第16話【問題用務員と神様たち】
神癒月のお手伝いが終わってから数日経った頃である。
――とん、とん。
比較的ゆっくりとした、しかし確かなノックの音が耳朶に触れた。
「ん?」
「え、誰ぇ?」
来たる収穫祭に向けて衣装の準備をしていた問題児は、用務員室の扉が叩かれたことに反応を示す。
どうやら生徒か誰かが用務員室を訪れたようだが、扉に施錠されていないにも関わらず入ってくる様子はない。なおもゆったりとしたノックの音が続くだけだ。
扉を開けてほしければ、部屋の中に人がいるのだから「開けてください」と呼びかければいいだけだ。なのにどうしていつまでも部屋に入らず、ノックを続けるのか謎である。
ユフィーリアとエドワードは互いの顔を見合わせ、
「荷物があるから両手が塞がってるとか」
「あり得るねぇ」
重たい荷物を両手いっぱいに抱えていたら、さすがにノックするだけで精一杯になるだろう。ここは扉を開けてやった方が紳士的だ。
とんとん、と絶えず続くノックに「今開けるから待ってろ」と反応するユフィーリア。収穫祭の為に着る衣装の裁縫作業を並行したまま、指を弾いて用務員室の扉を開ける。
その先に立っていたのは、ヴァラール魔法学院の生徒や教職員ではなかった。まして購買部の黒猫店長でもなかった。
北極にでも出現しそうな、全身がもふもふとした体毛で覆われた雪男であった。
「んえ」
「あえ」
明らかに常識外れなお客様がやってきたことでユフィーリアとエドワードが固まる中、その雪男は掠れた声で言う。
「――所望、所望――」
その言葉は、極東地域に存在する神々が相手に対して何かを求める時に使うものである。
「身体を、洗っては、くれませんか。宿屋の主人に聞いたら、童らは、ここにいると仰りました」
もふもふな雪男みたいな見た目をした神様らしい神物は、要求を口にする。身体を洗ってほしいとは言うが、それほど身体は汚れているように見受けられない。かなりの綺麗好きと見てもいいだろう。
相手の言う『童ら』という言葉に、どこかで嫌な予感がしていた。おそらく未成年組が神癒の宿で接客した神様が、彼らを気に入ってヴァラール魔法学院まで押しかけてきたのだ。相手は神様なので結界などいくらでもどうにか出来るだろう。
未成年組を生贄として差し出す訳にはいかない。ユフィーリアとエドワードは警戒心を見せるのだが、
「ユフィーリア、助けてくれ。ハルさんがミイラ男の仮装をしようとして包帯を身体に巻きつけたら失敗してしまったんだ」
「むがもごむががが」
居住区画の扉が勢いよく開き、ショウとハルアが飛び出してくる。何だか泣きそうな表情を見せたショウが示したのは、身体に包帯が雁字搦めに絡まってしまったハルアである。顔にも巻き付いてしまっているので、強制的に変顔をさせられていた。
未成年組と雪男みたいな神様が邂逅した瞬間、神様の方が弾け飛んだ。
しぽぽぽぽぽ!! という軽快な音を立てて弾けた神様は、一抱えほどの綿毛みたいな見た目になる。真っ白な綿毛にはつぶらな目が輝き、鳥類を想起させる細い足で床に降り立つと、ショウとハルアの周りを取り囲み始めたのだ。未成年組と出会えたことが嬉しいのか、綿毛どもは「♪」「♪♪」と甲高い鳴き声を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねる。
その綿毛たちに見覚えがあるのか、ショウは「あ」と口を開く。
「もしかして綿毛の神様ですか? どうしてここに?」
「♪♪♪」
「身体を洗ってほしいんですか? ここには神癒の宿のような浴槽はないんですけど……」
もふもふの毛並みで神様から体当たりされるショウは、綿毛の神様たちに埋もれながら「うーん、どうしよう」と首を傾げる。特に気にした様子はないし、何なら生贄として連れて行かれるようなことはなさそうだ。
「……あれって確か、ユキハミシロベノヒメじゃなかったかな。雪原地方で祀られてる神様だって」
「冬の訪れを知らせる神様だって聞いたねぇ。あんな綿毛みたいな見た目をしていたんだぁ……」
神様に気に入られちゃったらしい未成年組を眺め、ユフィーリアとエドワードは困惑する。呪いを受けるなら頭を抱えたくなるが、気に入られちゃったとなったらどうすればいいのだろうか。わざわざ極東から遠い地であるヴァラール魔法学院にやってきたのだから、丁重にもてなして帰ってもらうべきだろう。
とはいえ、ショウとハルアを取り囲む綿毛の神様たちの数は凄まじい。居住区画の浴槽を使ってもいいだろうが、今からお湯を溜めるとなればちょっと時間がかかりそうだ。それに石鹸も大量に使うこととなりそうである。
すると、
――こつ、こつ。
今度は窓が叩かれた。
ユフィーリアとエドワードは、用務員室に設けられた窓に視線をやる。
用務員室はヴァラール魔法学院の校舎3階にあるのだが、その窓の向こうに何故か巨大な恐竜が顔を覗かせていた。真っ黒な体毛が全身を覆い、頭部から伸びる牡鹿を彷彿とさせる立派な角。色とりどりの花を咲かせた角で器用に窓をコツコツと叩いて自身の存在を主張していた。
牛のような、恐竜のような見た目をしたその何かは、明らかに魔法動物などで片付けられるような生物ではない。極東地域で祀られている神様だ。
「ミナカミノシシかよ……」
「森の穢れを吸い取って浄化してくれる神様だよねぇ」
恐竜みたいな神様は、ショウとハルアを発見するなり「ゔもももももももも」と低い声で鳴く。綿毛の神様と同様、身体を洗ってもらいたいが為にわざわざ極東地域からやってきたようだ。
これはもう、おもてなしをせざるを得ない。ここで無碍に突き返したら、それこそ呪いをもらう羽目になる。
ユフィーリアは「よし」と頷き、
「ショウ坊、ハル。校庭に浴槽を作ってやるから、そこでもてなしてやれ」
「ありがとう、ユフィーリア」
「むがががもごごご!!」
「ハルはその包帯をどうにかしてから何か言え」
ハルアの身体を縛り上げる包帯を魔法で解いてやり、ユフィーリアはやれやれとばかりに肩を竦めるのだった。
このあと、巨大な五右衛門風呂を校庭に作って極東地域からわざわざおいでなすった神様をもてなしていたら、学院長のグローリアから当然の如く説教される羽目になったのは、もはや言うまでもない。
《登場人物》
【ユフィーリア】五右衛門風呂を作った。魔法を使えばお風呂を沸かすなんてお手のものですよ。
【エドワード】ショウとハルアからレクチャーを受けて、綿毛の神様を洗っていた。
【ハルア】恐竜の神様の身体に登って藻を掃除していた。
【アイゼルネ】ひたすら石鹸を泡立てる係。
【ショウ】エドワードに綿毛の神様の洗い方をレクチャーしながら綿毛の神様を洗っていた。
【綿毛の神様】冬を告げる神様。極東の北部で祀られている。
【恐竜の神様】森を浄化することが出来る神様。森が汚れてくると自分の身体も汚れる。