第1話【問題用務員と人形】
その日、ヴァラール魔法学院に巨大な荷物が届いた。
「うわ」
「何これぇ」
名門魔法学校の用務員であるユフィーリア・エイクトベルとエドワード・ヴォルスラムの2人は、目の前に聳え立つ巨大な荷物の箱にげんなりとした表情を見せる。
この荷物は今朝、学院長のグローリア・イーストエンドから「今日、大きめの荷物が届くから正面玄関に運び入れておいて」というお達しを受けたのだ。面倒なことこの上ないのでサボタージュを決め込もうとしたところ、減給を言い渡されたので仕方なく働くことにした訳である。
代表して主任用務員と副主任用務員でお荷物を出迎えたところ、見上げるほど巨大な木箱とご対面を果たした。ヴァラール魔法学院の正面玄関も天井は高いのだが、箱の高さは天井に届かん勢いがある。こんなものを転送魔法でドカンと正面玄関に送り込んできたので、いよいよ学院長はトチ狂ったのではないかと錯覚した。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を吹かしながら、間抜けな表情で巨大な箱を見上げている。
「え、これどうしろって?」
「どこに運べばいいのぉ?」
エドワードも首を傾げるばかりだ。
荷物は転送魔法でヴァラール魔法学院の正面玄関に送り込まれてきたので、ユフィーリアとエドワードがえっちらおっちらと運び込む必要はなくなった。これ以上の仕事が見つからないのだ。
あとはもう、包装を取り払って中身を取り出し、どこぞに設置するとか学院長室に送り込むしかない。ただこれほど巨大な代物を置く場所など限られてくるし、当然だが学院長室にも入らない。中身のブツが天井をぶち抜く羽目になる。
ではもう、やれることはない。
「帰るか」
「そうだねぇ」
ユフィーリアとエドワードは速攻で『帰る』という選択肢を取った。
仕事がないなら帰るのが当然の帰結である。これ以上に自分で仕事を見つけてやれなんて面倒なことを、問題児と称される用務員がやる訳がないのだ。勝手に届いたのだから勝手にやっていてほしい。
迷わず踵を返すユフィーリアとエドワード。まるで「今までちゃんと働いていました」と言わんばかりの堂々とした足取りで用務員室に引き返して行く。実際には転送魔法で唐突に正面玄関の中央へ送られてきた巨大な箱をただただ観察していただけなのだが、これで本日の業務が終わるのであれば楽なものだ。
しかし、
「勝手に帰るな、問題児」
「おびゃあ痺れ罠!?」
「ぎゃあああああああ!!」
足元に突然、魔法陣が展開される。
今まで魔法陣の存在が感知できなかったので、おそらく罠魔法の類だろう。あれらの魔法は『相手に気づかせない』ことを大前提とするので、魔法を仕掛けた形跡が残りにくい。うっかり気づかずに踏んでしまうと大変なことになるのだ。
そして、その罠魔法にうっかりユフィーリアとエドワードは嵌ってしまった。隠されていた魔法陣を踏んだ途端に襲いかかる電流。全身を痺れさせるほど刺激的なそれに、2人揃って甲高い悲鳴を上げる。
全身が真っ黒焦げになるかならないかといったところで、我魔法が効果を終える。フッと魔法陣は消失し、残されたのは全身をローストされたユフィーリアとエドワードの問題児2大馬鹿だった。
「やることはまだあるでしょ」
「お、おまッ、グローリアお前ェ……!!」
「サボろうとする君が悪いんでしょ、ユフィーリア。素直に仕事をすれば、僕だって罠魔法を仕掛けることはなかったよ」
廊下の奥から白い革表紙が特徴の魔導書を広げつつ、学院長のグローリアが姿を見せる。呆れたような口調で「全くもう」と言い、
「運ぶのは業者が転送魔法を使ってくれたんだね。じゃあ次は設置作業だよ、早いところ箱から出しちゃって」
「何でアタシがそこまでやらなきゃいけねえんだよ。お前が言ったのは『運び込め』だろ。運び込むのは転送魔法がやってくれたんだから、じゃあもう何もやることねえだろお役御免だろ」
「ん? ヴァラール魔法学院からお役御免だって?」
「お前の耳はどういう都合のいい解釈をする訳? そんな進んで無職宣言をする訳なくない?」
これ以上あれこれ突っかかっても、圧倒的に不利な状況に立たされているのは普段から働いていないユフィーリアたち用務員連中である。文句を言ったところで「働け」と一蹴される未来が見えていた。
仕方なしに、ユフィーリアは巨大な箱に近づく。
箱の材質は木で作られているようだ。綺麗な木目と自然の香りが鼻孔を僅かに掠める。巨大な品物を収納できるぐらいに立派な木箱をよくもまあ作り出せたものだと感心するが、世の中には魔法があるので大体の疑問は魔法が解決してくれると考えれば納得しちゃうものである。
とりあえず巨大な箱をぐるりと1周するユフィーリアは、
「あ、あったあった」
「何がぁ?」
「解除の魔法陣。この手の品物は箱にかけられた魔法陣に魔力を流すと、自然と分解される仕組みになってるんだよ」
まあ、そんな巨大な品物を送るようなことがないので馴染みはあまりないのだが、知識はしこたま詰め込まれたユフィーリアの脳味噌が目の前の魔法陣を解析する。
巨大な箱の側面に、これまた巨大な魔法陣が印字されていた。複雑な線と呪文で構成されたそれは、魔力を流すことで箱そのものを分解するように仕組まれた『解除魔法』と呼ばれるものである。種類によって色々と異なってくるが、今回は箱から中身を取り出す意味合いでの解除ということだろう。
ユフィーリアは、巨大な箱の表面に印字された魔法陣に手を伸ばす。手のひらが触れると魔法陣が薄青に輝き、サラサラと箱の上部から粒子になって消えていく。分解される瞬間も計算されているようで、高度な魔法であることが窺えた。
そして箱の中身として残ったものは、
「人形?」
「大きいねぇ」
ヴァラール魔法学院の校舎は3階建てだが、その人形は頭頂部が3階に届くほど巨大だった。台座に乗っているということもあるだろうが、それを差し引いてもなお人形は大きい。
金髪縦ロールという特徴的な髪型に、後頭部で揺れる真っ赤なリボン。閉ざされた瞼を縁取る長い睫毛は、瞬きだけで旋風でも起こせそうなほど立派だ。ぽってりと分厚い唇には真っ赤な口紅が引かれ、白い頬は血色よく見えるように化粧が施されている。
舞踏会にでも着ていくような幾重にもなったフリルのスカートと、裾から覗く踵の高い靴を合わせた姿はお姫様のようだ。露出はないが襟ぐりが開いた形状のドレスだからか、艶かしい鎖骨が丸見えである。細い首にはぐるりと1周するように線が走っているので、全体的に作り物であることが理解できた。
何だか豪華な見た目の人形を前に立ち尽くす問題児へ、グローリアが忠告する。
「それ壊さないでよ。借り物なんだから」
「どうしたんだよ、この馬鹿みたいに大きな人形。校舎の3階まで届くぞ」
「レティシア王国の研究施設で開発された、安眠の為の魔法兵器だって」
ユフィーリアの質問に、グローリアはさして興味もなさげに答える。分野が違うからだろうか。
「あの人形が歌い、それで子機に接続することで広い人間に心地よい夢をお届けするんだって。よく知らないけど、よく出来た魔法兵器だと思うよ」
「子機?」
「これだよ」
グローリアはそう言って、軽く左手を振った。
転送魔法が発動され、一抱えほどもある高級そうな見た目の人形が出現する。金髪縦ロールに後頭部で揺れる巨大なリボン、舞踏会に参加するかの如く絢爛豪華なドレス姿。この正面玄関に鎮座する巨大人形と同じ見た目をしていた。
違う部分と言えば、関節の駆動域があるということと台座が存在しないことだ。子機は抱きしめて眠ることを想定して組まれているようで、大きさも手頃だし手足の部分は問題なく動くので玩具やぬいぐるみの代替品としても扱える。
この高級そうな人形を抱きかかえて眠ると、心地よい夢を見ることが出来るだとか。なるほど、それはそれは。
「嘘臭え」
「そんなのに頼らなくてもぐっすりなんですけどぉ」
ユフィーリアとエドワードは揃って顔を顰めた。
普段の問題行動は抜きにすれば、問題児どもは超健康優良児である。毎朝規則正しく起床し、ご飯を食べて、しっかり運動をし、身体を清潔に保ち、決まった時間におやすみなさいである。変な魔法兵器に頼らずとも夢など見ずに眠ることが可能だ。
そのことを察したのか、今度はグローリアが嫌そうに眉根を寄せた。「働けって言ってるのに何でこんな健康的な生活を……」と言っていたが、聞かなかったことにする。働く云々は知らんのだ。
「まあ世の中には君たちみたいに健康な生活を送れる人は少ないからね。悪夢に毎晩うなされるような人もいるし。王国でやるとなったら規模が広すぎるから、どこの国家にも所属していないここで試験的に導入するんだよ」
「ご苦労なこった」
「だから君たちも協力するんだよ」
グローリアは抱えている高級人形を視線で示し、
「同じような人形を人数分、用務員室にもう送ってあるから。これはあくまで実験機だから壊したり改造したらダメだからね」
「返品の受付ってどこですればいい? 購買部? それとも布でも広げて『持ってけドロボー』とか言えばいい?」
「壊すな改造するなって言っておきながら、何で転売を許すと思ってるんだこの馬鹿は。ちゃんと実験に協力しなさい」
グローリアは呆れた様子を見せながらも、高級な人形を抱えて学院長室に戻っていった。
残されたユフィーリアとエドワードは、正面玄関に居座る巨大人形を見上げる。
あれが歌うことで子機と接続し、抱きかかえている人間に安眠を与えることが出来るらしい。いかにも眉唾物と呼べる代物だが、実験的に導入された魔法兵器ならば仕方がない。製作者は机上の空論を実現させようとしたのだろう。
互いの顔を見合わせたユフィーリアとエドワードは、
「副学院長が嫉妬するんじゃねえかな」
「よく許したよねぇ」
それから、問題児の中でも2大馬鹿と呼ばれるこの阿呆どもは言う。
「でも『改造するな』とか言われて改造しないって選択肢はねえよな」
「だよねぇ。俺ちゃんたち問題児だものぉ、ダメって言われていることは進んでやるよねぇ」
そんな訳で、用務員室に届けられているだろう高級人形をどうやって魔改造するか話し合いながら、ユフィーリアとエドワードは今度こそ用務員室に戻っていくのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】高級感溢れる西洋人形みたいな見た目をしていても、あまり人形は好きではない。魔法を使わないでも動いたり喋ったりしそうだから。
【エドワード】人形にあまり馴染みはない。そもそも人形を買ってもらえるような過去ではないし、人形遊びをする年齢でもない。
【グローリア】ヴァラール魔法学院の学院長。呪いの人形という眉唾物を実験台にしようと思って学院長室に置いていたら、ユフィーリアから引っ叩かれた。