第1話【南瓜の娼婦と悪夢】
思えば、自分の人生は運が良かったのかもしれない。
『××××は手品が上手ね』
『さすがは一座で1番の美人奇術師だ。我が娘ながらその年齢ですでに斯様な腕前を有するとは恐れ入る』
『たくさん練習したんだもんね。××××、とっても頑張ってたんだから』
『うん。いっぱい練習したよ』
最初の記憶は、故郷を持たない移動式サーカス団での出来事。
父は猛獣使いで座長、動物言語学が得意なお喋り上手。大袈裟で芝居がかった性格がサーカスの座長らしくもあり、数多の動物を従えて舞台上で踊る姿はおとぎ話の主人公のようであった。戯けた調子で客を笑わせ、たくさんの拍手をもらう彼の背中に憧れた。
母はそんな父親を陰ながら支える淑女だった。元々は名門魔女一族の娘だったらしいのだが、売れない芸人だった父親に憧れて家を出奔して結婚した。目を引く緑色の髪がとても綺麗で、嫋やかで上品な女性だった。
そして子供の自分は、手先の器用さを活かして手品を学んでいた。歳の離れた姉を補佐役に、魔法みたいな手品を披露すると客はご褒美に飴をくれた。姉と分け合って食べる飴が、甘くて美味しかった。
『いいなぁ、お姉ちゃんは。足があって』
『あら、どうして?』
『だっていっぱい綺麗な靴が履けるじゃない。ドレスだって、スカートをひらひらさせながら歩けるわ』
自分には足がなかった。
生まれつきのことだった。赤ん坊の頃から両足を持たずに生まれたことで、産婆からは随分と憐れまれたらしい。
だから常日頃から車椅子での生活が余儀なくされた。舞台に上がる時も車椅子だから『車椅子の奇術師』なんて言われていた。車椅子では大掛かりな手品も出来ないし、移動も不便だし、サーカス団のお荷物になっているような気がしたから。
姉は、そんな自分の顔を覗き込んで笑った。
『私は××××が羨ましいな』
『どうして?』
『だって私と違って手先が器用だし、お喋り上手だし、何よりママ譲りの綺麗な顔をしているんだもの。パパとママのいいとこ取りね』
『そんなことないよ』
『そんなことあるわよ、私の大事な道化師ちゃん。あなたには人を楽しませる才能があるわ』
それは表情で、言葉で、指先で。
父親のお喋り上手だけど、状況に即した言葉選びが出来る聡明さを引き継いで。
母親の豊かな緑髪と綺麗な瞳、そして目を引くほどの美貌を受け継いだ。
子供だから出来ることは限られている。けれど、大人になればたくさんのお金を稼いで両足を生やす魔法をかけてもらえることだって出来る。父親譲りのお喋りさと母親譲りの美貌があれば、夢を叶えることも造作もない。
『だから××××は手品の腕も磨いて、ママから魔法も教えてもらわなきゃ。私はパパに似ちゃってあんまり魔法の才能がないから、サーカスの経営を勉強して××××に足をプレゼントするわ』
『お人形さんみたいな足がいいわ。道化師みたいでしょ?』
『あら、じゃあ性能のいい両足を見繕わないと。町1番のところじゃないと許せないわ』
そう言って、姉と笑い合った日々が懐かしい。
幸せな日々だった。
練習した手品を両親に披露すれば、父は大袈裟なぐらいに驚いて褒めてくれて、母は自分の努力を認めてくれた。姉はたくさんの練習に付き合ってくれて、幸せな毎日を過ごしていた。
そんな日々も、ある日唐突に瓦解する。
『従わねえと殺すぞ』
『泣くんじゃねえ、クソガキ!!』
サーカス団は山賊に襲われて、大人たちは全員殺されてしまった。父の雄弁さは舌を切り取られたことでなくなって、母の美しい顔は原型も留めないほど叩かれて。
子供で、しかも両足を持たない自分は抵抗なんて出来なくて、あっさりと山賊の手によって連れて行かれてしまった。その時にも姉は一緒だった。
動物のように檻の中へ詰め込まれ、連れてこられた先は廃れた娼館だ。今にも潰れそうな、そんなボロ小屋。
『お前たちは売られたんだ』
『死ぬまで働け』
『その身体は何の為にある』
娼館の主人に言われるがままに働いた。両足がなくて歩けない自分は、客としてやってきた男の人たちに愛想を振り撒き、得意の手品で楽しませて、身体の不自由さを埋める為に話術を磨いた。娼婦として売られながら、年頃になるまで身体を売らずに済んだのは口がよく回ったからだろうか。子供にしか興味のない客もいたはずなのに、幼い自分の話を聞くだけで満足してお小遣いもいっぱいくれた。
同じ娼館で働いていた娼婦のお姉様方はとても優しくて、よく可愛がってくれた。足がないことに同情してくれた。中には「足がないならそれ以外を綺麗にすればいいわよ」なんてお化粧のやり方も教えてくれた。お化粧や美容の魅力に取り憑かれたのはその時からだ。
反対に、姉は見る間にボロ雑巾のようになっていった。彼女には足があり、動く自由がある。自分と違って文字通り、身体を使って死ぬまで働かされた。
『××××はいいわよね。客にも、娼婦のお姉様方にも可愛がられて』
流行病に侵された姉は、病床で自分を羨んだ。自分はこうも不幸なのに、どうしてお前は不幸ではないのかと。落ち窪んだ瞳には嫉妬の炎が揺らいでいた。
『姉さん……』
『大嫌い』
病に臥せる姉は、自分を睨みつけて吐き捨てた。
『両足がない障害者のくせに。私より何も出来なかったのに、私よりも何でも出来て。××××のせいで、私に自由なんてなかったのに』
――××××のせいだ、という言葉を最後に姉は病死した。
不衛生な環境だったから、仕方のないことだと思う。流行病で死んでいく娼婦は何人もいた。
それ以上に、姉に恨まれていることを初めて知った。自分のお守りのせいで自由がなかったと、恨み言と一緒に死んでいった。
『アイゼルネ、結婚しよう』
父も母も死に絶え、大好きだった姉が病死して、失意のまま仕事をする自分に手を差し伸べたのは、名門魔法使い一族の嫡男だった。
『君の悲しみを癒せるのは、僕だけだ。一緒に幸せになろう』
『…………本当?』
純粋な好意に、自分は麻痺していたのかもしれない。
あんなことがあったのだ。大好きだった姉から恨み言を吐かれ、苦しみながら死んでいく最期を目の当たりにしたから。
もしかしたら、大好きな父も母も自分のことを恨んでやしないかと不安に駆られた。故に誰かに愛してもらいたかったのだ。
その魔法使いの結婚の申し出は、酷く分かりやすい。愛しているから結婚するのだ、父と母のように。
『君の人生を買おう。大丈夫、いくらかかっても君をこの娼館から解放してあげよう』
そう言って、魔法使いの彼は本当に自分を娼館から解放してくれた。
いわゆる身請けである。娼婦を娼館から買い取ることを示すことだが、娼婦としての指名数が多く人気だった自分を買い取るということは並々ならぬ努力と研鑽が必要だった。
魔法使いの彼は、相当無理をしたらしい。あちこちに借金を作って、家財道具も売り払って、それでもなお惚れ込んだ自分に対して努力をしてくれた。それが何よりも嬉しかった。
今度こそ幸せを掴める。愛してもらえる。心の底から。
『づうッ、ぅ!?』
『あは、ははは、どうして逃げるんだアイゼルネ? さあ、おいで』
『いやあああああッ!!』
魔法使いの彼は、嘘を吐いた。
娼館から解放された先で待っていたのは、血生臭さと床一面に描かれた魔法陣。生き物の鮮血を使ったのだろうか、部屋の隅には大量の山羊や羊や牛などの亡骸が雑に積み重ねられていた。
魔法陣の上に突き飛ばされたと思えば馬乗りになられ、用意されていただろうナイフで左頬を突き刺される。引き裂かれ、血がとめどなく溢れて衣類を汚した。焼けるような激痛。母親譲りの自慢の美貌なのに。
痛みと恐怖が綯い交ぜになる瞳で彼を見上げれば、恍惚とした表情でニィと笑う。自分ではない、その先に待ち受ける誰かを心底望むような。
『君がいれば完成する、君がいれば僕の家は繁栄するんだ。だからアイゼルネ、なあ――』
母親譲りの自慢の緑髪を掴んで引き摺られ、血濡れた魔法陣の上に連れて来られる。ぶちぶちと髪の毛が抜ける感覚。
『――僕の為に死んでくれ』
祈るような言葉に、何も言えなかった。
自分はただ、愛してほしかっただけだ。
大好きだった姉は、最期で恨みを吐きながら死んだ。父親も母親も、自分を愛していたのかさえ分からない。偽りだけじゃなくて、上辺だけでもなくて、ただ本当に心の底から。
愛してる、と言ってほしかった、だけなのに。
――思えば、自分の人生は運が良かったのかもしれない。
詠唱する魔法使いの声が、途絶える。
薄暗い中、ぼうと灯る明かり。
ふわふわと浮遊する橙色の南瓜。
『美味そうな匂いに釣られてやってきちまったゼ』
戯けたようなその声は、父親にそっくりで。
『トリック・オア・トリート。今日は収穫祭、ひいてはオレ様の独壇場ダ』
ジャック・オー・ランタン。
生きている人間を煉獄に彷徨わせ、輪廻転生さえ出来なくさせる悪魔がそこにいた。
☆
「――――ぅ」
アイゼルネは目が覚める。
どうやら眠らされていたらしい。強制的に眠らされていた影響で頭が痛い。嫌な夢を見た気がするが、大半は内容を覚えていない。
身体の自由が効かないと思えば、両腕を縄で縛られていた。ただの縄だから魔法で抜け出すことも簡単である。
上体を起こすと、見覚えのある少女が座り込んでいた。どこか遠くを見つめながら震えている。
「リタちゃン♪」
「あ、ぁ、アイゼ、ルネ、さん」
ガタガタと震えるリタは、助けを求めるような眼差しを向けてくる。
「あ、あれ、あれ……」
「♪」
リタが指差す先に、アイゼルネは視線を向ける。
その先にあったのは教会らしい硝子絵図だ。月明かりが差し込むそこから極彩色の光が落ち、聖母の石工像を色鮮やかに染め上げる。
教壇に誰かが座っていた。硝子絵図を背後にして置かれた教壇は神聖な雰囲気があるのに、それを当然の如く椅子の代わりにしている。さながら玉座のように。
その誰かは、お化けの仮装をした少女の白い喉に噛み付いていた。喉から溢れる鮮血を啜り、恍惚とした笑みを漏らす。
「あは、美味しい。やっぱり美人で綺麗な女の子の血が1番美味しいわぁ」
極彩色の光を受けて煌めく銀の髪、暗闇の中でも鮮やかさを失わない赤い瞳。飛び抜けた美貌は、そこにいるだけで絵画にでもなりそうだ。
真っ赤なドレスを身につけた彼女の口から、赤い血と共に鋭い犬歯が覗く。少女たちの柔肌を傷つける為の牙。
吸血鬼――人間の血を餌にする魔性の存在が、そこにいた。
《登場人物》
【アイゼルネ】何か悪夢を見た。自分の過去は運が良かったけれど、他人から見れば波瀾万丈な人生だったように思える。
【リタ】南瓜の悪魔に連れ攫われた女子生徒。目の前で同級生が失血死する瞬間に立ち会い、絶望する。