第4話【問題用務員と厄災のお菓子】
パンプキンタルトが美味しい。
「タルト生地がサクサクしてて美味え」
「甘くて美味しいねぇ」
「美味え!!」
「これはお紅茶を入れて食べたいワ♪」
「こんな豪華なものが収穫祭で配られるなんていい文化だ」
問題児はカフェ・ド・アンジュから強奪したパンプキンタルトを堪能していた。
タルト生地がサクサクと食感がよく、橙色をした南瓜のケーキ部分が濃厚な甘さでとても美味しい。上に突き刺さった南瓜の形をしたチョコレートの飾りも苦さがある大人の味わいなので、ケーキの甘さがいい感じに相殺される。
南瓜らしい仄かな甘みの中に香辛料らしい独特の風味も混ざっており、これは何個でも食べることが出来そうな味だ。季節限定ではなく通年で発売すれば間違いなく人気商品になり得そうだが、その分だけ南瓜の仕入れが大変そうだという感想は胸の内側にしまっておこう。
問題児と同じく手掴みでパンプキンタルトを食べるキクガは、
「確かに甘くて美味しい訳だが。収穫祭が終わっても購入できるのであれば買って帰りたい」
「本当に美味しいです。私、初めて食べました!!」
リタも感激した様子でパンプキンタルトを頬張っている。問題児が他の生徒を押し退けて強奪したことはすでに忘却の彼方にやられているようだ。
「先輩たちからお話は伺っていたのですが、これは何個でも食べたくなる美味しさですね」
「やたら収穫祭のお菓子に気合いを入れるよな、どこの店も」
早々にパンプキンタルトを消費したユフィーリアは、指先に付着したタルトの欠片を舐め取りながら言う。
ヴァラール魔法学院に併設されたレストランで配布されるお菓子が、教職員が用意するものよりも遥かに豪華なのだ。飲食店としてお菓子を提供するなら妥協は許さないのだろう。宣伝にも繋がるし、お菓子目当てに店を訪れて売り上げも伸びるならば店側も万々歳だ。
カフェ・ド・アンジュの他には『南瓜やさつまいも、栗などの秋の味覚を使用した焼き菓子詰め合わせ』を配布するダイニング・ビーステッドや『秋の味覚をふんだんにしようした収穫祭限定アフタヌーンティー』の持ち帰り用を配布するしているマリンスノウ・ラウンジ、さらには『南瓜を使用した巨大ドーナツ』を配布するノーマンズダイナーと気合いの入り方は凄まじい。どの店も無料配布に釣られた生徒たちが並んでいる。
ちょうどダイニング・ビーステッドの前で配布されている焼き菓子の詰め合わせを見つけたユフィーリアは、
「次は焼き菓子にするか」
「また恥ずかしい格好させて叫ばせるぅ?」
「お、強制お着替えをさせるか?」
悪魔のような笑みを見せ、焼き菓子の詰め合わせを狙うユフィーリアとエドワード。本来であれば生徒の為に用意されたお菓子なのだが、そんな事情など問題児はお構いなしなのだ。
「ひいいいいいいいいいッ!!」
「だ、誰ッ、誰か助けてッ、助けてくれえええええ!!」
「やだあああああああああああ!!」
「死にたくないよぉ!! あ、もう死んでるんだった」
お菓子の強奪を目論む問題児の前を、幽霊たちが勢いよく通過していく。何かから必死に逃げていると言えよう。
同時に、甘いお菓子に混ざり込むようにして何やら異臭がした。卵が腐ったような臭いと何年も掃除していない便所の臭いを掛け合わせてそのまま数年ほど放置したような、そんな命の危険を感じるような悪臭である。臭いを感知する為の器官を有していないはずの幽霊でも、明らかにおかしい雰囲気だと察知できるほど大変なものが迫っているようだった。
ユフィーリアは顔を顰め、
「何だこの臭い。おいエド――」
嗅覚の優れた相棒とも呼べる巨漢へ見やれば、すでにお化けの布を被って防衛していた。それどころか、内側からお化けの布を食い千切らん勢いで噛み締めており、ガタガタと小刻みに震えている。
様子がおかしいのは明らかだった。嗅覚の優れた彼は、この悪臭に耐えられなかったのだ。お化けの布は姿を曖昧にするだけしか効果はないので、嗅覚などの五感を遮断することは出来ない。
物凄い勢いで逃げる幽霊たちは、パンプキンタルトを堪能するキクガの姿を見つけるなり「あーッ!?」と叫ぶ。
「ほ、補佐官、補佐官の野郎じゃねえか!!」
「助けてくれ、いや助けてください!!」
「1人がオレの目の前で消えたんだ、多分死んだ!! 殺された!!」
「落ち着きなさい」
幽霊に取り囲まれてもなお取り乱す様子を見せないキクガは、ゆっくりと美味しいパンプキンタルトを口に運びながら応じる。
「君たちは元から死んでいる訳だが。必要であれば死因も言うかね?」
「あ、そうだった死んでたわ」
「死因って何だったっけ? 魔法の実験を失敗して木っ端微塵に吹っ飛んだっけ」
「それはオレだろ。お前は野犬に食われて野垂れ死んだんだ」
「不名誉な言い方をするんじゃねえ」
キクガに事実を指摘されて次々と死因だ何だという会話が飛び交うが、幽霊たちは「それどころじゃない!!」と我に返る。
「あの魔女のお菓子に触れただけで仲間の1人が消し飛んだんだ!!」
「オレたち、お菓子なんて食えねえのに何で消し飛ぶんだ!?」
「幽霊だぞこっちは!!」
「落ち着きなさい。おそらく冥府に戻っているはずだが」
騒ぎ立てる幽霊たちを宥め、1人1人から話を聞いていくキクガ。その姿は数多くの獄卒を束ねる冥王第一補佐官らしく、幽霊たちからも信頼されている証と言えよう。
とはいえ、幽霊たちの話におかしな部分も認められる。
幽霊は現世の物体を通過してしまう霊魂のみの存在なので、お菓子に触れることさえ出来ないはずた。触れたとしても通過してしまうだけで特に何の意味もないのだが、通過するだけで霊魂のみの存在となっている幽霊が消し飛ぶとはこれ如何に。内容が想像できず、ユフィーリアたち問題児やリタは首を傾げるばかりだ。
すると、
「あら、見覚えのある姿がいると思ったら朴念仁ではありませんの。こんなところで何をおやりになっておりますの?」
人混みの向こう側から、異臭と共に真っ赤なドレスを身につけた魔女がやってくる。
今宵のドレスは赤のみだけではなく、黒色などを取り入れてスカートにはトランプの模様まで描かれた特別製である。理不尽な法律を敷いた暴君『ハートの女王』を模した格好だ。
ただ、その女王陛下が抱えている籠からあり得ないほどの異臭が漂ってくる。お化けの布を被って異臭を遮断していたエドワードは急いでその場から離れてショウとハルアを盾にし、キクガに助けを求めていた幽霊たちは脱兎の如く逃走し、ユフィーリアたちは揃って顔を顰めた。毒物を持ったハートの女王などお呼びではない。
ハートの女王の仮装をしていたのは、劇物製作者と名高い魔導書図書館の司書――ルージュ・ロックハートである。何でお手製のお菓子を用意しちゃうのだろうか。生徒全員を冥府送りにでもするつもりか。
「何だ、真っ赤なアバズレめ。ついに全校生徒を鏖殺するつもりなのかね」
「収穫祭なのでお菓子を作りましたの。ご覧なさい、このマフィンを。会心の出来ですの」
ルージュはそう言って、籠の中から透明な袋に詰め込まれた紫色の物体を取り出す。
本人が主張するにはマフィンらしいのだが、表面は凹凸が目立つし全体的に紫色である。あと何だか表面がボコボコと泡立っているように見えるのだが、とにかく気のせいであると信じたい。あんなこの世ならざるマフィンがあってたまるか。
透明な袋を笑顔で差し出してきたルージュは、
「そうですの。わたくしは寛大ですの、朴念仁にも恵んでやりますので収穫祭のお決まりの台詞を言ってご覧なさいですの」
「デス・オア・ダイ」
「何ですの、その物騒な言葉!?」
「君の手製の菓子など食べられるものではない訳だが。色味も悪い、臭いも悪い、優れている箇所など生物兵器として扱える部分だけな訳だが。何人殺すつもりかね?」
「殺すつもりなんてないですの。わたくしがこのお菓子を差し出すと生徒たちは涙を流して喜んでくれたんですのよ?」
「強要している訳だが。余計にタチが悪い、このアバズレめ。収穫祭に先んじて冥府の法廷に立たせてやろうか」
ルージュとキクガの間に火花が散る。相変わらず仲が悪いようである。
ユフィーリアはこの状況に困った。とにかくルージュが差し出してくるお菓子が不吉すぎる。こちらにも押しつけられないか心配しかない。もはやお菓子ではなく厄災扱いである。
嗅覚が鋭すぎるエドワードはショウとハルアに慰められているし、アイゼルネもジリジリとルージュから距離を取っている。お菓子が大好きなショウとハルアもルージュのお菓子を受け取るのは遠慮したいみたいで、手を出す素振りすらない。
「あのー……」
口論を続けるルージュとキクガの間に割って入ったのは、度胸が天元突破しているリタだった。彼女は心配そうな表情で、
「仲が悪いみたいですが、お互いが嫌いなのですか? どうして喧嘩をしているのです?」
「向こうが突っかかってくるからですの」
リタの言葉にツーンとした態度で応じるルージュの一方で、キクガは「別に嫌っている訳ではないのだがね」と答える。
「仕事に関する評価はしているつもりな訳だが。現に第三席【世界法律】として立派に役目を果たしている。一部を除けば品行方正で気品のある淑女と言える訳だが」
「一部」
「その部分で被害を受けて以降、私はアバズレと呼んでいる訳だが」
キクガは遠い目をし、「そう、あれは忘れもしない……」と語り始める。
「冥王第一補佐官になりたての頃、第四席【世界抑止】の代行として創設者会議に参加した訳だが。その際に挨拶を受け、私は第三席から『なよなよした男は頼りないんですの』と言われた訳だが」
「な、なるほど」
リタはとりあえず相槌を打つ。
なるほど、その頃からの犬猿の仲か。ルージュは名門魔女一族の当主でもあり、やけに矜持も高いのだ。その矜持の高さが鼻につくということだろう。
思えば、キクガとルージュは割と初対面から仲が悪かったように見える。同族嫌悪が理由かと考えたが、別のところで嫌いな要素があったようだ。
「まあ、私も冥王第一補佐官になりたてで、まだ頼りない節もあることは理解していた。第三席やその他の七魔法王は私よりも何年も前から生きている高名な魔女や魔法使いな訳だが、魔法に明るくないが故にそのような態度を取られたのかと不勉強を反省した訳だが」
「そうなんですね」
「せめて魔法を学ぶことは出来ないか、と第三席に打診をしようと創設者会議のあとに会話を試みた訳だが――」
キクガの赤い瞳に、冷たい光が帯びる。まるでその時の光景が唾棄すべきものであるかと語るように。
「多数の筋骨隆々とした男性を侍らせて、何やら鞭を片手に楽しそうに遊んでいた訳だが」
「へあ」
「まあそれだけならば趣味で片付けられるだろう、私も引きはするがとやかく言う必要はない訳だが。なのにそこのアバズレは事もあろうに、私に向かって『身長が高いならこのぐらい筋肉をつけて当然ですの、出直してくるんですの』と宣ったのだ」
何だか雲行きが怪しくなってきた。
「冗談ではない、私を君の趣味に巻き込まないでほしい訳だが。考えを改めない限り、私は君を何度でもアバズレと呼ぶぞ」
「言われずとも顔が好みではありませんの。たとえ筋肉があったとしても――」
睨みつけてくるキクガから視線を外したルージュは、ポツリと呟く。
「――あら、ちょっと面白そうですの。そのお綺麗な顔を苦痛に歪ませて屈服させたらさぞ楽しいことになりそうですの」
「アバズレ死ね!!」
「父さんで汚い妄想をしないでください!!」
「親子で襲ってくるんじゃねえですの!!」
純白の鎖と炎腕の波状攻撃を華麗に回避するルージュを眺め、ユフィーリアはとりあえず近くにいたリタを避難させる。あの喧嘩に巻き込まれて大怪我を負ったらまずい。
「普段は真面目なのにな、何でだろうな」
「私、ルージュ先生に教えてもらった魔導書で資格も合格したことあるのですが」
「筋肉が絡むと馬鹿になるんだもんよ」
きゃーきゃーと騒がしいルージュの悲鳴を聞き流し、ユフィーリアはとりあえずアズマ親子の気が済むのを待った。もちろん、ルージュに加担するのは面倒なので絶対にしない。
《登場人物》
【ユフィーリア】ルージュのお菓子を口の中に突っ込まれて何度か保健室行きになった。
【エドワード】ルージュからお菓子をもらって「その場で食べてほしいんですの」と言われたので断りきれずに食ったらぶっ倒れた。さすがにこれは無理。
【ハルア】ルージュから手製のお菓子を押し付けられた時、ショウとアイゼルネを連れて全速力で逃げた。
【アイゼルネ】ルージュのお菓子を手渡されそうになったところハルアによって逃がしてもらったので無事。
【ショウ】ルージュからお菓子をもらったが、ユフィーリアが保健室送りになった腹いせに泥水を流し入れておいた。
【キクガ】かつてはルージュとも仲良くしたかったのだが、彼女自身の趣味にうっかり巻き込まれそうになったことがきっかけで敵認定。そもそも一夫多妻制の概念が頭にはない。
【ルージュ】キクガは顔が好みではないので対象外だが、身長が高いのでもう少し筋肉があったら下僕にでもしてあげようかと思っている程度。なお、顔は好みではない。大事なことである。
【リタ】真面目なルージュに資格取得で助けてもらったことがあるので恩義はあるものの、それはそれとして筋肉が絡むと馬鹿になるのは何故なのか。