第4話【問題用務員とASMR】
ショウが提案した異世界文化は『ASMR』というものだった。
「いわゆる高性能な集音型の魔法兵器を用いて、本当に耳掻きをされていたり耳元で咀嚼音が聞こえている風に感じることが出来る文化だ。特に耳掃除系のASMRは高性能になればなるほどゾワゾワとした感覚が得られるぞ」
「採用」
一も二もなく採用だった。
その話を聞くと、どうやら必要なものはマネキンの頭部らしい。耳掃除の部分は感覚共有魔法を用いるので問題はないだろうが、じゃあ誰が耳掃除の餌食になるのかと問われれば誰も手を上げなかった。
当然である。だってまたあの快感地獄を味わう羽目になるのは御免だ。だからこそショウがマネキンの頭部を求めたのも、ユフィーリアたちの誰かが耳掃除をされている様を感覚共有魔法で全校生徒に向けて配信するなどやりたがらないと判断したからだろう。
そんな訳でマネキンの頭部が必要になってくる訳だが、
「いいのがあるよ!!」
「ちょうどハルさんが副学院長から処分を頼まれていた人形の頭部だ」
「うわ気持ち悪い」
ハルアが無数に縫い付けられた黒いツナギの衣嚢から引っ張り出したものは、目をカッと見開いた金髪碧眼の女の頭部である。厚ぼったい唇の端から顎にかけてほうれい線のように溝が刻み込まれているので、おそらく口を開閉させる為に設けられたものだと推測する。
碌に手入れはされていなかったのか、人工的に植え付けられた髪の毛はボサボサで艶がなく、陶磁器のような肌にも汚れが目立つ。衣嚢の中で汚れるような真似があったか、あるいは副学院長であるスカイの実験が要因しているのか。
その恐ろしい見た目に顔を顰めたユフィーリアは、
「これに魔法をかけるのか。何か嫌だな……」
「でもこれ以外にマネキンの頭部はないよ!!」
ハルアは衣嚢をゴソゴソと漁りながら言う。
彼のツナギの衣嚢から飛び出してくるのは、せいぜいぬいぐるみ程度であった。兎に犬に猫などの可愛らしいぬいぐるみが次々と飛び出してくるので、ユフィーリアは反応に困った。
彼の衣嚢には高威力を誇る神造兵器の数々が収められているというのに、その中に混ざって可愛いぬいぐるみが収納されていると高名な魔法使いや魔女であれば頭を抱えたくなるところだ。取り違えたことはないし、今後もおそらくないとは思うのだが、そうだとしてもぬいぐるみが出過ぎである。
ユフィーリアは「もういい」と告げ、
「にしても、本物の頭みてえだな。偽物の耳なのにちゃんと穴まで開いてる」
「これで感覚共有魔法をかけたらどうなるんだ?」
「そりゃあ耳掃除されてるみたいになるだろうよ」
マネキンの頭部には偽物ではあるが、本物の耳に寄せられたものが側面に取り付けられている。穴もきちんと存在しており、試しにショウが耳かき棒を突っ込んでみたが深さも確保されている様子だった。
最愛の嫁曰く、「本物と見た目が似ていることが重要だ」らしい。そうすれば本当に耳掃除をしているように振る舞えるので、演技する側もそれを受け取る側もいいのだとか。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管でマネキンの頭頂部を軽く叩き、
「〈感覚共有・触覚〉」
感覚を共有する部分を限定することで魔力の消費を抑え、なおかつ全校生徒や全教職員にも伝播させるので複雑性を持たせない方がいい。そうなると感覚を共有させるのは1種類程度にした方が効率がいいのだ。
そんな訳で耳掃除の擬似体験というならば、触覚を共有させるのが1番だ。あのゾワゾワした感覚は触れられてから初めて得られるものである。二度と味わいたくないものだが。
ただ、ユフィーリアは感覚共有魔法がきちんとかかっているのか心配だった。そんな訳で軽く実験をすることにし、
「試しにエドと感覚を繋げたからやってみてくれ」
「はあ!? 何勝手に俺ちゃんのことを犠牲にしてんのぉ!?」
いきなり犠牲者に選ばれたことで、エドワードは目を剥いていた。驚くのも無理はない話である。
ユフィーリアは「大丈夫だって」と親指を立ててウインクをした。
もちろん、根拠のない台詞である。これは魔法がちゃんとかかっているか不安という訳ではなく、ユフィーリアがショウに耳掃除をされている間に見捨てようとした意趣返しだ。
「ちゃんと気持ち良くしてくれるよ」
「そういう問題じゃ――うぎゃあッ!?」
なおも実験台にされたことを噛みついてくるエドワードだったが、唐突に自分の耳を押さえて膝から崩れ落ちる。
見れば、試しにエドワードと感覚を共有する魔法をかけられたマネキンの耳にショウが耳かき棒を突っ込んでいた。そうっと耳かき棒を動かして偽物の耳穴をほじほじと掻いている。
取り出せるものはせいぜいが埃ぐらいだろうが、偽物のゴミが溜まっていれば耳掃除の演技にも繋がる。おかげで現在、エドワードは言葉にならない悲鳴を上げて床上をのたうち回っていた。
「お、触覚だけで十分そうだな」
「わあ、エドを迷わずに犠牲にするなんてユーリの度胸は凄えね。逆に凄いよ」
「命知らずネ♪」
「やってしまった俺が言うのもあれだが、ユフィーリアはもっとエドさんのことを大事にしてはどうだろうか。迷わず魔法の実験台にするのではなく」
「もはやエドワード君に殴られるのが楽しみなのかね?」
満足げなユフィーリアに対して、他の問題児やキクガは非難するような口振りで言う。いや別にユフィーリアだって殴られたくて進んでエドワードを犠牲にしている訳ではなく、この中で付き合いも長ければ身体も頑丈な彼だから信頼の証として巻き込むだけである。
ユフィーリアは感覚共有魔法を解除すると、今度は全校生徒・全教職員を対象にして魔法をかけてみた。これは碌な対策をしなければ魔法をかけられたことにさえ気づかない代物なので、使用の際は注意が必要である。
感覚共有魔法の再設定をしたことを視線だけで告げれば、ショウは小さく頷いてマネキンの頭と向き合う。そっと耳かき棒を右耳に差し込もうとしたところで、横からキクガの手が息子の手を制した。
「父さん?」
「ショウ、待ちなさい」
さすがに全校生徒・全教職員を対象にした問題行動は父親として注意するかと思いきや、そうではなかった。ショウと同じような耳かき棒を装備すると、
「私は左耳からやる訳だが。こういうのは両耳で攻めた方がいいのではないかね?」
「さすが父さん、ASMRの醍醐味が分かっている」
「そのASMRというものはよく知らないが、擬似耳掃除体験というのであれば色々なものを試した方がいい。耳かき棒に洗浄液など種類は多い訳だが」
「触覚のみ感覚が共有されているのであれば、オイルによるマッサージもありだろう。よくヌルヌルしているのを見かけた」
「なるほど。それではベビーオイルか何かがいい訳だが。いや、どうせマネキンの首なのだから水没させてもいいか。石鹸の泡などでも」
「楽しい反応が期待できるな」
父親の行動はまさかの息子の問題行動を正すものではなく、助長させていた。次々と擬似耳掃除体験を盛り上げる為の方法を提案し、ショウが嬉々として採用する。
異世界出身のアズマ親子が結託してしまえば、もはや地獄しかない。その地獄を誘発させたユフィーリアは、心底マネキンの首でよかったと感じた。自分の耳でやられたくない。
さて、問題はだ。
「ユーリぃ?」
ユフィーリアの背後から伸びてきたエドワードの手が、後頭部を鷲掴みにしてくる。
「我らが魔女様は俺ちゃんに虐められるのがお好きだってぇ? 光栄だねぇ」
「あー、やったのはショウ坊だぞって言ったらお前は向こうの方に行ってくれる?」
「お前さんが魔法を使わなきゃよかった話だねぇ」
「だよな、あはは」
「はははは」
ユフィーリアがにこやかに応対すれば、エドワードも朗らかに笑って応じてくれた。これは好印象ではないだろうか。
そんな訳がなかった。
エドワードはユフィーリアの後頭部を掴む指先に力を込め、
「どタマかち割ってやろうか」
「イダダダダダダダダダあーッ壊れちゃう壊れちゃう!!」
容赦なく頭を握り潰されそうになり、ユフィーリアは「すみませんでしたぁ!!」と懸命に謝罪するのだった。
☆
さて、地獄の耳掃除のせいで校舎内は大混乱の状態である。
「ぎゃわーッ!!」
「み、耳が耳があぁ!!」
「やばばばばあばばば」
「何、この、きゃあッ!?」
廊下や教室から聞こえてくる悲鳴。
様子を確認すると、生徒や教職員は耳を押さえて床にのたうち回っていた。得体の知れないゾクゾクとした快感に耐えられない様子である。
ユフィーリアとハルアは手近にある教室をしっかりと確認すると、互いに頷いて用務員室に戻る。途中でアイゼルネとエドワードの組み合わせにも合流した。彼らも確認してきた教室が同じような状態だったらしい。
そして用務員室の扉を開けると、
「ふふふ、こそこそっと。この辺りだろうか?」
「マッサージ用の泡は髭剃り用のクリームを使用するのが妥当な訳だが。その方が泡立ちもいい」
「父さんも上手だな。その茶筅みたいなのどうしたんだ」
「私物な訳だが」
「常日頃から耳を洗うような機会があるのか……?」
片や耳かき棒で丁寧に耳掃除をするショウと、そんな彼の反対側では短い泡立て器のようなもので耳を泡塗れにするキクガがなおもマネキンの頭部と向き合っていた。積極的に地獄を作り出しているのだが、これはいいのだろうか。
彼らの働きのおかげで、現在もヴァラール魔法学院は地獄の真っ只中にある。生徒や教職員は感覚共有魔法で地獄の耳かきを味わっている最中であり、愉快な悲鳴もあちこちから聞こえていた。これは楽しくて仕方がない。自分が蚊帳の外にいられる限りは楽しい。
進んで地獄を作り出すアズマ親子に、問題児4人は戦慄する。
「あいつらが味方でよかったな」
「だねぇ」
「お耳掃除はしばらくいいかな!!」
「おねーさんはぜひ習得したいけれど、あんな泡塗れにはなりたくないわネ♪」
4人で意見を一致させた、その時である。
――バガン!!
勢いよく、用務員室の扉が開かれる。
その向こうから飛び込んできたのは、学院長であるグローリア・イーストエンドと副学院長のスカイ・エルクラシスだった。その表情には鬼気迫るものがある。
彼らは両方の耳を押さえていた。おそらく感覚共有魔法によって得体の知れない感覚に襲われている最中なのだろう。睨みつけてくる視線には羞恥心のようなものが見て取れる。
ユフィーリアは当然、その先に待ち構えている悲鳴の内容を知っていた。
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
「エロトラップダンジョンの餌食になりたいッスか!?」
うーん、これは間違えた。
ユフィーリアは言葉にしていないが、自分の軽率な問題行動をちょっと後悔した。せめて副学院長は除外すればよかったかもしれない。
ここから出来ることはせめて、エロトラップダンジョンの餌食にならない為にも土下座をすることぐらいだろう。人間を辞めることだけは避けたい。
そっとユフィーリアは怒れる学院長と副学院長の前に正座をした。エロトラップダンジョンに放り込まれるより、正座でお説教された方がマシである。
《登場人物》
【ユフィーリア】ショウとキクガが組んだらまずいことに気がついた。あの親子を敵にしたらあかん。
【エドワード】後輩がちゃんと後輩でいてくれて助かった。敵になったら勝ち目がないかもしれない。
【ハルア】お耳に泡を突っ込まれたりするのは流石に嫌だなぁ。
【アイゼルネ】あの耳のオイルマッサージはユフィーリアのマッサージで使えそう。
【ショウ】異世界文化『ASMR』を教えた犯人。クラスメイトから教えてもらった動画だが、耳掃除動画でゾワゾワしたから覚えている。
【キクガ】息子は自分よりも様々な文化を知っていて凄いなぁと感心。耳掃除の道具を取り揃えているのは、仕事をサボる冥王様の鼓膜を犠牲にするから。
【グローリア】感覚共有魔法のせいでゾワゾワが止まらない。
【スカイ】意外とくすぐったいのは嫌。