第1話【問題用務員と拷問】
最愛の嫁、アズマ・ショウが蕩けていた。
「ああああああぁぁぁ〜〜〜〜……」
「気持ちいいかね?」
用務員室の片隅に置かれた長椅子に腰掛ける彼の父親、アズマ・キクガが微笑ましげに言う。
現在、彼の格好は装飾の削ぎ落とされた神父服姿ではない。紅葉柄が特徴的な橙色の着物だった。つまり有給を取って遊びに来てくれたお父様である。
そんなお父様のお膝を枕代わりにし、蕩けた表情で「ふえあああ〜〜」なんて艶めいた声を漏らすショウ。彼の耳にはキクガが持つ細く長い棒のようなものが突っ込まれており、耳の奥にあるものを抉り取らんとしていた。さながら見た目は拷問である。
あらかた抉り出したのか、ショウの耳から枝にも勝る細さの棒を引っ張り出すキクガ。それからポンポンとショウの肩を叩くと、
「はい、次は反対の耳な訳だが」
「ふにゃい」
蕩け切った滑舌では、まともな返事すら出来ない様子である。
ショウはキクガの指示に従い、大人しく彼の膝の上でコロリと寝返りを打つ。父親のお腹に自分の顔を押し付け、ショウは嬉しそうに笑っていた。
寝返りを打ったことで反対側の耳も父親の元に曝け出すこととなってしまい、要するにあの拷問が再び始まってしまうことを示していた。最愛の嫁の耳から何かを抉り出す作業である。恐怖心でしかない。
枝のような細い棒を装備し、キクガは愛する息子の耳に遠慮なく突き刺す。痛みはないようで、ショウの口からは「ふにゃああああ」という蕩けた声が再び漏れる。
「しばらく掃除をしていなかったかね? やはり汚れが溜まっているような訳だが」
「ぬううう」
「定期的に掃除をすることを推奨する訳だが。耳かき棒を置いていくので使いなさい」
「めんぼ」
「綿棒はあまりお勧めしない訳だが。あれは医療品の1種で、やはり耳掃除をする際には耳かき棒が最適な訳だが」
何故か嫁の口から「ほにゃほにゃ」としか聞こえていないのに、キクガとの会話が成立する謎が用務員室で生まれてしまった。この状況は一体何だろうか。
耳の奥から何かを抉り出されるという拷問に処されているにも関わらず、非常に気持ちよさそうにキクガの膝を枕にし続けるショウ。表情も何だか幸せそうである。あの、鼓膜をぶち破られるかもしれないという恐怖心と戦うのは並大抵の精神力でも持ち合わせていない限り無理だ。
やがて、反対側の耳も拷問を終えたキクガは、ショウの耳元に唇を寄せる。
「――――ふう」
悪戯をするように吐息を吹き込んだ。
「うひゃあ」
「おしまいだ、ショウ。綺麗になった訳だが」
「ありがとう、父さん」
先程までぐずぐずに蕩けた表情でキクガの膝を占領していたはずのショウは、何事もなかったかのように身体を起こす。「うん、よく聞こえるようになった」と嬉しそうに笑っていた。
「拷問だ……実の息子に親父さんは拷問してやがった……」
「しかもその拷問を気持ちよさそうにしてたよぉ」
「つまりショウちゃんはエドと同じくドMの極みで虐められるのが大好きってこと!?」
「新事実♪」
そんなアズマ親子の様子を用務員室の隅に固まり、警戒心を最大限まで引き上げた問題児の4人組が眺めていた。
問題児筆頭のユフィーリアが雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめ、屈強な身体を持つエドワードがハルアとアイゼルネの盾になるように隠している。暴走機関車と名高いハルアは自分が保有する神造兵器でどうにかしようと目論んでいるのか、無数の衣嚢が縫い付けられた黒いツナギに手を伸ばす。アイゼルネは肉壁3枚を手に入れたことで余裕の態度であった。
警戒心を剥き出しにするユフィーリアたち4人に、ショウとキクガはお揃いの赤い瞳を瞬かせた。
「拷問……?」
「はて、拷問を愛息子にした記憶はない訳だが」
どうやら自分たちが何をやっていたのか、気づいていないらしい。
「おいおい、耳に細い棒を突っ込んでグリグリするなんて拷問以外の何でもねえだろ。あれってもしかして鼓膜を突き破る為の武器とか拷問器具とか」
「そんな訳ないぞ、ユフィーリア」
「じゃあ魔法兵器か神造兵器の類か」
「冥府総督府に群生していた黒竹を私が加工したものな訳だが……」
ショウもキクガも、ユフィーリアが向けてくる警戒心に対して困惑気味である。
だって、あんな無防備に他人が耳の穴をグリグリするなんて拷問以外の何物でもないのだ。ショウは何故か蕩けた表情で「ふにゃああああ」みたいな可愛い声を漏らしていたが、拷問でそんな気持ちよさげな声を漏らすなんてあり得ない。重度のアレな性癖に堕ちてしまったのか、この愛する聡明なお嫁様は。
耳は大事な部分である。鼓膜を突き破られればまず音が聞こえなくなるし、音が認識できなければ魔法の腕前にも多少の影響は及ぼす羽目になる。呪文を聞き分けて対策を立てるという手段が出来なくなるのは厄介だ。
最年少の後輩用務員を可愛がるエドワードとハルアも、
「ショウちゃん、無理しないでいいからねぇ? 痛かったんじゃないのぉ?」
「むしろ気持ちよかったのだが……」
「ショウちゃんパパにやられたからって、正直に言っていいんだからね!! あれは下手すると虐待だよ!?」
「そこまで警戒することか?」
ショウは「待ってくれ」と制止を呼びかけ、
「みんな、耳掻きのことを何だと思っているんだ。立派な人体のメンテナンス、魔力回路の調整などと一緒の行動だぞ?」
「いやあれは拷問だから。あとで音が聞こえなくなる奴だから」
「ショウちゃん、リリアちゃん先生にちゃんと治療してもらおう?」
「オレそろそろ怒るよ。ショウちゃんは大事な後輩だから、そんな大事な後輩に拷問かけるなんて許せないよ」
「あまりの怖さに泣いちゃいそうだワ♪」
「話を聞いてくれ、ユフィーリア。まずは弁明、弁明の時間を要求する!!」
父の所業を庇おうとするショウとユフィーリアたち問題児4人組の対立構造が出来たが、渦中の人間であるはずのキクガは「仲がいい訳だが」なんてのほほんと笑っていた。お前が原因である。
☆
そんな訳で、異世界知識『耳掃除』を伝授である。
「この棒で耳の中のゴミを掃除する、と」
「そうだ」
ショウの必死の説得により、ユフィーリアはようやく今までの行動が拷問ではなかったことを理解する。
それにしても、異世界とは異様な方法の掃除をするものだ。マッサージはアイゼルネによって散々叫ばされているのでもはや開き直っているのだが、耳の中まで掃除するとは感心せざるを得ない。ぶっちゃけ耳の中を掃除したところで何になるというのか。
ユフィーリアも耳が痒くなった際には水で洗っておしまいである。特に粘着質の高い水『粘水』というものを使用して、精密な魔法操作によって水そのものを操縦してゴミカスを絡め取るのだ。それもゾワゾワするので滅多にはやらないのだが。
ユフィーリアはショウから手渡された耳かき棒なる代物を観察し、
「こんな、細いものでよくもまあ掻き出せるな。全部は無理だろ」
「自分1人でやろうとしたら、確かに掃除の残しはある訳だが」
アイゼルネに入れてもらった紅茶を啜るキクガは、のほほんと笑いながら言う。
「耳には様々な快楽の神経が集中している訳だが。余計なものを根こそぎ掃除して、リラックスできる訳だが」
「そうは言ってもよ……」
ユフィーリアは懐疑的である。
耳掃除など異世界の文化は確かに面白そうではあるものの、鼓膜をわざわざ犠牲にするのはいただけない。魔法の天才として失うものがあるかもしれない文化に手を出すのは気が引ける。
ショウやキクガに限ってそんなことはしないとは思うが、鼓膜をぶち破るという可能性も否定は出来ないのだ。可能性がある以上、手を出すのも考えものである。
難しげな表情を見せるユフィーリアに、ショウが「ならば」と提案する。
「ユフィーリアも耳掃除を経験してみるか?」
「鼓膜を破られたら嫌だから遠慮しようかな」
「そう言わずに」
「うおおおおッ!? おまッ、ちょッ、炎腕は狡いだろ!?」
ショウが足を踏み鳴らす合図に従い、ユフィーリアの足元から腕の形をした炎――炎腕が大量に伸びて身体を拘束する。
わっしょいわっしょい、とまるで胴上げのようにしてユフィーリアは用務員室の隅に置かれた長椅子の元まで運ばれる。あれよあれよと運び込まれた先では、すでにショウが長椅子にちょこんと腰掛けて待機していた。膝枕の準備万端であった。
炎腕によって長椅子の上に転がされるユフィーリア。メイド服のスカート越しに感じるぷにぷにとした弾力のあるショウの膝枕に危うく精神的に昇天しかけるが、それどころではないことに気づいて起き上がろうとした。
が、
「ダメだぞ、ユフィーリア。いきなり起きたら本当に鼓膜を傷つけてしまう」
「ほにょぉ!?」
起き上がろうとしたユフィーリアの頭を、ショウの手が押さえつけたことで膝枕の体勢に戻されてしまう。ぷにぷにの太腿の感触を味わう羽目になった。
そのまま膝枕の状態で、コロリと寝返りを打たされるユフィーリア。背後で感じるショウが蠢く気配。耳を覆うユフィーリア自慢の銀髪がショウの白魚の如き指先によって払い除けられ、とうとう無防備な耳を最愛の嫁の前に晒すことになってしまった。
これから受ける『耳掃除』なる拷問に、ユフィーリアは泣きたくなる。そして心の中で鼓膜に別れを告げた。
「や、やさ、優しくしてくださぁい……」
「痛いことは何もしないぞ、ユフィーリア」
ショウの心底楽しそうな声が、頭上から降ってくる。
「ただ、耐性のない人が耳掃除をするとえっちなことになってしまうと聞くのだが……まあユフィーリアだし、大丈夫だろう」
「ショウ坊待って、聞き捨てならないことが聞こえたんだけど」
「ユフィーリア、動くと本当に鼓膜を突き破ってしまうぞ」
「ちくしょー、怖くて動けねえー……」
最愛の嫁に囚われてしまったユフィーリアは、これから身に起こる拷問に覚悟を決めるのだった。
耳掃除なる拷問を誰よりも先に受ける羽目になった上司に、エドワード、ハルア、アイゼルネの薄情者どもは静かに合掌をしてきやがった。あとで覚えておけ、と胸中で決めたのは言うまでもない。
《登場人物》
【ユフィーリア】耳が汚れたら水を魔法で操作して汚れを絡め取って取り出す。ゾワゾワするので耳掃除はあまりやりたくない。
【エドワード】魔法が使えないので、耳掃除はユフィーリアに頼むしかない。
【ハルア】耳掃除をユフィーリアに頼んだらあまりのくすぐったさにひっくり返り、スパイダーウォークで校舎内を駆け回った。
【アイゼルネ】他人に耳掃除をやられたくないので意地でも自分でやる派。
【ショウ】綿棒で耳掃除をやる派だったが、たまには他人にやられるのもいい。
【キクガ】耳かき棒を自作したので息子にプレゼントついでに耳掃除もした。耳掃除はお風呂のあとにやる派。