖気がした。
「『アタシしか覚えていないのに、許可なんていらなくない?』」
そう言って、悪魔はどこから取り出したのか分からない禍々しい魔剣を振り下ろした。
☆
「おう、終わったか?」
「うん、終わった!!」
ヴァラール魔法学院の敷地内にある森の中に、ユフィーリアとハルアの会話が落ちる。
地面には誰かが尻餅をついた痕跡が残されているものの、足で蹴散らせばあっという間に消えてしまう。すぐ近くでは踏み壊された何かの魔法兵器が無惨に放置されていたが、魔法で溶かしてしまえば跡形もなく地面に染み込んで消えた。溶解魔法と呼ばれる便利な魔法だ。
ハルアと相対していた男は、レティシア王国の研究施設で勤務していなかった。ただ名門魔法学校の破滅を望んだクソッタレだったので、さっくりこの世からご退去願った次第である。わざわざ大量の人形を魔法兵器っぽく改造を施して、さらに本命である魔法陣を見えない位置に刻み込む労力は天晴れである。
ハルアの視界越しに男の存在を確認していたユフィーリアは、
「馬鹿が多いな。こんなので世界を終わらせて楽しいのかっての」
「ユーリ、こんなことならエドとかショウちゃんを眠らせる必要はなかったんじゃないのかな!!」
「あいつらの記憶領域にこんな馬鹿の存在をのさばらせるのが可哀想だろうがよ」
ハルアの言葉を、ユフィーリアは一蹴する。
この場にはユフィーリアとハルアしかいない。他の問題児――エドワード、ショウ、アイゼルネの3人は居住区画でぐっすり夢の中だ。事前に魔法で眠らせた上、副学院長のスカイから『都合のいい夢を見ることが出来る魔法兵器』を拝借し、彼らに装着してきた訳である。
ハルアのみを残しておいた理由は、彼が第七席【世界終焉】の共犯者だからだ。あんな変態野郎の前にうっかり姿を見せて興奮されても嫌なので、ハルアの視界と口を借りて変態野郎と会話をしていたのである。共犯者という存在を作っておいて正解だ。
首を傾げたハルアは、
「じゃあ、オレは覚えておかなきゃいけない?」
「正式に覚えておかなきゃいけない『終焉』を与えた連中ならまだしも、今回は非合法だから覚えておかなくていい。積極的に忘れろ、雑魚のことなんか」
「そっか!! 分かった、忘れるね!!」
元気よく頷いたハルアの頭を、ユフィーリアは「よし、いい子」と撫でてやる。
あんな雑魚のことなど覚えておいて得することなど、何ひとつない。忘れれば本当の意味でこの世から消え去る。確かにこの場にいたという証などなくなる。文字通り、そこで終わりだ。
頭を撫でられたハルアは、琥珀色の瞳を瞬かせると「でもさ」と口を開く。
「こんな非合法なことってよくあるの!?」
「いるんだよなぁ、七魔法王に対する馬鹿な思いを募らせる連中が。アタシら七魔法王だけを標的にするならまだしも、七魔法王を利用して世界を掌握しようとするのはいただけない。まあ、そんなことさせないように日々鍛えちゃいるがな」
稀に、本当に今回のようなことが起きるのだ。今回の事件は第一席【世界創生】のグローリアが連日徹夜をして正確な判断力を鈍らせたが故に起こり、それは見事に闇へ葬られた。
その稀に起こる事件が厄介なので、ユフィーリアはしれっとそんな連中を闇に葬り去って綺麗さっぱりと忘れるのだ。どうせ碌な連中ではない。自分が魔王様にでもなりたいのか。
ユフィーリアは「さて」と踵を返し、
「ハル、夜中に仕事をさせた対価を払おう。夜食にご興味は?」
「興味あり!!」
「何食いたい?」
「味の濃いものがいい!!」
「よし、じゃあエドがこの前作ったベーコンでパスタでも作るか。チーズ大量にかけてやろう」
「わあい!!」
「そういえばさっきお前が殺した奴は覚えてるか?」
「誰だっけ!?」
「よし、その状態を維持しろ。お前は何も知らない見てない覚えてない」
「あいあい!!」
すっかり夜食に意識を取られ、さっきまでの出来事など綺麗さっぱり忘れた様子のハルアに、ユフィーリアは胸中で苦々しげに舌打ちをする。
(やだね、人気者は。勘弁しろよ)
第七席【世界終焉】を操る――つまり自分を意のままに操って学院を破滅に導くということは、ユフィーリアの大事な嫁であるショウも己の手で殺してしまうことを示す。正気に戻った暁には、自分がどんな行動を取るか分かったものではない。
エドワードも、ハルアも、アイゼルネも、何もかも、意識のないまま己が手で殺害することは断じてならない。あってはならない最悪の未来だ。
脳裏をよぎったあの名前も知らぬ男の顔を踏みつけてやり、ユフィーリアは今度こそ彼のことを綺麗さっぱり忘れることにした。
《登場人物》
【ユフィーリア】言わなければ終焉などバレやしない。だって誰も知らないんだもの。
【ハルア】第七席の共犯者。得体の知れない男の前に上司を突き出さない為にカムフラージュ。夜食を作ってもらってご満悦。
【???】第七席の地雷を踏んだが故に、この世から見事に消し飛ばされた。誰にも覚えられずに消えてゆけ。