第3話【学院長と耳掃除】
馬鹿がまた学院長室にやってきた。
「全自動耳掃除機を作ったんスよ」
「帰って」
「何で」
「帰れ」
下期の学院内の予算や近々開催される予定の行事などを確認している学院長、グローリア・イーストエンドの元に現れたのはヴァラール魔法学院のマッド発明家である。今日も開発したばかりの発明品を見せに来たらしい。ついでに実験台にしてやろうという魂胆が透けて見える。
予算書から一切視線を持ち上げることなく、グローリアは「帰れ」と突っぱねる。
どうせ碌な発明品ではないことなど簡単に予想できた。彼がまともな魔法兵器を開発した時は一緒に稟議書とか企画書とか色々書類を持ってくるのだが、それが存在しないということは思いつきで発明した馬鹿な魔法兵器である。実際、彼は『全自動耳掃除機』とか言っていたので馬鹿丸出しだった。
深々とため息を吐いたグローリアは、予算書に記載された数字を承認するべく隅に用意された署名欄に自分の名前を書き込む。予算が承認されたことで予算書は自動的に鳥の形に折り畳まれると、そのまま学院長室を飛び去ってしまった。
「はあ、お仕事お仕事」
「こっち見て、グローリア。ボクの発明品ちゃんが寂しがってるッスよ」
「あ、また何か馬鹿みたいに高い予算書が出てきたな。これどこの予算書だろう。魔法工学? 減らそうかな、9割ぐらい」
「問題児の減給割合より多いじゃないッスか横暴だ!?」
ヴァラール魔法学院副学院長、スカイ・エルクラシスは「酷い!!」と嘆く。酷かろうが何だろうが、馬鹿みたいに高額な予算書を提出しても却下されるのは当然のことである。
グローリアはようやくそこで予算書から顔を上げた。上げたくはなかったけれど、予算書の件でどうしても言いたいことがあるから上げざるを得なかった。
顔を上げてから、グローリアは「上げなきゃよかったな」と思い知ることになる。学院長室に持ち込まれた異物に、グローリア自身の脳味噌が思考回路を拒否する。ただひたすらに夢だと思い込みたかった。
その異物というのが、
『シャッチョサーン、お耳お掃除するネー』
「気持ち悪いな!!」
「何でそんな酷いことを言うんスか、カロリーナが傷ついちゃうでしょ!!」
「君、その子にそんな名前をつけてるの!?」
ボサボサの赤い髪、目元を真っ黒な布で覆い隠した猫背気味のスカイのすぐ横に、マネキンみたいな見た目をした女性型の魔法兵器が立っていた。
学院長室の明かりを反射する針金を加工したらしい長い金髪、ギョロギョロと蠢く青色の双眸。分厚い唇から紡がれる感情の読み取れない平坦な声が『シャッチョサーン、お耳掃除の時間ネー』と繰り返す。グローリアは社長ではなく学院長なのだが、一体何に影響されたのか。
彼女が身につけているものは、どこぞの問題児を想起させるメイド服であった。真っ黒なワンピースと純白のエプロンドレス、頭頂部には王冠の如く装着されたヘッドドレスが燦然と輝く。バランスを取る為か、両足はバケツのような見た目の錘を括り付けており、彼女の両腕は吸い口みたいな機械が取り付けられていた。色々とおかしい。
どう頑張って見ても「気持ち悪い」以外の感想が思いつかない。
「邪魔だよ持ち帰れ!!」
「そんな!! せめて性能を確かめるだけでも!!」
「何で僕を実験台にしようとするの!? 僕の鼓膜がどうなってもいい訳!?」
「回復魔法をかけてあげるから!!」
「そういう問題じゃない!!」
どうしても新型魔法兵器の実験台にしようとゴリ押ししてくるスカイに、グローリアは「嫌だよ!!」と叫ぶ。
あんなくだらない魔法兵器の為に、自分の鼓膜を犠牲にしようとは思わなかった。絶対に嫌である。犠牲にするならその辺を歩いている問題児でも捕まえればいいのだ。
スカイは全自動耳掃除機なる魔法兵器『カロリーナ』の肩を叩き、
「ほら今時の耳掃除は膝枕スタイルが流行してるって言うじゃないッスか。だからね? カロリーナちゃんも膝枕スタイルで耳掃除をしてくれるんスよ?」
「だから何?」
グローリアの冷ややかな言葉は華麗に無視されて、スカイは全自動耳掃除機なる魔法兵器に「膝枕スタイル、変形!!」などと命令してしまう。
うぃーん、がしょん、という何やら魔法兵器らしい音を立てて、メイド服のスカートから伸びていた彼女の両足が収納されていく。膝関節とか曲げられて、太腿が収納され、およそ人間ではあり得ないような形式でもってその場に正座をする。
全自動耳掃除機なる魔法兵器は、そこで動きを止めた。なるほど、膝枕だから正座をすることが正しい姿勢という訳か。膝枕の硬さについては完全に度外視されている。
開発した魔法兵器が何の問題もなく正座の姿勢を取ったことに、スカイは自慢げな眼差しを投げかけてくる。
「どうッスかこれ、完璧ッスよね? さあいざ耳掃除!!」
「えーと、動きが活発な活火山ってどこだったっけな」
「転送魔法で火口にぶち込もうとしてる!? カロリーナちゃんは熱に弱いんスよ!?」
阿呆な魔法兵器を転送魔法で活火山にぶち込んで処理をしようと目論むグローリアだったが、スカイの悲痛な声で一旦は中止する。あのまま転送魔法で本当に活火山へぶち込もうと画策しても、魔法の効力を堰き止めて中断してしまう『魔力看破』で阻止されそうな予感があった。二度手間になりかねないので今はやらないでおく。
「そもそも耳掃除なんていらないから。必要になったら自分でやるし」
「自分でやると残り滓とかないッスか? カロリーナちゃんは残り滓も綺麗に風で吹き飛ばすんで優秀ッスよ?」
『シャッチョサーン、お耳掃除するヨー』
「それって僕の鼓膜まで吹き飛ばさない?」
「だからそうなったら回復魔法をかけるから」
『シャッチョサーン、お耳掃除しようネー』
「それが問題だ――てさっきからうるさいな!! 何だよその声、何でそんな必要のなさそうなものまで組み込んだの!?」
スカイと会話をしているはずなのに、何故か全自動耳掃除機の奴が先程から『シャッチョサーン、シャッチョサーン』とうるせえのだ。いちいち会話の邪魔をしてくるので苛立ちが募る。
魔法兵器そのものが喋ることは、実はそれほど珍しくはない。愛玩動物を模した魔法兵器などは本物に近づける為に吠えたり甘えたりする機能も魔法で組み込まれているので、グローリアも何ら抵抗はない。「凄い機能だなぁ」とは思う程度だ。
だがこのふざけた口調は許せなかった。早急に煮えたぎる溶岩へぶち込んで処理した方が世の為ではなかろうか。
グローリアは右手を掲げ、真っ白な表紙が特徴の魔導書を呼び出す。やることはもう決まっていた。
「転送魔法で溶岩に叩き込んであげるよ!!」
「止めて!! カロリーナちゃんは溶岩をお風呂に出来ないんスよ!?」
「うるさい溶岩風呂で反省しろ、君もな!!」
「ボクも一緒に叩き込む気ぃ!? 殺すつもりッスか!?」
これ以上お馬鹿な魔法兵器を発明されて迷惑を被るぐらいなら、いっそ元凶と一緒に溶岩へぶち込んで処分するのが妥当である。文句が聞こえてくるが知ったことではない。
頭の中で活火山までの座標を計算するグローリアが右手を魔導書に翳せば、紫色を帯びた魔法陣がスカイと全自動耳掃除機の足元に展開される。魔力看破の可能性とか今はどうでもいい。『シャッチョサーン』と喧しい魔法兵器ごとこの世から葬り去ってくれる。
転送魔法を発動しようとしたその時、グローリアの耳に異変が起きた。
――かり、かりり。
耳の奥を何か細いもので擦られる、そんな得体の知れないくすぐったさ。
「ひいッ!?」
「わひゃッ!!」
グローリアとスカイは上擦った悲鳴を上げ、自分の耳を押さえた。集中力を乱された影響で転送魔法は中断となり、魔法陣は空中に霧散してしまう。
一体何が起きたのか理解できなかった。
ただ、耳の奥に異物を差し込まれたような感覚がある。細い何かがそっと耳道を擦り、その奥にある汚れを掻き出すようなそれに、グローリアはあわや膝から崩れ落ちそうになった。
「なッ、ななッ、何? スカイの仕業!?」
「ぼ、ぼッ、ボクの仕業じゃないッスよ。ボクも同じ目に遭って――」
――かりかり、こそこそ。
「うひゃあッ!!」
「ひにゃあッ!!」
再び、耳道を優しく擦られる感覚が襲いかかる。
痛みの代わりに存在するのは、ゾクゾクと背筋を駆け抜けていくくすぐったさと遅れてやってくる痒みのようなもの。何か痒みを発する魔法薬を塗られた訳ではなく、そっと壊れものに触れるかのような繊細さでもって触れられたからこそ訪れるゾワゾワした痒みだ。
絶えずそのくすぐったさは、グローリアとスカイの耳道を撫でる。耳には何の異変もないのに、先程から耳の奥を目指してゆっくりと侵入してくる細い何かの感覚が妙に気持ち悪い。遠隔で鼓膜を破られそうだ。
両耳を押さえるグローリアは、
「にゃッ、何!? 誰がやってるのこれッ!?」
「知らなッ、つか何の魔法ッスかこれぇ!?」
「分からなッ、ちょ、みぎゃあッ」
何度目か分からない耳の奥側をそっと擦られて、とうとうグローリアは全身を駆け巡ったくすぐったさに屈服した。膝から頽れ、両耳を押さえて言葉にならない悲鳴を上げる。
スカイも堪らずその場に倒れ込み、ゴロゴロと学院長室の床を転がってくすぐったさを紛らわせようとしている様子だ。グローリアやスカイだけを狙った誰かの犯行、ということになるだろうか。
スカイは両耳を押さえてゴロゴロと転がりつつ、
「これッ、生徒や他の教職員も同じ目に遭ってッ、あひぃッ」
「学院の全員が対象になってるの!? 一体どんな魔法を使えばこんなッひゃあ!!」
「ちょッ、調べられないッス耳がくすぐったくて耐えられないびゃああッ」
「もう!!」
苛立ちを言葉として吐き出したグローリアは、乱雑に右手を振る。
紫色に輝く半透明の板のようなものが出現した。情報を探る為の閲覧魔法を発動した訳である。
とりあえず、自分自身に何が起きているのか知りたかった。自分自身に閲覧魔法をかけるだけならかけ放題だ。他人の情報を魔法で探るのは犯罪行為だが、自分自身が対象ならその限りではない。
くすぐったさに耐えながらも何とか閲覧魔法で示された文章に目を走らせたグローリアは、
「……感覚共有魔法?」
「何でッ、そんな魔法が!?」
「分からない、けど……」
感覚共有魔法はそこそこ難易度の高い魔法だ。何せ他人と自分、もしくは他の物体との感覚を共有する魔法である。ヴァラール魔法学院の授業でも4学年から授業の選択が可能となる。
だが、通常の魔女や魔法使いが感覚共有魔法を使うとなれば、せいぜい1人か2人ぐらいが限界である。魔法をかけ続けることは集中力が必要だし、それに全校生徒と全教職員を対象に魔法をかけることは不可能である。
魔法の天才とも呼ばれる彼女ぐらいの腕前でなければ、の話だが。
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
問題児筆頭と名高い銀髪碧眼の魔女の名前を叫びながら、グローリアは学院長室を飛び出していた。使い所のない魔法を『面白いから』という理由で使う阿呆など、彼女以外に考えられないのだ。
《登場人物》
【グローリア】耳掃除は最低限の頻度でやる程度。くすぐったさには慣れない。最近、副学院長の魔法兵器の餌食になる確率が高い。
【スカイ】耳掃除は指でどうにかすれば何とかなると思っている派。あとは適当に風で吹き飛ばせばいいのでは?