第2話【南瓜の娼婦と変身魔法】
どこかで見覚えのある吸血鬼だ。
艶やかな白髪、色鮮やかな赤い瞳。吸血鬼の特徴が揃った彼女が狙うのは、何故か若い少女ばかり。女児を狙うことはないが、収穫祭の時期でもないのに大勢の南瓜の悪魔が町中の少女たちを連れ去ったという事件を新聞で読んだ記憶が蘇る。
そこに掲載されていた写真は、南瓜の悪魔の軍勢を従える吸血鬼だった。目の前にいる彼女と同じ顔、同じ服装、そして同じような立ち振る舞いを覚えている。吸血鬼の眷属として代表的な蝙蝠などではなく、南瓜の悪魔を従えているという記述は印象的だ。
彼女の名前は、
「イーダ・ヴァナヘイムだったかしラ♪ 最近噂になってる、連続婦女誘拐事件の犯人♪」
「あらぁ、よく知ってるのねぇ」
アイゼルネがその名前を口にすれば、美しき吸血鬼は「そうよぉ」と頷く。
「我が名はイーダ・ヴァナヘイム。人間に恐怖を与える高等吸血鬼よぉ」
「魔物のくせに格好つけちゃっテ♪」
吸血鬼――イーダ・ヴァナヘイムと名乗った彼女に、アイゼルネは鼻を鳴らす。
吸血鬼と言えば『魔物』と呼ばれる類の生命体だ。魔物とは魔法動物の略称であり、広義的に見れば吸血鬼は魔法動物と同等に見られている訳である。人の姿をし、人間の言葉を話す知性を有していながら魔法動物の括りに入れられているのは、決定的に違う部分が存在するからだ。
それが、食事である。人間は肉や野菜などの食物から栄養を摂取する一方で、吸血鬼は血液を摂取せねば生きられない。血液は食事に該当しないので、残念ながら吸血鬼は魔法動物に括られるのだ。
その嘲笑が癪に触ったのか、イーダは鼻に皺を寄せる。
「家畜扱いとはいい度胸じゃないのぉ」
「おねーさんは事実を言っただけヨ♪」
イーダを煽りながら、アイゼルネは頭を必死に回転させる。
この場にいるのはアイゼルネだけではない、リタもいるのだ。アイゼルネだけであれば吸血鬼相手から逃れる算段は思いつくが、リタが存在するのであれば話は別である。最優先で彼女をこの場から脱出させなければならない。
その為には注意を自分に引き付ける必要がある。幸いにも口だけはよく回るとアイゼルネは自負しているので、注意を引き付けやすい。さらに相手は矜持の高さが霊峰並みに天元突破している吸血鬼である、煽るのは簡単だ。
アイゼルネは「それとモ♪」と言い、
「おねーさんの血でも吸うかしラ♪ 残念だけど、美味しさには自信がないわヨ♪」
「肉付きの良さそうなアナタはメインディッシュにしてあげるわぁ」
イーダは赤い瞳を、アイゼルネの背後に投げかける。
「他にもご飯はいるものぉ。ゆっくり楽しませてもらうわぁ」
「あラ♪」
アイゼルネは周囲を見渡す。
薄暗い教会の片隅にいたのは、リタだけではなかった。そういえば、あの南瓜の悪魔の軍勢はヴァラール魔法学院の女子生徒ばかりを狙って誘拐していたことを思い出す。
目の前で友人が吸血鬼に身体中の血液を吸い尽くされてしまう光景を目の当たりにし、恐怖と絶望でガタガタと震える若い少女たちが大勢いた。見たところ、吸血鬼を相手に対抗手段を持たないような生徒ばかりである。果敢にイーダへ挑むような生徒はいない。
しまった、リタだけだと思って煽ってしまったのが間違いだった。逃がさなければならない少女の存在が増えたことに、アイゼルネは胸中で舌打ちを漏らす。
「次はどの子にしようかしらぁ」
イーダは真っ赤な舌で唇を湿らせると、
「決めたぁ、あの子にしましょぉ」
まるでお菓子でも選ぶかのような気軽さで言うイーダは、右手を軽く振る。
その合図を受けて、南瓜の悪魔――ジャック・オー・ランタンがどこからともなくふわふわと漂ってきた。「ホホホ、ホホホ」「ホホホ、ホホホ」と弾んだ調子で笑う悪魔たちは、ぼうと暗闇の中に南瓜から漏れ出る鬼火を浮かび上がらせる。
イーダは白魚のような指先をツイと虚空に滑らせ、
「あの子を連れてきてちょうだい」
「あいつに決めタ」
「あいつに決めタ」
「次の餌はあいつダ」
ジャック・オー・ランタンの群れは、イーダの指示に従って明るく笑う。壊れたように、狂気的に笑いながらふわふわと連れてこられた少女たちめがけて殺到した。
選ばれたのはボロボロの花嫁衣装を身につけた女子生徒である。南瓜の悪魔に無理やり立たされると、抵抗虚しく引き摺られて美しき吸血鬼の眼前に放り出される。次は自分が餌となる番に選ばれてしまい、彼女は上擦った声を漏らす。
這いずってでも逃げようとする女子生徒の肩を掴んだイーダは、
「いただきまぁす」
鋭い牙をぎらりと輝かせ、少女の白い喉に食いつこうと大きな口を開ける。
「〈開演・恐怖狂気の舞台〉!!」
食いつく寸前、アイゼルネは魔法を発動した。
「きゃああああああああああああああああ!?」
少女の喉に食いつこうとしたイーダの口から、甲高い悲鳴が迸る。
白い喉を這い回る、蜘蛛や蜈蚣などの昆虫類。わさわさと少女の白い喉元を黒く埋め尽くす勢いで大量の昆虫が彼女の身体を支配しており、とても食事が出来るような状態ではない。
咄嗟に発動した魔法は、アイゼルネが得意とする幻惑魔法である。相手の苦手とするものを幻影として呼び出し、驚かせる程度のさほど難しくない魔法だ。アイゼルネの場合は幻影の精度が極めて高いので、驚かせるどころか恐怖を与えて精神に強く影響を及ぼすことだって可能である。
きゃあきゃあと叫びながら飛び退るイーダを確認し、アイゼルネは両腕を縛っていた縄を魔法で切断する。この程度の魔法は上司であるユフィーリアに訓練をつけてもらっていたおかげで、詠唱しないで発動が可能だった。
「〈こっちにおいで〉!!」
「きゃッ」
立ち上がる暇も惜しく、アイゼルネは転移魔法を発動させる。
フッと吸血鬼の前から姿を掻き消した女子生徒は、次の瞬間、アイゼルネに抱きつくような形で出現する。いきなり顔がアイゼルネの豊かな胸元に埋まることとなり、彼女は「ッ!?!!」と驚いている様子だった。
目を白黒させる少女を、アイゼルネは立たせてやる。されるがままだった少女の背中を押して、くっきりと刻まれた胸の谷間からトランプカードを数枚ほど引っ張り出しながら叫ぶ。
「おねーさんが時間を稼ぐから、女の子たちは逃げなさイ♪ 足止めに自信はないからなるべく早めでお願いネ♪」
「させると思うのぉ?」
アイゼルネの幻惑魔法が与えた精神的な衝撃から、イーダは早々に回復したらしい。人形のような可愛らしい顔立ちに強がるような笑みを見せ、額に滲んだ日や汗を拭う。
さすが吸血鬼と呼ぶべきだろうか。高い知性を持つ人の姿を模した魔物たちは、精神に影響を及ぼすような魔法に耐性を持っていると見ていい。そもそも異性を魅了する魔法を得意としている訳だから、脅かし要素の強い幻惑魔法によるダメージなど高が知れている。
イーダは乱れた白髪を右手で払い、
「憎たらしいわぁ。見るからに弱々しくて、頼りない女なのにぃ」
「あら嫌だワ♪ 随分な偏見ネ♪」
事実を指摘されるも、アイゼルネは弱みを見せないように気丈な態度で振る舞う。
吸血鬼を相手に真っ向から戦えるほど、アイゼルネは戦闘向きの魔法が得意ではない。両足が義足なので身体能力も問題児の中では最低だし、体力もなければ魔力も多い訳ではない。あるのは他人を騙す為の演技力と技術力程度である。
それでも引いてはならない理由はある。イーダに命じられた南瓜の悪魔たちによって、この古びた教会まで誘拐されてきた少女たちを見殺しにする訳にはいかないのだ。すでに1人の生徒はイーダの手によって失血死させられた。これ以上の犠牲者を出すことは、アイゼルネとしても許せない。
だからこそ。
多少の無理をしてでも。
「おねーさんのこと、美人だと言ったわよネ♪」
アイゼルネは自分の顔を覆う舞踏会用の仮面に手をかけ、
「これでも言えるかしラ♪」
思い切って、仮面を外す。
見る角度によって色を変える不思議な双眸、スッと通った鼻梁と薄く化粧を施して色付きがよくなった頬。異性どころか同性さえも目を奪われる美貌ではあるが、問題はその口元にあった。
右頬は問題なし。ただ、左頬には痛々しい縫合されたような傷跡が残っている。針金のような太い糸が白い頬の上を縫い、口の端から大きく裂けた傷跡を繋ぎ止めている。見る人間がいれば思わず目を逸らしたくなるような、凄惨な傷だ。
アイゼルネが初めて他人の前で晒す素顔である。イーダも、ヴァラール魔法学院の女子生徒たちもまた怪物じみた顔に息を呑む。
「痛そうだと思うかしラ♪」
アイゼルネは頬の傷を指先で撫で、
「それは結構♪ おねーさん、別に痛くもないもノ♪」
「なぁに、その不細工な傷跡」
イーダは嫌悪感を見せる。
見目麗しい女性たちを集めたつもりが、こんな悍ましい傷跡の残る女が混ざり込んでいたら嫌だろう。瑞々しい果物たちに傷んだ果物が混ざるかのようだ。
拒否感を示すイーダに、アイゼルネはどこ吹く風である。相手がどれほど不細工だなんだと罵ろうが構うものか。他人の評価など気にしないぐらいに、アイゼルネは上司と先輩用務員たちのおかげで自己肯定感が高まっている。
人差し指と中指で挟んだトランプカードを持ち上げるアイゼルネは、
「どれほど言われようが関係ないワ♪ おねーさん、これから世界で1番綺麗な魔女になるノ♪」
「そんな傷跡を抱えながら綺麗な魔女ですってぇ? 笑わせないでくれるぅ?」
「後悔させないワ♪」
アイゼルネは指で挟んだトランプカードをひらりと頭上に放り、
「『だってこっちの方が得意だし』」
魔法を発動させる。
ひらひらと舞い落ちてきたトランプカードが、目の前を横切った。そのカードに描かれていたのは大鎌を担いだ骸骨の絵――いわゆるジョーカーである。何かの花弁の如くひらひらとカードは落ちていき、そのまま埃っぽい床を滑っていく。
魔法を発動し終えると、イーダは赤い瞳を見開いていた。同じように餌として誘拐されたヴァラール魔法学院の少女たちも。それほど、あり得ない現象が目の前で起きていた。
「『おいおい、随分と面白くねえことをしてるじゃねえか。――なあ?』」
暗闇に靡く銀色の髪、色鮮やかな青い瞳。高級な人形を想起させる、浮世離れした美貌。
氷のような印象を受ける見た目とは対照的に、桜色の唇から紡がれる声は男勝りで乱暴な言葉遣いをなぞる。肩だけが剥き出しとなった黒装束を身につけ、雪の結晶が刻まれた煙管を咥える。
極め付けに、全身から漂う真冬に似た魔力の流れ。それが決定打となる。
「『ぶっ殺してやるよ、クソつまんねえ魔物風情がよ』」
――問題児筆頭、ユフィーリア・エイクトベルがそこに立っていた。
もちろん、この場に立っているユフィーリアは本物ではない。アイゼルネが変身魔法で再現しただけにすぎない虚構だ。
それでもなお、本物と見紛うほどに精緻な変身である。髪の長さ、睫毛の長さ、口調から立ち振る舞いに至るまで本人とそっくりだ。
ここまで精緻な変身魔法の腕前を身につけたのは彼女自身に適性があったから――と同時に。
「オメェの上司の姿を借りようってのカ? 随分とまあ、悪い子じゃねえカ」
視界の端をふわふわと揺れる、南瓜の頭。
胴体部分は黒いマントで覆われ、首元で翻る細い真っ赤なリボンが目を引く。
ジャック・オー・ランタン。
「さあ宿主ヨ。オメェの腕前を見せてやレ。オレ様の変身魔法の腕前がありゃ、出来ねえことはねえヨ」
ユフィーリアに変身したアイゼルネは、そっと瞳を閉じる。
ダメだと言われていた。
自我が引き摺られるから――自分を失ってしまうから、のめり込むのは止めろと何度も。
でも、問題児とて若い魔女たちを守らなければならない時がある。
(ごめんなさい、ユーリ)
アイゼルネは胸の内側で謝る。
(貴女の姿を借りるわ)
――アイゼルネは、ジャック・オー・ランタンに取り憑かれた『悪魔憑き』だ。
《登場人物》
【アイゼルネ】幻惑魔法で相手を驚かせるのも得意だが、実は変身魔法が1番得意。本人と区別がつかないほど精緻な変身魔法で相手を油断させる。
【リタ】相手が吸血鬼でそれどころではない。
【イーダ】今回の黒幕。連続婦女誘拐事件と呼ばれる事件の犯人として新聞で報道された。若くて綺麗な女性の血を好むが、見た目も重視する為に傷がついた女性はいくら他が綺麗でも論外。それどころか生娘ではないので多分論外。